第五二話 将軍の葛藤
漢民族軍閥内で巻き起こる降伏論。劉は攻撃と降伏の選択に悩む。
九月中旬。
正規軍がことごとく北区付近の防衛に失敗し、西部戦線と同様に蒙古軍の北区への侵入は間近となっていた。
世間の怒りは正規軍そのものへ向かい、Adamは敵と世論を抑えられず、頭を悩ませていた。そんな中、西部戦線ではついに大元蒙古軍がカラハット州都カイ市へ侵入した。
内務省の国家親衛隊に転属したAbbieらは統制の効かない街の秩序回復に奔走するが、カイ市は混乱を極めていた。
「敵も私たちと同じ人間、見慣れたズヴェーリなのに、街を蹂躙するつもりなのね……。もう辞めてよ、心が壊れそう……」
――カイ市に侵入する前日の夜、良玉は雲英に声をかけた。良玉は二人きりで会食をした。いわゆる女子会だ。
雲英は、はじめは自分がお酒の誘惑に負けて呑むのではないかと、不安だった。彼女は未成年であり、堅気な良玉に飲酒がバレれば怒られるだろうと思ったのだ。
だが良玉が気を使って、一切の酒類を置かなかった。目の前で自分がお酒を呑めば、雲英が禁断症状に耐えきれず苦しむだろうと、そう考えていたのだ。
良玉は雲英の飲酒癖については承知していたが、わざわざ説教を垂れることはしなかった。
この思い遣りに気づいた雲英は、感謝の言葉を述べた。未成年ながらお酒に溺れて人に気を使わせてしまったことを、恥ずかしく思った。
「雲英さん、実は今日お呼びしたのはお願いがあったからなんです」
「お願いってなんですか?」
「明日カイ市に侵入したあと、劉将軍にこう進言して欲しいんです……」
良玉の提言に雲英は驚きを隠せなかった。破廉恥極まりないそのお願いが、真面目な良玉の口から飛びだしたことが解せなかった。
「確かに劉将軍には怒られることが多くて正直嫌いですけど、それは個人的な感情ですし……」
彼女は公私を分けることを学んでいた。それを教えてくれたのは楊だ。彼は個人の感情では父の沈至緒を嫌っていたが、公私を分けて上官として忠義を尽くしていた。
なぜこんなことを思ったのかと言えば、それは良玉が、個人の感情で劉将軍を貶めようとしているのだと思ったからだ。
「将軍は人材配置が上手くて、ウチがまだ仕事に不馴れなときから『街道封鎖』のときに良玉さんを前線に置いてくれた。だから滞りなく作戦は上手くいった」
彼女は個人的には劉が嫌いだが、優れた上官として尊敬し、貶すことはしなかった。
「憎いはずの蒙古族の人たちとも仲良くしてくれてるから、最後はリンチン将軍の助けで『街道封鎖』の作戦はギリギリ成功しました。頼り甲斐のある優秀な上官に……『降伏』しろなんて勧められられませんよ……!」
「劉将軍だって戦うことは不本意のはずよ。お願いです。私が先陣を切って降服を進言しますから、私に続いてください……! これ以上戦争を続ける必要はありません!」
珍しく感情的な良玉を見た雲英は、なにが彼女をそうさせるのか図りかねた。
翌日。
西区へ侵入し巨大都市を目の当たりにした「漢民族軍閥」は、山よりも高い建物が所狭しと並ぶその大きな光景に驚愕した。
「これが、世界有数の大都市……カイなのね……」
「ヤバ……ネットで見たことあるけど、これはヤバいでしょ……」
驚くのは当然女性だけではない。雲英副官の楊や、劉将軍もそうであった。
「映画みたいだな……」
「この大きな街が我々に抵抗するのか……。これを制圧せよとは、難しいことを求めてくるではないか……リンチン将軍。中央区へ行くには西区を抜けなくてはならないが、無傷で通してくれないものか……」
「コンビニの通り抜けでさえも問題になるこの時世に、憎き敵を通してくれる訳がないでしょう」
韓世忠
四五歳
漢民族軍閥の将校
兜から生える角からは、紫色の毛が尻尾のように生えている
歩人甲を着用
長い髭が目立つ
身長一六八センチメートル
体重六四キログラム
大陸には張華界という雄大な自然があった。それは観た者の人生観を変えるほどの壮観だ。彼らはそれを直に見たことはなくとも、詩や映画の世界で数えきれないほど接してきた。
彼らはこのあまりに巨大な大都市からも、似たものを感じていた。天を貫かんと伸びる高層ビルや、アスファルトの大地に鎮座する雄壮なドームの群れ。その稀有な景観には、度肝を抜かれた。
この街に息づく人間という微生物の存在を俯瞰し、『カイ市』という無機物の塊に、強い生命力さえ感じた。
そのカイ市という魔境の攻略に際し、漢民族軍閥の有力者たちは軍議を開いた。劉はどのような攻め方をするべきか思案し、悩んでいた。しかし配下たちから提出された案は、彼の予想に反するものだった。
「劉将軍、降伏しましょう!」
口火を切ったのは良玉だった。彼女の反蒙古の姿勢には流石の劉も堪忍袋の緒が切れそうだった。しかし彼女のあとを追って、続々と配下たちが口を開いた。
「左様にすべきです。我が方の戦力では勝算は低いです。また戦いにおいて必要な要素である『天の時』『地の利』『人の和』のいずれも敵が優勢であります!」
それは関係上口を聞いたこともない、一部隊長の副官風情も同じだった。楊羽が口走ったことで、責任感を刺激された部隊長も口を開いた。
「蒙古族の助けがなければ敗戦していた状況で、ウチらにイケイケドンドンな勢いはないっしょ!」
テンパった雲英は、あまりに砕けた言葉使いでそう言った。劉の視線に震えが出そうになるほどにビビった彼女だったが、もう引き下がれないと悟り、言葉を繋げた。
「地元民で土地勘のある敵が有利なのは、街道封鎖のときの奇襲でウチも思い知ったわ! 侵略されて大事な人や場所を奪われそうになったら、誰だって一致団結して必死で抵抗するし、そんな敵に攻め入るなんて無謀すぎじゃないですか!」
劉のみならず、すべての者の視線を一手に集めた彼女は、叫ぶように劉に尋ねた。
「劉将軍、ウチら漢民族は蒙古族に脅されてるんでしょ。だから戦ってるんでしょ。一生そのままでいいと思いますか! ? 死ぬまでボロ雑巾みたいにこき使われるなんて、そんな生き方に尊厳なんてあるんですか! ?」
過度の緊張感に包まれた将軍府の議会。余韻に浸る雲英を褒めるように視線を向けた良玉は、長い沈黙をまとめるように呟いた。
「将軍、ご決断を……」
配下の必死な説得に劉は心が揺れ動いた。小刻みに震えながら側近の韓に目配せをするも、彼は長い髭を撫でながら、あまり動揺せずにそれを見ていた。
彼はみんなと同意見であり、死傷者が増える最終攻撃を前に、漢民族たちの我慢が限界に達したことを受け入れたのだ。
しかし劉はその場で決断することはできず、軍議は切り上げられた。支える主たる蒙古族や皇帝には、忠義心を貫いていた。戦場という「現場」で学び生きてきた彼にとって、主を蔑ろにして降伏しようとする部下たちのその姿勢は、「現実逃避」に思えた。
だが部下が総じて同意見である中で、それを考慮せずに無下に却下するのは下道である。つまり彼の中で揺らいだ心というのは、「総帥」として一軍を束ねる将軍の立場に由来する価値観であり、蒙古族への忠義心ではなかった。
――劉は一人になって考えこんだ。彼は二◯年戦場に立ってきた叩き上げの軍人だ。座学を嫌い、戦場という他者との協力が必須の現場ですべてを学んできた彼にとって、上官という道標に従うことは大原則である。
それを破れば、右も左もわからぬ戦場で誰にも守ってもらえず、命を失なうことになる。彼はどんなに上官が憎たらしくとも、従わなければすぐに自分の首を締めることになるということをしっていた。
無学でイデオロギーや民族対立などに関心がなかった彼は、とにかく今あるシステムに従いそこで出世することこそ至極で、素晴らしいことなのだと思っていた。
配下の献策と、上官のリンチンから古の名将に準えて期待された境遇に、彼は板挟みとなった。
それに加え、彼らが降るということは、即ち大陸の同胞たちが迫害を受ける可能性があるということでもあった。それでも降伏しようという配下たちは、数か月前と異なり、国際世論が反大元蒙古国に傾きつつあることを知っていたのだ。
西側の大陸にあるアメリゴ合州国は、曾て東の大陸を席巻した大元を警戒し、またルーシ連邦も大陸で兵を動員し、大元は迂闊に自国の異民族を攻撃できない状況にあった。
同胞が安全かどうかは確定ではなく、あくまで確率論である事は言うまでもなく、皆が危ない橋を渡る気持ちで進言していたのだった。
そんな中、劉はふと静に相談しようと思った。彼女を呼びだして早速、二人は話しあうことになった。しかし会ったその瞬間、劉は彼女の意思を察した。
それはなぜか。それは彼女が街道の将軍府を訪れた際に、普段は着用していない漢服を着用していたからだ。大きな薔薇の模様があしらわれた立派な漢服であり、頭には桃色の笄を挿し、とても麗しかった。
漢服を用いた至上の美は、それを追求した漢民族の容姿をもって初めて完成する。その姿は、他の誰よりも美しかった。
「美しい……。だがその意味は単なるオシャレではない。漢民族としての誇りを表しているんだな麗華」
劉が彼女を呼び出した理由はすでに漏れ伝わっており、それから彼女は彼とともに桃の果実酒を呑みながら、彼の質問に答えた。
「私も蒙古族は嫌いです……。奴らは狂っように戦争を続けて、縄張りを広げただけのけばけばしい「狼」ですよ……。劉将軍はなぜ、そこまで蒙古族に従うことにこだわるのですか。私には、彼らは仕えるに相応しい主だとは思えません」
「俺の様な軍人にとっては、国に仕えるなら最期まで命を掛けるのが使命だと考えるのが普通だからだ。いや、それは詭弁だな……。」
公私の付き合いがある彼女にも同調されず、ここで彼は始めて、明確な疎外感と孤立感を覚えた。そこからの彼は弱かった。
「開祖チンギス ハンの時代、蒙古帝国は人類史上最大の帝国となった。チンギス率いる蒙古帝国軍は、人類史に残る最強の軍隊……。この話を耶律先生に聞かされたとき、俺はこう思った。結局『力こそが全て』なのだと」
彼は自信の行動原理、思想とも呼べない考えを、華奢な少女に告白した。威厳を保つために、普段はこんなことは言わない。
しかし今は子供っぽいと軽蔑される不安よりも、正直な話を心置きなく聞いてもらいたくなったのだ。そのぐらい彼は悩み、思い詰めていた。
「最強の軍隊によって規律が守られた国は、反乱がなくその治世は平和だった。これを知った俺はこ、最強の軍隊がこの世の国をすべて滅ぼし、『全てを呑み込む』べきだと思った。そうすれば世界から戦争はなくなるのだと……本気で信じた」
彼はため息をつくように、胸の内を明かした。
「俺のその理想を叶えてくれる器、それが蒙古帝国であり、その後継国である大元蒙古国だった……」
そう言いきり、彼は一口酒を呑んだ。
「だった……。今は違うんですか?」
彼女は首を傾て彼をじっと上目遣いで見つめた。しかし思い詰めた劉には、その顔は見えやしなかった。
「あぁ……。分裂した小国の大元はもはや、世界最強ではない。政治家は平和的な国際社会の秩序を作ろうとしている……らしい。戦争で世界征服など、時代錯誤な幼稚な夢なのかもしれないな」
いくら無学な彼でも、立場や周りの人々を守るために、わずかばかりの勉強をしていた。だからこそ、自信のこれまでの努力とそれを支えてきた夢を、諦めることにした。
しかし、決断できなかった。一度始めた戦争に、戦力を残したまま降伏するという決断ができなかった。
「ルーシを襲う理由が蒙古族にあることは理解できている。だからこそ、俺はこの正当性のある戦争に身を投じれることを楽しみ、高揚した。だがもう蒙古は……俺の夢を叶えてくれる器なのかどうか、俺にはもうわからない……」
劉は自分の楽しみのために戦っていたが、戦う理由はそれだけではなく、先生から教わった『中華思想』も影響していた。完璧な理解はしていないが、漢民族が世界を支配することを目指す、歴史ある侵略の思想であることは知っていた。
しかしそれは興亡激しい大陸の世界で、外敵から身を守るためにそれらを征服することから始まった。家族や漢民族の同胞を守る思想は、彼個人の夢ともなっていた。




