「電光と双撃」20:30
暗い空が、一瞬、白く激しく光る。
「きゃわっ」
ぐろろろろろろ、と。
龍が唸るような音が響く。
「かみなり怖いぃいぃいいぃ!」
わたしはベッドスペースで震えていた。
「ま、まさか、ほんとに、こんなに天気が荒れるとわぁあああっ!」
一瞬の雷光。遅れて空が唸る。
「ちょっ、もうこれぇ、ムリぃっ!」
――だ、だれか、だれかに、そばに居てもらおうっ!
そう思う。
――だか、だれに? だれがいる?
――更さんは……なんだかさっき不機嫌そうな顔で自分の部屋に戻ってゆくのを見た。
なんだか声をかけるのをためらうくらいには、今はよくない。そんな気がする。
――館山さん……あまり仲良くないけれど、仕方ないというかとにかく雷がムリだから。
そう思って、わたしは部屋を出た。戸を開けて、鍵を閉めて、隣の部屋へ。
「た、たて、たてや、ててやままさぁああぁ…………ああっ!」
――なんてことだ!
部屋の電気が消えていた。
――もう寝てるぅぅっ! 今日はたしかに忙しかったもんねっ! それか出かけていないのか。もしかしてわたしと同じように雷が怖くて誰かのところに、いや誰かって誰だ?男子だろうか? さすがにうら若き女がかのような時間に殿方を訊ねるのは憚られると思うのですが、いや、まだぎりぎりいける時間だろうか8時すぎうんいける時間ですね。
――じゃあ、仕方がない。男子に頼ろう。
思い立った。わたしはアラートのスイッチを切り、階段を降りる。
――階段のギシュギシュ音が雷かもしれないと思えちゃう。
おっかなびっくり降りる。
それが良くなかった。
小さくなった歩幅が階段幅との差を生じさせ、階段縁を踏み外した。
「ちょっ、わ、ああっ!!」
思考が圧縮される。
――ああ、最悪。おびえて怪我して、明日はみんなに迷惑をかけるのか?
「矢部さん?!」
「えっ!」
階下、3Fにいた人物がわたしを受け止めた。
「ふう。大丈夫ですか?」
「……その、ごごめんなさい」
「いえ。無事でよかったです」
「お、小野くん?!」
「はい」と小野が返事。
「あの、どうしてここに――」
ぐるるるるるる、と。
虎が唸るような音が響く。
「にぃいい!」
「ちょっ? 矢部さん?!」
わたしは我慢の限界だった。恐怖心――その感情に支配されて、小野くんに飛び付く。
「ご、ごめんで、でもムリ! わたしぃ、カミムリぃ、ムリナリぃっ!」
「す、すみま、せん。でも、ボクも、もう、ムリなんです!」
小野くんが、わたしの肩を掴み。ゆっくり引き離す。
「ちょっ! まって、せめていっしょに居て!」
「ご、ごめんなさい。いっしょにはいられないです」
「な、なんで……」
心が絶望に染まる。
ぐるるるるる、と。
「ひい!」わたしは再び小野くんを掴む。
「ちょっと! 矢部さん、放してください」
「だってだってぇ、こんなのぉムリじゃんカミムリじゃん!」
わたしは口走る。わけがわからない。
「まってください。矢部さん、この音は雷じゃないすから!」
「へっ?」
ぐるるるるるる。その音は彼のお腹から聞こえてきたような?
小野くんはわたしの手を掴み、拘束をほどく。
「もう、限界だ!」
彼が、走った。
すぐそばの『WC』の表示へと。
「あはははははは!」
「笑いごとじゃないんですよ?!」
「小野くんのお腹の音かぁ。なんだなーんだぁ。あはははははは!」
「まあ、そんなわけで、一刻も早くトイレに駆け込みたかったんすが、矢部さん離してくれないし……」
「それは、その、ごめん」
「…………まあ、仕方ないすけど。てか、まず、この状況をやめません?」
「え?」
「ボク、トイレ入ってるんすけど」
小野くんはトイレの個室に籠っており、わたしはWCのプレートの付いた入口から話しかけていた。
「いっしょに居たいのに近付けない。――それはまるで恋みたいだねぇ」
「面白いこというの止めてもらっていいすか?! お腹痛いので!」
トイレの中から小野くんの悲痛な声が聞こえた。
「買ってきたシュークリームが良くなかったのかもしれません。夏場に長時間、高温と日光浴びながら自転車の前かごに入れて持ってきたので……ぐぬぬ」
苦しそうな悔しそうな声がトイレから聞こえた。
じゃぁー、と水の流れる音がした。
彼がトイレから出てくる。
「……小野くん、会いたかった……」
「意味深なことをマジトーンでいうのを止めてもらっていいですか? 雷怖いからですよね?」
「あはは。わたしの役者としての才能が小野くんを狂わせてしまったねぇ。それは悪いことしてしまっちゃったねぇ?」
にこやかに笑うわたしが気に入らなかったようで、小野くんは少々ムッとした顔をした。
「……そうですよ。矢部さんは魅力的なんですから、もっと自覚してください」
「へ」
じっと瞳を見つめられる。
「ボクも男なんです。そりゃ……少なからず想っている相手から、そんなこといわれていたら、勘違いします」
「す、少なからず思っている、とは、え、その、いったい……」
「矢部さん」
「ひ、ひゃい」
声が裏返った。
小野くんが顔を背けた。
「………………………………ふ、ぷっ」
「へ」
「あははは。矢部さん、慌てすぎすよ!」
噴き出した。
「ちょっと! もしかしなくても、からかっただけぇ?!」
「ふう。ああ、おかしかった。――でも、先に仕掛けたのは矢部さんですからね?」
「ああ、もう、ああもぉうぅ! 本っ気にぃするところだったじゃないのぉっ!!」
やれやれ、みたいな顔をして小野くんはオーバーに肩をすくめた。
わたしは――
「からかっただけなんてひどい。わたしだって、だれかれ構わず抱きついたりしないよ。階段の下では、それが、小野くんだったからで……」
抱きつく。
「え」
「階段から落ちたところを助けられて好きになるなんて、ベタすぎるって更さんに提案したけど、……実際されたら、かっこいいもん、たくましくて頼りになるって、思っちゃうよ。……だから、小野くん。あのね」
「は、はい」
彼の緊張が伝わった。
わたしは満足した。
「――やられたのでやりかえした。倍返しだ!」
「ちょっと本気がすぎやしませんかっ?!」
小野くんが真っ赤な顔で焦りつつ苦情を口にした。
そんな風に本気になっていたから、わたしたちは気がつかなかった。
ギシュギシュギシュ。
階下からのその音に。
「あ、鶴木くん」
「あ、ケンくん」
「…………――はっ」
一瞬考えるような間、気がついた。――そんな風に表情が変化するケンくん。
「ちょっとまって鶴木くんっ!」
「違うからっ!!」
必死に言い訳した。




