拒絶
リニアからの取り立てが順調であることにティロは気を良くしていたが、それ以外のことについては意識の外にあった。勤務に関しては惰性でその場に留まっているようなもので、誰の目からもティロの様子はおかしくなっていた。
その日、頭がぼんやりして河原まで行くのが億劫になったティロは夜になると避難所にしている宿舎の裏にやってきた。自室にはリストロがいて、とにかく今は顔を合わせたくなかった。
(しかしまだ夜は寒いな……コールよりマシだけど)
宿舎の裏で夜を過ごす際は煙草を一服して、適当なところで睡眠薬を入れるのが定番になっていた。薬が切れてから部屋に戻って身支度を調えれば、誰も宿舎の裏で浮浪者のように寝ている者がいるなんて気がつかないだろう、とティロは構えていた。
「何をやってるんだ、こんなところで」
外套にくるまって煙草に火を付けて寝転んだところで声を掛けられ、心臓が縮み上がった。
「……何だよ」
ティロの目の前に、リストロが立っていた。
「それはこっちの台詞だ。こんなところで煙草なんかやって……一体君はどういうつもりなんだ?」
「どうもこうもない。それよりこんなところまで何の用だ?」
起き上がって座り込むと、リストロの声が更に上から降ってきた。
「何の用って……君が心配なんだ。いつもいつも夜どこに行ってるのかと心配なんだよ。今日はたまたま君を見かけることができたからここがわかったようなものだけど……いつもはどこで何をやってるんだ!?」
ティロはリストロの顔を見る。まともに取り合っていては付き合いきれない感情が腹の底から次々にわき上がってきたが、そういったものを無視するのには慣れていた。自分自身を無視することは容易だったが、目の前の相手を無視することは流石に出来なかった。
「心配、心配ねえ……」
何とかリストロを追い払うことしか考えられない自分が情けなくて、ティロは自嘲気味に笑った。その態度が真面目なリストロには挑発にしか見えなかった。
「何がおかしいんだ、僕は君を心配しているんだぞ? 声には出さないけど、他のみんなだって……どうして君は真面目に向き合ってくれないんだ?」
リストロに見下ろされて、今まで押さえつけてきた何かが音を立てて飛び散った気がした。
「お前、俺と対等だってのか?」
「何を言ってるんだ、君も僕も身分は一緒だろう?」
ティロは下から思い切りリストロを睨み付けた。
「じゃあさ、そこで物乞いしてこいよ」
リストロの顔が歪むのがわかった。返答を待たずにティロは更に続ける。
「誰にも振り向かれなかったら女を狙うといい。物陰に入ったところで突き飛ばして転ばせてから財布を取ればまあまあ行ける。それも嫌なら、男と寝れば飯くらいは奢ってもらえる。意外と抱かれるより抱いてほしいって奴は多いぞ?」
悪態をついていると、リストロの顔がますます歪んでいった。
「さっきから君は何を言ってるんだ……全く関係ないことを引き合いに出すな」
「うるせえ、ごちゃごちゃ言ってないではっきりしろよ。男に抱かれる気はあるのか?」
「あるわけないだろ、ふざけるな!」
リストロが激昂したことで、ティロは自分が優位に立った気がした。
「俺は全部やったぞ。やるしかなかった。それでも対等か?」
リストロから返事はなかった。
「ただでさえキアン姓なんてろくなもんじゃないのに、俺は予備隊出身という最悪の育ちだ。親がいないなんて全然問題じゃない。気を抜けば死ぬし、やらないと殺される」
ここぞとばかりに、ティロは畳みかける。
「飯は自分で何とかしないといけない、家はない、頼れる人も何もない、いつ殺されるかわからないからゆっくり眠ることもできない、そういう場所で生きてきた俺とお前が対等になれるか?」
意味の無い意地悪をぶつけていることはティロも承知していた。しかし、なおもリストロは食い下がる。
「それでも、僕は君のことを理解したい。だって、君は強いじゃないか。それなのに、どうしてそんなに自分を卑下するのか僕にはちっともわからないんだ。君の苦しみだってもっと知りたいし、何より君の助けになりたいんだ」
(助ける? 俺を? どうやって?)
ティロの中で、すっかり何かが崩れ落ちた。
「じゃあ、理解してもらおうか」
ティロは吸い終わった煙草を捨てると、立ち上がってリストロの腕を掴んだ。
「お前、俺と今からヤるか?」
「え?」
動揺するリストロを前に、ティロは笑いかけた。
「え、じゃねーよ。俺を理解したいんだろ? 相手が何でも、俺でも」
「それは……」
ティロは火のついていない煙草をリストロの眼前で振って見せた。
「俺の方は何でもいいんだ。怖かったらこいつやるからさ、しようぜ、ここで。それとも部屋に行くか? その方が落ち着けるってんなら構わないぜ」
及び腰になるリストロの腰を捕まえると、身体が硬直しているのがわかった。性交以上に、これ以上下手に動けないとリストロが判断するほど、ティロは殺気を放っていた。
「なんだ、初めての女の子みたいだな。そういうのもかわいいぜ?」
からかうように首筋に息をかけると、リストロは絞り出すような声を出す。
「ぼ、僕は……君とは、寝れないよ……」
少しの呼吸も許されないほど、ティロの殺気は凄まじかった。先ほどまでのらりくらりと追求を躱してきたティロの隠してきた憎悪に触れて、リストロは身体の芯が冷えるようだった。
「てめえの意思は関係ねえんだよ、こういうのはさ……脱げよ。はやく」
「い、嫌だ……」
「俺を理解したいんだろう? 嫌だ、じゃないんだよ脱ぐしかねえんだよ俺はな」
ティロが軽く突き飛ばすと、リストロは腰が抜けたようにその場に尻餅をついた。威嚇を止めたティロは、今度はリストロを見下ろしていた。
「脱がねえと殺される、口答えするとぶん殴られる……嫌だ、だって? 贅沢だね、本当に……嫌になる」
リストロは急いで立ち上がると、ティロから距離を置いて身の安全を確保した。
「そうだ、その顔だ。よく俺を理解したじゃねえか。俺はこういう奴なんだ。生きるためなら何でもやる、プライドなんてあったもんじゃない、たまたま剣の腕があるからここにいるようなもので、他に何にも残ってない、ゴミみたいな奴だ。わかったか?」
剥き出しの憎悪に触れたリストロは、それ以上ティロに近づくことができなかった。
「確かに、今の僕には君を救うことができないってことはよくわかったよ。だけど、いつか必ず君を救い出してみせる。こんな僕だけど、それでも何かできることがあるはずだ」
「それなら、そういうのは俺じゃなくて他の奴にやってやれ。俺に構うな」
「わかったよ」
ティロに背を向けて少し歩いてから、リストロはもう一度ティロの方を振り向いた。
「でもさ、君ってやっぱり優しい人間なんだと思うよ。他の奴を救え、なんて自分本位の人間の口から出る台詞とは思えないんだ。ねえ、やっぱり僕は君と本気で話がしたい……無理にとは言わないけどね」
既に寝転んで睡眠薬を口にしていたティロは、何も答えなかった。




