第九話 オタスの杜
夕刻、アイノネの屋敷へお邪魔させてもらえることになった三人は、アイノネの迎えの車に同乗することになった。アイノネの家はお金持ちだ。父親は三大トゥリーニルだから、大会の賞金で裕福になるのは必然だ。
ナターシャと知り合った経緯も、華やかしいものだ。三大トゥリーニルはその知名度からCMなどにに起用されることもある。そのスポンサーの繋がりで、お金持ちの令嬢であるナターシャとも知りあったのだとか。
やがて車が現れ、乗り込んだ。そこには璃來と見知らぬ男が居た。
「璃來兄とアナトリーさんも来てたんだね。なに用?」
「野暮用だよ。アイノネの迎えの車の行きさきがたまたま同じ方向だったのさ。それで今は家に向かう前に最寄りの駅まで運んでもらってるんだよ」
「ふ~んそういうことなんだね。でも、二人して遠出なんて珍しいね。どこに行くの?」
「知りたいかアイノネ。俺たちはな〝オタスの杜〟へ行くのさ」
そういうアナトリーは、頭の悪そうな見た目をしていていた。ワインレッド色のジャケットに、チェーンが着いたジーパン、そして蛇柄ベルトという、ダサいオシャレをしていたのだ。
璃來は父親譲りの真面目さと、親しみやすさを兼ねそなえていた。だからこそ、アナトリーのような不釣りあいな友達がいた。彼は見るからに教養が足りず、身の丈にあわない格好をする。アイノネは顔には出さないが、見るからにDQNと言えるアナトリーがあまり好きではなかった。
二人が向かうというオタスの杜。それがどんなところなのか、このときの秀二にはわからなかった。オタスの杜がどういうところなのか、アナトリーはユーリに尋ねた。アイノネからユーリが博識だと聞いていた。つまり彼を試したのだ。
ユーリは答えた。ユーリ曰く、オタスの杜とは先の大戦で南北の両立国が、北緯50℃に沿って島を北カラハットと南カラハットと分割し、統治した時代にできた地域らしい。
南方の帝国に吸収された先住民たちが、あらゆる文化を禁止されて強制的に定住させられた土地なのだ。
カラハット南部の先住民であったアイヌ民族。中部と北部の広範囲に勢力を広げていたウィルタや、ニヴフなどが強制的に居住させられた過去をもつ。
そして現在はアイヌ民族の儀式の一つ、イオマンテという熊送り祭を元にした祭りがおこなわれている地域として、有名とのことだった。
秀二は、アイノネは知っていたのだろうかと思って彼のほうを見た。するとアイノネは窓の外を見ていて、手を振っていた。
「どうかしたのか、アイノネ?」
「あ、うん。あそこにヴァシリがいたからさ」
「ヴァシリョークも少しは大きくなったわね」
「そうだね! おぉーい、ヴァシリィィ! !」
秀二は、ナターシャの言ったヴァシリョークというのがどういう意味なのかわからなかった。
だがそれがルーシ人の愛称系なのだと思った。友人同士ならば基本的にそう呼び合うという話を、ユーリから湖で聞いたことを思いだしたのだ。秀二は、ユーリとアイナが愛称系を用いていないことに気づいたが、ケースバイケースなのだろうと納得した。
和やかさが続くこの日に、秀二は酔ってしまっていた。談笑する中でいつもより自然と笑顔が増えて、何をしてもワクワクしていた。
そんなときだった。街は再び揺れに襲われた。それは次第に大きくなり、今朝とは比べものにならない大きさとなった。アイノネは恐怖に震えていた。やがて、車内という密閉空間でそれが伝染し、集団ヒストリーを起こし掛かかけた。
次の瞬間、道路が割けて車は振動で大きく揺れた。ナターシャが頭部をぶつけ、血を流しながら気絶しており、車内は静まり返った。
辺りにいた警察官を呼び、病院までつれて行くことにした。警察官がバイクで補導してくれたおかげで、なんとかすぐに病院にたどり着いた。
ナターシャは幸い骨折などなく、脳震盪により気絶しただけだった。念のためそのまま入院となった。
病院の待合室でナターシャが入院することを聞いた直後、彼らは壁に取りつかれていたTVで、地震のニュースを観た。今回の地震は過去最大のものだったらしく、これが今回の本震であると考えられた。そうして不安や恐怖を感じていると、さっきまで側に居たはずのアナトリーと璃來がいなかった。
そのとき、二人は離れたところで話していた。
「璃來……。俺がどうしてオタスの杜に行こうとして、お前を誘ったのか言ってなかったよな……。実は長老に呼ばれたからだ」
「いきなり何を言いだすんだ?」
「長老に呼ばれたんだ。地震のことで、知っていることがあるって!」
「一体どういうことなんだ。オタスの杜の長老が、地震について知っていることがあるってことになるぞ。それだけでも意味不明なのに、それを君に教えるなんて、君はいったい何者なんだ?」
「なんで長老が俺にそんな話をしてきたのか、俺だってわかんねぇよ!」
そもそもアナトリーは数日前、祭りの出店でアルバイトをするために、面接を受けにオタスの杜近くの繁華街にある事務所へ行った。ただそれだけであったにも関わらず、帰り道に長老に声をかけられたのだ。
混乱する二人は、アナトリーが長老に話しかけられたというオタスの杜へ直接行ってみる事にした。それが最も手っとり早いという判断だ。
二人がオタスの杜へ行くことを秀二らに告げると、ユーリも同道したがり駄々をこねた。並々ならないその意思に押され、つれて行く運びとなった。
「どうして行きたいんだ?」
「そ、それは……。そうだ、長老に会える機会なんて、そうそうありませんからね!」
アナトリーの質問に、ユーリは答えた。ユーリらしい物好きな理由だった。だが彼のそんな性格を知らなかったからか、アナトリーは気味の悪そうな目でユーリを凝視した。それが普通の反応だろうと、秀二は思った。
ユーリを止めようと秀二は考えたが、颯爽と去り行く三人を追うことはできなかった。地震に怯えるアイノネとアイナの側を離れることができなかったのだ。やがて、事態を把握してから改めて迎えに来たアイノネの父の寅三とともに、秀二らはアイノネ宅へ向かった。
オタスの杜ではユーリが二人から、そもそもなぜオタスの杜へ行くのかを尋ねていた。それについて答えた後、アナトリーはこうつぶやいた。
「ヤベェよな……。カイ市中の人が、長老を魔術師と呼んでる。知らないはずのことを知っているとか、ズヴェーリを意のままに操れるのだとか言われてる」
「魔術師なんて異名を付けられている方なんですか。ズヴェーリを意のままに操れる……憧れますね」
「憧れる……?」
「え、なにか変なことを言いましたか?」
「いや、なにも……」
オタスの杜に着いた三人は、その荒廃した雰囲気に驚いた。オタスの杜は田舎なので建物の耐震性が低く、地震の影響で多くの建物が崩壊していた。
街頭も折れ、暗闇の中でえぐれた大地の上を歩いた。近くの森からは、狼や猪、そしてズヴェーリが立てる音が響いていた。それらは音は、徐々に彼らの不安を煽っていった。
アナトリーは、ビビって少し漏らした。それをユーリは無神経に声高に笑ったので、アナトリーはユーリの事が嫌いになった。
一方アイノネ宅では、三人で固まって過ごしていた。不安が抜けきらない三人は恐怖を共有していた。アイノネの寝室のキングサイズのベッドの上で、寄りかかり、不安ばかりが増していった。
薄暗い無音の空間は、彼らの心を蝕んだ。それを見た寅三は、三人をリビングに呼びだした。普段は大人に反発するワガママな秀二も素直に従う気持ちになっていた。そして子供たちをつれた寅三は、そっとTVをつけた。
「ずっと無音の中で過ごしてどんよりとしてたんじゃ、怖さも増すだけさ。とは言ったものの、どこもニュースしかやっていないね。はぁ……まったく、容赦がないのだな」
未曾有の大地震は、それが終わったもこうして人々を恐怖で縛りあげるのだ。そして秀二は、珍しく従順になった自分に気づき驚いていた。相手が寅三だったからだろうか、それとも地震で心が憔悴し、誰かにすがりたかったからだろうか。
そんなことを考えながら眺めるTVには、カイ市の下町が壊滅しているようすが、惨たらしく写しだされていた。そこには、アイノネ宅のある開発されたての都市部にほど近い地域も写しだされており、秀二は自分が九死に一生を得たことを実感した。
震源地は南区にある石油基地の近くであった。ここに地震が直撃していれば、石油が爆発し、カイ市は地獄と化すところだった。
そのとき、追い討ちをかけるようにまたしても余震が訪れた。TVキャスターは揺れる局内で白い安全帽を被り、机にしがみつきながら揺れを伝えていた。一日に三度も地震が起きたことで、さすがにカイ市市民の寅三も堪えているように見えた。
慌てて彼は、璃來に電話をかけた。しかし繋がることはなかった。
同時刻、一方のオタスの杜では三度目の地震の揺れにより、レンガ造りの建物が倒壊していた。そして最悪なことに、アナトリーが下敷きになった。
「大丈夫かアナトリー! ユーリ君も瓦礫を退かすのを手伝ってくれ! 一人じゃ大きすぎて無理だ!」
「手伝ってくれ……頼む……ユーリ……!」
本気で助けを求める二人をまえにして、ユーリはトラウマとなっていた湖を思いだしていた。
「瓦礫が倒れて……下敷きに……。もしあのとき、伊さんも少し来る時間が早ければ、雷に撃たれて。小屋の一部の下敷きになって……」
ユーリは珍しく冷静さを欠き、震えながら叫んだ。
「あああああ、こんなときばっかり頼らないでくださいよ! さっきは漏らしたった声に出したら、凄い形相で怒ってきたくせに!」
ユーリはトラウマによって半狂乱になっていた。
「ユーリ君、落ち着いてくれ。取り乱しちゃダメだ! 賢い君なら、今はどうするべきかがわかるだろう! ?」
「わかんないですよ! 強いて言えば、冷静になるためにここではないどこかへ……」
博識のユーリは、頭が固かった。冷静にはなったが、他人を省みる余裕を取り戻すまでにはいたらなかった。あらゆる思考、選択肢が思い浮かび、混乱してしまっていた。そんなときだった。
「こっちだよ……。貴方をずーっと待ってたんだよ……」
「今のは一体……。幻……聴?」
急に立ち止まり、ユーリは声がした森の奥を覗いた。
「おい、博識眼鏡のバカ野郎! 森の奥なんて見てないで助けろよ! 痛ぇんだよ! !」
「聞いてくれユーリ君。君がしなかったことで、後悔はしたくないだろう……? 早く瓦礫をどかすのを手伝ってくれ!」
ふと二人を見ると、真剣な眼差しで自分に訴えかけてくる二人の姿があった。ユーリは冷静さを取り戻し、非力ながら協力してアナトリーを助けることができた。それから、不在着信に気がついた三人は、寅三に折り返した。
璃來は安心する寅三に、オタスの杜の被害を見るかぎり、助けは来ないだろうと伝えた。寅三は安心から一転して絶望に喫していたが、どうすることもできなかった。
そんなときだった。一両のジープが三人を照らした。そのジープが何者なのか、璃來はすぐに気がついた。
「あれは街中で使う軍用ジープだ。でも一両だけって、いったいどうして……?」
アナトリー アレクサンドロヴィチ ヴォルコフ(Анатοлий Александорович Волков)
一七歳
目付きの悪い男
黒髪ベースで青い目をしている
身長一七四センチメートル
体重六三キログラム




