追憶
リンク:積怨編第4話「災禍後の出来事」
ティロが自決を決意してから1週間が経っていた。
(瓶の薬もあと少しか……)
もうじき楽になれると考えるだけで、幾分か憂鬱な気分が晴れる。
「死んだらまた皆に会えるかな。それとも誰にも会えないで、ずっとひとりぼっちでいなくちゃいけないかな」
「だって僕は皆みたいにちゃんとしてないから、きっと死んでも罰を受け続けるのかもしれない。でも、もう限界なんだ。頭も身体も思うように動かなくなって、このままだと剣も持てなくなるかもしれない」
「そうなる前に、僕自身でケリをつけるんだ。こんなゴミ、生きていないほうがいいに決まってる。そうだろう?」
そう呟いて、頭の中の友達に問いかけたつもりになった。でも、友達はすぐに現れなかった。
「へへ、最近あんまり話してなかったもんなあ。お前らがいたから俺はここまで生きてきたっていうのに、俺が死ぬときは出てきてくれないんだ。どうなってるんだよ、なあ?」
ティロは一生懸命「友達」と会話をしようとした。しかし、弱り切った思考回路ではひとりで会話をし続ける気力がなくなっていた。
「……まあ、いいか。どうせひとりだ」
それからティロはしばらく睡眠薬の瓶を眺めていた。河原を抜ける風の音と、水がさらさらと流れる音が心地良く聞こえる。もうじき自分も静かな自然の音と一体になるのかと思うと、惨めな気持ちが少し楽になる気がした。
急に草を踏みしめる音が聞こえてきた。
(誰か来るな)
今この場所にやってくるとするなら、リィアに反乱を企む赤毛のライラだけだった。もしライラ以外の人間がやってきたら、始末することも考えなければならないとティロは警戒を強める。
「どうしたの、何だか死んでるみたいじゃない」
ランプを持って現れたライラの声に、ティロはほっとした。
「死んでる、か……本当に死んでるのかもな」
ティロはライラを見上げた。反乱が忙しいのか、ライラは以前のように河原に現れることが減っていた。最近はもう数か月も姿を現さず、ティロはもう彼女には会えず終いになると思い込んでいた。久しぶりに彼女を声を聞くと、少しだけ死ぬ覚悟が揺らぐ。
「何言ってるの、死んでないでしょ」
「君がそう思うなら……そうなんだろうな」
努めて平静を装おうとするが、弱り切った頭では気の利いたことが何も思い浮かばなかった。
「一体どうしたの?何だか変だよ……いつも変だけど」
「そうだな……どうしようかな……」
いっそのこと、これまでのことを彼女に話そうかとティロは逡巡する。このまま死ねば、永遠に殺されて埋められた姉弟のことを知る者はいなくなるということが急に怖くなった。
せめて、ライラにだけでも姉の存在を打ち明けるべきではないかとティロは思い直す。
「……話なら聞くよ」
後を押すような言葉に、ティロは包み込まれるような気分になった。隣にライラが座り込むと、冷え切った身体が少し温まったように感じる。
(どうせ死ぬんだ、別に姉さんのことだけなら話しても構わないだろう)
身の上の一切を語ることはやはり怖かった。でも、自分に優しい姉がいたことだけは誰かに聞いてほしかった。
(きっと彼女なら大丈夫、姉さんのことはわかってもらえる)
「じゃあ……聞いてもらおうかな。上手く話せるかわからないけど」
あの日の話をすると思うだけで、土が纏わり付く感触が蘇ってくる。
「最初に言っとくけど……このことは誰にも話したことがない。話して理解してもらえるようなものでもないし、もう二度とここに来たくなくなるかもしれない。聞いたことを後悔するかもしれない。それでも、いいかな?」
話をすれば、二度と彼女に会えなくなる気がした。それでも、いっそ完全に嫌われた方が未練を断ち切れてよいのではないかとティロは再度思い直す。
「私のことはいいよ。話してくれるなら、聞くから」
(ごめんな、せっかくこんなところまで来てくれたのに、こんな酷い話を聞かせるなんて)
ティロは心の中でライラに詫び、あの日のことを今一度思い出す。
「……災禍の直後のことだ。焼け出された僕と姉さんは夜に街道を歩いていた。僕が8歳、姉さんは俺より7つ年上で、15歳だった。そして……」
「目の前に、リィア兵が3人現れた。奴らは姉さんをどうにかしようとしていた。やめろって飛び出したけど……」
「兵士3人に対して子供1人だ。すぐ左腕を折られた」
思い出すだけで当時の痛みが蘇ってきたが、腕を折ったゾステロは既に始末してある。ティロは心の中で残りの二人を追いかけた。
「姉さんは連れていかれて、必死で後を追いかけた。何とか姉さんを助けなければって、そればっかりだった」
「でもさ、子供だったからすぐ奴らに捕まって」
そこから先の記憶は曖昧だった。何があったのかというのは身体に刻み込まれているため忘れることができなかったが、その時の感情や姉の様子など肝心なことはどうしても言葉にすることができなかった。
「姉さんも助けられなかった」
今の状態で、ティロが言葉に出来ることはこれだけだった。
「気がついたら、穴の中にいて、隣で姉さんが死んでた」
ぞわぞわと土の感触が全身に広がる。既に少し息が苦しくなってきた。
「死んでると思ったんだろうな。上から土が降ってきた。何とか生きてるって穴の上に伝えようとしたら、埋めてる奴と目が合った。でもそいつは構わず土をどんどん入れてきた。絶対目が合ったはずなんだ。そのまま……」
思い出すだけでも苦しかった。こっそり息を整えてティロは続けた。
「……そのまま、生き埋めに、された」
一瞬ティロはライラの顔を見る。ランプに照らされた顔は神妙にティロを見つめていた。話を受け入れてくれたらしいライラを見やって、ティロは続ける。
「幸い埋め方が甘くて、なんとか穴から這い出して誰か人のいるところに行かなきゃって、そこから全く記憶が無い。気がついたら療養所にいた。動けるようになってから姉さんのところへ行ったけど……」
そこから先のことは話す気にもなれなかった。姉の話はこれでおしまいだとティロは話をまとめることにした。
「……その日から僕はずっと一人だった。何の因果かリィアに拾われて飼われてるんだけどさ……姉さんを殺したリィア兵を探すためにもリィア軍にいるのは都合が良かった」
「実はオルド攻略の時に偶然ひとり捕まえて殺してるんだ。そのとき残りの2人の身元も聞き出したんだけどさ……」
そこまで話して、これ以上をライラに告げるかどうか悩んだ。今の境遇での最大の脅威は間違いなく彼だったが、ライラにそれを告げても何も変わらないのではとティロは躊躇う。
「誰、だったの?」
ライラに催促され、ティロはそこから先も話すことにした。正直、名前を口にするのもおぞましかった。
「今の、上司。上級騎士隊筆頭ザミテス・トライト」
「え?」
ライラの声色が変わったのがわかった。まさかリィア軍の中枢とも言うべき人材が、幼い姉弟の命をいたずらに奪っているというのは信じがたいようだった。
(そうだよな、やっぱりおかしいよな)
ライラの反応を見て、ティロの中で置き去りにされていた何かが動き始めたような気がしていた。




