「合宿への道」10:00
彼女は無表情だった。
その美貌に感情はあらず。「無」という存在を感じる。車の振動に身を任せて、窓の外の流れる景色を見ている。田園や自然が濃くなるほど、景色が彼女の無表情と重なり合い荘厳な空気を纏う。「絵になる」という慣用句が浮かんだ。
おっと、あまり凝視すると変に思われてしまうだろう。
僕は目をそらす。
がたん。
車が揺れて、彼女と肩が触れる。
「あ、すみません」
「いいよ、気にしないで」
彼女はそっけなく返答した。
「すまん。鶴木、揺れた!」
僕らの乗っているバンの最前列――運転席から大きな声が聞こえた。
運転しているのは萬井和人さんだ。
「いいえ。大丈夫です」
最後列にいる僕も、一番前の萬井さんに聞こえるように大きめの声で返した。
「荷物の方も大丈夫か?」
「はい大丈夫です。ちゃんと押さえてますから」
「狭いとこに乗せちまって悪いな」
乗車するバンは3列。ただ僕らの座る3列目には車後方スペースからあふれた荷物が、乗車シートへ侵略していた。そのせいで、ずいぶん狭い。
「いいえ、大丈夫です!」
むしろありがとうございます、とは続けなかったけれど、そう思った。
彼女の隣に座れたことは、正直うれしい。
しかし、だ。
僕はそう思っていても彼女の方には迷惑な話だろう。
近いし。――汗臭くないか、僕。
隣の彼女からは甘いにおいがするし、大丈夫なのだろうか。できるだけ彼女から距離を取りたいところではあるのだが、車内スペースを圧迫する荷物たちがそれを許さない。
やはり、一度、お断りを入れるべきだろう。
「どうもすみません、館山さん。――その、せまくって」
「さっきも言ったよね。気にしないで、って」
ぴしゃり、と拒絶されるような物言いだった。
「そうですね。すみません」
少し悲しい。
やはり話しかけない方がいいだろうか?
それでも、彼女のために――
「あの、次に車が止まった時、休憩の時に、座席を交換してはどうでしょうか? 館山さんと2列目の小野とで」
僕はこの最後列で荷物を押さえておくという役割があるが、彼女は誰かと席を交換しても問題ないだろう。
「別にそのままでいいわ」
「おーい。鶴木、この車、もう止まんねえぞ。目的地までノンストップだ」
運転手の萬井さんの大声が割って入った。
「え、もう合宿先に着くってことですか?」
「いいや、まだ半分も来ちゃいねえ」
「え、じゃあパーキングエリアとか――」
「いや高速に乗らねえし。予算ないからな。――でも早いところ進みたいところではある。雨降るらしいからな。あと初めていく場所だから、途中で迷ったりして時間ロスしないとも限らねえし」
だから止まらないぞ、と萬井さんが発言する。
「え、でも、トイレは、どうするんですか?」
「それは大丈夫だ。心配するな。鶴木」
「あ、やっぱり、どこかで休憩をするんですね?」
「空のペットボトルを準備している」
「せめて携帯トイレと言ってほしかったです!! てか車内で?! 絶対こぼれますよ?」
「いやいや鶴木。『こぼれる』とは限らないだろう。――液体じゃなくて固体の方かもしれねえじゃん」
「環境問題になりますから! 車内環境が大問題です。そういう有事の際には緊急停車してくださいよ!」
「……っく」
なにか隣から聞こえたような?
「えっと、館山さん? いま笑いました?」
「いいえ。気のせいじゃない?」
彼女は無表情だった。
「萬井さぁーん。あと20分くらいしたら右折ですぅ」
車内2列目シート、ウェーブ髪を揺らしながらカワイイ声で指示が飛ぶ。
「オーケー。サンキュー矢部」
「いいえー」
――ん? 聞き捨てならなかった。
「いやいやいや待ってください真弓先輩。あと20分って、すごい先です。見えないですし。もうカーナビじゃないですか。――てか、20分て、いったい目的地までどれくらいかかるんですか?」
「大丈夫だよ、剣くん。――あと3時間くらいで到着するからね」
「想定していた3倍くらいの時間でした! 全行程何キロメートルくらいあるんですか?」
「んー? 一万キロくらい?」
「日本飛び出しましたけど?! あと、その時間と距離ならばこの車は現在マッハ3で走行してます。速度超過です」
「……っんく」
いま隣から聞こえたような?
「え、館山さん? さっき――」
「え、なんでもないけど」
彼女は無表情だった。
「まあまあ、落ち着きなよ鶴木くん」
2列目から後ろを向いて顔を見せる。小柄で童顔――可愛いと評される顔だ。
しかし彼は男――小野楠が喋りかけてくる。
「萬井代表のことだから、たぶん冗談だよ。きっと有事の際は停車してくれるよ」
「ああ、そうか」
「うん、たぶん、ね」小野が目をそらした。
「その一言と機微で、不安が増したんだけど?!」
「まあまあ、大丈夫だって。落ち着いて。――あ、そうだ。コーヒー飲む?」
「この状況で尿意を催したらと思うと、とても飲めないよ?! お気づかいはありがとうだけど、なんでカフェイン含有量が高くて利尿作用が高いコーヒーなの?」
「……っくぶ!」
いま隣から確実に。
「館山さん。やっぱり――」
「は? なに」
彼女は無表情ではなく、不機嫌顔だった。
やはり話しかけない方がいいだろうか?
天国のような、地獄のような、この空間。
本当に3時間かかった。




