01 エドモンド・ラゴーナ
ダニオ・ポッジが、その公判を傍聴したのは偶然だった。
裁判所の前に人だかりが出来ていて、興味本位に傍聴席の整理券を取ったのだ。
既定の整理券を配り終えると、裁判所の職員が魔導抽選機のスイッチを押した。
すると、群衆の手にあった整理券のうち、当選した番号のものが光りだす。
ダニオは、くじ運がいい方だ。
子供の頃から祭りなどでくじを引くと、ほぼ上位を当てた。
しかも、なぜか大量の菓子だとか、複数の招待券だとか。
必ずと言っていいくらい、周囲の者も恩恵に与れるような賞品だ。
ダニオはけち臭くなかったので、それを周囲に惜しみなく配った。
祭りのくじである。
賞品は高価なものでもない。
それでも、その迷いのないさまは他人から好感を持たれるには十分だ。
当然のようにダニオの手にあった整理券は光りだし、彼は裁判所内の一室に通された。
気前がいいから運を引き寄せる、誰かにそう言われたことがあったっけ。
さすがに高倍率とはいえ、裁判の傍聴席を当てたことが、誰かに喜ばれるはずもない。
ダニオはふと、そんなことを考えた。
ダニオが傍聴人席に着くと、ほどなく法廷が開かれた。
今日は公判の初回。
被告人の名はクラリッサ・フォルティ。
『若くて綺麗な女性だな』
ダニオの正直な感想だ。
柔らかな金色の髪と紫の瞳。
収監されているせいか、やつれ、質素な服装ながら、その美貌はそこなわれていない。
確か……ダニオは記憶を探る。
とある男性に熱烈な片恋をした挙句、彼の婚約者を襲って瀕死の重傷を負わせたと新聞で読んだ。
検事や弁護人の発言を聞いても、特に記事の内容から外れるようなものは出て来ない。
罪状認否が行われ、クラリッサは「やっておりません」と答えた。
背筋を伸ばし、真っすぐ前を見て。
声はわずかに震えているが、嘘をついているようには聞こえない。
『まるで、勇気を絞り出しているみたいだ』
次に呼ばれたのは、クラリッサが片恋をしたと言われている男、エドモンド・ラゴーナだ。
「貴方は被告人クラリッサ・フォルティと面識がありますか?」
エドモンド・ラゴーナは、クラリッサ・フォルティに視線を向けた。
そして、しばし沈黙した。
「エドモンド・ラゴーナさん、もう一度お訊きします。
被告人クラリッサ・フォルティと面識がありますか?」
「……いいえ。その方とは初対面です」
エドモンドは、まるで別世界から引き戻されたかのように答えた。
エドモンドの証言に、傍聴人席はざわめいた。
「静粛に!」
『顔すら覚えられていない片恋相手に、ここまでの犯罪を?』
『思い込みの激しい女なのか?』
『それなりに美人じゃないか。俺に惚れれば可愛がってやったのに……』
『悪女にも、選ぶ権利があるだろう?』
興味本位の傍聴人たちは、好き勝手に囁く。
「静粛に!!」
だが、エドモンドの耳には、騒めきも制止の声も届いていないようだ。
被告人席のクラリッサを呆然と見つめている。
やがて公判は終了し、ほとんどの傍聴人が部屋を出た。
ダニオは、エドモンドの背中を追うことにした。
考えに耽って、周りをよく見ていないようだ。
なんとなく放っておけない気がした。
「エドモンドさん?」
傍聴人たちがすっかり散らばったのを見計らって声をかける。
「エドモンド・ラゴーナさん?」
「……取材なら、話すことは何も」
ぼんやりと振り向いたエドモンドは、すぐに警戒するような声音になった。
ダニオの格好はハンチングに肩掛け鞄。
いかにも記者という風貌だ。
「いえ、貴方がひどく考え込んでいたのが気になって。
よければ一緒にお茶でも飲みませんか?」
「え? 貴方は記者ではないのか?」
ダニオは苦笑いする。
「確かに記者なんですが。実は隣国から来てまして。
貴方の取材をしても、自国向けの記事にはならないんですよ。
その……出来れば、美味い菓子の食べられるカフェに入りたいのですが」
我ながら怪しいやつだ、とダニオは思う。
だが、エドモンドはどうしたことか、その提案を受け入れた。
「いいでしょう。
二つ先の角を曲がった裏通りに、チョコレートケーキが評判の店がありますよ」
そう言いながら歩き出す。
「チョコレートケーキ! ありがたい」
ダニオは本気で喜んでいた。
目当ての店に着くと、勝手知ったるエドモンドは奥の個室を頼んだ。
例の裁判のせいで、前より顔が知られてしまっている。
気付いた誰かに騒がれるのは嫌なのだろう。
案内してくれた店員を少しだけ待たせ、エドモンドはダニオにチョコレートケーキと珈琲のセットで構わないか確認した。
ダニオは個室の隅にあったコート掛けに帽子をかけながら、それでいいと返事をする。
向かい合って座り、そこで初めて自己紹介をした。
「改めまして、僕は隣国から来たフリー記者のダニオ・ポッジ。
興味のままに取材して記事を書き、新聞や雑誌社に売り込むのが仕事です」
「ご実家は貴族家なのか?」
「おや、わかりますか?」
「仕草が上品だし、そういう仕事の仕方で食えているということは金に困っていないようだから」
「ご名答! 国に帰れば実家に頼れるので、まあ、気楽にやってます」
「私はエドモンド・ラゴーナ。
王立魔道具研究所で魔道具の開発をしています」
ノックの音がして、注文の品が運ばれる。
「先ずは、スイーツを楽しみましょう!
……お、これは本当にうまいです」
「それはよかった」
ダニオは無邪気にケーキを頬張り、素直な感想を述べた。
つられて口にした甘味に、エドモンドの緊張も少しほぐれた様子だ。
「それで、なぜ、私に声を?」
食べ終わって一息ついたエドモンドは、ダニオに訊ねる。
「……裁判所で、貴方が被告人の女性を見てから、ずっと考え込んでいたのが気になりまして」
「……貴方は、この事件に関して、本当に記事を書かないのですか?」
「ええ、書く予定はありませんね」
「他の記者に、取材内容を売ったりは?」
「それも、ありません。
なんだったら、誓約書を書きましょうか?」
この件について話すには、ダニオは程よく他人だ。
エドモンドは、腹を決めたようだ。
「では、お会いしたばかりですが、私の友人のような立場で話を聞いてもらえますか?」
「喜んでうかがいましょう」
「この事件、なんだか妙だと思うんです」
「妙、とは?」
「私は、本当に被告人の女性に見覚えが無い。
全く知らないんです。
罪状が真実ならば、彼女が私の近くに一度も現れていないというのはおかしい。
その……あんなに美しい女性を一目でも見たら、忘れられるはずがない。
そして、傷つけられた女性についても、一度会っただけで……」
「え? 被害者とは親しくないのですか?」
「上司から勧められた見合いの相手です。
見合いそのものに気が乗らなかったので断っていたのですが、しつこく勧められて。
仕方なく一度会いましたが、上司には、付き合うつもりはないので断ってくれと伝えました」
「新聞には婚約者だと書いてありましたが」
「誰がそう言ったのかもわかりません。
こんなに騒がれてしまえば今更、どこの誰に訂正を求めればいいのかも……」
「……クラリッサ嬢は誰かに嵌められた可能性がありますね」
ダニオの言葉に、俯き加減だったエドモンドが顔を上げた。
「嵌められた?」
「ええ。そこに、たまたま貴方が巻き込まれたのかもしれない」
「……」
ダニオは表情を引き締めた。
「記事にはしませんが、個人的に興味があります。
僕はこの件を調べてみようと思いますが……エドモンドさんも一枚噛みますか?」
関係者の一人として、エドモンドは毎回、裁判を傍聴することが可能だ。
だが、そこで語られているのが真実とは限らない。
エドモンドはゆっくりと頷いた。
「そうですね。ええ、私も真実を知りたい。
もし冤罪ならば……いいえ、仮に冤罪ではなかったとしても彼女の、クラリッサ嬢の助けになりたい」
「関係者である貴方が調べまわっては目立ちますから、表立って動くのは僕だけのほうがいいでしょう」
「では、私はサポートを。多少ならば資金援助も出来ます」
「それは嬉しいですね。とりあえず手付として、ここを奢っていただいても?」
「もちろんです」
二人は、連絡方法などを打ち合わせると、念のため時間差で店を出た。