第八五話 青春の香り
三◯二◯年 五月。
ある日のマメキリはカニを食べながら、仏教カルトの教祖と会談に及んでいた。しかしそれは無駄なものだった。歯応えがなく、どこか怪しさに満ちていた。
そういった日々が続きマメキリは「違和感」を覚えだしていた。聞き分けが良く分別がある教祖が、まるで話の通じない。ビジネスのセンスを失っていた。
人の態度が変わり、辻褄の合わないことを言い始めるとき、そこには必ず「金」が関わっている。長年の勘でそう悟ったマメキリはツキノエに異変を伝え、ことの真相を探ることになった。
ツキノエはその話を聞き、西区のイスラム系に取り込まれた危険性を感じた。最も西区に近く、巨大な勢力であるイスラム系組織に手を出されれば、跳ね返すよりも先に飲まれる事はことはあり得る。
ツキノエはその日の内に、コーサ・ノストラとの窓口に指定されていたHeegenの法律事務所へおもむいた。しかし夜だったこともあり、Heegenは不在だった。秘書に折り返しをするように伝えその日は帰宅した。
帰宅したツキノエは妻であるションコの手作り料理で食事を摂った。この日は羹やサラダを食べていた。酒を呑みながら話をしていると、話題は仕事のことになった。
ションコはこういった話のとき、よくアドバイスをしてくれた。それがツキノエの柔軟性を構成する、重要な要素な一つだ。役職を与えるならそれは「相談役」だろう。家庭で最も信頼が置ける存在はこの上ない「相談役」だ。
特にションコは同じ環境で似たような人たちに育てられ、この手の世界の流儀にも精通していた。
ションコの意見を聞きながら、ツキノエは現状について妙に深く納得した。自分よりも思慮深く、簡単な利害とは異なる面に、事実関係を見いだしたのだ。ションコは良く言う。
「やり過ぎるのは良くない。組織も家庭も肝心なのは教育。暴力は補助であり、教育の要は言葉だよ」
現在の暗黒街派は、「シャクシャイン」という万能型の頭を失って、より締め付けを強くしようと「ホロメキ」のようなタフガイや、「秀二」のような実行者を求めてきた。
しかし現状の漢民族系やスラブ系の反発は、暴力を背景に抑えつけた結果なのだ。マメキリの言う仏教カルトの違和感が悪い結果を招くことになれば、不安定になる暗黒街派は深傷を負うことになる。
不安要素を取り除くためにも、ツキノエは方針の転換をする必要があった。秀二がいることを考えれば、それだけで抑止力になるので、彼には余裕があった。
――一方その頃、マメキリは秀二とともにいた。場所は中央区の、生き残った繁華街だ。マメキリ「夜の楽しみ」を教えようとしていたのだ。
秀二も合法賭博位は楽しめた。ショッピングをしたいという秀二に合わせ、マメキリは秀二の自由行動をさせた。
「俺は少し腕時計を観てくる。壊しちまったからな。お前はどこに行くんだ?」
「俺は……モールの方へ。最近会えてない『幼馴染』にもし会えたら、プレゼントをしたいんです」
そう言って彼はマメキリと別れて、一人でモールへ向かった。まず出向いたのは、「ぬいぐるみ」のテナントだった。懐かしい場所だ。数年ぶりに訪れたその場所は、あの時と変わらず繁盛していて、少し嬉しくなった。
だが秀二が立ち入ることはなかった。眺めるだけでその場を立ち去り、彼は花屋のような場所へ向かった。そこには花だけでなく、植物の香りがする香水も置いていた。秀二はその中で、薔薇の香りがする「ブレスケア」を手に取った。
「アイナはこういうの使うのかな……?」
秀二は一人で悩んでいた。商魂溢れる店員は嘘か真か女性受けは良い等と言ってきたので、流されるように秀二はそれを購入した。
それから彼はたまたま「映画館」の前を通った。するとそこで、見覚えのあるタイトルを見つけた。それは過去にアイナと映画館で一緒に観た映画の続編だった。
キャッチコピーには「終わらない恋の日々」がどうたらこうたらと、よくわからないことが書いてあった。それを聞いて秀二は、ふとアイナの顔が思い浮かんだ。
あの時、映画館でアイナが言っていたことを思い出した。
「こうやって二人で映画を観て、誕生日とかクリスマスを祝っていられたら良いね。終わらないでこんな日々が……ずっと続くと良いな」
そう言って紅潮していた気がする。映画のテーマソングはキャッチーで、自分がよく歌っていたことを思い出した。意味も知らずに歌う恋の歌を、アイナは上手だと褒めてくれた。
「のろけてる場合じゃねぇ、早く行こう」
彼はアイナのために目的地へ向かった。
アイナと最後に会ったとき、彼女が欲しいと言っていた品だ。それは広告で流れた「アロマ」だ。有名な香水メーカーが作ったものらしく高価だ。
アイナはこの香水メーカーが好きだった。森林のように落ち着き、周りによく馴染む香りだ。
お店に入った。そこは少し薄暗く、緑色のミラーボールが回る独特な空間だった。しかし騒がしさとはかけ離れていて、刺激的かつリラックスできる、この香水の魅力を体現しているようだった。
秀二は久々にこの香りを嗅ぐと、森の中や小川の付近を駆けずり周った「幼少期」を思い出した。幼い頃から馴染んだ香りだから、ただ当時を思い出しているだけなのかも知れない。だがそんな情景が想起されて「ノスタルジック」な気分に浸った。
そして幼い頃から、つい最近までずっと側に居てくれたアイナの姿を思い起こし、心が「リラックス」した。背伸びして「大人」の真似事をする秀二は、あらゆる「刺激的」な経験に身を晒していた。
彼にとってこれは正に「青春」の香りだった。そして彼にとってアイナは、その香りが似合うまさに「特別な存在」だった。
秀二はそれを迷わず購入し、いつか必ず渡せる日が来ると信じた。
「これは消耗品だから、もしアイナがすでに持っていたとしても無駄にはならない。これを買って正解だ……!」彼は嬉しさを胸一杯に溜め込むように、大きくその店の香りを吸い込んだ。
「ゲホッ……うわ、店員に見られてる……恥ずかし……」
足早に立ち去った彼はマメキリと合流した。そして何やら満足げのマメキリとリムジンに乗り込んだ。この頃、マメキリは羽振りが良い。仕事が成功して給料が上がったのだろう。
「ポンヤウンペ、今度お前の宿場に女を呼んでやるよ。極上の女を抱けば、もう少し男らしくなるぜ」
マメキリにそう言われた秀二は余計なお世話だと思ったが、そんな事を言える訳がない。だから彼はこう返した。
「まだ一四歳なのであと四年待ってください」
「いや真面目かっ。てか年齢は関係ねぇだろ」
秀二は苦笑いしかできなかった。
「おいホロメキ、窓を空けてるからってそんなに葉巻を吹かすんじゃねぇ」
ホロメキから受動喫煙をしてしまった秀二はまた咳き込んだ。
――翌朝、ツキノエはHeegenから連絡を受け取っていた。
「連絡が遅くなってすまない。最近、内務省の捜査がかなり厳しくてね。そっちの対処で精一杯だった」
そういうHeegenは職人に靴磨きをさせながら、電話をしていた。よほど時間の余裕がないらしい。ツキノエは早速本題に入った。
「西区の第二組織であるインド系と繋がっていると思っていた仏教カルトが、もしかするとイスラム系に飲まれているかも知れない」
「何だって? そうなったらもう、中央区の扉が開かれていたこになって、かなりの数が中央区に侵入していることになる。そうなれば敵の勢力が上回る計算になるぞ」
「あぁ、かなりヤバい状況だ。だが打つ手はある」
「ほう、さすがお頭だ。聞かせてもらいましょう」
「まずうちが締め上げてる中央区内部の小組織に、少し余裕を与える」
「それとこれとが、どう関係するんだ? 連中と仏教カルトに接点でもあるのか?」
こんな話をしているとツキノエは、電話越しでHeegenの革の靴を叩き、「右足終わりました」という声が聞こえた。ゴソゴソと足を入れ換える音が聞こえてきて、邪魔されたと不快に思ったツキノエは、ため息を吐いた。
Heegenが「どうなんだ?」と言うので、ツキノエは気を取り直して続けた。
「詳しいことは分からんが、中央区のスラブ系と仏教カルトには過去に組織間の融和があったらしい。つまりお友達なのさ」
「つまりそれを利用すると?」
「あぁ、仏教カルトに俺たち側につけと、説得させる。漢民族系もスラブ系と似たようなものだから、上手く一枚岩になってくれるだろう」
すべてを伝え終えるとHeegenはこう言った。
「上手く行くと良いが、何にせよ内務省の動きが激しい。気を付けるんだぞ」
Alの一件からこんなにも早く内務省が活発化するなんて、ツキノエには解せなかった。抗争が起こると考えているのだろうか、はたまた……。ツキノエは不安を抱えながらも、今日の雑務に取り組んだ。




