第八八話 慌ただしい日々
三◯二◯年七月後半。
コーサ・ノストラと暗黒街派は焦っていた。漢民族系は弱体化したスラブ系を飲み込み、そして拡大していた。イスラム系とコーサ・ノストラは、中央区でのシマの奪い合いを始めていた。
覇権をかけた戦いで殺しあいが始まったのだ。それはスラム街にも及び、スラム街では被害が拡大した。免疫も低く死にかけていた人々はその住みかを、死者が眠る墓地とホームレスが共存する「地獄」へと変えた。
ツキノエらも感染の危険性はあったが、彼らや組の人間はしっかり人と人との距離を取り、そしてマスクを着用した。ツキノエはそのように対応し、組の人間、そして同胞を守ろうとしたのだ。
だがコーサ・ノストラは既に修復不能な程に、抗争や逮捕で人員を減らしていた。そんな中ツキノエは、ようやく「Lucania」と接触した。Donとしての地位は健在で、現在のトップを盾にして「影のトップ」として君臨していたようだった。
マメキリは立場上ツキノエの行動に反対はしなかったが、内心Lucaniaなどどうでも良かった。落ち目な男に価値なんかないと思っていた。彼はなによりも秀二が心配だった。
その頃秀二は隔離病棟に入り、静かな空間でもできなかった。遂にマメキリたちさえも失い、すべての居場所を失ったのだと悟った。落ちる所まで落ちた自分を惨めに思った。
「殺したくもない殺しをして、加害者の俺が暗黒街に居場所を作ったのに、それさえも失った。周りの皆を遠ざけて、不幸にして傷つけた……。俺は一体、何をやってきたんだぁぁぁ! !」
――数日後。
「もしもしアイナ、母さんだけど……。秀二君のことは、心配になるわね」
マミヤ(Мамия)
四三歳
アイナの母
研究所勤務で、安之助の同僚
小振りな眼鏡が特徴的
身長一六七センチメートル
体重五一キログラム
「お母さん……秀の身になにかあったの……!」
「知らないの? 秀二君は流行りのウイルスに感染して、隔離病棟に入院していると聞いたわよ。安之助さんの元に、病院から通知があったらしいわ」
「そんな……秀が感染してたなんて……」
「カイ市では、感染から数日で発症する変異株が広まってるらしいじゃない。一度、チロット町へ帰ってきなさい」
「秀が何て言う病院で入院しているのか、それは分からないの? 隔離されてるなら会えないのだろうけど……側に居たい……」
「アイナ……そんなことを言ってる場合じゃないわよ……? 感染すれば、あなたまで死ぬかも知れないのよ……! あなたが感染することを秀二君が望むわけがない」
「分かったわ……一度帰省するね。話したいことが沢山あるわ……」
「えぇ、積もる話は沢山あるわ。この三年間のことを聞かせてちょうだい」
――世界は混乱の世界となっていた。未知のウイルスは各地に広がり、誰もが恐怖に震えていた。世界では高麗では約半世紀の休戦が終わり、正式に終戦。
また三月三◯日に香港では「一国二制度」が事実上崩壊し、当地を完全に支配下に置いた漢人世候の強欲さは、世界の批判の的となった。
地方自治権のみを有する「漢人世候」のこのような越権行為に対し、もはやテムルにはなにもできなかった。既に権威が失墜していたため、政権は風前の灯火であり、大陸では「漢人世候」たちが協力して独自の支配を強行していた。
いわゆる軍閥の「群雄割拠」だ。「中華」ではこうして国が滅亡しては生まれ変わるサイクルがある。中華の南側である「華南」を中心に、「宗教組織」はもはや一国家と大きく強大な勢力となっていた。約一ヶ月前にその勢力はルーシを攻撃し、今や世界的な「驚異」として存在していた。
ルーシはただでさえ疫病により、まともに戦える兵士やズヴェーリが徐々に減少していたが、華南勢力はなぜか兵員の減少が見られず、常に万全の戦いを繰り広げていた。
華南では「経済」や「技術」も進歩しており、人類の叡知が生み出したズヴェーリを越える兵器、核兵器さえも配備されるに至っていた。核保有や戦争によって、過度の緊張状態となっていた。
――三ヶ月前(三◯二◯年四月後半)。
しばらくのあいだ一家揃ってカイ市を離れた「江賀家」は、「安之助」の招きでナチナ町へ訪れていた。
寅三は「個人的」に安之助に招かれて、「山辺家」で酒を呑んだ。秀二のことを気にかける寅三に感謝を述べながらも、安之助はあることを伝えた。
「俺が離職している間、この研究所ではカムイ研究が盛んになった。それは“獣王”として秀二が活躍し、俺たち先住民とカムイの繋がりを、科学的に理解しようという試みが理由だ。誇らしいなぁ……最高の親孝行だ……」
「私も君も、親バカのようだな! はっはっはっ!」
「そうだなぁ、ハハ。一つ聞いて欲しい話があるんだが……。ユーリ君を覚えてるかい?」
「あぁ覚えている。眼鏡をかけた北方系の若者だ。それがなんだ?」
「実は……蜂起に失敗して俺は離職し先住民との接触を禁じられたんだが、そのあいだもユーリ君と会ってたんだ。彼は少年院に収監されたんだが、生真面目な子でね、模範囚としてたびたび仮出所してたんだ」
ここ最近よく会ってお酒を飲む彼らは、この日は少し実のある話をした。安之助は話の本腰に入る前に、焼酎の水割りを呑んだ。
彼は日本的な物が好きなのだ。塩の味が効く枝豆をつまみにしていたたのだが、テーブルの上には漆が塗られたまっ黒なお盆の上に、赤漆が塗られた器が二つあり、その中にはまだ中身がある枝豆やその皮が山盛りになっていた。
「ちょっと呑みすぎたかなぁ」
「まだまだ呑むぞヤヨマネクフ。それで、ユーリくんがどうしたんだ?」
「あぁそう、俺はその度にカイ市に赴いて、彼から長老が纏めた神話のテキストを譲り受けて、そのお陰で俺は離職中もカムイについて研究ができたんだ」
「そんなことがあったのか……わざわざその話をしたということは、なにか成果があったんだな」
「その通りだ! 聞いてくれ……凄い方とお話をした」
――数ヶ月前。
安之助が復職できるより前、とある人物と連絡をとった。それは、ルーシ国内で著名な生物学者だった。彼の名前は、イリヤ イワノフ。「異種交配」の博士だ。それは電話でのやり取りだった。
「はじめまして山辺さん」
イリヤ イワノフ(Илия Иванов)
六八歳
異種交配の権威
白髪に眼鏡が特徴的
円形脱毛症
身長一八〇センチメートル
体重六七キログラム
彼と連絡をしたのは、安之助の中でカムイと先住民の繋がりについての仮説を証明するためだった。
「イワノフさん、あなたは異種交配の権威で、色々な新種生物を産み出してきました」
「あぁ、産み出した生物の数は数えきれないな」
「あなたの実験の中で、有名なものがひとつありますね。『都市伝説』だとも実際に行われているともいわれている実験……」
「神の領域に手をだした、禁忌とされるあの実験か……。人とズヴェーリを交配させズヴェーリの身体能力を持ち、人間の知能を持つ生物の合成実験……」
イワノフはズヴェーリと人間を「合成」させ、「最強の兵士」を産み出し、祖国に貢献しようとした。しかしそれが誕生すれば、世界中に生息する狂暴でおぞましいズヴェーリたちを人間と合成して「生物兵器」とするのが普遍的になってしまう。
それは人権が蔑ろにされ、世界中を破滅させる絶滅戦争へと導くことは誰の目からも明らかだった。正教であるルーシでは「生命の誕生を操る、神への冒涜」として批判された。
「あなたは、実際にその実験をおこないましたか?」
「あぁおこなった。そして失敗した。生物学者の君なら分かるだろが、ズヴェーリと我々人類では、『染色体』の数が異なり交配は不可能だ」
「えぇ勿論、それは周知の事実です。しかし、イワノフさんあなたに一つお尋ねしたい。生きた化石と呼ばれる一部のズヴェーリ、『古代』から姿を変えずに生息するズヴェーリは交配可能ではありませんか。そしてあなたは実際にそれをおこない、交配に成功していませんか?」
彼のこの言葉はイワノフの意表を突いた。電話口から聞こえてくる呼吸の荒らさや、妙に長い間。どこかバツの悪そうな表情をするイワノフが目に見えるようだった。
「あぁそうだ山辺さん。『古代種』は野生で発見できる一般の種と異なり、もはや別の生物と言える。一般に見られる種は他の生物と同様に何万年の時間の中で、染色体が『変異』している。だが古代種は変異しておらず、ヒト科生物と同じ染色体であり『交配可能』だ」
彼は溜め息にも近い深呼吸をしてこう言った。
「そして俺は、交配に成功した。まぁすぐに死んだがな。そこまで突き詰めた学者は君が初めてだろう、山辺安之助君」
カザフスタンの彼と連絡を取ることができたのには、安之助の並々ならぬ熱意が届いたからだった。何故安之助がこの理論にたどり着いたのか。それは「ユーリ」と「神話」を読み解いたことで、「教科書には載らないズヴェーリの歴史」に気づいたからだった。




