第五〇話 街道封鎖 前編
「沈至緒様、戦死!」
この一言を機に、幹部は指揮官を制定しようと閣議を開いた。候補に上がったのは、実力面で沈の後継者だった楊。
そして、血統面で後継者として推薦されたのが、娘の沈雲英だった。軍隊においては実力第一が原則だ。漢民族軍閥という大陸における「漢民族」を代表し、その存続を決定する巨大な「軍閥」としては、古来より続く統一民族の慣わしに従うことが肝要。血統を重視すべきという意見も根強かった。
閣議の結果、後継者として指揮官に据えられたのは、娘の沈雲英だった。
しかし当の本人にしてみれば、当に寝耳に水。突然の肉親の死に嘆き悲しむ時間さえ与えられず、突然その後任を任され、大勢の命を率いる重責を担わされたのだ。
彼女の周りの宦官たちや女官、近衛兵といった物の分別がつく者たちは、彼女を励ました。
水色を基調とした裲襠甲を着用し、用意万端。しかし指揮をとろうと戦場に立つと、多くの兵士や霊兽が殺気を漂わせ命の取りあいをしていた。
そんなものを見て、彼女は頭がまっ白になった。彼女が発するべき号令を発案し、採択する高官たち。
数万の沈軍の統帥権をもつのは雲英だ。だが実権は経験豊富な将校や校尉たちにあり、既にでき上がっている序列、人間関係に従い軍団を動かしていた。
立場と権限があっても今の彼女にこの戦場を動かすことはできなかった。彼女の「指揮官」という肩書きは、名目上のものだった。
ただ呆然と殺戮や炎を見ながら、悲鳴や怒号を聞くしかなかった。ただ将校たちに言われるがままに、戦闘の状況を報告されて指示を出す。
右往左往していると、次第に日が暮れて休戦状態となった。この日も敵の侵攻を撃退したということだ。この日の戦闘を終えてから各部隊の負傷者、戦死者等を報告させ、兵員、兵器用の霊兽、兵糧に物資などを補充し、それらを上官の劉将軍へ報告する。
情報の整理や、報告を確認した証明に直接電報を打ち、電報での連絡や戦闘で粗相が有った部隊や人物を、軍法に従い罰する。
霊兽も同様に調教し、そして功績を上げた部隊や人物、霊兽に褒美を与える。この激務を僅かばかりこなしただけで、雲英は気絶するように寝てしまった。
この中間管理職は、彼女のような甘ちゃんがおこなうには作業内容が多く、そして難しすぎたのだ。慣れぬことをする要領の悪さは確実に彼女に影響を与え、彼女は強いストレスに晒された。
――彼女が眠ったあと、陣中では話をする二人がいた。
「楊殿、お嬢様の素養はいかがですか?」
「あぁこれは世話役殿。お嬢様の素養の方は……ご愛嬌ということで……」
「そ、そうですか……」
「お嬢様は今でこそあのように不貞腐れてしまい、今日の指揮官としての価値は、おおよそ役立たずと言わざるを得ません。しかしですね、投げだすことなく色々と理解しようと心がけておいででした」
彼は「指揮官」に着任した「沈雲英」に対して、指揮官としての能力が未熟であることは明確にしつつも、見限ることはなかった。
部下としての心構えが彼のこの発言に繋がったのだ。
「人が変わろうとするとき、心身には多大なる負荷がかかります。しかし支える人間がいれば、何事も乗り越えることが可能なのです」
彼は、世話役に言葉をかけ続けた。それは聞く耳をもたない世話役に、指揮官の可能性を否定しないように説得するようだった。
「支えると言っても、それは容易なことじゃないでしょう」
「えぇもちろん。できる人間をもっとできるにようすることさえ困難です。できない人間をできるようにするのは、もっと困難です。そして最悪なのは、やる気のない人間をできるようにすることです。それはいずれよりももっと困難です」
彼はそう言うと、僅かに生えた口髭をつまんでにやけた。
「そして、最悪でなければなんとかなるものなのです」
「お嬢様は最悪ではないと……つまりは……?」
「お嬢様には、素養はなくとも覚悟と胆力がおありです。それだけあれば、いずれは立派な指揮官となり得ましょう……!」
――戦いを終えた翌日、雲英は目を覚ました。彼女は酷い頭痛に苛まれながら、重たい体をベッドから起こした。
ふらつきながら寝室を抜けだして、彼女はいつも通り父親に会おうとした。しかし、現実を思いだした。
「パパ、もういないんだ……」
思わず口から飛び出たその言葉が、頭の中で反芻した。激務のストレスは彼女に重くのしかかり、父親が死んだという出来事でさえ、寝ぼけて一瞬だけ忘れてしまっていた。
父親の死は、簡単には受け入れられなかった。だが彼女は泣かなかった。
父親の死に目に会えず、父親の死を嘘ではないかと疑いさえした。世話役たちは情報漏洩を恐れて、回収された沈至緒の遺体を見せはしなかった。
「もしかして、本当は死んでいなんじゃ……?」
彼女の中にそんな疑問が浮かんだが、それはすぐに否定できた。なまじ思考力がある雲英は、父親が健在なら自分が指揮官を任せられることはなかったと推理をした。
――彼女を内心卑下していた世話役は、楊羽の同調が得られず、さらに辛辣さを増した。
「お嬢様はよく働いているのかと思えば、ふ……思った通りだ。無能な小娘に従うしかない兵士たちは、可哀想じゃのう。血筋とは残酷だ……」
――この日も彼女は指令室へ向かった。もう元の日常には帰れない。彼女は覚悟を決めた。
この日は前日と異なり、カラハット正規軍からの攻撃は激しくなかった。昨日の消耗が激しく、攻撃が後手に回ったのだと判断された。
雲英は些か気を楽にした。こういう日が三日も継続し、雲英は徐々にこの中間管理職に慣れだした。
そして彼女は兵種を勉強していた。
――騎兵隊と弓兵隊は、戦闘の基本兵装で部隊の基本単位。
騎兵隊は、四足歩行型に騎乗してその爪や鋭利な体をした小型の霊兽を用いて突撃する部隊……。軽装騎兵はより小回りを重ね、突撃を繰り返す。重装騎兵は機会を見計らって、より強烈な一撃離脱を繰り返す。
弓兵隊は小型の霊兽を用いて、中距離攻撃をする部隊……。軽装弓兵は小回りを繰り返し、重装弓兵は突撃もおこない、敵を撹乱する。階級が上がれば、弓騎兵という花形にもなれる。
狙撃兵は部隊の中で二~三人の単独行動を行い、現場指揮官の暗殺や援護をおこなう兵士……。
――読んで理解し、見て実態を確認し、そして復習する。ピンク色のフカフカした椅子に座り、彼女は勉強していた。これを繰り返しながら彼女は、徐々に理解していった。
始めはストレスから貧乏ゆすりを止められなかったが、それでも彼女は諦めず、座学と現場視察を繰り返した。頑張れた理由はなによりも、それらをした後に嗜む酒やスイーツが美味しかったのだ。
――以下特殊な兵種。
砲兵隊は強力かつ長距離攻撃が可能な霊兽を用いた、遠距離攻撃部隊……。運用には調教師の高度な技術が必要。通常の霊兽よりも体格が大きく、主に食料等で多額の費用がかかる。
驰车部隊は高速で強力だが、修繕や操作の鍛練に時間と育成の費用等がかかり、更に小回りが効かない欠点がある……。
ガス攻撃部隊は敵兵士や霊兽に対して、毒性のあるガスを持つ霊兽用いて攻撃する部隊……。人に対してはどの人種であっても、マスクや防護服がなければ例外なく同様の効果が得られる。
しかし霊兽は同様の毒を持っていて無効化されたり、逆に栄養素となったりするので、運用には注意が必要……。
工兵は各部隊に配属される兵器の修繕や橋、道路の設置や破壊等の工作をおこなう……。
大隊以上はこれらの複合部隊により成り立つ……。前線に立たない場合は呼び戦力として、敵を牽制する後詰めや後方支援として、兵站線の維持をおこなう。この兵站線が最も重要である。
それぞれの兵器や兵装には適正な霊兽が選ばれるが、調教が難しく攻撃性が高い者は強襲型と呼ばれ、戦闘の序盤に放たれることがある
――熱心に勉強して自分の役目を担おうとする彼女に、将校ら側近たちは彼女のその本性に気がつき陰ながら褒め称えた。しかしそれを直接彼女に伝えては重圧を与えてしまうので、全員が普段通りに接した。
そんな日々ははや一週間が経ち、元々父親の仕事風景を見て育っていた彼女は、この仕事が向いていた。だから日進月歩ではあるが、確かな成長を見せていた。
雲英は元より勤勉だった。というより、いついかなるときも勤勉になれない者の方が圧倒的に少数だろう。彼女に取ってこの退屈極まりない環境で、なにか時間を忘れられるものが欲しかったのだ。
それは娯楽ではなく、人に求められ褒められるような立派な役目であり彼女の居場所のことだ。享楽に耽っていても、楽しみは確実に失われていき、快感という感覚を奪い去ってしまうものだ。しかしその真面目さを奪う壁が出てくるのも、職場というものである。
「雲英殿、赴任してから恩賞の対象者が急激に増えているが、しっかり査定しているか?」
「はい劉将軍、皆頑張った分だけしっかりと評価しております」
「内容が薄いんだ。口で褒めれば済ませられる範疇の内容が多い。褒めてその気にさせればさらなる成果を期待できるし、陛下より賜る恩賞の数も少なくて済む。限りがあるのだから上手くやってくれ」
劉は雲英を呼びだし、彼の仕事場兼家である将軍府にて彼女を説得した。彼は漢服だったが、雲英は「漢服」に興味はなく、アレンジを加えかなり露出が多い独自の「チャイナドレス」で、将軍府へ来ていた。
劉はその自由さに立腹していたが、ここは堪えた。しかし確かに彼女への当たりはキツくなっていた。
「え、でもそれって恩賞の量の都合ですよね……? そんな理由で恩賞を減らすのは理不尽じゃ……」
「理不尽じゃない。こういうものなんだ。それに先日の報告では、沈軍内では軍法違反や反蒙古族的な発言や落書きが多かったと聞く。しっかりと対処してくれ」
「たかが言葉じゃないですか」
彼女は劉将軍に確かな不満を覚えていた。しかし不満を覚えていたのはお互い様だった。
「雲英殿、上官に対する君のその態度には特別に目を瞑ろう。父君が優秀な人物だったからだ」
彼は上官に対する忠義心として、主義や理念よりもまず上官の言葉に口答えせず従い、通例に従い無難に仕事をすることを求めた。
「いいか、我々は蒙古族の情けで生かされている。戦うことでのみ認められ、こうして生きていられるんだ。逆らえば反発があり、連帯責任で家族や仲間、副官や側近の世話役が批判を受けるんだぞ? もう少し自分を押さえてくれ」
「御意……」
雲英は将軍に呼ばれるたびに、ミスや勤務態度を責められた。慰めに私財を用いた贈り物をされたり休暇に食事を振る舞われても、一切嬉しくなかった。「怒られたくない」というその一心で作り笑いをして、なんとかやり過ごしていた。
「副官の将校や仕えてくれる皆も、同じ気持ちだったのかな……。仲良くしてくれてると思ってたけど、ウチのわがままうざかっただろうな……。何で皆あんなに気丈でいられるワケ……」




