姉煩い
リンク:積怨編 第5話「姉の形見」
ライラに促されて、ティロは姉ライラのことについて話し始めた。
「そうか、そうかもな。姉さんか……すごく綺麗な人だった」
「どのくらい?」
(どのくらいって、そりゃあもう世界一のとびきりの美女だよ。芸術とか自然の雄大さとか、もう二度とこの世には降り立たない奇跡の宝石みたいな、えーと……)
「弟に生まれたことを後悔するくらいには」
「何それ」
(何それって……姉さんという存在の影がきっと俺なんだ。やっぱり俺なんか生まれてこなきゃよかったのにな……)
この辺りの感情を忠実に言葉にすることは、流石に憚られた。
「そのくらい自慢の姉さんだったってこと」
溢れてくる姉への想いで顔がにやけそうになるが、今は前髪がないため必死で顔を見られないようにライラから顔を逸らした。
「その自慢の姉さんに似てるの?」
「そうなんだよなあ。姉さんも俺も母親似だとはよく言われていたけど、よくわかんないんだ」
「母親似かどうかなんてわかるもんじゃないの?」
(そうか、家族の話を普通にしてるから彼女は俺に母親がいるって当たり前に思ったのか。まあ、家族は母親以外たくさんいたんだけど……)
「小さい頃死んじゃってさ。俺自身の母親の記憶はほとんどないんだけど、年の離れた姉さんが母親代わりみたいなところはあったかな」
「そうなんだ」
姉の話をしているうちに、ティロはトライト家への復讐を遂げた後のことに思いを馳せた。
(別にあいつらを殺しても、姉さんが戻ってくるわけじゃない。ただあいつらが何もなかったことにしているのが許せないだけだ)
そしてどんな結果になろうとも、のうのうと生き延びているということはないと確信していた。そこで、少しでも誰かに自分と姉のことを話しておいた方がいいのかもしれないとティロは考えた。
「そして……今はこれが姉さん」
首から下げている指輪を懐から取り出して、ライラに見せた。一度埋められてガラクタ同然に汚れてしまっていた指輪だったが、今ではティロが定期的に磨いているので父からもらった当時の輝きを持っていた。
「それは、指輪?」
「そう、形見って奴。これだけが姉さんが生きていた証。何があっても、これだけはなくせない大事なもの。誰かにこうやって姉さんの話をするのもこれを見せるのも初めてだと思う」
ライラは指輪を覗き込む。ティロは顔を覗き込まれる以上に気恥ずかしくなった。
「とても大事なものなのね……」
「うん、みんな死んじゃったからさ……俺だって本当に今も生きているのかよくわからない」
「なんで、君は生きてるじゃない」
(生きてる、か……本当に生きてるのかな)
「でも本当は俺も死んでて、何かの間違いで俺だけ生きてるように感じてるだけなんじゃないかっていつも思っている。気がつけば、やっぱり俺は死体になってて、姉さんの隣にいるんじゃないかってね」
姉のことを考えていると、やはり嫌な記憶も蘇ってくる。路上生活時代の「誰からも気にされない」という冷たい沼の底に沈んだような感覚は、なかなか忘れることができないものだった。
「死ぬのも嫌だけど、姉さんと離れてこうやって生きているのもすごく嫌なんだ。だから何度も姉さんのところへ行こうとした。だけど、その度にいろいろ心配して連れ戻しに来られてさ、俺としてはこんな奴放っておいていいだろうって思うんだけど、なかなかそういうわけにもいかないのかな」
思わず愚痴をこぼしてしまい、慌ててライラの顔を見る。
「……ごめん。こんな話聞きたくないだろう? やっぱり僕なんかに関わるとろくなことにならないよ。君は君の生きたいように生きた方がいいって」
「今更何言ってるの、だから余計放っておけないんでしょう?」
ライラに背中を叩かれて、ティロは項垂れる。このままライラに見捨てられるなら、今ここで見捨ててほしいとすら思っていた。
「……だけど、無茶はしないでね。身体にだいぶ負担かかってるでしょう?」
少しずつ手持ちの金が増えてきたことで、非番の間は大体何かしらの薬物に耽っていることが多くなった。仕事か薬か、それか復讐の計画が今のティロの生活の全てになっていた。
「わかってるって」
そうライラに応えてみせたが、この苦境を素面で乗り切れるほど自分は強くないとティロは再び自己嫌悪に沈んでいった。
***
ライラが河原から去って、それからティロは翌日の日が傾く頃まで河原でひとり薬を打ちながらぼんやりとしていた。
(そろそろ戻るか……)
のろのろと立ち上がり、ティロは宿舎へ戻った。トライト家に行く際は隊服を着ていくため、未だに上級騎士の隊服に身を包んだままであった。河原でずっと寝転んでいたため、あちこちに泥がついている。
(髪に入った砂は取れやすくなったかな……短いのもいいもんだな)
簡単に全身の泥を払って宿舎に入り、そっと自室の扉を開けるとちょうどリストロが部屋にいた。
(う、こんな時に会いたくなかったな……)
リストロは部屋の入り口で立ちすくむティロを二度見して、それからすぐに近づいてきた。
「え、君がティロなのかい!?」
「ええ、そうだけど……」
ぐっと近寄ってきたリストロは、じっとティロの顔を覗き込んでから肩をがしっと捕まえた。
「どうしたんだ一体!? すごいじゃないか!」
「え?」
リストロはティロをがくがくと揺さぶり始めた。
「一体どういう心境の変化だ!? やっぱり好きな女性がいるのか!?」
「いや、そういうんじゃないけど……」
リストロの大げさな喜びように、ティロは困惑するばかりだった。
「何にしても、素晴らしいよ! というか、君ってやっぱり素敵だよ!」
「そうかなぁ……髪を切っただけなんだけど」
「だから素晴らしいって言ってるんだ! 他の皆にも教えなくちゃ!」
言うなり、リストロは部屋を飛び出していこうとする。
「あ、あの、そんなに喜ばないでも……」
「これが喜ばないでいられるか! いいか、君は絶対褒められるようなことをしたんだからこれから僕たちは君を精一杯褒めるからな! 覚悟しておけよ!」
呆然と立ち尽くすティロを残して、リストロは宿舎にいた上級騎士たちに片っ端から声をかけに行った。すると、続々とティロの部屋に上級騎士たちが続々と集まってきた。
「へえ、本当に髪切ったんだ」
「似合ってるじゃないか」
「ずっとそのままでいろよ」
上級騎士たちは、リストロのように純粋な好意をティロに示した。
「へ、へへへ……ええと、どうも……」
髪を切っただけでここまで褒められるとは、ティロは思ってもいなかった。
(何だか恥ずかしいな……嬉しいんだけど、俺に注目されたくないというか、皆に感謝したくないというか……姉さんがいたらどう思うんだろう。俺が褒められたら姉さんは嬉しいだろうか。きっと嬉しいだろうな、だから俺も嬉しいってことにしておこう)
それからしばらく、会う人皆に髪型のことを言われ続けた。皆が髪を切ったことを素直に賞賛してくれた。
(そんなに俺、髪を切ったくらいで褒められるような奴なんだな……)
特に薬屋の主人は最初常連のティロであることに気がつかず、しばらくしてから「へぇ、変わるもんだね!」と驚いた様子であった。こうして大勢の好意を得たティロが、この変化を復讐に生かすことに思い至るまでそう時間はかからなかった。
長らくお待たせしました。ようやくティロの頭がすっきりしました。
次話、復讐期間の日常回(?)ダイジェストとして楽しい恐喝や事件編では語られなかったライラとの急接近が語られる予定です。
よろしければブックマークや評価、感想等よろしくお願いします。




