あの日
ズヴェーリ(Зверы)。
それはこの世界に住む“獣”全般を指す一般名称のことだ。ズヴェーリとは熊や虎、狼のことなどではなく、この世界に住むおぞましい生き物のことである。彼らは牙や羽、鉤爪をもっていて火を吹くのだ。
その強力な戦闘能力と、他の動物よりも比較的高い知能による調教のしやすさから、人間は戦争にて兵器として利用してきた。野生にも人に害をなすズヴェーリが多く存在しているため、ときとしておぞましい生物や現象はすべて、ズヴェーリの名が冠されることがある。
つまり彼らは「おぞましい」を具現化した存在なのだ。しかし、一見害しかない存在に思えるが決してそうではない。人々は古来よりズヴェーリたちと協力し、お互いに支えあいながらともに暮らしてきた。
そのうちの一つがこれだ。世界にはズヴェーリ同士を闘わせる“闘獣”という格闘技がある。それは人間の言葉や表情をある程度は理解できるズヴェーリが、人間の指示で闘うものだ。それはズヴェーリの知能の高さがあって初めて成立するものであった。
そしてその文化は通称北方の大国こと、ルーシ連邦国カラハット州カラハット島でも例外ではない。特にこのカラハット州は世界大会でも常に好成績をおさめる、言わば“闘獣”の強豪であった。
三◯一三年
「ねぇお父さん、はやく行かないと遅れちゃうよ!」
カラハット島に住む秀二はこの日、友人たちと会う予定だった。
“闘獣”を家で観ようと誘われていた秀二は、父親に友人宅へと車で運んでもらった。彼は日夜雪が降りつづける雪国であるカラハット州に住む、八歳の少年だ。黒髪が綺麗な、彫りの深い美形の少年である。
一年に一度の“闘獣”州王者決定戦が放送されるのは、午後九時というゴールデンタイム。既に日が落ちた凍りついた道路は、田舎であるためアスファルトで舗装なんてされておらず、非常に危険だった。
安全運転の末、到着したころは放送開始直前だった。車外は防寒具を着用していても肌寒い-20℃の世界。凍えそうになりながら玄関まで走り、そうして友人宅へ入っていった。
「アイナ、来たよ!」
「やっと来た! ココアでも飲んで暖まってね~」
そう言って迎え入れてくれたのは、友人のアイナだった。六つ上で眉目秀麗の金髪美少女である。
秀二はリビングに通してもらった。そこには先に到着していたユーリの姿があった。
アイナは笑顔で迎えてくれたが、ユーリはそうではなかった。この頃のユーリはかなり口が悪かった。なので、ギリギリに到着した秀二に悪態をついてきた。
「やっと来ましたか秀二。あんまり遅いんでもともとから少なかった観戦意欲がさらに減ってしまいましたよ。本当に、萎なえました」
ユーリは眼鏡のフレームを中指でくいっとあげて、辛辣な物言いをした。眼鏡の奥に潜む黒目は、人を軽蔑する様な目をしていた。アイナはユーリのこの態度に激しく怒り「まだ始まってないのに、冷たく言わないで」と叫んだ。ユーリはそんなアイナを嘲笑う様な笑みを浮かべ、無視をした。傍から見れば殺伐とした景色だが、この光景はここ最近では、いつものことだった。
ユーリが秀二に悪態をついたりすると、アイナがユーリに怒る。秀二は、わざわざ喧嘩をするなら呼ばなければいいのにと思った。
アイナの母が一言、そろそろ始まることを告げた。する、アイナは秀二を席に座らせ、自分も隣に座った。
「ご、ごめんユーリ。俺が、もっとはやく来てればよかったんだ……」
「ほら秀も謝ってるんだから、ユーリも悪態ついたこと謝んなさいよ!」
叫ぶアイナに、ユーリは飄々(ひょうひょう)とした態度で応えた。
「悪態もなにも、最初から少なかったものがさらに少なくなったと感想を述べたに過ぎませんからね」
「それだったら、述べる必要なんかないでしょ! いつもわけわかんない屁理屈言うの、ホントやめなさいよね!」
秀二は、アイナを宥める為に二人の間に入った。そして「中継始まったよ。観よう?」と告げた。
「うん。ユーリも、いいから隣に来なさいよ……」
「もちろん。そこはTV画面がよく観られる特等席ですから」
秀二は、良く喧嘩をする二人をうるさいと思っていた。そして、どうしてもっと早くに家を出なかったのだろうと後悔した。
そしてアイナは内心ユーリに対し「やっぱり観たいんじゃん」と呟いた。
突然TV画面のリポーターは、意気揚々と“闘獣”州王者決定戦の開幕を知らせた。
しかし全く空気の読めないその高揚した声は、普通なら画面の向こうの視聴者をも高揚させるものだろうが、今のアイナ宅では、どこ吹く風だった。全く木々のないところで吹く風のように、誰の心をも揺さぶることなく、吹きぬけていった。
TVの中では現王者のシャクシャインが登場し、次いで挑戦者のチェリミンスカヤが登場した。両者は舞台の上手と下手から手を振りながら現れ、観客席からの盛大な歓声を浴びながら中央の舞台へ歩みを進めていく。そのあいだも歓声は止むことはなく、この世界における“闘獣”の人気を物語っていた。
そんな、画面の中の観客達に、ユーリは冷めた目をして小馬鹿にした。
「ただの物理的な殴りあいに、わざわざ観戦するほどの魅力があるとは思えませんがね」
彼のそんな言葉を無視するかのように観客たちは盛り上がりつづけ、そのまま王者と挑戦者は舞台に上がり対峙した。
二人は小声で会話しているようだが、内容までは聞こえず、会場中が二人の言葉を聞きとろうと、急に静かになった。するとどうだろう。画面の前もいつの間にか静かになっていて、緊張感が漂いだしていた。
秀二は画面に惹きつけられ、いつしか舞台上の二人は一体何を話しているのだろうかと、そういう疑問が頭の中で膨らみだした。どうしても答えが知りたかったが、それはこの二人にしか知りえないものなのである。
人々の注目を浴びながら、外には伝わらない会話をする。これは、“闘獣”をしてこの舞台に登った者同士にしか分かちあえない体験なのかと思うと、胸を打たれた。
アナウンサーは緊張感を漂わせながら、チェリミンスカヤとシャクシャインが舞台上から離れたことを実況する。そして二人は、ズヴェーリを戦わせる調教師(Тренер)の所定の位置に着いた。それはまもなく闘いが始まることを意味していた。
秀二は、画面に映る観客席の映像が目に写った。するとそこには、自分と同じように身を引きしめて息を飲む観客達が映っていた。そうしてようやく、画面の前も会場と同じ場所なのだと実感した。
普段はトゥリーニルを支援する出資者が、二人のズヴェーリの首に、鎖を繋いでそれを引っ張ってきた。すると勝負は突然、シャクシャインの叫び声で始まった。
「トミカムイ、相手のズヴェーリを斬り刻め! 小娘に引導を渡してやれい! !」
シャクシャインは、巨漢の老人である。トゥリーニルとして圧倒的な技量を持ち、数十年間この王者の座を防衛してきた。そのため人は彼のことを、絶対王者と呼ぶ。
「レタル、トミカムイと正面衝突しなさい。何としてでも勝つわよ!」
彼女はシャクシャインと唯一肩を並べられる女性トゥリーニルであり、次期王者との呼び声も高い。また彼女はトゥリーニルとしてだけではなく、一〇~二〇代向け雑誌のモデルという二足の草鞋を履いており、該当年代の女子からの支持が厚かった。
アイナもまた画面の前で「マジ美人! マジヤバい!」と叫んでいた。
両者のズヴェーリが勢い良く衝突し、煙が立ち込める。煙で画面の中が灰色の一色になり、ユーリが激怒していた。
「これじゃあ中継を視てる意味がありませんよ! まるで皆無!」
激しい煙の中に響く二人の怒号のような声は、それだけで視聴者が萎縮してしまうほどに激しかった。煙が消えさる頃には、舞台上は血祭りになっていた。
「どうしたトミカムイ。息が上がっておるぞ……? 儂は貴様をもっと我慢強いズヴェーリだと思っていたがな。儂を老獪と呼ぶ者は多い。儂に歯向かうものを蹴散らすまで、貴様も戦いつづけなくてはならんぞ!」
シャクシャインの言葉を聞いたトミカムイは雄叫びをあげた。そして傷だらけの四本足を動かし、角の様に尖った頭部でレタルを突き、両手で覆い被さるように反撃をしかけてきたレタルの中に入りこんだ。
そしてそのまま、無防備なレタルの腹部を突きあげた。レタルは血を吹き出し、強烈な苦痛の叫びをあげた。
「うぎゃぁぁぁぁ! レダルン"ン"ン"ン"! 急いで体勢を整えるんですよぉ!」
「うるさいユーリ! 盛り上がってるのは分かるけど、少しくらはしずかにしなさいよバカ!」
「バ、バカですとぉ!」
「あぁもう、バカうっさい!」
やはり、ここは会場とは違う世界なのだと秀二は思った。画面に引きつけられる感覚が徐々になくなっていき、全身に血が巡り体がプルプルと震えていくのを感じた。これが怒りかと悟った。そしてそれと同時に、自分が怒りを感じる程に、この闘いに熱中しているのだということを悟った。
画面の中のチェリミンスカヤは、冷静に指示を出していた。
「レタル、守りに入っていてはダメだわ! 上からまとわりついて、場外に押しだしなさい!」
まとわりつかれて上から一方的に噛み付かれたトミカムイは、背中から血が滴り落ちながら、またしても激しく叫び声をあげた。
近寄ったカメラは、無様にも口を開け血の混じったヨダレを垂らし、白目を向いて今にもくたばってしまいそうなトミカムイを映しだした。
「レタル……あなたにトミカムイを倒すだけの技量はないわ……。トミカムイは全長一八九センチメートル程度で、体重は三〇〇キログラムはある体格の大きいズヴェーリ。しかし、あなたは全長一四〇センチメートル程度に、体重八〇キログラムと、圧倒的に小柄だわ」
危機的状況ながらも彼女は冷静に考えていた。
「だから……戦闘不能に追い込まなくてもいいの……ただ、あなたの得意技である敵の行動の乗っとりをおこなって、場外に追いだしてしまえばいいのよ!」
“闘獣”の基本ルールは、二つと至極単純である。相手を戦闘不能にするか、場外に追い出すかだ。
「やりなさいレタル、暴れさせて理性を奪うのよ! その内に狭い舞台上から出てしまうはずだわ!」
「トミカムイ、儂との訓練の日々を忘れたのか目を覚ますのじゃ!」
目を覚ましたトミカムイは体を勢いに任せて仰向けにした。押し潰される寸前に背中から離れたレタルを、シャクシャインは見逃さなかった。
「トミカムイ、体を掴んで地面に叩きつけろ!」
シャクシャインの指示通りに動いたトミカムイによって地面に叩き付けられそうになったレタルは、とっさにトミカムイの右腕に巻きついた。
最後の気力を絞ったトミカムイは、自分の右腕ごとレタルに噛みついた。自分の約1/3の体重を持ち上げるその怪力は、見るものを圧倒する鬼気迫るものがあった。
そのままトミカムイはレタルを戦闘不能に追いこもうと、痛みに耐えながらレタルごと自分の腕に牙を押しこんでいく。
しかし、ここでチェリミンスカヤは奇策に打ってでた。
「痛みに耐えなさいレタル! 苦しいのは敵も同じよ! だから……貴方も右腕に爪を立て、牙で噛みつくのよ!」
舞台の上は、血を吹き出しながら敵の肉片を噛みちぎらんとする、地獄絵図となっていた。
「フッハッハッハッハ! もっとだ、もっと血を流せぇ! !」
シャクシャインは顔が変わり高笑いをしていた。この残忍な闘いを楽しみ、さらに激しくなるのを望んでいるようだった。
画面の前でユーリは、まるで自分のことの様に痛がり、絶叫していた。
「これは痛いぃぃぃぃぃぃぃぃ! や、やめれぇ! !」
この時、奇声を上げるユーリを見つめた秀二とアイナのに目は、ユーリが覚醒しているように写った。
画面の中では二匹のズヴェーリは互いに血の混じったヨダレを足らしながら、体に食い込む牙からは血が溢れだしていた。数十秒間その様相から画面は変わらず、やがて根比べに敗れたトミカムイは倒れた。
トミカムイは戦闘不能となり、会場のチェリミンスカヤのファンは、喜び上がった。
しかし、アイナは違った。初めて観る“闘獣”の惨たらしさに絶句していた。そしてそれは秀二も同じで、生まれて初めて観るズヴェーリの勇姿に恐れ戦いてしまっていた。幼い体には刺激的すぎたのである。秀二はいつの間にか疲労から、ウトウトしだしていた。
「疲れてお腹すいちゃった。ママァ、なんか食べたい」
「アイナ、夜食は避けたほうがいいですよ」
「何でよユーリ、太るから?」
「バカになるからですよ」
「いい加減にしなさいユーリ!」
眠りに落ちる前には、こんな二人の不毛な喧嘩が聞こえていた。目が覚めると、そこは布団が敷かれたアイナ宅の子供部屋であった。
「ごめんね秀、起こしちゃった?」
アイナの心配そうな表情とは異なり、ユーリは嬉しそうであった。状況が飲み込めないでいると、ユーリが口を開いた。
「秀二、僕の夢の話を聞いて頂きたいですな!」
「んん、まぁ良いけど?」
「よくぞそう言ってくれました秀二君……。良いですか、僕の夢は……」
「トゥリーニルに成りたいんでしょ?」
一度眠って休んだことで頭が冴えていた秀二は、これで間違いないと思った。少しの気まづい間が空いた。
ユーリは表情を変えずに居たが、明らかに目が泳いでいた。言おうとした事を先に言われて調子が狂い、気持ちが悪いのだろうか。それとも、これから告げようとした夢という大それた表現をしたものを、すぐに察せられてしまって恥ずかしいということなのだろうか。後者であれば、きっと屈辱的であろう。
秀二は、普段からグチグチと悪態をついてくるユーリにやり返した気持ちで、達成感と背徳感を覚えた。妙に冴えた頭で、ここまで考え抜いた自分を褒めたかった。暫くするとユーリは一言「違う」といった。
「じゃあ何?」
すかさず問っちめる秀二に、ユーリは答えた。
「僕の夢は、トゥリーニルを支える人間になることなのです! なので具体的には、出資者として情報提供も兼ねた支持者になりたいのです!」
「はえ……?」
秀二はまさかの言葉に、ポカーンとした。なぜトゥリーニルではなく、そんな裏方なのだろうと思った。だがそれも、変わり者のユーリのことだからと、納得した。そうしていると、冴え渡っていた頭は働かなくなっていって、再び秀二は睡魔に襲われてしまった。
「ユーリって変なやつだな……。ホワァ」
「良いですか秀二。トゥリーニルは誰でもはじめられるものです。もちろん、州予選のような権威ある大会などに出場できるのは、氷山の一角ですがね。でも僕の目指す立ち位置には、誰でもなれるわけではないのですよ」
ユーリは長々と説明し出した。彼の性格的にこういうことはよくあるのだ、無神経すぎて秀二はため息をつきそうになった。
「“闘獣”の出資者になるには“獣王”にならなくてはなりません。僕には……激しい闘いの中で臨機応変に指示するなんて自信がありませんから……。だから、僕は側で“獣王”を育てる人間になりたいんです!」
「へえそうなんだ。“獣王”にならなくちゃなんだね」
ユーリに対して彼の言った言葉を繰り返し相槌を打つことで、聞いているよとアピールしつつ、めんどくささから話を終わらせて眠りにつこうとした。
眠ろうとする体に対して秀二の頭の中では、反芻する自分の言葉に意識が向かっていった。すると突然、彼は目を開けて布団から飛びあがった。“獣王”という、幼い少年にはカッコ良すぎるその言葉の響きに興奮して、目を覚ましたのである。
そして彼はユーリに、“獣王”とは何なのかを質問攻めにした。ユーリによれば“獣王”とは、ズヴェーリに関係する大会や研究などで、人類に多大なる感動を与えたり貢献をした者にのみ与えられる、名誉ある特別な称号とのことだった。
アイナによれば、チェリミンスカヤはモデルとしての人気がありながら、“闘獣”で活躍したことにより、その人気を高めた功績で“獣王”の称号を得たのだそうだ。
秀二の中に、中継で観たズヴェーリの勇姿が甦がえってきた。確かに覚えた感動や恐怖といった衝撃が、彼の中で憧れと化していった、そしてこの日以来“獣王”という存在が、彼の心を支配していったのだった。
秀二はその日以来、いつか必ず獣王になるのだと、固く心に誓った。その夢は彼の人生の目的となっていた。
アイナ オレゲーヴィチ マミヤ(Аина Олегеевич Мамия)
一四歳
天然でバレエが得意
身長一六○センチメートル
四五キログラム
ユーリ スタローナエヴィチ スクリーチン(Юрий Сторонаевич Склычин)
一二歳
黒目に金髪、眼鏡が特徴的な博学な少年
常に敬語を用いる不思議ちゃん
身長一五七センチメートル
四〇キログラム
シャクシャイン
“闘獣”カラハット州現王者の老人
白髪が特徴的な巨漢
身長一八九センチメートル
体重七四キログラム
ナタリヤ エフゲーニエヴナ チェリミンスカヤ(Наталья Евгниевна Челимьнская)
三〇代
大きく開いた眼力の強い瞳が特徴的
身長一七七センチメートル
体重五二キログラム
Dカップ




