秋の近道と熊
コール村に秋がやってきた。
ティロは地図と方位磁針を片手に、山道を通らず何度もコール村と麓の街を往復した。地図上ではわからない危険な場所を確認しながら歩き、ようやくティロはこれという最短の近道を発見した。
「よし、ここを休まず通っていけば数時間で辿り着けるぞ」
しかし、それは急な斜面や危険な岩場などがあって予備隊で山岳訓練を受けたティロだから通れるような道であった。
その日、人知れぬ近道を登りながらティロは秋の空気も薄くなっていることに気がついた。
「もうすぐ雪が降ってくるな」
雪が降ればティロの近道はもちろん、通常の山道も通れなくなる。麓の街では一度山道を閉鎖し、よほどのことが無い限り通行はできなくなる。昨年初めて山道を通って文句を言っていた自分を思い出し、ティロはコール村に順応してきたことを実感する。
村人たちは温かく、山の幸をふんだんに使う食事はおいしかった。関所の隊員たちも自分をいじめたり除け者にしたりなどしない。不便なことはたくさんあるが、不当に傷つけられるようなことも一切なかった。
(果たして、俺はこれで幸せなのだろうか……)
姉の指輪に触れる度に、熱気に包まれたエディアの公開稽古を思い出す。
(結局俺は、一体誰なんだろうな……)
その先は口に出すことができなかった。すぐ後ろをナイフを持った少年が歩いている気がした。ティロは彼を見たくなくて、急斜面を一気に駆け上がった。
***
目前に迫る冬に、コール村では準備に追われていた。家屋の補修に家畜の飼料の運び入れ、食料の蓄えの確認や街への大規模な買い出しなどが行われていた。
「みんな大変そうだな……」
ティロは関所の詰所で村人たちが冬支度をしているところをぼんやり眺めていた。関所の業務と呼べるようなものはほとんどなく、ただ隊服を着て詰め所に座っているだけでよかった。「俺たちは座ってることがほとんど仕事だ」とアース隊長はよく言っていた。
(今夜は眠剤入れようか、それとも気絶か……)
ティロが今夜の入眠方法について検討していると、村の方から悲鳴が聞こえてきた。
「熊が村に近づいてくるぞ!!」
弛緩していた詰所の空気が一気に張り詰めた。
「女子供は集会所へ! 村の連中は集会所を守れ!」
村人たちを避難させたアース隊長が詰所に戻ってくる。
「冬眠前に迷い込んできたか」
そう言いながら、アース隊長は詰所に仕舞い込んであった猟銃を取り出す。
「滅多に使うものではないからな……どうやって使うんだったかな」
埃を被った猟銃を手に戸惑っている隊長を前に、ティロは居ても立ってもいられなくなった。
「俺に貸してください!」
「これは簡単に扱えるものではないんだぞ!」
「いいから!」
ティロは猟銃をひったくると、中に異常がないかを確認する。
「お前、銃使えるのか!?」
「こんな古い奴は使ったことないが、一応な」
(銃なんて機械は大体仕組みさえ把握していれば何でも一緒なんだよ)
予備隊で銃を取り扱う訓練も受けていたことがここで役に立った、とティロは猟銃に弾を込めながら思う。
「ところで熊ってそんなに怖いのか?」
猪には近道で何度か遭遇したが、実際に熊に出会ったことはなかった。麓の街のどこかの店に熊の剥製が飾ってあるのを見たくらいだった。
「怖いなんてものじゃない、下手をすると人間が食われる」
「そりゃ怖いな!」
ティロは整備した猟銃を抱えて詰所を飛び出した。村の方へ行くと、村人たちが集会所付近に固まっていた。
(こういうときは一カ所に固まった方が何かといいからな……)
「おいリィアの兄ちゃん! 危ないから引っ込んでろ!」
猟銃を手にした村の男たちは、急にやってきたティロを追い返そうとした。
「俺は警備隊員だ、女子供と一緒にするな」
役立たず扱いされて機嫌が悪くなったティロから溢れる殺気に、村人たちは気圧された。
「で、熊はどっちに行ったんだ?」
「向こうの家畜小屋だ、このままにしておくと牛が全部食われちまう」
熊の目当ては牛だった。今は仕留めた牛をその場で食っているという。
「わかった、仕留めてくる」
「兄ちゃん、ひとりで行くのは無茶だ!」
家畜小屋に向かおうとするティロを村人は引き留めた。
「それじゃあここで牛が全部食われるのを待つのか?」
ティロは村人たちのほうを振り返る。
「銃を持つ者、やられる前にやる、だ」
どきりとするほどの覚悟と気合いの混じった言葉に、村人たちは普段の寝不足でだらけたティロからは感じられなかった何かを見た。
「わかった、でもひとりでは危ない。俺たちも行く」
「すまない、援護助かる」
ティロは村人数人とおそるおそる家畜小屋へ近づいた。熊は家畜小屋から仕留めた牛を引きずり出し終えたところだった。幸い熊はまだこちらに気がついていないようだった。しかし、この距離では精度の低い旧式の猟銃では熊に弾を当てることができなかった。
「俺が行く。何かあったら俺ごと撃て」
「そ、そんなことできるか」
「あんたらには嫁さんと子供がいるんだろう?」
言うがはやいか、ティロは熊に近づく。
「やいクマ公! こっちだ!」
不用意に歩いているように見えるティロを、熊は獲物を横取りしに来た敵だと認識した。突進してくる熊に、ティロは銃口を向ける。
(ギリギリまで引きつけろ……1発で頭を撃つ。そうしないとこの銃は当たらない)
熊が迫ってくる。ティロは猟銃を構え、ふと不安に駆られた。
(まずい、動作確認してなかったなあ……一応撃てるはずだけど、撃てなかったらどうしよう。ま、そんときはそんときだな)
迫ってくる熊を前に、ティロの心が研ぎ澄まされていく。
(結局1対1でやるなら、剣も熊も一緒だ。図体ばっかりでけえクマ公なんかに負けるかよ)
熊はティロの目前まで来た。それでも動じないティロに熊も臨戦態勢に入り、威嚇のために自分の姿を大きく見せようと立ち上がった。
(今だ!)
ティロはその隙に熊の懐に潜り込み、猟銃を熊の喉に突きつける。
「俺の勝ちだ」
渾身の力を込めて猟銃の引き金を引く。弾は頭蓋骨を貫通し、熊は動きを止めた。
「すげえ……流石リィアの兄ちゃんだ……」
村人たちが唖然とする中、急いでティロは身を翻して崩れ落ちる熊の下敷きにならないようにした。
「ああ疲れた……ところで熊って食えるのか?」
「お、俺の爺さんが前に熊を捌いてたな……」
熊を仕留めて、それまで殺気立っていたティロが嘘のように気の抜けたことを言い出したことでようやく村人たちは安心した。熊よりもこの青年のほうが恐ろしいのではないかと村人たちは密かに震え上がった。
その後、ティロは村人たちと協力して熊を捌いた。予備隊で食料を自分たちで確保できるよう普段から豚や鶏を解体していたし、山岳訓練では兎を捕まえて食べていた。その経験もまた役に立った。リィアで燻っていた頃は動物の解体など出来ても仕方ないと思っていたが、どこで何が役に立つかわからないとティロはしみじみ感じていた。
***
そして、ティロにとって2度目のコールの冬がやってきた。雪は静かに降り積もり、ティロは黙々と雪かきに勤しんだ。雪かきは重労働だったが、その後温かな料理に舌鼓を打ち、暖かな炭箱を抱えてベッドに入れることはささやかな幸せであった。何より、ここに居てもいいという実感が嬉しかった。
こうして1年を通して門番スローライフを送っていたのですが、やはり元々が親衛隊長の息子という器の彼がこの暮らしに満足できるはずがなかったんですね。
次話、いよいよゼノス隊長と寝ぼけた手合わせをします。
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