16 チェレステ・ヴァザーリ
クラリッサ・フォルティの事件があってから三年。
国内ではすっかり王制が衰退し、とうとう平民の議会が立った。
王太子マルツィオは婚約者だったヴァネッサ・カルローネを失って以来、大きく変わった。
現王と王妃を統治から遠ざけるための説得に腐心奔走したのだ。
古い時代のような陰謀や毒殺で、王家の幕引きなどしたくない。
自分に出来る限りのことをして、真っ当に無血で国政を譲渡したい。
その姿勢は周りの者にも伝わり、彼に賛同する貴族家の子息は、自分の親たちを自主的に説得し始めた。
少しずつ少しずつ、彼等の努力は実を結び、やっと平民の手が政治に届いたのだ。
そして、諦めのついた現王から王位を引き継ぐ予定も立った。
マルツィオとしては、王位を継承したらすぐさま王家を廃止するつもりだったが、平民議会の代表に止められた。
「まだまだ、貴族であることを誇りに生きる者は多いのです」
彼等の心の支えとして、名ばかりと謗られる覚悟で王位に留まって欲しい、と。
この提案に、マルツィオは笑った。
自嘲ではない。自身の怠惰な王族生活にも、意味のある将来があったのだ、と思って。
代表が驚くほどに前向きに、彼はその提案を受けた。
すっかり力を弱めた王政にともない、王立機関は中途半端な立場にあった。
その一つである王立魔道具研究所には予算が回らず、開店休業状態が続いていた。
そもそも、ここで研究され実用化された魔道具は仰々しいものが多く、一般の民衆には益が無い。
魔導処刑椅子がいい例だ。
人道的、と言えなくもない装置ではあったが、平民の感覚では、こんなものの開発に予算を割く神経がわからない。
王宮にある、これ見よがしの昇降機やら、庶民の生活には露ほども貢献しない美麗な噴水装置も同様だ。
未だ開発途中だった諸々の設計図は、研究所の書庫の隅に山と積まれたまま埃を被っていった。
予算が回らなければ、つまりは給料が出ない。
研究者たちは次々と職を辞し、民間に新たな仕事を求めた。
エドモンド・ラゴーナもその一人。
しかし、彼は大仰な研究のすべてが無駄だとは考えていなかった。
十分な資金を投入できる機関で研究された物が、だんだん一般向けに練られていき、安価で使用できるようになる。
それもまた、事実だったから。
エドモンドの研究成果は内外の知るところで、彼の元には外国の企業を始め、多くの招待状が届いた。
だが、少し働き過ぎた。
しばらく休みが欲しい、と思いながら招待状の山を崩していると、一通の手紙に目が留まる。
差出人はダニオ・ポッジ。
王立機関は開店休業中と聞いたので、さっさと辞めて、しばらく自分の国でゆっくりしないか、という誘いだった。
自国の魔導自動車の発展を夢見ているダニオの事、ゆくゆくは引き留めて、その話を出すのだろう。
しかし、少しは気心の知れた彼の招待なら、と受ける気になった。
今では名ばかりの貴族とはいえ、ダニオの実家は広い領地を持ち、いくつかの企業を経営していた。
屋敷で豪勢なもてなしを受け、エドモンドは恐縮至極。
別荘も国内に複数持っている、ということで、そこを経由しながらの自動車旅行に行くことになった。
ダニオは、男二人で色気がないと笑うが、それはお互い様だ。
ゆっくりと自分たちのペースで国内を移動し、小さな村の祭りに飛び入りで参加したり、古い街の名物料理を味わったり。
途中、海鮮を食べたいというダニオの要望で、海沿いをドライブ中のこと。
斜面に作られたぶどう畑を見上げる場所で休憩をとった。
車外に出て心地いい海風に吹かれていると、驢馬が引く荷車が近づいてくる。
「こんにちは」
ダニオが御者に声をかけた。
「こんにちは。ご旅行ですか?」
少年のように活動的な服装の御者だったが、声を聞くと若い女性らしい。
「ええ、港の方へ海鮮を食べに」
「そうですか」
荷車を止めた彼女の顔を見て、エドモンドは驚いた。
ショートカットの似合う彼女は……クラリッサだ。
見間違えようもない。
確か事件前、彼女は領地でぶどうを育てワインを作っていたのだったか。
思い切って話しかけてみる。
「こちらのぶどう畑は、貴女が育てているんですか?」
「ええ、三年前に前の持ち主から譲り受けて、両親と共にワイン作りを研究中です」
「研究?」
「なかなか、思ったような出来にならなくて……
ゆくゆくはワインを売り出したいと思っていますが、時間がかかりそうです」
「大変でしょうが、楽しみですね」
「はい。少しずつでも目標に向かって行けるのは楽しいです」
「貴女の思うワインが出来た頃、また、お訪ねしたいものです」
彼女は少し考えてから、また口を開いた。
「あの、もしよかったら、身内の試飲会にいらっしゃいませんか?
招待状を出しますので、連絡先を教えていただければ」
「いいんですか?」
「ええ、是非」
「ありがとうございます。喜んで伺います」
この国での住所をまだ持たないエドモンドは、ダニオに頼んで招待状を回送してもらうことにする。
「ダニオ・ポッジさん方のエドモンド・ラゴーナさん宛でよろしいですね」
「はい、よろしくお願いします。
失礼ですが、貴女のお名前を伺っても?」
「まあ、申し遅れました。
私はチェレステ・ヴァザーリと申します」
「チェレステさん。
また、お会いできるのを楽しみにしています」
「こちらこそ。では、楽しいご旅行を」
彼女は再び荷車に乗り、ぶどう畑の間を上っていく。
それを見送りながら、エドモンドは呟いた。
「よかった、元気そうで」
そしてダニオを振り返る。
「ありがとう、ダニオ。ここに連れてきてくれて」
「どういたしまして。
しかし、彼女、完全に僕のことは眼中になかったですねえ」
「どうかな? もう少し時間があれば、君とも話したのではないかな?」
ダニオがおどけて肩をすくめるので、エドモンドは苦笑した。
「ダニオ、私は決めた」
「何をです?」
「この後の仕事のことだ。私は……医療用の魔道具の研究をしようと思う」
「なるほど。うーん、自動車ではないのが残念ですけど、応援しますよ」
「ありがとう。自動車の方も開発の助言くらいなら、力になれるだろう」
「それで十分です」
事件の後、隣国での魔導自動車の取材をもとに記事を連載したダニオは、興味が高じて製造会社を起こすことを考えていた。
アドバイザーとしてエドモンドがついてくれれば、資金も人も集めやすくなる。
クラリッサを魔導処刑椅子で仮死状態にしたことも、棺に嵌め込んだ蘇生装置も、かねてよりエドモンドが研究してきたものだった。
ダニオを経由して、クラリッサを助ける方法がないかとロメオ・サロモーネに打診された時、その方法を提案した。
研究に協力してもらっていた医師に、秘密裏に入手したクラリッサの健康状態の診断書を見せ、相談の上、装置の調整を行った。
計算上は、クラリッサの蘇生成功率は九十パーセント以上だったが、不測の事態はいつでも起こり得る。
三年経った今、無事な彼女と会話出来て初めて、確かに成功したことが実感できた。
だが、胸に湧き出るような喜びは、それとは別のもののような気がした。
彼女が無事に生き延びたこと、再び会う約束をしたこと。
そして、事件の関係者として記憶にあるはずのエドモンド・ラゴーナの名に嫌悪を感じていないこと。
その全てが、彼を幸福にしたのだった。




