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第五話

 軽く夕食を摂って身支度してから外にでる。もう暗くなってきているとはいえども路上の熱気は昼の暑さの延長にあり、まだまだ厳しい環境だった。

 それでも周囲にはいつも見るよりも人影があり、特に親子連れが目立つ。誰だって暑いだろうが、にこにこしながら歩く姿が多いのは、花火に引き寄せられているからなのだろう。

 C棟304号室の前に辿り着き、約束の時刻になったのを確認してチャイムを押した。

 パタパタと中で音がして十数秒待つとドアが開かれ、何か少し、昼間見たのとは雰囲気が違う彼女がいた。少し首回りの開きの大きな落ち着いた色の、花のワンポイントのついたワンピースに着替えていた。髪も部分的に結って、形のいい耳を出していた。ただ、そういったものだけではない彼女の何かが違う気がした。

「お待たせ。ほらやっぱり、昼間よりは過ごしやすいでしょ」

「確かにな。でも夜といっても夏だぞ」

「夏だからいいんじゃない」

 何が違うのかわからずじっと眺めていたが、その視線を知ってか知らずか、

「行きましょ。お店にも寄らないとね」

 西脇がすぐ歩き出そうとしたのでついていった。よっぽどお腹が空いているのかもしれない。


 河川敷まではあっという間だ。そのため通りの向こうからはすでに賑やかな様子が聞こえていた。人々の声、雑音、それから出店の音響。

 すぐ向かいにある神社の境内でも案内などをしているのか、複数のスピーカーから何種類かの音や曲が同時に響いていた。

 そんな空間の影響だからなのか、実に和気藹々とした人混みで、熱気が伝播してくるのか少しわくわくしてしまった。

 設置された露店通りに辿り着くと一気に世界は明るくなった。

 食べ物屋、金魚すくい、射的など、定番の店が幾つも並ぶ。どうして、いつも同じメニューなのに、みんな飽きもせず同じように楽しんでいくのだろうとふと思ったが、それについても今この場に立っている自分も一緒なのだと思い至った。

 そもそもテントにタイトルがでかでかと書いてあるのだから何が提供されているか分かってはいるものの、いちいち店舗を覗いていく。

 花火前の時間だからか特に食品の店の前には行列がいくつもできていて、今から並ぶといささか時間のロスが大きそうだった。

「飯野くんは何を食べたい?」

「ちょっとしょっぱいのが欲しいな。ポテトとか、唐揚げとか」

「濃いめですねぇ」

 正直に答えると、何が嬉しかったのか明るい合いの手が返ってきた。

「そういう西脇さんは?」

「ベビーカステラとソフトクリーム」

「甘めですねぇ」

 真似して返してみると、もう一段明るい顔になった。

「塩っけと甘いものを一緒に食べたら美味しいかもね」

「つまり両方賞味すると」

 結構食べますな。

「だってお祭りだし」

 彼女の場合、線が細いくらいなのでもういくらか搭載した方がむしろ丁度よい、かもしれない。ふと女性的な魅力の向上した姿を想像してしまい、かぶりを振った。

 露店街を半分ほど進んだところで他よりは空いている店があったので、そこで特盛ロングフライドポテトを、その隣にあった店でソフトクリームを購入した。フライドポテトはお裾分け可能だが、いくらなんでも彼女が舐めたあとのソフトクリームはいただけない。

「両方摘まむの、美味しいよ」

「そこまでお腹空いてないからなぁ」

 どうしてソフトクリームも買わなかったのと言ってくる彼女に適当に返しつつ、そろそろ花火観賞ポイントを検討していた。人でごった返しており、早めに場所を確保しておいた方がよさそうだった。当然、すでに同じことを考えているのか、周囲が開けて見やすそうな場所にはだいぶん人が集まってきていた。

 あまり人混みは好きではない。花火が始まれば、人の動きも止まってもっと密集してしまうだろう。

「なぁ、あっちの方で観ないか」

 あっち、と神社を指さす。打ち上げ場所からは少し離れるので、打ち上げ真下の大迫力とはいかずとも、多少なりとも込み具合はマシかなと思えた。

「いいよ」

 まだ他の露店も覗きたそうにはしていたが、了承も得られたので早速神社に足を運ぶ。人の流れとは反対の方になるのですり抜けながら歩いて行った。境内に着いた頃には人影はまばらになっており、思った通り、先程までよりも静かな環境だった。

 だが振り返ると彼女がいない。おや、と思って通ってきた道を探してみると、少し遅れて人をかき分け向かってきていた。

「もう、先に行っちゃって」

「後ろについてきてるかと」

 やや語気を強めて文句を言われる。自分が先にかき分けたので、その後ろを通ってくれば問題なかったと思うのだが。

「あんなに人がいて、そううまく歩けわけないじゃない」

 はぁ、とため息をつきつつまだ握っているソフトクリームを齧る西脇。人にソフトクリームが付かないように気を付けたのなら、確かに遅れても仕方なかったか。

「もう」

 また丸い顔になる西脇。

「ちびちび惜しんでソフトクリームを食べるから、歩きにくかったんじゃないかい?」

「そういうことじゃなくてっ」

「それなりに歩きやすい隙間を見つけて移動したつもりだったんだけどなぁ……」

 言い合いながら少しずつ境内を登っていると、ドーンという音と共に歓声が上がった。

 見上げれば、丁度花火が始まったところだった。

 最初の数発は分かりやすく大きく、高く打ち上る花火。河川敷ほどではないがかなり近いので、光ればすぐに迫力のある音が届く。

 初っ端は散発的なペースだったが、徐々に複数の種類が入り乱れて打ち上げられて夜空を彩っていった。ここは喧噪の少し離れたところ。提灯の明かりも少なく、雲一つない夜空に鮮烈な花火の絵が広がった。

 光と音の密度が上がるごとに、丸かった彼女の顔も、だんだんと花開いていった。

 一心に頭上を見上げ、ソフトクリームが溶けかかっているのも忘れ、小さな歓声を続ける隣の少女。夜空に大きく開かれた瞳は、花火を煌めきを写して極彩色に輝いていた。

「……」

 何か、鳩尾の辺りで小さく蠢く感覚を覚えていた。周囲の光も、音も、熱も忘れてその感覚を掴もうとしたが、それが何だったのか、ついぞ分からなかった。

 分からなかったので、彼女と同様、眩い夜空を見上げていた。



 *****



 お約束の最後の怒濤の打ち上げをもって、約三十分間の花火大会は終了した。歓声とはまた別の人々のざわめきが戻ってきて、今日のお祭りが終わり、日常に帰ることを自覚させる。

「結構凄かったね。地元の花火だからってちょっと嘗めてたなぁ」

「……そうだな。俺は、前は窓から見たから。近くで見たら、やっぱり迫力が段違いだな」

 全国的な花火大会と比べれば勿論小規模なのだろう。しかし、これだけ間近で観られることはなない。光景の鮮やかさも、衝撃波のような炸裂音も、それこそ現場体験のクオリティだった。

 若干声が上ずる彼女の興奮も分かる。ここに来て良かった。

 どちらともなく河川敷に背を向け、アパートに歩みを進めた。

「……もうすぐ夏休みも終わりだね」

「ああ」

「二学期になったら席替えがあるね」

「そうだな」

「夏休みの課題は問題ないよね」

「うん」

「次のテストはうまくいくかなー」

「大丈夫だろ」

「成績確保は独り暮らしの条件だったからなー」

「……そうだったのか」

 ということは、満足のいく成績でなかった場合は独り暮らし解消ということもあるわけか。

 もしそうなると、これまでのような勉強会は出来なくなるか。

「じゃあ頑張ってもらわないとな」

「え」

 何故そこで驚く。

「だって自分で選んで独り暮らしをしてるんだろ? やりたいことを続けられるように、頑張りなよ」

「うん。そうだね」

 そこで会話が途切れた。

 アパートまでの距離は短い。てくてくと歩けば、あっと言う間に帰り着いた。周囲にも同様に帰ってきたのであろう人影や車が多数見られ、目が合えばお互いに会釈をしつつ、彼女の住むC棟の前まで到着した。

 ドアの前で西脇が振り返った。廊下の薄暗い蛍光灯の下でワンピースがふわりと広がった。

「今日は楽しかったね」

「俺も行ってみて楽しかったよ。連れ出してくれてありがとう」

「いえいえ、どういたしまして。教えてくれたのは飯野くんだし」

「それじゃ――――」

 その時、駐車される車のライトに彼女が照らされた。

 そして、どうして出発時に違和感があったのか、何となく判明した。

「――――それ、良い色の口紅だったね」

「……違うけど」

「え」

 なんと、勘違いか。余計なことを言ってしまったと後悔したが、しかし、何故か西脇の方が目を泳がせてしまっている。

「……リップクリームは塗ったけどね」

 ぼそりと小さくそう呟いた。

「リップか」

「そうリップ」

「それで唇が良い色だったのか」

 口元に手を当て、泳いでいた視線がこちらに定まる西脇。今更隠さなくてもいいのに。

「それじゃ、おやすみ」

「お、おやすみなさい」

 少し上目遣いのその表情に、さっき抱いた感覚がまた少し蠢いたような気がした。

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