寝ながらの稽古
リンク:懐旧編第5話「査察旅行」
ティロは不眠4日目の身体を抱えて、リィアの上級騎士と手合わせをすることになった。
「それではまず、素振りの型から見せてくれ」
「はい……」
何も考えずに右手でリィアの型で素振りを行う。眠くて上級騎士の顔がよく見えなかった。
「基礎はしっかりできているようだな」
(当たり前だ、俺を誰だと思ってやがる)
それから言われるがままに剣を合わせる。
(畜生、こいつ俺のことどうせコール送りのへぼい一般兵だって思ってるんだろうな。どうせ俺はダメでゴミでクズの欠陥品だよ。雪かきして一日中門の側に突っ立ってるのがお似合いなんだよ)
眠気で一切集中できず、また目の前に心を乱す隊服があってティロの思考はどんどん嫌な方に先鋭化していった。嫌なことを考えたくないので、眠気に引きずられるように思考を閉ざす。後はただ無心に剣を合わせた。
「基礎の剣振りは出来ているな、鍛錬をよくしていると聞いたが?」
「はぁ……」
ティロは気の抜けた返事をする。もう何も考えたくなかった。ただ陽の当たる場所でのんびり昼寝がしたかった。そんなティロを見放したのか、上級騎士は呆れた顔をする。
「いいぞ、戻れ」
「……ありがとうございました」
(よし、寝よう)
面倒くさい手合わせが終わったところで、ティロはさっさと下がると腰を下ろして目を閉じた。
(今更真面目に剣なんか見ていたくないんだよ、どうせ俺なんかが持てる剣なんか、もうどこにもないんだから)
それから一瞬意識が落ちた気がしたが、十分な気絶には繋がらなかった。がくりと体勢を崩して目を覚ますと、他の隊員が立ち上がって修練場を後にするところだった。
(あれ、なんか終わったのか……?)
ティロもつられて立ち上がろうとしたところ、上級騎士に呼び止められた。
「おいそこ、貴様は残れ」
その声には怒りが多分に含まれていた。
(なんだようっせえな、稽古は終わったんだから帰らせろよ)
「聞こえてるのか、返事をしろ!」
「……はい」
後ろを振り返るのも億劫で、ティロはその場で返事をする。
「何ださっきの手合わせは!? 俺を馬鹿にしてるのか?」
(馬鹿にしているのはそっちだろ、コール送りだと思って生半可な稽古つけに来やがって。俺を誰だと思ってるんだ)
ティロは極限まで眠気と戦いながら、上級騎士が稽古をつけると言っても本気で剣を合わせていないことに気がついていた。上級者があまり本気を出すと素人は怪我をすることもあるので理には適っていたが、ティロは結局自分が見くびられているのだと思うと非常に面白くなかった。
「……別にしてません」
上級騎士は更に声を荒げる。
「俺は兵士に稽古をつけるためいろんな支部や駐在所を回ってきたが、貴様のように手合わせ中にすら寝ようとしている奴は初めてだ! それがどんなことだかわかってるのか!?」
(畜生、うるせえ奴だな)
「……さあ、わかりません」
(いい加減にしろよ、こっちは早く寝たいんだよ)
「そうか、それなら今からでもいい。本気を見せてみろ」
本気を見せろ、と言われてティロの何かが激しく揺さぶられた。
「……いいんですか」
表面は平静を装ったが、眠気に加えて挑発されたことでティロの様々な負の感情は頂点を超えた。
(本気だって!? 俺の本気か!? 本気で俺を誰だと思ってやがる!!!)
「貴様がどれだけ有能な奴でも、俺には適うまい」
上級騎士の更なる挑発で、ティロの心は決まった。
(決めた、こいつはぶった斬る)
ティロは上級騎士の方へと向き直り、だらしなく持っていた模擬刀を再び握った。
「わかりました。それでは、お願いします」
ティロは改めて上級騎士を見る。彼の如何にも真面目そうな顔が、ただでさえイライラしているティロの癪に障る。
(なんだい図体ばっかデカくてどうせ俺のことチビって見下してんだろう? 上級騎士だか何だか知らねえがてめえみたいな常に全力を出さねえ舐めた真似した野郎は吠え面かかせて二度と俺に関わるな雑魚がって踏んづけてやる。ここはオルドのど田舎だ。リィアの作法なんか知ったこったないんだよ)
ティロの頭の中では、既に上級騎士に圧勝していた。それから上官に狼藉を働いたとして処分される未来も見えたが、コール送りにされている手前失うものもこれ以上何もなかった。
「先程は稽古のため、こちらも少々手を抜いていてな……よし、来い」
上級騎士が剣を構える。それをティロは手合わせの合図と取った。
(よし! 全力でボコボコにしていいんだな!? カラン家の次期当主舐めんな!!)
眠気で半分我を忘れているティロは、右手で剣を持っていた。
(剣を極める者、思案より先に剣を振るえ! 先手必勝!!!)
言うが早いか飛び出したティロは、低い位置から横薙ぎを払った。それは初撃で出すには作法として相応しいものではなく、リィアの型から外れた剣撃だった。ティロの目的は上級騎士を倒すことのみであったため、作法など知ったことではなかった。
ティロの頭の中では、低い位置の初撃に上級騎士はついて行けずにそのまま転がることになっていた。相手を驚かせてから数度剣を合わせて、それからティロは心ゆくまでしばき倒す予定であった。
しかし、ティロの剣は上級騎士によって見事に受け止められていた。
「その程度か?」
(え、今の止めるとか何なんだよこいつ!?)
上級騎士はにやりと笑うと間を取って剣を構え直した。ティロは即座に打つ手を考えたが、上級騎士から先ほどの余裕が消えて一分の隙も見いだせなかった。
(まずい、こいつめちゃくちゃ強い!)
改めてもう一度上級騎士を見る。剣を構え直した上級騎士は先ほどより大きく見えた。寝不足で全く集中できない頭でこの場を乗り切る手をいくつも考えるが、全てが弾かれる結末しか見えなかった。
(くそ、何だかんだ言っても上級騎士は強いのか。いや、これを止められる奴なんてリィアの上級騎士にいたのか!?)
ティロはリィアの警備隊員だった頃に普段から見ていた上級騎士たちを思い出す。それからエディアにいた頃の上級騎士たちも思い出す。中にはとても実力のある剣士もいたが、剣で身を立ててきたカラン家の次期当主としてティロの求める水準はとても高かった。
(こいつの本来の力量はまだこんなもんじゃないよな……畜生、眠いってのに!!)
自分から喧嘩を売ったことを後悔しつつ、ティロは剣を握り直した。眠すぎてまだ右手で持っていることに気がついていなかった。




