第七◯話 掌中の珠
三◯二◯年の二月(終戦からちょうど三年)。
大陸で覇を唱える皇帝であるテムルは、五◯万の軍勢が崩壊したことをキッカケに失脚寸前となっていた。
それを良いことに、国内の漢民族の有力者「漢人世候」の一部が、海岸のとある都市へ軍を差し向けるという暴挙にでた。それは、香港と呼ばれる地域だった。
「この経済都市である香港城を制圧すれば、大元から独立する基盤となる!」
香港は過去一五◯年以上に渡ってグレートブリテン連合国に租借されていた島だ。しかし、一部独自の法律を用いる「一国二制度」に合意したことで、当国から大元に返還されていた。
そこで予てよりおこなわれていた圧政と、なにかにつけて「一国二制度」を反故にする政府の行動によって、この島では学生主体の過激なデモが起こっており、警察隊との衝突がたびたび発生していた。
「大元による圧政を許すな! 言論の自由を守れ! 俺たちは大元国民じゃない、香港人だ!」
そして「逃亡犯条例改正案」を巡って発生した今回の「デモ」に対する更なる圧力として、漢人世候は独断で軍を動員した。
「我が大ハーンよ、漢人世候は独断専行により香港を我が物顔で奪おうとしています……。世界の非難は国の主である大ハーンに集まり、香港の利益はすべて……」
「もういいチョイバルサンよ……。言わずとも余はすべて理解している……」
軍の動員は世界から避難されたが、権威を失ったテムルにはもはやそれを制止することもできなかった。
こういった漢人世候による独断専行は各地でも見られた。中華圏ではこういった「群雄割拠」がおこなわれる。しかし今回は特殊だった。
現在の「シルクロード」とも言える「一帯一路」を通して、世界各地で一斉に謎の「肺炎」が発生した。そして華南地域で反蒙古族活動をする漢民族の集団が、研究していたウイルスを流出させたことが発覚した。
初めは陰謀論と目された漢人説だったが、今となっては誰の目から見ても真実となっていた。香港の九龍地区を始め、エピデミックが発生した都市はロックダウンされた。
――一四歳になった秀二は、著名な“闘獣”のトゥリーニルとして世界的な人気を有していた。きらびやかな生活と、美人な幼馴染みの彼女と過ごす彼に誰しもが憧れた。
しかし誰もが羨む彼にも悩みがあった。それは“闘獣”に復帰するまでに遠回りをしてしまったことだ 。
三年前。
彼は戦後すぐに“闘獣”の世界に戻ることにしたのだが、今までのようにはいかなかった。青山戦争開戦前は、高給取りの研究者である父の支援があった。
しかし父の安之助は先住民会の蜂起に加担した一件で離職させられたため、無職だった。つまり、練習に打ち込める金銭の余裕が秀二にはなかったのだ。
そんな彼に手を差し伸べたのは、先住民会の若き幹部、マメキリだった。彼はシャクシャインの遺志を継ぐ男で、“闘獣”に対する理解があった。しかし彼はシャクシャインの「狂気」の部分を多く受け継ぐ、決して善良とは言えない人間だった。
シャクシャインは蜂起を画策する程の「行動力」を持つ人間で、それは言い方を変えれば、血を流す事を厭わない「狂気」を持つ人間だ。彼はシャクシャインと同様に「裏社会」で活動する一面を持っていた。
マメキリは秀二との先住民という繋がりを利用して、“闘獣”の練習費用の不足分を肩代わりすることを申し出た。勿論その費用は違法行為による収入から支出されていた。
そうして秀二は徐々に、そしてどっぷりと、「裏社会」に浸食されていった。
三◯一八年 四月(終戦から一年二ヶ月後)。
カイ市では復興の希望として“闘獣”が人気を取り戻していた。秀二はマメキリをスポンサーとしながら“闘獣”に精を出していた。
「また大会でアイノネと闘うのが楽しみだなぁ」
呑気にそんなことを考えながら、一人で出かけ先から自宅への帰路を歩いていた。彼の自宅は政府から贈呈されたもので、豪邸そのものだった。
家は南区にある。都心ながら二階建てであり、地下には温室プールまであった。彼は若年にして多くを手にした「成功者」だった。
帰宅してみると、彼の家の前で誰かが待っていた。近づいて顔を確認すると、秀二は感動からか涙が溢れた。
「ユーリ……!」
「久しぶりだね、秀二」
それから二人は、時間を忘れて話し込んだ。ユーリは「模範囚」として出所したらしかった。
「ユーリ、またアイナを入れて三人で遊ぼう!」
「それはできないよ……。今さらどんな顔してアイナに会うんだ。もうあのころには戻れないんだよ」
ユーリは目が曇った。彼は何度もアイナを殺そうとしたことで、自責の念に駆られていた。
「でももう罪は償ったんでしょ? アイナにはなにも話してないけど、きっと赦してくれるよ!」
「赦してくれる訳がないよ! ずっと仲良くしてた友達は実はずっと命を狙ってましたなんて、トラウマものだ。だから僕は、もう二度とアイナには会えない……!」
秀二は切なすぎて胸が痛くなった。幼い頃の楽しい思い出を振り替えれば、いつでも二人の「笑顔」があった。だがその三人の時間は、二度と戻らないのだ。
「アイナには二度と僕の話はしない方がいい」
「悲しいけど、しょうがないのかな……。アイナとは会えなくても、俺とは会えるんでしょ?」
「しばらくは会えないよ」
「どうして! ?」
「やりたいことがあるんだ。神話に対する造詣を深るために海外に行ってみようと思うんだ。秀二、僕はアイナに会えなくて辛いけど、僕が自分に正直になっておこなってきたこれまでの出来事には後悔してないよ」
二人は寒空の下、オレンジ色のライトが照らす玄関の樹木の側で、立ち尽くして話していた。
ユーリは突然こんなことを言い出した。
「秀二は変わらず正直なままの秀二でいてほしい。嘘をつかずに実直なのが君の魅力だよ。傷つくことがあっても、自分を隠すようにはならないで」
そう言って彼は去っていった。人生は出会いと別れの連続なのだ。秀二は、大切な人を容赦なく遠ざける時間は残酷だと思った。
現在。
ユーリと別れたあとも、いつも通りの日常を送っていた。そんな中、先住民会全体を揺るがす大問題が発生した。シャクシャイン亡き先住民会をまとめていた長老が高齢により「逝去」したのだ。
戦後に先住民が優遇される「社会制度」が実施され、先住民会は廃墟と化したカイ市で着実に根を生やしていた。そんな中での「悲劇」だった。
秀二はその葬儀で、第二の母とも呼べる長老の死を心から悲しんだ。
「俺、長老が好きでした。でももうこの世のどこにも居ないんだ……」
山辺秀二
一四歳
身長一七二センチメートル
体重五四キログラム
「だが俺達がいるぜ、ポンヤウンペ」
マメキリ
四◯歳
グレーのスーツに白のシャツ、真っ黒なベストを着用
伝統衣装がデザインされたネクタイをつけている
堀の深い顔立ち
身長一七五センチメートル
体重六二キログラム
マメキリは人の死に涙を流す秀二に違和感を覚えた。だがこう思った。大量殺戮者である秀二が涙を流すのは、殺してきた命と長老とでは、命の「価値」が違うからだと、そう思った。
「先住民のポンヤウンペとして、自分たちを束ねる長の死は耐えきれないんだろう……」
唇を震わせるほどの悲しみに包まれる秀二。自分を「掌中の珠」と呼んでくれた長老はもういない。
葬儀の終わり、彼はトイレに籠り泣いた。メソメソする自分が情けなくとも、泣けば心が落ち着いた。そして数日は「忙しく」していようとそう思った。
帰り際、彼は後ろから声をかけられた。姿を見ずともその声の主はすぐにわかった。なぜならかけられた言葉が「久しぶり、秀二お兄ちゃん」だったからだ。
「アイノネ……! 大きくなったな……声も変わってるし!」
「そりゃあ、もう一一歳だもん」
江賀アイノネ
一一歳
身長一五〇センチメートル
体重三四キログラム
秀二は再会を心から喜んだ。自分のことを「ポンヤウンペ」ではなく「秀二」と呼んでくれる旧友だからだ。
だが、しばらくするとその心地よさは消えてしまっていた。どこか壁を感じて萎えるように、徐々に幸福感が遠退いていった。時間が経てば関係性も変わる。またしても彼は「時間は残酷」だと思った。
アイノネは戦時中に仮退院をしたとき、父親と中継で戦況を確認したことがあった。そこには「武士団」や奇妙な長髪の侵略軍を相手に、敵味方合わせて「数十万単位」の命を奪う秀二の大群が写っていた。
「秀二お兄ちゃんは酷いことをしてると思った。僕は兄やヴァシリを失ったから、大切な人を失う気持ちがわかる。僕が言えたことじゃないけど、誰のためであっても、あんなに命を奪うなんて『酷い』よ……」
秀二はこれまで、多くの人が遠ざかっていく苦しみを味わっていた。だが確かに彼の大切な人々は、誰一人として死んではいなかった。シャクシャインでさえも、そんなに深くは接していないし、初めて出会った時から人柄に「失望」していた。
秀二は喜ぶ人が居るからと調子に乗って、敵「大量殺戮」した。その行動は「正義」だったのか、彼は分からなくなってしまった。
Adamをはじめとした偉い人間や、長老やアイナをはじめとする信頼する人間。それらに焚きつけられておこなった殺戮も、すべては「立場からくる都合」なだけだと悟った。「全ての命は対等」であると彼は悟ったのだ。
秀二はアイノネと別れて帰宅した。普段は心の穏やかさを与えてくれる樹木も、今は虚しく風に揺られるだけだった。
秀二はアイノネの言葉で生じたこの悩みを誰に相談すればいいのか分からなかった。彼は軍からは要済みと言わんばかりに、邸宅や先住民への福利厚生等がなど与えられたあとは遠ざけられていた。
彼が正義であると信じた「大事な人を守る防衛戦争」や「先住民の権威の回復」は、本当に正義だったのか、それがわからなくなっていた。
「戦争に正義も悪もない。自分のした事を正しいと信じろ」
戦争の真理を教えてくれる人間は彼の側にはいなかった。
アイノネのこの「価値観」は、幼さから来る客観的なものではない。そこには父の寅三の「思想」があった。
「島を完全に先住民の許へ取り返した訳ではない。だが、もう争いは必要ない」
寅三は戦争を経て明らかに向上した先住民会の立場で十分だと思っていた。彼は理想のためにこれ以上の流血は望まない「反戦主義」思想となっていたのだ。
――長老が「永眠」してから一ヶ月後のことだった。要を失った「先住民会」はその勢力を二つに「分裂」した。それほどまでに長老の求心力は高かったのだ。
先住民会は反戦主義の“闘獣”「王者寅三」を筆頭とした「穏健派」と、幹部であるマメキリ、そしてツキノエを筆頭とした「暗黒街派」に分裂した。
もともとは持ちつ持たれつの関係だったが、先住民の対立を望まない長老がいたため、今までは一つの組織としてまとまっていられた。
しかし寅三は、過激な違法行為を働き犯罪者を生み出す暗黒街の面々が嫌いだった。だからこそ、寅三が会長となりその上の威光である長老が永眠した今、暗黒街の面々を先住民会から切り離すのは必然だった。
穏健派が望むのは「現状維持」だ。一方マメキリら「暗黒街派」が望むのは、亡きシャクシャインの悲願の達成だった。
ルーシ相手に再び戦争を起こして、今度こそカラハット島を先住民が領有することを目的としていた。
そのためにありとあらゆる手で金銭を稼ぎ、力をつけようとしていた。その基盤はすべてシャクシャインにある。寅三はかつては行動力があるシャクシャインに敬意を払っていたが、その猿真似をするだけの後継者たちは、相容ることができないただバカだと思っていた。
寅三がマメキリらには嫌悪感を抱くのは当然だ。しかしマメキリらは寅三が思うほどバカではなかった。
彼らには切り札となる秀二がいた。
「アンゴル モアを越える恐怖の象徴としての君臨」
マメキリはかつてそう宣言した秀二を焚き付けるために、彼に近づいたのだ。
上手く戦意を高めれば、今度こそ蜂起を中断せずにやり遂げてくれると思ったのだ。義理固いお頭ホロメキの意向に従い、あくまで人質などは取らずに秀二を飼い慣らそうとした彼らは、すでに秀二を手駒にしていた。
秀二はこの暗黒街で過ごす日々がその人格形成に大きな影響を与えて、後の人生を変える経験となるとは知るよしもなかった。




