最後の稽古
リンク:積怨編第2話「辞職」「提案」
ゼノスの除隊の話を聞き、宿舎の裏で落ち込んでいたティロの元にゼノスがやってきた。
「何でこんなところに来るんですか……?」
ティロは急いで立ち上がったつもりだった。しかし動きを制限するように黒いものが全身を押さえつけてくる。
(隊長には見られたくなかったな……こんな情けないところ)
ゼノスは弱り切ったティロに驚いているようだった。
「それはこっちの台詞だ、こんなところで何をしているんだ」
非常に返答に困る問いに、ティロは何とかこの場を誤魔化すことしか考えられなかった。
「別に、どこにいようと僕の勝手です」
つい強がりを言ってしまったが、心の中は弱音だらけだった。
「そうか、深入りして悪かったな」
ゼノスはそれ以上ティロが宿舎の裏に座り込んでいたことに触れなかった。ゼノスなりの気遣いであることもティロはわかっていたが、胸ぐらを掴まれて「何やってるんだ!?」と思い切り問い糾して欲しいとも思った。
(なんて言うべきなんだろう。何を言えばいいんだろう。何か間違ったことを言ったらどうしよう)
ガタガタの精神状態でティロは何を言うべきなのか迷っていた。他の上級騎士たちは思い思いに世話になった礼や別れの言葉を口にするのだろうと思うと、簡単な言葉すらひとつも思いつかない自分がひどく惨めに思えた。
(辞めないでください、もっとずっと一緒に鍛錬したいです、って言えればいいんだけどな……)
本心を包み隠さず話せば楽になれると思ったが、余計なことも口走ってしまいそうであった。その先に何が待っているかわからない以上、何も言うことはできなかった。
「隊長、あの、辞職って話は……」
ティロはようやく絞り出した言葉を呟いた。それ以上は喉の奥に張り付いて何も出てこない。
「よし。最後の稽古をつけてやる。着いてこい」
暗がりの中、ゼノスの表情はよく見えなかった。お互いにしっかりと顔を見なくてよかったのかもしれないとティロは思い、ゼノスと共に修練場へ向かった。
***
すっかり暗くなった修練場に人影はなかった。ゼノスが窓を開けると、修練場に月明かりが差し込んできた。
「隊長、本当に辞めちゃうんですか?」
修練場へ来て少し落ち着いたティロは、やっとゼノスに話しかけることが出来た。
「残念だが、おそらくこれが一番のいい収まりだ。それ以外に方法がない」
その物言いに、ティロは引っかかるものを感じた。
「方法って、じゃあ辞めなくてもいい方法もあったんですか!?」
「お前が知る必要はない」
ゼノスにぴしゃりと言い切られ、ティロはそれ以上を追求できなくなった。
(そんな言い方しなくても……もしかすると、僕らには言えない理由の除隊ってことは)
ティロの頭に昨今のリィア軍の情勢が過った。
(もしかして、隊長は誰かに嵌められたんじゃないか?)
限りなく公正であろうというゼノスの人柄は悪く言えば「お人好し」と言えるものでもあった。その人柄に惚れ込んで彼に従っている者も多かったが、その分敵もそれなりにいた。
しかし、ここであれこれ憶測を並べることはできなかった。事実はゼノスがリィア軍を去るということだけだった。
「でも辞めて、これからどうするんですか?」
「俺は養う家族もいないし、男一人ならまあどこでも何とかなるだろう」
その返答に、必要以上にゼノスは明るく振る舞おうとしているようだとティロは感じた。
(今まで築き上げてきたものを全てなかったことにする。その辛さがどれほどのものか俺は知っている。でも、俺よりもひとつのものを長く積み上げてきた隊長の辛さは正確にはわからない)
ゼノスはティロに模擬刀を差し出す。
「始めるぞ」
ティロは模擬刀を受け取って、どちらの手で持つか一瞬迷った。
(いつものように左手で持つか、最後だから右手で持つか……)
おそらくゼノスはコール村の再戦を望んでいるはずだ。それならば、右手で持つべきだと思った。しかし、身体は勝手に左手を選んだ。
(左手、か……リィアの型なら左手の方が染みついている。隊長はリィアの剣士としての俺を望んでいるんだ、きっと)
ティロはそう思い込むことにした。
「お願いします」
剣を構えて無心になれば、余計なことは全て忘れられた。ただ今は目の前のゼノスと向き合うことだけを考えればいい。
誘うようなゼノスの間合いに、ティロは思い切って入った。ゼノスの剣は普段より重く、崩れ落ちそうな精神のティロはその気迫に圧倒されていた。
「なんだそんな攻撃で! 俺がいなくなってやっていけるのか!?」
(なんだよ、そんなこと心配してるのかよ。そんなことより自分の心配しろよ。俺は、俺は……)
無性に腹が立って仕方がなかった。そして、それをどうすることもできない悲しみばかりが溢れてきた。
「別に、1人でもやっていけますよ!」
(いつも1人だったんだ、今までも、そしてずっとこれからも!)
ティロはこみ上げてくる何かを精一杯飲み込んだ。
「じゃあ、なんだ。俺を安心させてみろ」
「安心、ですか?」
ますますゼノスの剣の勢いが増した気がした。
「本気を出せと言ってるんだ、わかるか?」
ゼノスの言いたいことは十分にわかった。つまりそれは、ティロにとって右手で試合をしろということであった。
「僕は十分本気ですよ」
ティロは心の中で何度も何度もゼノスに詫びた。
(多分左手なら、これが精一杯の動きなんだろう。だから、これで僕は十分本気なんです。隊長、ごめんなさい、ごめんなさい!)
これほど剣を繰り出すのが苦しいと思ったことはなかった。
本当は、右手で父から習ったエディアの型でしっかりとゼノスの剣を受けたかった。そして、もっと剣のいろいろな話を何の心配もなくしてみたかった。祖父や父の話もたくさんしたかった。きっと、ゼノス個人であれば自分のことを受け入れてくれるだろうという確信がティロにはあった。
しかし、リィア軍上級騎士隊筆頭という立場の者に真実を語ることはできなかった。




