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第七話

 アパートまで歩いていると、少し先に見慣れた姿が佇んでいるのに気付いた。その線の細いシルエットは何をするでもなく、ぼぅっと地面を見て所在なさげに立っていた。

「帰らないのか」

 近づいて声をかけるとぱっと振り返って小走りに歩み寄ってきた。付き合ってはいないし、そうはっきり言葉にしたばかりであるのに、どうしてか近づいて視線が合うのが気まずかった。

「よかった、待ちぼうけにならなくて」

「? 俺が通るのを待っていたのか」

「あとで、って言ったでしょ」

 確かにそうだったが、別に帰り道で待っている必要はなかったのではないだろうか。

「わざわざ時間潰さなくてもいいのに」

「んー、だってほら。今日ちょっとショック受けてたでしょ」

 何故わかる。

「ほらやっぱり。そんな顔して、わかりやすいんだから」

 言われて思わず顔を撫でた。そんなに気取られやすい顔をしていただろうか。

「……よくわかるな。その通り、全然思った通りじゃなかった」

「今回、お題目が二題も出たもんね。飯野くんどうかなって、ちょっと心配してたんだ。テストのあとは、上手くいった、って口ぶりだったけど」

「あー……」

 なんとテスト中に心配されていたのか。

 だとすれば尚更気まずい。これまで助力してもらった、その結果が全然揮わなかった。そしてテスト後に自信ありげな返答をしたことも記憶にある。

 意識すればするほど彼女に顔向けできなくなり、気づけば地面に視線を沿わせていた。

 しばらく言葉が途切れていると、突然「あっ」という顔をして唐突に肘を掴んできた。思ったよりも細い指の触れる感覚に妙にざわめく心地を覚えた。

「お、おい」

「こっちこっち」

 掴まれた腕を引かれて、すぐそばにあった喫茶店に連れ込まれる。いらっしゃいませ―、という店員の声掛けに適当な会釈をしつつ、彼女はそのまま奥の席まで俺を引っ張っていった。

「座って座って」

「どうしたんだよ」

 まず西脇が座り、向かいにある席に座るよう要求してきた。急にどうしたのかわからないが、このまま店内で立っていても変に目立つので言われるままに腰を掛けた。すると何故か身を乗り出して声を潜めて、

「心菜の姿が見えたから」

 と言った。

 心菜――――ああ、同じクラスの長谷川心菜か。薄く脱色してボブカットにした、少し背は低めのお喋り好きの子だ。西脇の席周辺にも割と頻繁に出没している記憶があった。

「長谷川さんがいたからって、喫茶店に入らなくても」

「いやちょっと、心菜だから」

「どういう理屈だそれは」

 そわそわとウインドウから外を見つめる様子に呆れて溜息をついていると、店員が注文を取りに来た。メニューをパッと見て、一番安いホットのアメリカンを頼んだ。彼女はホットココアとクッキーを注文していた。俺が商品名を答えると、何故か店員は目を瞬かせていた。……急な出費だからな、ちょっとケチったのが分かったのだろうか。

「心菜はちょっと、話が……」

「良く喋るのは知ってる」

 隣の席で話している時、大体西脇が聞き手になってるからな。

「うん、そうだけど、そうじゃなくて」

 若干言葉を濁す彼女。そうじゃなくて、何だろうか。続きを待つ静寂に、先の注文を受けてミルを回す音が響いていた。

「……じゃなくて! 本題よ、今日の結果、検討しましょうよ」

 私は凄かったのよ、と言って鞄からゴソゴソとプリント取り出す。急に喫茶店に引き込んで、結局テストの話か、といまいち場にそぐわない話題に肩を竦めた。

「ほら見て、二十点も上がったの」

「おー……、それはそれは」

 それは確かにめでたい。大躍進だ。

「部分点も取れたから、さっぱりだった前回よりだいぶん成長したよね。これも飯野くんのお陰ね」

「どういたしまして」

 成績が上がるのは良いことだろう。俺がどの程度の影響なのかはわからないが、彼女が無駄でなかったと思ってくれたのなら何よりだ。

 だとすれば、一層こちらの不甲斐ない結果が重くのしかかる。

「ね、これなんか夏休み中に飯野くんが見せてくれた問題に近いなって思ってたら、最後まで進められたもん」

「それはそれは」

「時間に余裕を感じて解けたなんて、凄く久しぶりな気がする」

「見直しできる余裕もあったんだな」

「全部見直しまではいかなかったけどね。特にこの問題は最初にはっきり詰まったから、二回目で見ても結局よくわからなかった」

 部分点のみに終わった問題を指差す西脇。色々書きかけて考えていた痕跡はよくわかる。それが功を奏して部分点獲得となったようだ。

 最初に見せてもらった結果からすれば大きな進歩は間違いない。

「お待たせしましたー」

 そこに店員が商品を持って帰ってきた。近づいただけでコーヒーの香りがふっと漂ってくる。アメリカンとココアで随分違う香りなのだが、互いに喧嘩をしない香しさだった。カップを置いてすぐ立ち去るのかと思いきや、すぐに踵を返さない店員。なんだろうと思っていると、

「彼氏さん、良い声してますね~」

 唐突な店員の言葉に動揺する。ニコニコ顔で突然何を言い出すんだこの店員は。

「地声です」

 即答で、しかしゆっくりと言葉を紡ぎ、意味のない声質だと示す。

「ますますいいですね~」

 ――――なんだ、これは。否定しても肯定されるってどう切り抜けたらいいんだ。ここからどう返したらいいのか窮していると、

「ですよねー」

 目の前から合の手がかかってもっと驚いた。

 実に大真面目な表情だった。それこそ、もっと言葉をかけて欲しいと言わんばかりに深く頷いていた。

「ふふふ。ごゆっくりどうぞー」

 言いたいことだけ言ってにこやかに離れていく店員に、あっけにとられるしかなかった。

 何なんだ今日は。テストは散々だし、突然喫茶店に連れ込まれるし、不躾にいじられる。厄日か。

 憮然としつつコーヒーに口をつけると、柔らかい香りとほのかな苦みが広がった。……くそっ、美味しい。

「やっぱり褒められたね」

 君まで何故にこやかなんだ。

「……獅子身中の虫とは思わなかったよ」

「えー、どうして。低くて、ゆったりしてて。

 凄く、その、良いと思うけどなぁ」

 そして褒めるくせに何故そんなにしどろもどろなのか。

「俺、声変わりしてから自分の声はあんまり好きじゃないんだ。なんだかゴロゴロ響く感じがあって、野暮ったいというか」

 妙にドスが効いて怖がられることすらあるし。

「そりゃあ、脅しにかかったら凄く効果がありそうだけど」

 脅しやしない。

「でも、私はいいと思うよ」

 そんなこと早口に言って、無造作にカップに口をつけて「あちっ」と悲鳴を上げる西脇。

「……ふーん」

 変わった嗜好なことで。

 それからしばらく、ぞわぞわした気分で何となく言葉をかけにくくなってしまい、それは彼女も一緒だったのかは分からないが、お互いに黙ってそれぞれのドリンクを減らしていった。テストのことを話すはずだったような気もするが、そんな気分でもなくなっていた。

 徐々に店舗のウインドウから差し込む日差しは茜色になり、店の奥であるこの席まで届いてきていた。自分同様、すっかり黙ってしまった西脇は、差し込む夕暮れの光に染まり、静謐な店舗で一人、浮かび上がっていた。

 もう十分温くなったのか、両手をカップに添えて、顔が隠れるように深くカップを傾ける。その添えた手の脇からちらりとこちらを見ているのは、夕焼けに照らされて丸見えだった。変な飲み方をするものだ。

 こちらのコーヒーもほぼなくなったところで一つ思い出した。

「そうだあれ、あれはちゃんと否定しとかないと」

「何を?」

「彼氏は事実ではないだろ」

 良い声かどうかは知らないが、低い声なのは事実だ。

 だが、彼氏かどうかというのは、全くの事実無根だ。

 それは捉えようがどうだとかという問題ではない。

 そういえばこれも、さっき佐伯にかけられた単語だ。

「そ、そうだよねっ。店員さんってば、何を言ってるんだか全くもう全然わかってない急にそんなこと言ったら」

 ほらやっぱり。西脇だって困ってる。

「だよな。西脇も、『ですよねー』とか言ってないでちゃんと否定しないと」

「……うん。わかった、そうする」

 ゆっくり確認するように同意してくれた。

「さて、西脇は点が上がって良かった。一方で俺はダメダメだったわけだ。

 帰ってから、検討してもらえるかな」

「……うん」

 もうコーヒーもココアも飲んでしまった。ここで時間を潰すのは、これでお終いだろう。鞄をかけ直して席を立つと、彼女も続いて立ち上がり、一緒に会計を済ませた。

 外に出るとすっかり日は陰り、肌寒くすら感じた。さっき飲み干したばかりのコーヒーの温もりがちょっと恋しかった。

 このまま帰宅し、着替えてテストの見直しかと思っていたところに、

「――――ごめん、やっぱり明日で良いかな。今日はもう、帰るね」

「お、……ああ」

 予想外の言葉で、生返事で返してしまった。

 急に心変わりとはどうしたのかと問いかけるよりも前に、彼女は寒さから逃れるように速足で離れていった。

「……? ――――そういえば」

 彼女が頼んだクッキーが、食べかけで小皿に残されていたことに気が付いた。

 もしかして体調不良か? ……それなら仕方ないか。

 一際強く吹いた風に身震いしながら、彼女が通ったあとを歩いて行った。

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