15 チェレステ・フォンターナ
チェレステ・フォンターナは海沿いの保養地にあるホテルの一室で目覚めた。
「旦那様、奥様、お嬢様がお目覚めでございます!」
目を開けた彼女に気付いたメイドが、慌てて部屋を出ていく。
チェレステは頭がぼんやりとして、状況が掴めない。
「チェレステ! よかった、気付いたんだな」
「ああ、貴女の命があって……本当によかったわ」
この方たちには見覚えがあるような気がする。
チェレステは、記憶の底をゆっくりと探った。
「……アルナルドおじ様? フランカおば様?」
そうだ、彼等は王都での親代わりとして面倒を見てくれた、ヴァザーリ夫妻だ。
「ええ、そうよ。自分のことは、わかる?」
「私はクラリッサ・フォルティ……裁判で極刑にされ、翌日には死んだ?」
チェレステは、自分の口から出た言葉に戸惑った。
手足の感覚がある。潮の香がする。時折かすかに聞こえるのは鳥の声、波の音。
(私は生きている)
「起き上がれるかしら?」
メイドに支えられて、チェレステはゆっくり身体を起こした。
「喉は乾いていない?」
「何か飲みたいです……」
「丸三日、眠っていたのよ。お腹は空いてない?」
すぐに、お茶の支度が整えられた。
ベッドサイドにメイドが控え、チェレステの様子に合わせて、お茶を差し出したり、皿を持たせたりしてくれる。
膝の上にトレーを載せるのは危なそうだと判断されたらしい。
小さなプディングを食べ終えると、フランカが心配そうにチェレステの顔を伺う。
「あの日のことを、少し話してもいいかしら?」
あの日とは、クラリッサが処刑された日の事だろう。
「大丈夫です」
アルナルドも、じっとチェレステの顔を見ている。
「何があったのでしょう?」
クラリッサが処刑された日、ヴァザーリ夫妻は屋敷でただ冥福を祈っていた。
眠れぬまま夜明けを迎えた彼らのもとに、一通の手紙が届けられる。
『本日、以下の場所までご足労いただきたく……』
署名は無かったが、アルナルドはその筆跡から元騎士団副団長を思い出した。
クラリッサを助けようと方々を当たっていた時、彼にも話を聞いてもらっている。
ひょっとして、クラリッサの髪の一房でも、形見として受け取ることが出来るかもしれない……
彼等にとっては、それすらも諦めていた願いであった。
簡単に支度を整えると、ヴァザーリ夫妻は目立たぬ馬車を使って目的地に向かった。
指定された場所は、裕福な下級貴族や商人が屋敷を構える辺りだ。
その中の一軒に馬車が着くと、すぐに中へと招かれる。
「お呼びたてして申し訳ない」
招待主はやはり、ロメオ・サロモーネだった。
彼に案内された部屋は、予想に反して応接室ではなく客間。
ベッドに横たわる人物が一人。
その傍らには、医師がついている。
「……クラリッサ!?」
医師がいるということは、生きて!?
ヴァザーリ夫妻がベッドに駆け寄って見ると、クラリッサはすっかり窶れながらも、確かに息をしている。
「命に別状はないですよ」
年配の医師は、彼等に場所を譲りながら断言した。
ロメオはヴァザーリ夫妻と共に応接室に移動すると、意外な話を始める。
「彼女の名はチェレステ・フォンターナ。
年齢は十五歳で、長らく田舎で病気療養をしていました」
「サロモーネ社長?」
アルナルドが訝し気に訊き返す。
しかし、ロメオはそのまま話し続けた。
「唯一の肉親である祖父と共に、この家に最近、引っ越して来たのですが……
残念なことに、祖父が急に亡くなって。
本人はまだ病が癒えていないのに、頼る者が無いのです」
そこまで説明すると、ロメオは口を閉じる。
フランカは合点がいったとばかり目を瞠る。
「……それでは後見が必要ですわね」
「ええ、そうなんです。どなたかお心当たりは?」
「ねえ、あなた。わたしたちの残された時間で、この娘さんの面倒を見ませんか?」
アルナルドは目を瞑り俯く。そして少しの間を取った後、顔を上げて応えた。
「身寄りが無いのなら、私たちの養女にしよう。
家督はとうに譲ったし、相続で揉めることもない。
まずはこの子の養生のために、海辺の保養地へでも出かけようか」
ロメオが予め用意しておいた書類により、すぐにチェレステはヴァザーリ夫妻の養女となり、翌日には寝台を備えた特別な馬車で保養地へ向けて出発した。
ロメオが手配した高齢の医師は、眠ったままのチェレステを運ぶことに賛成しなかった。
しかし、もう仕事は半分引退しているという医師に、それなら一緒についてきて彼女が回復するまで見届けて欲しい、とアルナルドが拝み倒す。
更に、看護に慣れたメイドも加え、一行は保養地へと旅立った。
ホテルのベッドに落ち着いて半日後、やっと彼女は目覚めた。
「貴女の名はチェレステ・フォンターナ。
今は、わたしたちの養女となったので、チェレステ・ヴァザーリね。
……ごめんなさいね。わたしたちは、クラリッサ・フォルティとしての貴女を救うことは出来なかったの」
「どのようにして、お前が助かったのかは私たちも知らないのだ。
きっと、お前の冤罪を信じる人たちが、何人も手を貸してくれたのだろう。
そうやって守られた命を、私たちの娘として再び始めてみないか?」
チェレステは聞いたばかりの話をゆっくり頭の中で理解しようと努めた。
しかし、まだうまく頭が働かない。
だが、過去のことは、後で考えればいい。
「アルナルドお父様、フランカお母様」
「!」
「なあに? チェレステ」
「わたし、お父様とお母様のもとに帰ってくることが出来たのですね」
「ええ、そうよ。これからは、一緒に暮らすのよ」
「はい、よろしくお願いします」
微笑むチェレステを抱き締めるフランカ。
二人を見つめるアルナルドは、涙を堪え切れなかった。




