制作秘話
「冬の夢と夢破れた大通り」の秘話
先日、投稿した最新作の詩「冬の夢と夢破れた大通り」という詩は伝説の俳優、ジェームス・ディーンをモチーフ、イメージして書きました。
ニューヨークのタイムズ・スクエアは通称「夢破れた大通り」と言われています。1954年のジェームス・ディーンが雨の中、コートを着てタイムズ・スクエアを歩く有名な写真がありますが、あの写真は最も重要な写真と言われていて20世紀を象徴する写真と世界中の評論家や写真家が言っています。超一級品の貴重な写真です。総合的にみても客観的にみても、ジェームス・ディーンはビートルズよりも、若者文化の象徴、あるいはアメリカ文化の象徴やロックン・ロールの象徴、アートの象徴的存在と言われています。1番最初のロック・スターはジェーム・スディーンだったとも言われていますし、はっきり言ってしまえば、ビートルズよりもジェームス・ディーンの方が100万倍重要であり偉大な存在なのです。あまりにも伝説の桁が違う。ジミーがタイムズ・スクエアを歩く写真をイメージして「冬の夢と夢破れた大通り」を書きました。「冬の夢と夢破れた大通り」の、もう1つの切っ掛けとしては、知人が送ってくれたタイムズ・スクエアの写真でもあります。
話を戻しまして、ジミーが、この写真を撮影する少し前なんですが、ジミーはピア・アンジェリという恋人と別れた直後でした。ピアはジミーを捨てて僅か3日後に年上の男性と婚約をしてしまいます。それを知ったジミーは「NO! ピア、嘘だと言ってくれ……」と叫んで泣き崩れました。ジミーは悲しみに暮れ、失意の中にいました。タイムズ・スクエアの写真はジミーの孤独な姿をとらえた写真とも言えます。
ジミーは1954年の暮れに掛けて何本もあるドラマの撮影や映画「理由なき反抗」、そして「ジャイアンツ」の撮影に入っていきます。タイムズ・スクエアの写真はジミーにとって、まさにターニングポイントの写真だとも言えます。俳優として頂点を極めた瞬間、ジミーがスパーク、ブレークスルーする瞬間と言った方が正しいかもしれません。
ジミーを捨てて結婚をしたピア・アンジェリは後に離婚をして、二度目の結婚をしますが、こちらも離婚してしまいます。晩年は麻薬に溺れていき、頼る人もなく、1971年9月10日、自殺をして亡くなりました。わずか39歳でした。ピアの遺書には「私が愛していたのはジミーだけ」と書かれていました。あまりにも多くの噂話ありますし、ジミーとピアの別れた経緯が複雑過ぎるので機会があれば詳しく書いてみたいと思っています。
世界の頂点としても象徴的なタイムズ・スクエアを歩くジミーの写真は、まさに歴史が変わるターニングポイントの貴重な一瞬を写し出しています。
いつかジェームス・ディーン、モディリアーニ、ゴッホ、青の時代のピカソ、レンブラント、マーヴィン・ゲイ、ジャスパー・ジョーンズ、スコット・フィッツ・ジェラルド、松田優作のエッセイを書いてみたいです。例えば、ゴッホですが、ゴッホは自殺ではなくて、ある若者に撃たれて亡くなったという事実について迫るエッセイです。他には大好きなコメディー小説やラブ・ストーリーも書いてみたいです。
「冬の夢と夢破れた大通り」は孤独を生ききったジェームス・ディーンに捧げます。




