エピローグ
「ハンサムな天使様がね、私を抱き締めて、あの世から連れ戻してくれたの。
そんな夢を見たことがあるのよ」
海風を受けたぶどう畑の中を並んで歩きながら、チェレステは微笑む。
隣を歩く彼女の夫は、少しばかり眉間にシワを寄せた。
「君の好みの顔だったの?」
「ええ、私の大好きな顔! ふふ、貴方によく似ていたわ」
少し爪先立って夫の頬にキスしたチェレステは、そのまま腕にしがみつく。
しょうがないな、と夫のエドモンド・ラゴーナはもう一方の腕を回して指先で妻の前髪を梳いた。
ダニオ・ポッジに誘われて隣国に来たエドモンドは、チェレステと名を変えたクラリッサに再会した。
そして、ワインの試飲会に呼んでもらうこと三年。試飲会に行くたび、嬉しそうな様子で歓迎してくれるチェレステの様子に戸惑った。
養父母となったヴァザーリ夫妻にも紹介されたが、娘に近づく男を警戒するどころか是非、泊まっていけと勧められる始末。
ただ、エドモンドが誘ったダニオを始め、他の面々も勧められているので自分が特別扱いされているわけではないと思っていた。
ヴァザーリ夫妻の古い友人たちは裕福な人ばかりなので、お抱え運転手付きの車や馬車で帰っていく。
結果、雑魚寝同様でもかまわないと泊めてもらうのは若い者ばかり。ワインの流通に関わる者や、ぶどう栽培に携わる者など、やる気にあふれた若者たちだ。
一番年上であろうエドモンドは話の聞き役に徹していたが、ワイン製造や輸送の問題点が出てくると、ついつい設計図を引いてしまう。しかも、それを相手にタダで渡そうとするので、ダニオは気が気でない。
エドモンドには落書きでも、それが金を生む可能性は大きい。そうなれば、話がややこしくなるかもしれない。
まるでエージェントの様に張り付いて、権利問題について気を配らねばならず、ダニオはワインに酔う暇がなかった。
チェレステも活発に意見を交わしていた。同じくらいの年齢の若者同士が話し合う様子は眩しいくらいだ。
エドモンドから見ればチェレステは十二歳年下。いや、名を変えた時、戸籍上の年齢が二歳若返っているので十四歳下。年齢差がありすぎると再確認させられる。
そう、クラリッサ、いやチェレステを助けたなどと、いつまでも恩着せがましく執着するのはいけないことだ。
彼女は大切な妹のような存在。早く彼女に似合いの素晴らしい青年と出会い、幸せになって欲しい。
ワインを出荷するようになれば更に付き合いも増えて、よい出会いがあるだろう。
出荷の目途が立った四年目、エドモンドは試飲会の誘いへ、都合が悪いと欠席の返事をした。
試飲会の翌週末、エドモンドの勤める医療用魔導具の研究所をダニオ・ポッジが訪れた。
「ヴァザーリ家から、貴方宛にワインが届いてました」
「わざわざ、ありがとう」
ほとんど研究所で生活しているエドモンドは、連絡先をダニオに頼ったままだった。接客スペースで茶を出すと、エドモンドは渡された箱を開ける。
出荷用に箱もラベルもずいぶん洗練された。だが、そんなことよりワインに添えられたカードの文字がエドモンドに衝撃を与えた。
『明日も貴方と会えますように』
それは昔流行った芝居の台詞で、カードに印刷される一言としてはありふれているものだ。
店舗のチラシなどにも客寄せの言葉として使われ、商業的には『またのご来店をお待ちしております』といった意味になる。
エドモンドは子供の頃、その芝居に連れて行ってもらったことがある。国境を守る騎士と修道女の悲恋の話だ。
国家間の争いが絶えない過酷な地域に身を置く二人は、想い合いながらも、けして私情に流されることは無い。
そんな中、劣勢に陥った騎士団は最後の攻勢を試みるも、あえなく全滅する。
息を引き取る間際、騎士が呟いた言葉が『明日も貴方と会えますように』だった。
敵の軍勢はその後も進軍を続け、教会に迫る。
最期まで祈り続ける修道女は、騎士の声が耳に届いたかのように顔を上げ客席を振り返る。
そして、愛しい者を見つめるように微笑み、直後、舞台は暗転し芝居は終わる。
個人ではどうしようもない状況の中、それでも一人一人が心を持っている。
絶望の最期は、ひょっとしたら希望の幕開けかもしれない。
御目出度い考えだろうか? だが、構わない。
僅かでも残された自由で、扉を開くのか、それとも鍵をかけて自ら閉じこもるのか。
自分の感傷に付き合わされる彼女には迷惑かもしれない。だが、一度だけ許して欲しい。
初公判の日、彼女に初めて会った時から抱え続けた想いを、打ち明けよう。
エドモンドは全ての予定をキャンセルしてチェレステのもとに向かう。
もちろん、ダニオは巻き込まれて自動車で彼を送る羽目になった。
しかし、この展開をなんとなく予想していたダニオは、黙って運転手を引き受けた。
なにしろ、エドモンドが素案を考えた省魔力システムをどの車より早く搭載した自動車だ。エネルギー切れの心配もない。
夜も更けてからヴァザーリ家の玄関前に立ったエドモンドは、ふと正気に返った。
これから愛の告白をしようというのに、花束一つ用意していない。
逡巡していると突然、扉が開き、チェレステが現れた。彼女も来客を予想しておらず、お互いびっくりした顔を見合わせる。
「……こんばんは。夜分に突然、お訪ねしてすみません」
「こんばんは。エドモンドさん、来てくださったんですね」
驚きの後の笑顔に、エドモンドは勇気を得た。
「貴女に会いたくて……」
チェレステは、その言葉を聞いて、迷わずエドモンドの胸に飛び込んだ。
エドモンドは自然に、その背中を優しく抱きしめる。
「チェレステ、どなたかいらしたの?」
ヴァザーリ夫人が顔を出した。
「あら、まあ」
「どうかしたか?」
ヴァザーリ氏もやってくる。
「おやおや」
二人は自分たちの世界に入ってしまい、言葉も無く抱きしめ合っている。
仕方なくダニオが「こんばんは、夜遅くにすみません」と挨拶した。
「ダニオさん、ようこそ。この時間なら、お泊りになるでしょう?
何か、温かいものを用意しますから、お入りになってくださいな」
夫人は続けて、チェレステとエドモンドにも声をかけた。
「さあさ二人とも、外は寒いからそのままでは風邪をひきますよ。
続きは中でおやんなさい」
大事なチェレステに風邪をひかせるわけにはいかない。
我に返ったエドモンドは、状況に動揺して顔を赤くしたまま動けなくなったチェレステを抱き上げて運んだ。
それはまるで、咲きかけた蕾を集めた最高の花束を運ぶように。
大切に大切に、そっと。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




