『合宿スタート』14:54
『合宿所に着いた僕らバスケットボール部一行は、体育館で練習を開始した。』
ジャワジャワジャワ。アブラゼミの声が広がる。
ダムダムダム。ボールが床を叩く音がする。
田舎の木造体育館。コートではユニフォームを纏った人物がプレイしていた。
「鶴木。今だ、打て!」
ボールをパスした大男が呼ぶ。
シュッ、と放ったミドルシュート。美しい弧を描いたボールが、ゴールネットを揺らした。
「っしゃ!」
鶴木剣は拳を握った。
「ナイッシュ! 鶴木」
大男が手のひらを掲げて、鶴木に近付いてくる。
パンッ、と手を打ち合わせた。
「ありがとうございます。部長」
「朝星、おいおいどーした? 調子が出ないのは合宿先の慣れてねえ体育館だからか?」
大男の部長――萬井和人があおる。
あおられた側は苦い顔をする。
「チッ。1年坊主め……」
金髪――朝星鉄は舌打ちした。
「しゃーねえさ。切り替えろテツ」
そんな金髪の背を茶髪の男がポンッと優しく叩く。
「おうよ。ソーヘイ」
茶髪――倉木創平は、その返事を聞いて笑い返した。
萬井の声が飛ぶ。
「よっし。2on2は次でラストだ」
「「「はい!」」」
「俺の代わりに――小野、出ろ」
「はい」
返事をした小柄な男が、コートに入る。
「よろしく、小野」
「うん。鶴木くん」
女子にも見える童顔の男――小野楠は答え返した。
ボールを受け取る朝星。
「おい鶴木。おれに勝てると思ってんじゃねーぞ」
敵を見すえる。ドリブルを始めた。強引なドライブ。
「うわっ!」
「きゃっ!」
体当たりをくらった鶴木が吹き飛ばされる。そこにいたメガネ女子を巻き込んだ。
「ううっ……す、すみません。大丈夫ですか?」
「え、……ええ、へいき」
体を起こして謝りながら彼女の状態を確認する。
彼女――館山盾子。
「すみません。僕の不注意でした。館山さんケガはありませんか?」
「……うん。大丈夫。気にしないでいいから」
彼女に手を伸ばす鶴木。手は握られなかった。無視。いや、見ていないのかもしれない。
うつむいたままの彼女――館山盾子は、そのまま目を合わせずに立ち上がる。
朝星から声が飛ぶ。
「おい鶴木。あれくらいで吹き飛んでんじゃねーよ。やる気あんのか?」
「はい。すみません。朝星先輩」
「ちがうでしょ! 今のは朝星のファウルよ」
やってきた女子マネージャーが物申す。
「チャージング。悪いのはオフェンス側」
ツンケンした態度で彼女――川合更は言い切った。
「え。……さ、更さん。そんな……」
「朝星。鶴木に謝りなさい」
ハキハキ言う彼女に頭が上がらない朝星。不満顔ながらも謝る。
「……すまん。鶴木」
「大丈夫です。朝星先輩。練習中ですし、それに僕のパワー不足も原因なので。それよりも、ラスト1本まだありますから、早くやりましょう!」
まったく気にしていない、とそんな態度。笑みを浮かべて向き合う。
プレイが再開する。
「館山さぁん。だいじょぉーぶですかぁ?」
ぱたぱたと走り、ウェーブのかかった髪を揺らして、足を庇う館山のところにひとりやってきた彼女。その手には救急箱があった。
「……矢部さん、私は大丈夫」
「え。でもぉ足押さえてますけど」
「……ちょっとびっくりしただけ。どこもケガしていないから……」
「そぉーですか。よかったですぅ」
ゆるふわ系女子――矢部真弓はニッコリ笑った。
パッシュ、とシュートが決まる。
「っし!」決めた倉木が声を漏らす。
「ナイッシュ! 倉木。オーケーだ」
選手兼監督兼コーチという役割のキャプテン・萬井がプレイを止める。
「おーい。武装岳大学バスケットボール部のみなさんでしょうか?」
ふくよかな中年の男性が声を上げながら体育館に入ってきた。
萬井部長が対応する。
「あ、はい。そうです。俺達です」
「今日宿泊する部屋の割り当ての方を決めていただかないといけなくて。ベッドなどのメイキング作業がありますので。すみませんが今から決めていただけますか?」
「なるほど。わかりました。――おーい。お前ら全員集合」
「「「はい!」」」
「うちのメンバー8人です」
体育館にいた全員がその場に集まった。
「みなさんこんにちは。この施設の管理人をしています茂手木丈太郎です」
温厚そうで丁寧なあいさつだった。
「ちな、あたしのおじさん、ね」川合が周りに集まる部員に聞こえるように話す。「格安で利用させてもらったんだから、感謝してよね」
あと紹介したあたしにも感謝なさい、と付け足した。
「そうなんですね。どうもありがとうございます」とは律義な鶴木の返しである。
「いいえ、今は設備の増改築工事を進めていて、通常お客さんを入れることができないので都合がよかったんです。現在利用者はあなた達しかいないんですよ」
それよりも、と茂手木は続ける。
「先に使用する部屋の方を決めてもらいたいんです。こちらが今日、みなさんが宿泊される『南校舎館』の館内図です」
パンフレットを広げた。
輪になってそれを見る。
そのまんま、学校の校舎だった。
「コンセプト宿というやつで、あの頃の学校にそのまま泊まれる、ということを売りにしているんです。まあでも、みなさんにはそこまで懐かしいものではないかもしれないですね」
「いいえ、懐かしいですよ」
まじめな鶴木が応えた。
「それで、教室の方が宿泊部屋になっているんです。この『1-1』から『3-3』まで――1学年3クラスの9部屋から使用する教室を選んでもらえますか?」
「なるほど……。どうするかな」萬井が一瞬の思考。「みんな、部屋の希望要望あるか?」
「あ、じゃあ、おれ、出入り口が近い方がいいっす」ラクだし、と朝星。
「なるほど、たしかにそうかもなぁ」同意する倉木。
「あ、でもちょっとまって、1つ注意点があるのよ」
「なんですかぁ。更さん」
「ああ、そうですね。失念しておりました」
茂手木が思い出したようにいった。
「実は、宿泊部屋は改装作業が終わっておらず、カーテンレールおよびカーテンが付けられていないんです」
「ん? 朝日がまぶしいとか、夕日がまぶしいとか、そういうことか?」
「いや萬井さん。それもそうなんだけど、それだけじゃなくて」言い辛そうな管理人・茂手木に代わって、川合が付け加えた。「ここは廃校の中学校をリフォームしているから、一般的な中学校の教室と同じ作りなわけ」
「ん? つまりどういうことだ川合」
萬井はよくわからなかった。
「部屋の中が見えちゃうのよ。廊下側にある窓から。プライベート、プライバシー」
「ああ、そういうことか」
萬井が納得した。
「お安く泊まれるのには、それなりの理由があるんだね」
小野が隣の鶴木に話した。
不安な顔でゆるふわ女子が申す。
「え、男の子にぃ、お部屋の中を見られるのはちょっとぉ……」
「大丈夫よ、真弓。考えてあるから。――そんなわけで私達女子3人の部屋は4階の3教室にしてほしいのよ」
「4階の3教室……ああ、なるほど。上の4階は女子専用にするわけか。じゃあ川合、館山、矢部の女子3人には『3-1』『3-2』『3-3』を割り当てればいいな」
「ええ、そういうことよ萬井さん。そういうことで男子は4Fには侵入禁止だからね」
「わかりました」鶴木の返事。
「じゃ、女子で集まって、この3部屋を決めるわ。館山さん、真弓、来てちょうだい」
「……ええ」「はぁい」
女子が集まって話し合いを始めた。
残ったメンバー、男子はそのまま萬井を中心に決めてゆく。
「じゃあ男の部屋を決めていくぞ。朝星と倉木はさっきの条件聞いてどうだ?」
「おれは部屋の中、別に見られても困らないんで出入り口近くがいいっす」
「オレも同じくです。変更ありません」
金髪茶髪がそれぞれ答えた。
萬井が頷く。
「わかった。鶴木と小野はなにかあるか?」
「僕は別に希望はありません。空いた部屋で大丈夫です」と鶴木。
「ボクは、あえて言うならトイレが近い方が助かります。お腹壊し気味なので」と小野。
「なるほど。わかった。――それなら……」
萬井が意見を聞いたうえで、まとめる。
「じゃあ男はこうだな」
萬井が備品の作戦ボードに書き込む。
「1-1」朝星
「1-2」倉木
「1-3」鶴木
「2-1」小野
「2-2」萬井
「おっけー。女子も決まったわ」
川合が同じくペンを受け取り作戦ボードに記入する。
「3-1」館山
「3-2」矢部
「3-3」川合
管理人・茂手木がボードを確認する。
「わかりました。『1-3』よりも『2-3』の方がお部屋の中が他人から見られないと思いますが、変更しませんか?」
「いいえ。大丈夫です。チームメイトなら部屋の中を見られても僕は別に困らないので」
鶴木が正々堂々と気持ちよく答えた。
「そうですか。では、それぞれの部屋の鍵を渡しておきますね」
川合が女子の分3つの鍵を受け取り、萬井が男子の分5つの鍵を受け取った。
鍵にはボールチェーンで白いプレートがついており、プレートには「1-1」をはじめとする教室の印字が入っていた。
萬井と川合はそれぞれ、決まっていた部屋の宿泊者に鍵を渡す。
宿泊部屋が決まった。
萬井がチームメンバーに指示を飛ばす。
「ではこれからの練習はフリーにする。自由練習。明日やって来る町野大学との練習試合に備えて休むもよし、自主練習を続けるもよし、だ」
「「「はい!」」」部員が返事する。
「あ、クールダウンだけはしっかり行えよ! それから夕飯は19時からだからな。今は17時前か。あと3時間後には全て切り上げて調理室に集合だぞ」
その場に集まった部員は解散。各自が望むように動きだした。
チームに指示を出した後、萬井は体育館隅でボトルを手にして、のどを潤す。
「お疲れ、部長」
「おう、川合か」
「今日の夕飯のメニューなんだけど――」
「あ、更ちゃん、部長くん、ちょっといいかな」
仕事に戻ったはずの茂手木が体育館に戻ってきていた。もう1つ鍵を持っている。白色プレートではなく黄色プレートのついた鍵だった。
「あれ、おじさん、それは?」
「マスターキーだよ」
「全ての扉を開けられる最終局面あたりでもらえるヤツか」
「『さいごのカギ』じゃねえわよ」川合がつっこみした。
「ははは。これはキミ達が宿泊する『南校舎館』と、この『体育館施設』の扉しか開けられませんけどね」
「でも、なんでマスターキー?」
「実は今夜、台風が来るかもしれないということで、安全管理上、夕方から別館の工事機材や資材、道具を飛ばないようにロープで固定しないといけなくて、しばらく管理人室を空けないといけないんです」
いやここは『管理人室』よりも『職員室』と言った方がコンセプト宿として雰囲気出ますね失礼しました、と申し訳なさそうに説明する茂手木。
「いや、どっちでもいいから」と親戚・川合。
「私がいない間、館内施設は鍵がないと使えないからね。正確には更ちゃんたちが利用するのは、体育館と付属の更衣室シャワールームと食堂――調理室くらいだけど」
「なるほど。おじさんが帰ってくるまでの間、預かっておいて必要に応じて使うってことね」
「ええ、そういうことだよ。更ちゃん」
茂手木が肯定した。
「来客のあたし達が持っていて大丈夫なの? 責任問題になったりしない?」
「大丈夫。会社に確認もとれているから。そもそも今は正式に営業しているわけではないからね」
「ならあたしが管理してあげるわ。そのマスターキー」
「うん、そうだね。それがいいかな」
茂手木から川合に、黄色プレートの鍵が川合に手渡される。
「男子に渡して、もしも万が一にも部屋に入られたら嫌だし」
川合は萬井に視線を向けた。
「んなことしねえけど」萬井が不満そうだ。
「あはは。まあ、あたしマネージャー長でもあるし、あたしが管理した方がいいわよ」
「たしかに川合が持ってくれるのが一番いいだろうな。マネージャー陣には食事作りを任せているし。自由に調理室を使えた方がいいだろう」
「ええ、だから、このマスターキーはあたしが持っておくわ。あ、でも――」
「ん? どうした?」
川合更は笑っていた。
黄色プレートの鍵をぷらぷらと振りながら。
冗談のつもりだったのだろう。
「もしも、殺人事件とか起きたら、真っ先にあたしが犯人にされちゃうわね」