嫌な記憶
リンク:休暇編第2話「亡命前夜」「人殺しの専門家」
レリミアを家畜小屋に拘束したティロは、亡命を手助けしてくれる案内人と世間話をしていた。
「ここは連絡員用の隠れ家か何かですか?」
指定されたこの民家は、リィアのはずれに位置する農村にあった。ここからクライオの都市まで田園地帯が広がり、人口も少なく争い事とは無縁の空気が流れている。
「ここの住人が昔熱心な革命思想家でね。今となっては表立って何にもできやしないが、とりあえず反リィアのためなら何でもするって話だ。たまにこうやって家を貸してくれる、有り難い方々だ」
革命思想と聞いて、予備隊で革命家を処刑したことをティロはぼんやり思い出した。有害な革命思想についての話は散々聞いていたので、この民家に滞在するのが少し不気味に思えてきた。
「なるほど。それで、これからは?」
革命思想について考えたくなかったティロは、明日以降のことを確認することにした。
「明日の朝、クライオの市場に行くという名目で馬車を出す。あんたは俺の息子ということにしておこう」
(馬車、か。客車に乗れって言われたらどうしようかな。でも市場に行くってことは荷馬車だろうから、俺でも大丈夫かな……?)
いろいろ考えることはあったが、今気がかりなのはレリミアのことだった。何とか箱などに押し込めれば運べないこともなかったが、それをどうするかはこれから朝までに考えることだった。
「……わかりました。他の積荷は?」
(まあ、この辺の家だったらリィアの街に行くより国境越えてクライオまで行った方が近いんだよな。その辺は関所の奴らもわかっているんだろうし、市場に行くとなると荷物が少し増えたって大丈夫だよな……?)
「検査が面倒なものがいい。大体は牛や豚なんか積んでいく」
(家畜市場に行くのか。それなら小娘ひとりくらい増えてもわからないかな?)
「そうですか。それではよろしく頼みます」
話が一段落ついたところで、案内人が立ち上がった。それから何かを思い出したようにティロに尋ねた。
「それと気になったんだが……」
(なんだなんだ!? 俺なんかやったか!?)
「何か?」
内心は既に汗まみれなティロだったが、何とか顔に出ないように冷静に返事をする。
「いや、ここで亡命したいという奴はそれなりに世話してきたんだが、ほとんどはここの積荷に紛れて行く。正直偽造の通行証なんかより簡単で確実だ。あんたは箱に隠れるとかできないのかい?」
不審に思われたわけではないことを知って安心したが、「箱に隠れる」という提案を聞いただけでティロの背筋が粟立った。
「それが……実は狭いところが大の苦手でして。閉所恐怖症って奴です」
「少しも我慢できないのかい?」
「今の話を聞いただけで寒気がしますね。馬車の客車や自動車なんてのも本当は無理なんですよ」
「そりゃ重症だ……うちの母ちゃんも高いところが苦手でね。二階の窓から外見るのも怖いんだと」
案内人はがははと笑った。国境まで馬車の客車に乗ってもらう、と言われたら泣いてでも御者席に乗せてもらおうと考えていたティロは少し安心した。
「少し気持ちはわかりますね。普通の人が何故、と思うものが怖いんですよ」
「まあ、明日は無事クライオに届けるよ。今夜はゆっくり休んでくれ」
「よろしくお願いします」
そう言うと、案内人は民家の二階へと引っ込んでしまった。
(ようやく、ひとりになれた……)
これからの手筈をティロは考えなければならなかった。レリミアを荷物としてクライオまで運ぶ方法、クライオに到着してからの身の振り方、そして肝心のトライト家への復讐計画。
(そして、クライオでこいつに下す処分方法だな……こればっかりは行ってみないとわからない。一体どうなるかな)
見えない相手と手合わせをしているようだとティロは考える。次々に現れる事象と斬り結び、処理をして更に向こうの動きを予測する。
(少なくともザミテスを埋めるまで、俺は止まらないぞ……よし)
復讐への決意も新たに家畜小屋に戻ってくると、レリミアが柱に縛り付けられたまますすり泣いていた。その様子を見るだけで愉快で仕方がない。
「ようクソガキ。暗くて怖かったか?」
その泣き顔をよく見ようとランプで照らしたが、レリミアに大きな反応はなかった。
「何で……何でこんなことを……」
「うるせぇ、生意気に口なんかきくんじゃねえよ」
「でも、すごくきつくて痛くて、痛くて……」
レリミアは憔悴した表情で訴えてきた。同じ姿勢で縛り付けられていることに疲れているようだった。
「だからわざと痛くしてるんだって。もっと痛くするか?」
「嫌……」
レリミアを縛り付けている縄を、更にきつく結び直した。
「拒否権はねえよ」
「やめて、お願い……やめて、痛い!」
上半身は十分に締まっていたので、今度は下半身もきつく柱に結び直した。抵抗することができないレリミアは涙を流した。
「いいこと教えてやろうか?」
縄の痛みに呻くレリミアを見ているうちに、昔このような光景を見たような気がしたことをティロは思い出した。
「こういうときはな、やめろとか痛いとか騒ぐと余計相手は面白がって痛めつけたくなるんだよ」
「じゃあ、どうすればいいの!?」
「静かに抵抗しないでされるがままになる。そうすると相手は飽きてどこかに行く」
これはティロが今まで生きてきて得た教訓そのものだった。抵抗すればするほど、相手は面白がって反応を見たがる。結局は「されるがまま」が一番被害が少ない。予備隊に入れられる前は、事あるごとに体から意識を切り離して「早く終われ」と念じていたのを思い出した。
(思えばいろんなことをされたな……殴られたり蹴られたり、埋められたり)
思い返すだけで気分が悪くなるようなことばかりだった。
(大丈夫、もう俺は強くなったんだ。その気になれば、誰でも殺すことだってできる)
こみ上げてくる嫌な気分を押しのけて、改めて目の前のレリミアを見る。今彼女を殺すことも出来るが、そんなのは自分の受けてきた惨めな境遇と比べたら平凡な死に方としか思えなかった。
「じゃあ私も黙ってればあなたはどこかに行くの!?」
「行くわけねーだろ、バカじゃねえの」
(つくづく本当にバカなんだな、こいつは。これからイジり甲斐があるってもんだ)
再びすすり泣き始めたレリミアを見て、ティロはかつて腕を怪我して泣いていた少年を見た気分になった。命以外の全てを失った少年は、苦しまずに死ぬ方法ばかり考えていた。
(安心しろ、今から俺がお前をぶっ殺してやるからな)
これからのことを考えると、胸がわくわくしてきた。泣いているレリミアと対照的に、ティロはこの上なく幸せな気分であった。




