第一話
あれは要するに、絡まれて助けを求めるという状況だろう。
スーパーの駐車場で一人の女子高生に纏わりつく複数の男達。風貌からして高校生というよりは大学生だろうか。聞く限り、決して荒っぽくアプローチしているわけではないようだが、かといって、友好的とはとても言えなさそうな雰囲気である。
その証拠に笑顔が弾ける男達を前にして、その女子高生は身を引きながら応じている。
どうやら、その子は大きな買い物袋を抱えている。男の一人のズボンが汚れている。その場で液体が零れそうな物は、その男が握っているジュースくらい。
結局のところ、問題発生の現場を見ているので推測などせずとも、男達が居座っていたところに誤ってその女子高生がぶつかってしまい、ジュースが零れて汚してしまい、そうして絡まれていると。そういうことだった。
今はもう、このスーパーの閉店間際の時間。全く人気が無いわけではないが、僅かに歩く人々は、ちらちらと様子を見つつも素通りしていた。
ただ、自分にとって状況が少し複雑なのは、その子が見知った同級生であるというところか。
「すみません、私の不注意で、本当にすみませんでした。クリーニング代なら払いますから……」
「いいよいいよ~、そんなこと。それより謝るくらいならこれからちょっと付き合ってよ」
頭を下げて謝る女子高生。しかし、男達はにやにやと笑顔で、別の要求を続けている。
これでは埒があかない。
しばしの間、周囲の人々と同様に様子を眺めていたが、どうにもならなさそうなので近づいて声をかけることにした。
……まぁ、さっきからその女子高生と何度か目が合ってしまい、流石にこのまま離れるわけにもいかなくなったというのも実情である。
「あの、すみません。その子、知り合いで。こうして謝ってますし、お金も払うと言ってますし、その辺で勘弁してくれませんか」
努めてゆっくりと声をかけつつ横から近付く。こちらの行動に気付いた彼女は驚いたような表情をしつつも、少し安堵したかのようにも見えた。
「――――あ? なんだよオマエ。かんけーねぇだろ」
男どもの一人がさっきまでの声掛けとは全然違う声音で凄んでくる。
「確かに関係はありませんが、知り合いでして。できれば彼女を離してあげて欲しいんですが」
相手がずかずかと近付いてくるので立ち止まって、良く聞こえるよう、ゆっくりと、元々低い地声なのだが普段よりももう一段トーンを下げてもう一度声をかける。
「ぶつかってジュースで服を汚してしまったんでしょ? それは謝ってますし、費用も渡すと言っているんです。それで終わればいいと思うんですが」
「あーーー!?」
と言いながら更に詰め寄ってくる男。嫌だな、こんなのに近寄られたくないな。声なんかかけなければよかっただろうか。というか、そんな態度を見せていたら、尚更その子が怯えたような表情をしているのに、バカなんだろうかこいつ。
「なんだオマエ、あ? 文句あんのかコラ」
男達の中でも最もチンピラっぽいそいつを筆頭に三人が寄ってきて、今度は自分が囲まれてしまった。彼女の前にはもう一人だけ残っている。これで逃げ道は出来たはずなので、彼女も逃げようと思えば逃げられるはずか。
とはいえ、困った。こういう輩の相手はしたくない。
「やってしまったことを謝って、保証するって言ってるんですから、それでいいじゃないですか」
「謝ってすむとかじゃねぇんだよ。オマエはいらねぇんだよ」
「ぐっ!?」
眼前まで近寄るなり首元を掴んで揺さぶられた。そしてそいつがもう一方の腕を振り上げ――――
「やめて! やめてください!!」
彼女が大声を上げる。だが制止は効かず、左顔面に鈍い衝撃を受けた。
「いやっ、やめて!」
もう一度衝撃。掴まれていた服を離され、衝撃にたたらを踏んだ。
「――――」
この糞野郎。
「もしもし、もしもし、新見町のマルイスーパーですけど……!」
と、そこで通行人が警察に電話したらしかった。その様子を見た男達は、悪態をつきながらこの場を離れてい――――こうとしてツカツカとこっちに戻ってきて、咄嗟に彼女の前に立った俺を何発か殴りつけ、それから本当に去っていった。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ。大丈夫? 痛くない?」
駆け寄ってきた女子高生は尻もちをついていた俺に手を差し伸べながら何度も謝った。真っ青な顔で、買い物袋が地面にぶつかってひしゃげるのも構わず介抱してくれた。
「つっ……、くそ。いってぇ」
殴られた頬がビリビリと痛い。口の中も血の味がした。
「貴方達、大丈夫?」
もう一人、電話を掛けてくれたおばちゃんが声をかけてくる。
「はい、大丈夫です。別に大きな怪我もないですから。……警察、来るんですかね」
事情聴取とかされるんだろうか。面倒臭いな……。
地面で肘をぶつけてちょっと擦り剝いていたが、わかる怪我はその程度。動くには問題ない。
「実は、もうすぐ期末テストで時間が惜しいんです。もうあいつらもいませんし、警察が来る前に退散しますね」
おばちゃんは心配そうに何度か声をかけてくれたが、このあと時間を取られても勿体ない。体も動くし、退散することにした。
*****
「ごめんなさい、飯野くん」
二人連れだって、自転車を押して歩いていた。彼女の買い物袋は地面で擦れて傷んでしまっていたが、幸い袋としては籠の中で用をなしていた。こちらは小さなものを買っただけなので荷物などほぼなかった。
「ありがとう。助かったわ。ごめんね、私のせいで」
「いや、謝ってるのに話を聞かないヤツ達がおかしいだろ。西脇さんは何にも悪くない」
そう返すと同級生である彼女――――西脇純は、苦笑するような顔を見せた。
ついさっき絡まれていた彼女は、確かに声を掛けられそうな美人さんである。肩口までのストレートの黒髪で、対照的に肌はかなり白く、唇は薄めで血色がよい。身長は俺より15cmほど低いので155cmほど。全体的に線は細く、どことなく陰があるようにも感じられる趣を持っている。学校での様子を思い返してもあまり目立った行動をしていた記憶はなく、有体に言って、控えめな和美人さんという人物だった。
そんな奥ゆかしげな人がこんな夜に複数の男に囲まれたら、それは困っただろう。偶然居合わせて、殴られはしたものの結果オーライだったか。
男達は離れていったが、万が一を考えて、今は家までの帰路を一緒に歩いていた。聞いてみるとほぼ同じところに住んでいて、帰り道が同じだったのも都合がよかった。思い返してみれば、稀に彼女のような姿を見たようにも思う。だが今回のスーパーは自宅からは少し離れたところにあり、そう足を運ぶところではない。個人的にここでしか見つけていないお菓子があるので買いに来ていたのだ。
それなりに長い道中。同級生とはいえこれといって話す機会があるわけでもなく、話題もない。おおよそ二人で黙ったまま歩いていた。
時刻はもう二十一時をとっくに過ぎている。辺りは真っ暗で、押し歩きでは自転車のライトもそう明るく点灯しない。街灯に照らされると二人の姿が見え、過ぎるとまた反対に影が二つ伸びていった。
「……」
だがだんだんと彼女の顔が曇ってきているような気がする。照らされる度にちらちらとこちらを見ているのは分かるのだが。
「飯野くん。ほっぺた、結構腫れてきてるよ。ほんとに大丈夫?」
殴られたところはズキズキと継続して痛いのだが、時間とともにズキズキだけではなくジンジンと腫れるような痛みに確かに変わってきていた。言われて頬を触れてみると少し熱を持って腫れていた。
大したことないヤツだったと思っていたが、それなりの被害を受けたらしいことに少し腹が立った。
「口も動くし大丈夫だろ。血も、もう止まってるし」
「……よかったらちょっとうちに寄ってくれないかしら。湿布くらい、貼らせて」
「え、そんなのいいよ」
と返しつつ、自室には湿布は常備していないことを思い出す。今でこれくらいだったら、もう少ししたら確かにもっと酷くなるかもしれない。
「だって申し訳ないもの。明日、教室で凄い顔で来られたら、もっと申し訳ないし」
「……わかった。家に湿布がないのも思い出したし、そうしてもらうよ」
うん、と彼女は首肯して、またしばらく会話もなく連れ立って歩いた。
しばらくすると同じ町内なのは当然なのだが、物凄く見覚えのある風景になった。訝しみながらさらに歩くと、ついにはほぼ自宅というところまでやってきた。なるほど、彼女の家は、うちの前を通ってさらに向こうなのか。
「ここよ」
「……。え?」
そう考えていたら、歩みを止められた。目の前のアパートは、自分の住むサンルーブアパートと瓜二つだった。
というより、隣の棟だった。
「マジか。ここか」
「どうしたの?」
「ここ、C棟だな。俺の住んでるところはB棟だ」
「えぇーっ」
これには彼女も目を丸くしていた。
ここサンルーブアパートはAからD棟まで並んで建っていて、それぞれ三階まであり各階五室ある。学校のシールを貼った自転車を何台か見ているので誰かは住んでいるだろうと思っていたが、まさかこんな近くに彼女が住んでいたとは。
「蓋を開ければご近所さんだったんだな」
自転車を停め、三階に移動する。
「私も学校の人がいるだろうなとは思っていたけど、まさか飯野くんがいるとは思わなかったわ。……どうぞ、入って」
304号室の鍵を開けて、一呼吸間をおいて促された。
自宅と同じ構造の玄関に入ると、綺麗に靴が並べられていた。そこから伸びる短い廊下には少しだけ棚が置かれていて、恐らく外出時に使うのであろう、小物類が並べられているようだった。
「俺はここでいいよ。あんまり入るのも、悪いだろ」
「でも、肘の傷も」
「いや、こっちは自分で洗うし、家でするよ」
こんなことを口実にずかずかと女子の部屋に上がる趣味はない。固辞してドアノブに手をかけた。
「……。わかった。ちょっと待ってね」
ドアを開けるより早く、彼女は速足で奥のワンルームに姿を消すと、ほどなく湿布の袋と大型の絆創膏、それと鋏を手に戻ってきた。
ドアノブを握ったまま止まっていた俺の頬を見て眉をしかめる。
「結構腫れてるよ。ちゃんと冷やさないと、明日酷い顔になってるかも」
「元が酷いから、別にいいよ」
「そんなことっ、ないよ……。ごめんね、痛い思いをさせて」
彼女は苦笑しながら取り出した湿布を半分に切って頬に貼ってくれた。湿布の残りと絆創膏を受け取って、
「まぁ、夜に女子独りで出歩くのは迂闊だったな。湿布、ありがとう。それじゃ、また」
一言礼を言ってその場を辞した。