終わりの始まり
猫2の死骸を河原で見つけて、ティロはその場に崩れ落ちた。
「そんな……嘘だろ……」
親と一緒にいても野良猫が生き延びることが難しいことは、ティロも知っていた。まして、広い河原の茂みにひとりぼっちで残された子猫が野生動物に襲われるのは当たり前であった。
「ごめんな、ごめんな……」
ティロは蒼白になりながら、猫2だったものを拾い集めた。
「ごめん、本当に悪かった、許してくれ……」
猫2はもう何も言わなかった。ティロは拾い集めた猫2を川の水できれいに洗った。血だらけになっていた猫2の顔が少し可愛らしくなって、少しティロの気は落ち着いた。それから猫1の墓の隣に穴を掘り、猫2と買ってきた骨付き肉を一緒に入れた。
「もっといいもんたくさん食べたかったよな、ごめんな」
それからしばらく動かない猫2をティロは穴の上から眺めていたが、心を決めて一気に土を穴に入れた。
猫2を埋葬して、ティロは呆然と墓の前に座り込んだ。行き場を無くした感情が後から後から口に出ては消えていった。
「どうしてだろう、どうしてなんだろう」
「僕が気まぐれに拾ってしまったから、こんな死に方したんだ」
「あそこで僕が拾わなかったら、猫2はあのまま静かに死んでいけたんだ。苦しくもなく、眠るようにさ……」
「これは僕のせいなんだ。僕が、猫2を酷い目に合わせたんだ」
「せめて、こんなところに連れてこないでちゃんと飼い主を探してやればよかったんだ。僕のせいで、こんな惨めなことになったんだ」
「もっとちゃんとした場所で飼ってやればよかった。暖かい家に温かいミルク、大事にしてくれる人、もっとちゃんとした名前だってもらっていたかもしれないのにな」
「そういえば俺の名前、教えてやれなくてごめんな」
「今更だけど、俺の名前は……」
それからしばらく、ティロは口を閉ざした。やはり名前を名乗るが怖かった。誰も聞いていないはずなのに、その名前を口にした瞬間今の自分が全てなかったことになるような気がしていた。
「もういいか。もうどうでもいい。名前なんていらないよ。僕は誰でもない。誰かであることにもう疲れた。きっと僕は死んでいるんだ。猫2、君と一緒だよ」
先ほど埋めた子猫と、15年前に同じように埋められた子供が重なった。埋められた苦痛と恐怖が蘇ってきて、胸が酷く痛んだ。
「ごめんなさい、姉さん、ごめんなさい」
猫2と最後に見た姉の姿が重なって見えた。
「僕だけ生き残って、ごめんなさい」
姉には本当に申し訳ないことをしたと思っていた。それを本人に直接謝ることができないことが一番悔やまれてならなかった。
「せっかく生き残ったのに、こんなにダメな人間になってごめんなさい」
「うまく眠れない、地下には入れない、人が怖い、薬がないと生きていけない」
「猫一匹も育てることができないんだ……」
これからどうすればよいのか、さっぱりわからなかった。ザミテスの影に怯えながら働かない頭で勤務を続けて、なお全てを偽り続けることにいい加減疲れ切っていた。
「何をやってもダメ。信用がない。予備隊出身だから。キアン姓だから」
「ねえ姉さん。僕がエディアにいたら、みんな僕のことどう思ったかな。やっぱりダメ人間になってたかな。でも、姉さんのことがあったからやっぱり僕は信用をなくしていたかもしれない」
「どのみち、僕はどこにいても生きている価値のない人間なんだ」
このまま上級騎士隊に戻らなくても、誰も探しに来ないような気がした。予備隊にいた頃は引きずっても連れて帰ってくれた仲間がいた。そんな仲間も、もういない。
「姉さん、どうすればいいかな」
「やっぱり姉さんのそばにいけばいいのかな」
返事はどこからも帰ってこなかった。
「……多分、もうすぐそっちに行きます。もう限界だ」
虚空にいるかもしれない姉に向かって呟いた。
「生きていたくない。死にたい。今すぐ死にたい」
思いを言葉にすると、後はどんどん暗い衝動が湧き上がってくる。やり場のない怒りが全部情けない自分へ向かってきた。後は自分自身を消すことしか考えられなかった。
「でも、自分で死ぬのも怖いんだ。情けない。だからダメなんだ」
「どうすれば、楽に死ねるかな……痛くなく、苦しくなく、静かにさ……」
そう呟いて、懐に入っているものを全部並べてみた。
いつも首から下げている上級騎士三等の認識票。
針を収めた箱。
痛み止めの粉末。
煙草と着火器。
何かあったときに使うナイフ。
そして、中身が半分ほどになった睡眠薬の瓶。
「これ、一瓶いっぺんに飲めば死ねるかな」
眠りすぎて死んでしまう、と言った薬屋の言葉を思い出した。
「せっかくだから、試してみようかな。痛み止めもたくさん使えば、きっと大丈夫だ。痛くも苦しくもなくて、眠りながら死ねるなんて、最高じゃないか。今飲んでる薬がなくなったら、やってみよう」
自分の終わりが瓶の中に可視化されたことで、少しだけ生きる気力が沸いてきた。
「姉さん……大好きだよ……」
姉のことを強く思い浮かべると、その腕に抱かれているような気分になる。もうすぐ姉の元へ行けると思うだけで、ティロは満足だった。




