いつか絶対
リンク:積怨編第2話「提案」
リィア軍を去ることになったゼノスとティロは剣を合わせたが、ティロは右手で剣を持つことが出来なかった。
やがて、ゼノスは剣を降ろした。ティロがまともに手合わせができるような精神状態ではないと察したためだった。それをティロも感じ、最後に不甲斐ない姿をゼノスに見せてしまったことで更に落ち込んだ。
「ティロ、話があるんだが……」
模擬刀を納めながら、ゼノスはティロに話しかける。
「お前、俺と一緒に来ないか?」
「え?」
突然の申し出に、ティロは驚いて顔を上げた。
「つまりだな、お前には悪いんだが……お前がここに一人でいられるとはとても思えない。ここに連れてきたのは俺の責任だ。ここ以外にもきっとお前の居場所を見つけてやるから……」
その言葉を聞いて、ティロはゼノスが気遣いを超えて自分を労ってくれていることを感じた。
(やっぱり、隊長はこんな僕のことをちゃんと見ていてくれたんだ……)
一瞬ゼノスと共に行く未来を思い描いた。ゼノスと一緒にリィア軍を去り、どこかで剣を教えながら細々と暮らすのも悪くないとティロは考えた。
「それは」
しかし、ティロには成すべきことがあった。すぐに頭の中の明るそうな未来を打ち消して、はっきりゼノスに向き直る。
「できません」
ティロの拒絶に、ゼノスが慌てるのがわかった。
「どうしてだ?」
(どうする……言えない。本当のことは絶対言えない)
自分がリィア軍に在籍し続ける本当の理由は絶対に言えなかった。
「僕は、リィアに拾われた身ですから、恩を返さないといけないんです」
本当にゼノスの申し出は有り難かったが、ザミテスとクラドを殺すために残るということを正直に言うわけにはいかなかった。ここで機会を逃せば、2人に近づくことは永久に失われるだろうとティロは確信していた。
「そんなことはないぞ、まずは自分を大事にしろ」
それでも食い下がるゼノスに、ティロは更に申し訳なくなった。
「でも、どうしても僕はここにいないといけないんです」
(そうだ……こんなゴミが隊長の世話になんかなれないよ。こんな立派な人のそばにいてはいけないんだ)
「それは、どうしてだ? よほどの理由があるのか?」
(よほど、か。これ以上ない大事なことだ。だけど、誰にも言うわけにはいかない)
「どんな理由でもいい、話してみるか?」
(どんな理由……ザミテスを殺したいから? 僕が余所で生きていけるかどうかわからない欠陥品だから? 一度死んだ人間だから?)
「どうしても、話せないか?」
ゼノスに詰問され、ティロは項垂れる。今まで答えにくい質問をされると言葉がどうしても出てこなくて、それで相手を困らせたり怒らせたりしていた。
(そりゃあ、隊長からすればどうしてこんな剣しか取り柄のない欠陥品が無理をして上級騎士内で昇進しようとしているのかわからないよな。明らかに向いていないもの。隊長はきっと俺が無理をしているのを知っている。だからこれ以上無理をしなくてもいいように誘ってくれているんだ。その気持ちはわかる、わかるんだけど……)
ゼノスは辛抱強くティロの言葉を待っていた。そんなゼノスに対してティロは申し訳なさばかり募った。そしてこの時間を何とか終わらせようと、ティロは何とか言葉を絞り出した。
「ごめんなさい、今は、無理です」
ゼノスの落胆する顔を見たくなかった。
「でも、いつか、絶対……」
もう限界だった。先ほどまで必死で抑えつけてきた何かが身体の底から溢れてきた。
「絶対、お話ししますから、今は、何も言わないでください……」
その「いつか」が一生来ることはないだろうとティロは確信していた。しかし、もしその「いつか」が訪れるなら、心の底からゼノスと手合わせがしたいと思った。
(でも、こんな情けない姿で隊長とお別れなんて、俺はやっぱりどうしようもない奴だ)
声をあげて泣いている姿をゼノスに晒していることがティロは恥ずかしくて悔しくて、今にも消えてしまいたいと願った。
「……わかった、どうやってもお前の決意は固いんだな。その代わり、どうしても辛くなったらリィアも俺のことも忘れて、お前の生きやすいところを自分で探すんだぞ。どうしても俺はお前だけが心配だ」
この後に及んで、自分の身の振り方よりも部下の心配をするゼノスにティロは更に申し訳なくなった。今まで捨て置かれていた自分をこれほど気にかけてくれたのに、何故ゼノスが突然いなくならなければならないのか、やはりティロには理解し難かった。
(お前の生きやすいところ、か。一体どこにあるんだろうな)
ティロはゼノスの言葉を反芻した。その優しい言葉にますます涙が溢れてくる。
「……わかりました」
ゼノスはティロが落ち着くまで、何も言わずに見守ってくれた。
「念のために、特にお前のことはよく頼んであるから悪いようにはならないと思うが……そうだ、ひとつ聞きたいことがある」
ようやくティロは顔をあげた。ゼノスはしっかりとこちらを見ていた。
「何ですか?」
「やはり、予備隊に入る前に剣技をどこかで習っていなかったか?」
ゼノスの問いに、心臓に楔を打たれたような衝撃が走った。
「いえ、そんなことはないです」
「そうか……」
ゼノスは静かに語り始めた。
「たまに、妙な型を出してくる時があると思っていたんだ。決まって疲れてきたときに、ふと癖のように出るので気にはしていたんだが……やはり俺の気のせいか。最後に助言をするなら、リィアの型をもう少し完全にしたほうがお前のためだと、俺は思う」
そして、ゼノスは修練場を後にした。残されたティロは去り際のゼノスに言われたことを思い出していた。
(癖だって……何だろう? 多分、父さんの型だろうな……カランの型は捨てたと思っていたんだけど……)
エディアで培った技術は全部捨てて、本当に死んだ気になって一からリィアの剣技を習得したと思っていた。しかしどうしても隠しきれないエディアの型があったことがわかり、死んだ父に会えたような気がした反面また喉元に刃を突きつけられた気がした。
(どうしてだろうな。父さんのことを思い出したいけど、それすら出来ないなんて)
修練場から出て行ったゼノスに、父の後ろ姿を見たような気分になった。
(忘れないと、全部忘れないと。エディアのことも、父さんや姉さんのことも。予備隊のこともゼノス隊長のことも忘れられたら、絶対楽になれるのに)
「忘れよう、そうしよう……」
更に何かが溢れてきそうな感じがしたので、全てに覆いを掛けてしっかりと蓋をして鍵をかけた。何も考えなければ、楽になれる。ただ目の前のやるべきことに集中して、何もしなくていいときは何も考えないことに集中する。エディアを離れてから幾度となく繰り返してきた行為だった。
(どうせ一度死んだ人間だ。人並みに生きていけるはずがないんだ)
とても悲しいはずなのに、涙も出なくなる。この世界から完全に切り離されて、そこにいるはずなのに透明になった気分になり、ますます人間とは呼べない存在に近づいた気がした。




