04 ロメオ・サロモーネ
「クラリッサ嬢のこと、よくそこまで調べましたね」
ダニオが言うと、ロメオは苦笑いになった。
「調べた、というよりクラリッサの弁護人に話を聞いただけなんだ」
「弁護人?」
「ああ、裁判を開く以上、体裁として弁護人が必要だ。
若いペーペーの弁護士が押し付けられたんだが、結果は決まってるようなもんだ。
弁護士も先輩たちから、余計なことはしなくていいと厳しく言いつけられているらしいんだが……」
「先輩の言うことを聞く気が無い?」
「いや、裁判で言いたいことを言っても、裁判官に邪魔されるだけなのは奴も分かってる。
だが、どこかに被告人を助ける方法がないか、悪あがきする情熱を持ち合わせているんだな」
「なるほど」
「普通の裁判なら守秘義務で話してくれないようなことも、どうせ記事にも書けないだろうからと教えてくれたのさ」
そこまで聞いて、ダニオは疑問を覚えた。
「……新聞記事にならないようなネタ、どうして取材したんです?」
「うちの新聞社の裁判担当の記者も、弁護人に負けず劣らずなのさ。
どうにもならないことがわかっていても何かせずにはいられなくて、話を聞きに行ったんだ」
ダニオは急に恥ずかしくなった。
今の自分は、ただ単に興味を持って首を突っ込んでいるだけなのだ。
ふさぎ込んだダニオを、ロメオは訝しむ。
「どうかしたか?」
「僕は、単なる興味で、この話を聞きに来ただけです。
彼女が冤罪と聞いても、まずは助けなければと思ったわけでもない」
「だが、彼女が裁かれるべきだとは思わないだろう?」
「もちろんです!」
「今は、それでいいんじゃないか?
国に楯突いて彼女を助けて、引き換えに自分の持っていたものを全て失う覚悟のある奴なんて、そうはいない。
お前さんの持っているものの中には、家族や友人たちの愛情や安全なんてものも含まれるんだぜ」
確かにそうだ。正義のために突っ走るのは気持ちいいかもしれないが、やり方を間違えれば、周囲の皆に迷惑がかかるのだ。
「俺だって、助けてやりたい気持ちはあるが簡単じゃない。
家族や仲間を放り出しても、というわけにはいかないんだ。
もし、自分の身すら顧みずに助けたいと思うものがいれば、協力は出来るかもしれないが……」
彼女を助けたいと思う人間は、何人もいるのだ。
自分にも、何かできるだろうか?
そう考えながら、ダニオは話の続きを聞くことにした。
王都にやって来たクラリッサの滞在先は、ヴァザーリ家のタウンハウスだった。
美食家としてフォルティ家と関わりを持ったアルナルド・ヴァザーリは、大臣を務めたこともある実力者。
既に息子に爵位を譲り、慣れた王都で悠々自適の生活を送っていた。
子供は既に成人した息子が三人。
常々、女の子が欲しかった彼は、世話好きの妻、フランカ夫人とともにまるで自分たちの本当の娘のようにクラリッサの面倒を見た。
高位貴族、元大臣、美食家で芸術にも造詣が深い。
そんな彼等は裕福で、いろいろなところに顔が利いた。
クラリッサは、一流のダンスとマナーの教師を付けてもらい、自身も懸命に努力した。
夜会で恥をかかない振舞いと、流行遅れと言われることのない上品な装いを身に付け、彼女は初めての夜会に臨む。
初々しくも堂々とした様子と持ち前の美貌で、クラリッサはその夜会でも目を引く令嬢であった。
次々と紳士たちにダンスを申し込まれ、お目付け役としてついてきてくれたフランカ夫人の了解をとりながら、数人と踊った。
領地でも働き者のクラリッサは、ダンスの楽しさにすっかり心奪われた。
帰ったら、領地でもダンスの催しをしようかと夫人に相談したくらいだ。
その朗らかな様子のせいで更に目立ってしまったのか、思わぬ相手からの申し込みがあった。
王太子殿下だ。
もちろん、断ることなどできない。
クラリッサはマナーを間違えないよう緊張したが、ダンスは楽しく踊れた。
しかし、お目付け役の夫人は胸騒ぎを覚えた。
そもそも、ヴァザーリ夫妻の目的は、クラリッサに相応しい伴侶を探すことだ。
フォルティ家に婿入りし、領地と家業を一緒に盛り立てて行ける相手を、なんとか見つけてやりたいと考えていた。
そのため、クラリッサを出席させる夜会も、ある程度真面目な参加者の多い、信用できる貴族家のものに絞っていた。
そんな中、王太子殿下には最も用心していた。
親交の深い貴族家の夜会であっても、王太子が参加すると聞けば避けていたのだ。
王太子殿下は婚約中で、一夫一妻制のこの国では安全なはずだ。
だが、彼は婚姻を結ぶまでは婚約者以外に声をかけても構わないと考えているようだった。
周囲の者はかなり困惑していたが、王太子は全く気にしなかった。
側近たちは皆若く、彼の行動に意見することなどない。
王太子は野放し状態であった。
もっとも、相手が未亡人や性に奔放な令嬢などであれば、恋の経験を積む、という建前がまかり通る。
問題は、常識的な倫理観を持ち合わせた未婚の令嬢を見初めた場合である。
娘の婚約や婚姻に神経質な親たちは、夜会で彼女らをきっちりガードした。
クラリッサの親代わりとして、ヴァザーリ夫妻も十分に情報を集め、彼女を護ろうとしたのだ。
しかし、王太子の気まぐれな行動によって夜会は一気に緊張感に包まれた。
素早く娘たちを目立たないように守る保護者が多い中、その夜、初めての夜会に浮かれ気味のクラリッサが王太子の目に留まらないわけが無かった。
その夜会で起こったことと言えば、王太子がクラリッサにダンスを申し込み、一曲踊った、それだけだ。
さすがの王太子も、保護者たちの徹底ぶりに未婚の令嬢に声をかけるのは面倒の元だと察した。
クラリッサとダンスを踊ったものの彼女の、美しいが物慣れない様子に、遊びの相手には相応しくないと執着しなかった。
だが、あまりに久しぶりに王太子が未婚令嬢とダンスをしたために、側近の一人が余計なことを言った。
告げ口と言える言葉を聞いたのは、王太子の婚約者である貴族家令嬢、ヴァネッサ・カルローネである。
その側近は、ヴァネッサの家の分家出身のため、何かとヴァネッサに無理を言われることが多かった。
未来の王妃としてのプライドだけは十二分なヴァネッサは、王太子妃にすらなっていない身でありながら、ひどく高慢だった。
他の用事でカルローネの屋敷を訪ねた彼は、たまたま顔を合わせたヴァネッサに告げた。
『王太子殿下が飛び入りで参加した夜会で、美しい令嬢と仲良さげに踊っていましたよ』
王太子がヴァネッサを気遣うことなく、ご婦人に気軽に声をかけることは周知の事実。
気分を害することすらなく、彼女は鼻で笑うだろう。
いつも自分を顎で使うヴァネッサに、わずかな意趣返しの気持ちはあったものの、側近はほんの軽い気持ちで言ったのだ。
ところが、表向きは気位の高さで無関心な表情を装っていたヴァネッサも我慢の限界だった。
王太子に蔑ろにされることへの不満が溜まりに溜まっていた。
しかも、保護者のガードのおかげで、王太子が独身令嬢と夜会で踊るのは本当に久しぶりの事。
ヴァネッサの不満は凶悪な弾丸となり、その照準はクラリッサに定められた。