第四八話 陰湿
カラハット島から届く自軍の吉報を受け取り、喜ぶ男がいた。それは皇帝テムルだった。
「我が軍は今回の侵略で、すでに島の景勝地である自然都市郡の青山地区を掌握したようだな。余はこの戦果を嬉しく思う。戦地の将兵に物資の他に、報償の品々を送り届けるのだ!」
「はっ! 我が大ハーンよ。大ハーン、この話をご存知ですか?」
ホルローギーン チョイバルサン(ᠬᠣᠷᠯᠤᠠᠶᠢᠨ ᠴᠣᠢᠢᠪᠠᠯᠰᠩ)
五五歳
元軍人の政治家で、皇帝の側近
耶立楚材同様に女真族の国の出身だが、現在は大元の政治家
白髪が目立つ
身長一六七センチメートル
体重六五キログラム
「何の話だ?」
「じつは、西部戦線の漢民族軍閥が激戦の末、消耗が激しいものことです。軍内では犠牲者が増えたことで、予てより蔓延していた反蒙古族の気風が再燃してきたようです」
「なんと……。それは由由しき事態だ……。軍内の規律を正すように、劉将軍に伝達しておかねばならん」
テムルは重々しい溜め息を吐いた。そして玉座に肘を突いて頬杖をした。
「どうしてこうも問題が起こるものか……。凡愚どもは誰も余の崇高な理想に理解を示さん。彼ら漢民族には、このような有名な言葉があるな」
テムルは不満をぶつけるように明後日の方向を睨み、チョイバルサンはその顔を見て萎縮していた。震えていたのだ。
「『燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや』。今の私はこれと同じだな」
「我が大ハーンの理想とは、どのようなものなのですか?」
「世界の統一だ……」
その一言にチョイバルサンは動きがとまり、息を飲んだ。テムルが目指す理想はチンギスやフビライが目指した、中世の古く暴力的な世界だったのだ。
「世界を統一し、この世から戦争をなくすのだ……!」
テムルは口を開いた。彼の中にあるのは最強の軍を率いた世界征服という幼稚な理想だった。今もなお、あらゆる面で自国を対外的に優位にしようとするルーシや、江南で元の国土を奪還して徐々に拡大する漢民族の宗教勢力。それらに対抗して、蒙古族の全盛期を取り戻そうと彼は決意していたのだ。
「蒙古族の英雄であり、我が先祖であるチンギス ハンが礎を築いた蒙古帝国。それは、人類史上最大の帝国だった。しかし現在の大元蒙古国が正式に建国されると同時に、幾度も分裂を繰り返して弱体化していった」
テムルは頬杖を止めて玉座から立ち上がった。
「内一つの〝シビル ハン国〟をルーシに滅ぼされ、国の領地は〝シベリア〟と呼ばれ今は活用もされずに、ただ凍りつき、先の大戦ではルーシの主だった〝流刑地〟として利用された」
「孤立した国は、滅ぼされるのみです。周囲と安全保障と同盟を結び、連携を取り協力することが肝要です」
チョイバルサンは現代的な価値観で、元国の立ち回りを求めた。
「ルーシに復讐するというのも、今回の侵略の意義の一つだ。しかし、侵略は復讐の連鎖を生むばかりだ……。ならば、復讐させないようにするしかない。余はチンギス以来の誰も復讐できぬほど強大な国を再建するのだ!」
テムルにはもはや誰の言葉も届かなかった。
――青山地区を掌握してから蒙古族を各市に配置し、各地の統治を行っていたウリヤン カダイ。NIs社以上の恐怖政治で縛り上げた青山は、かつてないほどに治安が悪化してしまう。
しかし、報道の自由が保障されていないため、その実態は一切外部へ漏れることはなかった。
「北部西部両戦線ともに進捗状況は上々だな。ヌルハチ将軍、劉将軍はよく戦働きしていると思う」
彼はタトゥーが入った太い腕を組ながら、報告を確認していた。前線の将軍に感心しつつも、彼には憂いる案件があった。
「だがカイ市は、これほどまでに外敵に晒されているのによく治まっている。これではカイ市よりも先に青山地区に、暴動ないし反乱が起きる可能性が高いではないか」
上の空になりながら、彼は厳つい見た目には似合わないほど、繊細に思案していた。
「さらには正規軍はよくまとまっているのに対し、我々は民族間の溝が浮き彫りになっていて、一枚岩ではない。内憂外患なのは非常に問題だな。この不安要素が、悪く働かなければいいが……」
ウリヤンは「蒙古族軍閥総帥」「侵略軍総帥」として、後方で情報の「管理統制」を指揮した。戦争においては「情報」が最も重用であると言っても過言ではなく、ウリヤンは長年戦場に身を置く将として、その重要性を知っていた。
また「蒙古族軍閥副総帥」「大元蒙古国副総帥」のセンゲ リンチンは、漢民族軍閥の背後に接近し、圧力をかけた。仲間とはいえ一枚岩ではない大元蒙古国に信頼関係はなく、それぞれの「軍閥」による牽制や、不服に思い悪態を吐くなどの「憎悪」に満ち溢れていた。
小競り合いを繰り返し、西部戦線では最後の砦であるトルストイ砦を攻めようとしていた。砦のすぐ西には、ロパチン山脈の端切れ、つまりはロパチン山脈ほどではないがかなり高低差がある山脈があった。
そしてその西にはカイ市西区に入る関門の「街道」があった。そのすぐ西には強固な野営地が縦に、第一、第二、第三、と北から南に向かって延びて並んでいた。
「蒙古族のリンチン将軍が、後詰めの軍を近づけてきた。圧力をかけて、戦闘を急かしているんだな」
劉は困り顔でそう呟いた。すると沈は憤慨しだした。
「戦果を出しているにも関わらず、まったく信用されていませんな。疑わしい者は使わず、用いる者は疑わず。私は戦場に立つ上で、この信条を守って部下に接しているものですぞ……!」
「何はともあれ、我らの大軍が西区に安全に入るためには、この野営地を攻略し街道を進まねばならんな」
劉指揮の下、蒙古族の無言の圧に従って攻勢を強めた。その甲斐あって漢民族軍閥は第三をすぐに掌握した。そしてすぐさま第二と第一を攻略しよう。
沈至緒は自軍の精鋭一万を率いて、山脈を迂回し遠回りをして砦を攻略しようと主張した。しかし劉復亨はそれを危険と判断し、却下した。
劉は作戦をこう決定した。本隊の五万を用いて第二を包囲し、残りを韓世忠に率いらせ韓家軍五万とし、それで第一を包囲する。
各々で攻略を急ぎながら敵を野営地内に封じ、沈率いる主力軍六万が第一とトルストイ砦の間にある孤山の脇にある街道を防ぐ。
こうして砦からの援軍を抑え、二つの野営地を陥落させるという荒業であった。余談だが……劉軍が使う武器は圈と呼ばれるもので、これは大元においても使用されてた。
円形状に刃がついており、南アジアのインドには、これに似た「チャクラム」という武器があり、攻撃力には定評がある。しかしそれは白兵戦の時の話であり、砦の敵に対しては、とにかくリーチの長さという距離の優位性が重要であった。
つまり、「野営地」を制圧するのには時間がかかると想定された。そういう訳もあって、この行軍の動きを隠すように劉軍は第三野営地から出撃するまでに、謀を巡らせることとなる。
あらゆる事態に対処できるように野営地は乱立していたが、正規軍はそのせいで敵の初手がどの野営地を狙って来るのかが読めず、策士策に溺れるという形になっていた。
「将軍は何故私の策を受け入れないんだ。敵軍に奇襲さえおこなえれば野営地を奪取できるし、そうなれば敵は一気に瓦解するというのに」
「そうですが、時間を掛けても良い局面。わざわざ危険を犯す必要もないのでは?」
楊羽
沈の側近の将校
沈と色ちがいの鎧を着用
身長一七二センチメートル
体重六四キログラム
「将軍は臆病風に吹かれたのだよ。優秀な御仁だが、秦家の若造を重用して私と先鋒を競わせる辺り、私をコケにしすぎなのだよ。お前は出世のためにもう少し堂々としろ、わかったな」
「御意……」
沈はこの様に傲慢で自尊心が高いところがあり、部下からの評判はよくなかった。しかし個人的に能力が優秀であり、さらに劉将軍と同じく、蒙古族に対して忠義心をもっていたのでそこが評価されていた。
しかし将校の中には確かに不満が募っており、それも理由の一つとなった八つ当たりが、末端兵士にまで広がってしまっていた。
兵士は上官に怒られたくないので「処世術」としてお世辞をのべ、高飛車になった上官の将校は、沈に対する不満の八つ当たりも兼ねて、部下をいびる。
自覚があろうとなかろうと同じことだ。そのいびりを不愉快に感じた兵士は、さらに後輩の兵士に八つ当たりをする。
そうすることでしか解消できない不満の負の連鎖は、絶ち切られることはない。誰もが沈の更迭を望んでいた。だが軍隊とは暴力と「能力主義」の温床であることが普通なので、兵士たちは自分たちの運の悪さを呪うしかなかった。
沈の小言にいびられた楊は、通りすがった沈の娘に、人を呼んで欲しいと頼まれた。立場が上である「お嬢様」に対してその使いを快諾し、人を呼んだ。
しかし呼んだ雑兵がどこか面構えが悪く汗臭かったため、ワガママなお嬢様に嘲り笑われて罵倒されてしまう。
沈家の陣営ではこのようなことが多かった。この親子の横暴に、誰もが嫌気がさしていた。罵倒された兵士は腹いせに自分より階級が下で年若い兵士に、雑用を任せた。
任された兵士は上官の気分で気の毒にもキツい雑用を任されて、あちこちたらい回しにされたり密かに暴力を振るわれたりした。
この兵士は上官に楯突いて懲罰を受け、それが積み重なり上官に目をつけられる未来が見えた。その先には本国強制送還からの逮捕だ。
だからそれを我慢するためにすべての理不尽に我慢をして、いつか出世して見返してやろうと歯を食い縛りながら、物に八つ当たりしてヒソヒソと泣くしかなかった。
こういう負の連載が常態化している沈軍の兵士が勇敢なのは、こんな毎日に嫌気がさしていたからかもしれない。強さの秘訣は敵への八つ当たり、現実逃避なのだ。




