明るい未来
猫2がいなくなって、全てが嫌になったティロは何もかもを投げだそうとしていた。
(ようやく終わるんだ、だからあと少しだけ頑張ろう)
もうすぐ死ぬと考えるだけで、少しだけ頭が働くような気がした。それまで色のなかった世界が鮮やかに見えるようになり、やたらと輝いていた。
(俺なんかいないほうが、きっともっと世界はきれいなはずだ)
修練場で他の上級騎士たちの手合わせをぼんやり眺めながら、ティロの心は甘美な死ばかり考えていた。
(もうすぐ眠れる、ずっと眠れる。悪い夢に起こされることもないんだ。姉さんにも父さんにも会えるはずだ。はやく死にたい、楽に死にたいなあ)
どうせ死ぬのであればこの修練場にいる上級騎士たちを道連れに殺してもいいのではないかと飛躍した考えまで飛び出すほど、ティロは浮き足立っていた。
(どうやれば大人数を一斉にぶち殺せるかな。流石に大勢の上級騎士相手だと一人殺すのにも骨が折れるよな、上級騎士相手なら一度に3人までくらいかな。でもここにいるだけで10人以上、応援を呼ばれたらそれ以上。ぶち殺せるのは3人までか。面白くねえな)
物騒なことを考えていると、手合わせの終わった上級騎士に声をかけられた。
「どうしたティロ、何かいいことでもあったのか?」
「いいこと?」
これから死のうとしている人間に向けられた言葉ではないと、ティロは内心苦笑する。
「何だか、いつもより機嫌がいいじゃないか」
「そうかな」
無差別殺人を夢想していたところを「機嫌がいい」と形容され、ティロはますます自分自身がよくわからなくなった。
「それじゃ、次に手合わせ頼むよ」
「ああ」
ティロは上級騎士の一人と修練場で対峙する。模擬刀を持つ手が嬉しそうだとティロは他人事のように思った。
(さて、どうやってぶっ殺してやろうか? 模擬刀だって、その気になれば人は殺せる。そんなものを笑いながら振り回してる俺たちは一体何なんだろうな)
上級騎士の剣を受けながら、ティロは何度も目の前の相手を殺すことばかり考えていた。
(きっと俺の本分は人殺しなんだろう。だから人殺しのことを考えているときは楽しい。剣技だって、最終的には誰かを傷つけるのが目的だもんな。やっぱり俺は、生きていちゃいけないんだ)
技量のある剣士との手合わせは、どんなに心が沈んでいても楽しかった。
(死んだら、もう剣を握れないんだな。でも俺がいなくなっても、誰も困らない。だったら、やっぱり死んだ方がいいんだ)
今まで、剣を持っている間だけ息が出来るような気がしていた。その呼吸すら邪悪なものであるかもしれないと考えると、より心は死に向かって傾いていった。
***
夜は相変わらず河原でひとり、ティロは決行の日に備えていた。
「まずは、痛み止め。これは絶対必要。それと、睡眠薬」
新たに購入した未開封の睡眠薬の瓶を手に取って眺める。
「後は、念には念を入れて、これ」
ティロの手には新たな薬包があった。それは痛み止めの購入予算を費やして入手した、毒性の強い丸薬だった。ひとたび身体の中に入れば数十分ほどで死に至るらしい。ティロは睡眠薬と混じらないようにその丸薬だけ赤く染めていた。その色がこれから訪れる安寧へ続いているかと思うと、今すぐにでも口にしてしまいたい衝動に駆られる。
「でも、まだだ。眠るように死んでいきたい。そのための準備が必要だ」
例の薬を飲み、痛み止めを限界まで針で刺して、それから睡眠薬を限界まで酒で流し込む。これなら確実にどうにかなりそうだった。
「次の報奨が出たら、有り金全部を痛み止めに使う。その頃、今飲んでる睡眠薬がちょうど無くなる。それが終わりの合図」
「すごいね、やっと眠れるんだ。もう嫌な夢も見なくていい。ずっと眠っていられる」
安らかに眠ることを考えるだけで涙が零れてくる。毒薬を懐にしまい、ティロはこれから起こるであろうことを期待する。
「寝たいよ、ちゃんとしたベッドで、ちゃんとした時間に、朝に目が覚めるように寝たかった。でも、すごく怖い。俺はちゃんとしてちゃいけないから」
「他の人と同じにしてちゃいけないんだ。俺は幸せになっちゃいけない。楽しいとか嬉しいとか、そういうことも考えちゃいけないんだ」
「だったら、もう死ぬしかないじゃない。こんな生活、もう無理だ。死にたい、死にたいんだよ姉さん」
「死んでるように生きてるって、すごく変な感じなんだ。俺は生きてるんだけど、俺は死んでる。訳がわからない。今でもこれは嫌な夢なんじゃないかって思うよ」
「本当はこの俺が夢のジェイドで、起きたらジェイドは姉さんのところへ行くんだ。それですごく怖い夢を見たって言って、そして温めた牛乳をもらうんだ。ジェイドはそれで満足してまた眠るんだ」
姉のことを考えながら、睡眠薬を口にする。また少し瓶の中身が減って、自分の終わりが近づいたことにティロは気を良くした。
(本当に死んだら、僕はどうなるんだろう。死ぬなら多分、この場所だ。きっとしばらく野ざらしになるんだ)
路上生活時代は死ぬだけでなく、野ざらしになることがとても怖かった。死んで動けなくなってから虫や動物に食べられると思うと惨めで仕方がなかった。しかし、今はそんなことはどうでもいいとティロは割り切っていた。
(誰か捜しに来るとして、ここを知っている奴もいないことだし……)
ふと、昔ここで死のうとした時に駆けつけてくれた親友を思い出した。
(俺が行方不明になったら、もしかしたら予備隊から特務にも話が行くかもしれないな。そうしたら、俺のこと探しに来てくれるかな)
かつて入水を図った時、惨めな気持ちと裏腹に予備隊の仲間たちが心配してくれたのがとても嬉しかったのも思い出した。
(そう言えば死ぬなって言ってくれたっけなあ……)
『もう自分から死ぬなんてのはやめてくれ』
かつての親友の別れ際の言葉も思い出した。
「ごめんな、俺、約束守れそうにないや。もういいよね。俺頑張ったけど、無理なものは無理だもの」
瓶の中身を眺めていると、かつて背中で聞いた言葉も思い出す。
『死ぬんじゃないぞ。死んだらただじゃおかないからな!』
「わかってるよ。もうすぐそっちに行くから、その時は存分に殴ってくれて構わない。俺は大人になったんだ、そう簡単に負けないからな」
兄のように慕っていた従兄弟のことも思い出す。
「へへへ……会いたいな、姉さん。もう少しでまた会えるかな」
「姉さん……今度はちゃんと言うよ。姉さんのこと愛してるって。もう俺23歳だよ、いいよね? 姉さんはまだ15歳だ。俺の方が年上だよ?」
「今度は姉さんのことちゃんと守るから。だから、もう少ししたら姉さんのところに行くね」
「約束だよ……」
とにかく姉に会いたくて仕方がなかった。父にも叔父一家にも、できればあの日手を離してしまった親友にも会いたかった。皆に会えると思うと、また少しだけ今の世界で頑張る勇気が湧いてくるようだった。




