俺も旅行に行く
リンク:積怨編第6話「同行」
すっかり日が落ちてから、ライラは河原に現れた。謹慎処分を言い渡されて開き直った挙げ句浮かれているティロを見て、ライラはまず不審に思った。
「どうしたの、珍しく合図なんか出しちゃって……なんか変なのでもやってるの?」
「いや、珍しく素面だよ」
ティロは左腕の袖を捲って、針の跡を露出してみせた。
「バレた」
「バレたって……どうなるの?」
ライラはティロの顔色と言動が一致していないことが不思議で仕方なかった。
「クビだって」
「それはそれはって……じゃあトライト家はどうするのよ!」
「大丈夫、ちゃんと考えてあるから」
左腕をしまうと、ティロはライラに向き直った。
「クビと言っても、一応三ヶ月の猶予はもらっている。つまり、謹慎期間とはいえ俺の身分はまだ上級騎士三等だ。幸いザミテスも査察旅行中だからな、俺の処分については帰還後に知るだろう。ガキの頃からリィアに奉仕し尽くしてきたんだ、これも長期休暇だと思えば可哀想なキアン姓も救われるってもんだ。それで……」
勿体ぶってティロは宣言した。
「俺も旅行に行く!」
降って湧いたような話に、ライラは面食らった。
「はあ? それでレリミアにくっついていくっていうの?」
「そう。それで俺が直々にあの世間知らずの小娘に世の中って言うのをじっくり教えてやるわけだ」
どこを切り取っても物騒な物言いに、ライラは恐怖するより呆れてしまった。
「具体的に何するのよ」
「何をどうするかはこれから考えるとして……俺もビスキに行く。そんで夢のように楽しい楽しいところであいつをどこかに監禁していい感じに脅かす。後はゴミ野郎が帰還したところを見計らって小娘を連れてきてぶっ殺す。大体の流れはそんなところかな」
ティロの頭の中では、途中まで楽しい旅行を満喫していたレリミアにどうにかして恐怖を与え、それから何らかの方法でトライト家まで連行してついでにリニアとノチアを始末してからザミテスを埋めるという簡単な筋書きが出来ていた。しかし、「いつ、どうやってレリミアを連れ出すか」ということに関しては何も考えていなかった。
「じゃあそのレリミアは私が連れて行くの?」
「俺が連れてきてリィアの裏通りのどこかに預けておくとかもいろいろ考えてみたんだけど、やっぱりこいつの素性を知ってる奴がいる危険性を考えるとちょっと難しいんだよな」
「トライト家の地下室は?」
「無理だって」
地下室、という言葉を聞いただけでティロの背中に冷たいものが走った。ライラの提案を即座に却下したが、他に良い案がすぐに思い浮かばなかった。
「その辺は、これから追々考えるよ。出発さえしてしまえば、こっちのものなんだから……それにさ……」
頭の中には心地よい海岸の様子が広がっていた。レリミアに同行するのは癪だったが、海には行きたかった。
「だってさ、せっかくだからさ、その……」
「何が言いたいの?」
正直な気持ちを言えばいいと思ったが、今更「一緒に行きたい」と言うのは非常に恥ずかしかった。
「いいなあって、別に思ってるわけじゃ、ないんだけどさ、その、海岸……」
何とか言葉を絞り出すと、ライラは呆れたようにため息をついた。
「……わかったわよ。宿は押さえてあるし、まだ時間もあるから人数が一人増えるくらいいいんじゃないかしら。明日すぐに連絡してあげる」
「やった!」
(これで思い残すこともないぞ!)
旅行の機運が高まってますます浮かれたティロだったが、ライラが釘を刺した。
「あと、ビスキ領への通行許可証忘れちゃだめよ。国内って言っても関所は生きてるんだから」
同じリィア国内とはいえ、領地間の移動には通行許可証が求められた。通行許可証は正式な手続きさえすれば基本的に誰でも手に入れられるものであったが、革命思想の蔓延防止のためそれなりに厳しい基準があった。
「わかってるよ。それは何とかする」
ティロもコール村へ赴任したときに辞令と共に許可証を発行されていた。しかし、今回は赴任に関するものではないので新たな許可証が必要であった。謹慎中の身の上であっても、どうせ除隊する前提で話が進むだろうと思ったティロは「ビスキへの移住を検討する」などと行って一時的な許可証の発行を求めようと思っていた。
「あと、君がやらなきゃいけないことは……レリミアに言うことね」
旅行の準備をあれこれ考えているティロの頭に、レリミアのキンキンした声が響き渡った。
「ええ……俺が言わないとダメ?」
「ダメでしょ。君と私に面識がそれほどない設定なんだから」
「嫌だなあ……あのガキ調子狂うんだよ」
レリミアの愚痴はライラからもよく聞いていたし、実際に遭遇してもティロは大抵何となく嫌な気分になっていた。「ええ!? 一緒に旅行に行くの!? わーい!」という脳天気な声まで聞こえてきそうで、ティロは頭の中でレリミアを思う存分殴り倒した。
「その調子狂うガキと四六時中一緒にいるんですけど」
「それは本当に世話になってるよ」
この計画はライラがいなければ実現しなかったことをティロは感謝すると共に、新たな疑問が生まれていた。
(しかし……何故彼女はここまで俺のために何かをしてくれるんだろう? 元々、ただの通りすがりでちょっと助けただけなんだけどな……でも、彼女がやりたいって言うならやらせたほうがいいよな)
改めてティロはライラを見る。まだ肌寒い夜の河原にわざわざやってきてくれる可愛い女性。この辺りでは見かけない赤い髪が魅惑的な雰囲気を放っていた。話を聞けばティロよりひとつ年上で、幼い頃はエディアで育ったとのことだった。
(彼女のことを、俺はどう思ってるんだろう? 素敵な人だとは思うけど、俺には勿体ないというか、遠慮しなくちゃというか……そもそも、俺は彼女に大変申し訳ないと思っているからな)
エディアで災禍に遭うまで酷い暮らしをしていたという話を聞いて、ティロはますます自分の正体をライラに明かすことができなくなっていた。しかし、元のエディアにいたら絶対出会わなかったと思う彼女と出会えて、この最悪な人生のひとつの拠り所だとティロは思っていた。
「……どうしたの?」
ライラに内心でごちゃごちゃ考えていたことを見透かされたようで、ティロは慌てて誤魔化した。
「いや、これから頑張らないとなって」
するとライラは、ふっと穏やかな笑みを浮かべた。
「あんまり頑張りすぎてもよくないよ」
それじゃあまた何かあったら、とライラは河原から姿を消した。今まで空っぽだった心に何かが急速に染み渡っていくような、そんな妙な気分をティロは抱えることになった。




