後ろ向き
リンク:積怨編第2話「辞職」
リィア軍上級騎士筆頭であるゼノスの除隊が急に決まったことで、上級騎士の詰所は大騒ぎとなっていた。
「何故急に相談もなく?」
「よほどの事情があるに違いない」
「しかし、親衛隊への昇進の噂はどうなったんだ?」
「何か裏があるのかもしれない」
あまりにも突然の知らせに、上級騎士たちは混乱していた。それほど、ゼノスは周囲から厚く信頼されていた。ゼノスが去った後のことを思い、既に涙を浮かべている者もいた。
ティロは誰かに話しかけられる前に、急いで詰所から逃げ出した。隊服を着ているため外へ逃げるのは気が引けた。そのため、緊急避難先として使っている宿舎の裏へやってきた。
「どうしよう……どうすればいいんだ……」
ひとりになったことで、ようやくティロの身体が震え始めた。それまで周囲に合わせていた部分を切り離したことで、急にゼノスの除隊が現実味を帯びてきた。
「せっかく一人じゃないってまた思えるようになったのに……」
ティロは震えを抑えようと座り込んで大きく息を吸う。しかし、どれだけ息を吸っても身体に血が巡る感覚を取り戻すことができなかった。
「またひとりぼっちに戻るんだ……」
脳裏にゼノスとのこれまでのやりとりが浮かんだ。剣に対して一切の妥協を許さないゼノスはある意味、今のティロにとって一番信頼できる人物だった。
「僕のせいだ……僕なんかに関わったから、隊長まで不幸になったんだ……」
何故ゼノスが急に除隊することになったのかはわからなかった。しかし、ティロの中で「一般兵を昇進させたけれど使い物にならなかった責任を取らされたのでは」という悪い想像がどんどん膨らんでいた。
「やっぱり僕は欠陥品なんだ。幸せになんかなれない」
悪い想像が膨らんでくると、親衛隊になりたいなどと考えていたことが間違いだったのではないかと思えてくる。
「もう一生、誰も信じられない」
思えば、何事もなかったかのように繕うふりはとても上手になっていた。もし自分がエディアのジェイドだったらどう振る舞っていたのかを想像して、必死で「リィアのティロ・キアン」という人物を演じ続けていた。それも、ゼノスにここまて連れてきてもらったから出来たことだった。
「もう嫌だ、もう誰かを信じたくない。信じて裏切られて、信じて裏切られて、またそれだ。予備隊も、オルド攻略も」
特務に上がれないと告げられた日には、自分で死ぬことを考えた。オルド攻略で命令違反とされた時は、自棄を起こして市民を殺して回ることも考えた。
「そして上級騎士も」
ゼノスが除隊することで、ティロは自分が親衛隊になる未来を断たれたような気分になっていた。もう自分のことを理解しようとしてくれるリィア軍関係者に巡り会える気がしなかった。
「もう生きていたくないなぁ……」
これからどうすればいいのか、さっぱりわからなくなってしまった。
(じゃあ、やっぱり死のうか?)
「うん、死んだ方がいいんだ。本当は死ぬべきだったんだから、今死んだって誰も悲しまない。あるべき姿に戻るだけだから」
死について考えると、全身に土が纏わり付いてくるような感覚に襲われる。
「でも死ぬってさ、結局埋められるんだろう? もう埋められたくないなあ……どうすれば楽に姉さんのところに行けるんだろうか」
それからしばらく、ティロは自殺の方法についてぼんやり考えていた。入水には失敗した、飛び降りや首吊りなどでは結局遺体を埋められてしまう、などあれこれ思いを巡らせた。
(ひとつだけ確実な方法があるな)
「でもここまで来たら、それはやりたくないなあ」
(一応そういう手段もある、っていうことは心に留めておこう)
「うん……」
それは自分の正体を宣言することだった。ただ、それは他の自殺方法に比べてひどく恐ろしいことのように感じた。
「もう疲れたな……いい加減、全部終わりにして帰りたい。帰って寝たい。全部全部悪い夢でさ、朝起きたら姉さんがいて、父さんがいて、みんながいて、スキロスとキオンがいてさ……」
ティロはそのまま昔の思い出の中に逃げ込んだ。辺りは薄暗くなり始めていたが、ティロの目の前には青い空と青い海が広がっていた。家族で食事をして、鍛錬をして、それから親友と港まで走って行った日が鮮やかに思い起こされる。
(港、どうなってるかな)
「わからないけど、きっと君の目指していた港はもうないよ。全部なくなってしまったから」
(でも港は再建されたんでしょう?)
「それはリィアの手で興された港だ。やっぱり、君の港じゃない」
(なんだ、ジェイドらしくない。弱気になっちゃって)
「いつだって僕は弱気だよ。もう前を向くことにも疲れたし、生きていたくない。君のところに行きたい」
今でも炎の中で繋いでいた手の感触を忘れることができないでいた。
「……でも、アルは僕を許してくれるかな」
急に胸が張り裂けそうなほどの悲しみが襲ってきた。
「僕のせいでアルは死んだんだ。姉さんだって、きっとそうだ。僕さえいなければよかったのに」
何度も何度も繰り返してきた後悔は、ますます大きくなるばかりだった。
「何だよ、どう足掻いたって俺が幸せになれるわけないじゃないか。どうすればいいんだよ!」
悔しくてたまらなかった。
「頑張ったってどうにもならないんだから、もう頑張らなくていいや。死ぬまでここに座ってようかな。もう何にもしたくないや」
既に辺りは暗くなっていた。ティロは少なくとも次の朝までここから動くつもりはなかった。いつか纏わり付いてきた黒いものが再び身体の自由を奪っていくように思えた。
(どうせこんなところに誰も来ないし、俺のことだって誰も探しているわけがない。静かにゆっくり、穏やかに死んでいきたいな……)
そのとき、こちらに向かってくる足音が聞こえた。ティロが顔を上げると、目の前にゼノスが立っていた。




