徒労
それからも順調に恐喝は進み、ティロがリニアと会う回数は増えた。リニアがその気になったことで、ティロの懐は更に温まっていった。
少しずつ増えてきた資金は使い切れずに自室のベッドの下に隠された。更に薬の在庫なども同じ場所に隠された。まさか上級騎士の宿舎に、興奮剤の横流し品が隠されているとは誰も思わないだろうという思惑があった。
(後は、本当にこれさえなければ……)
相変わらず週末はノチアへ稽古をつけることになっていた。断る口実も思い浮かばず、渋々トライト家に通う自分をティロは心底嫌に思っていた。
その日、屋敷についた直後にティロはザミテスに呼び止められた。
「ノチアの上級騎士試験の対策、頼んだぞ」
雑に命じられて、ティロは困り果てた。ザミテスに何かを言われるのも嫌だったが、上級騎士の試験を受けていない自分が試験の対策を練れないことも嫌だった。
「あの、僕実技試験を受けてないからどんな感じで対策をすればいいのかわからないんですけど……」
出来ないことを告げるのも癪に障ったが、出来ないことを隠して誤魔化すのも嫌だった。嫌なことばかりで気が滅入りそうだったが、正直に申し出るとザミテスは面倒くさそうに答える。
「実際のところ、合否の内訳は前評判が八割くらいだ。当日の動きを見て、後は本番に強いかどうかだけが試される。当日の試合の結果なんて大した意味はない」
「つまり、予め合否は決まっているってことですか?」
「それは言い過ぎだ。試験前から既に予選が行われているということだ、何事もそうだろう?」
ザミテスの言いたいことも、エディアの公開稽古に出場する選抜試験を見ていたのでティロはよくわかった。しかし、それでも上級騎士試験に命をかけている者たちがいることもわかるティロは理不尽さを抱えた。
「それで、僕は具体的に何をどう指導すればいいんですか?」
試験をする前からノチアは不合格であることを暗に告げられて、ティロは更にどうすればいいのかわからなくなった。
「せめて試験の場で恥ずかしくないくらいの立ち振る舞いを教えてほしい。どうせあいつは上級騎士にはなれっこない」
いくら事実であっても、父親の発言とは思えない物言いにティロは面食らった。
「え? で、でもわからないじゃないですか?」
「わかるだろう、どうせお前もわかってるはずだ。あいつは剣なんかより土でもいじっていた方が幸せな奴だろうさ」
ザミテスの冷徹な発言に、ティロはノチアに「殺してくれよ」と言われたことを思い出した。上級騎士筆頭であるザミテスが、息子の才能のなさを見逃しているはずはない。それなら一層、何故自分のようなものに稽古をつけさせるのかティロにはわからなかった。
「じゃ、じゃあなんでこんなことを」
「それが上級騎士筆頭の立場ってことだ。お前も偉くなればわかるさ」
(立場!? お前は立場と息子とどっちが大事なんだよ!?)
ノチアの稽古についての方針がわかったところで、ティロはますますザミテスという男に不快感を覚えていた。通りすがりの幼い姉弟を嬲り殺しにしたことを抜きにしても、ザミテス・トライトという男をティロは好きになれなかった。
「それじゃあ、今日も頼んだぞ。安心しろ、期待はしていないから」
ザミテスはティロの内心を弄ぶように笑顔を浮かべ、屋敷の奥へと引っ込んだ。
(ふざけるなよ……この俺に、期待していないだって?)
それは嫌味ではなく、気負わずノチアに付き合ってほしいという意味であることをティロは理解していた。しかし、優秀な剣士を何人も輩出して公開稽古で後進の指導に当たっていたカラン家の末裔とすれば聞き捨てならない台詞であった。
(いくら期待していなくても、試験で努力して結果を残せるようにしてやるのが指導者ってもんだろう! 落ちるためにする指導なんて聞いたこともない!)
根が生真面目なティロが憤慨しながら中庭に行くと、ノチアが面倒くさそうに待っていた。
「ああ、よろしく頼むよ」
だらけた声のノチアを前に、ティロは必死で殺気を抑えた。溢れそうになる憎悪を必死に胸の中に押し込め、顔に笑顔を貼り付ける。
「それじゃあ、今週も頑張っていきましょうね」
何を頑張るというのか。どうせ頑張っても無駄なのに。
その思いはノチアもティロも同じはずだった。しかし、ノチアはその態度を露骨に出してくるのと違ってティロは「良い指導者」の仮面を被り続けた。仮面で蓋をしなければ、どんな感情が出てくるのかティロ自身もわからなかった。
(結局こいつは、とんでもない甘ったれだ)
手合わせをしながら穏やかな言葉をかけつつ、ティロは内心で毒づいた。
(誰よりも世の中を舐めてやがる。親の言いなりになって、親の部下にすら甘えて)
未だにノチアは構えすらまともにできなかった。正確に言えば、しようとしていなかった。上達の意志が存在しないので、基礎が発展しない。そこをひっくるめて「才能がない」とティロは思っていた。
(出来ないなら出来ないなりに足掻いてみせろよ。俺はそういう奴らをたくさん知っているぞ!)
ノチアと向き合っていると、苛立ちが募って仕方ない。前髪がないので表情で悟られぬよう、ティロは必死で笑顔を貼り付け続けた。
(だから髪は切りたくなかったのに……)
髪を切ったことでいいこともたくさんあったが、やはり本心を隠すには目を隠すのが一番だった。ともすればノチアを睨み付けそうになるのを何度も押しとどめ、そのたびにティロは気分を変えるためにレリミアの部屋の窓を見上げた。
(今日は見てないな……)
レリミアに用はなかった。もしかしたらライラがこちらを見ているかもしれないという淡い希望であった。窓の側にいなくても、ライラがこの屋敷のどこかにいると思うだけでティロは少し気分を落ち着けることができた。
「痛っ!」
それでも、手加減を忘れて誤ってノチアを強く打ってしまうことがあった。
「……できれば、このくらいは受けてもらわないと困るんですけど」
ノチアは忌々しくティロを睨み付けた。そうやって素直に感情を表に出せるノチアがティロは羨ましく、そして何よりも憎かった。




