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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

彷徨い続けたよろい

作者: 宇佐見レー

 死人の肉体を糧に幾度も草花を咲かせた戦場を、俺は何をするでもなく、彷徨い続けていた。

 錆び付いた黒い防具、左腰に佩いた剣の鞘が、かつかつと足に当たる。

……何か大切な事を忘れている気がする。

 かつて鼻を刺激する死の臭いと、人が焼ける臭い、味方か敵か、死の間際の絶叫に包まれていたこの平原を思い出しながら、想う。

――――しかし、その記憶も曖昧だ。時間によるものか、最初からだったか、それすら思い出せない。

 太陽を頭上に、全てが曖昧になりつつある苦しさを和らげようと、私はいつもの木陰へ向かう。

 何故だか、安心するのだ。

ここが朧げな記憶の中で確かに戦場の中心であった事を覚えているのに、この巨木の、この木陰で少しの休息を堪能すると、思い出せない苦痛が、苦しさが和らぐ。

 いつの日か、あの人間の親子も来なくなった。私にとって好都合だが。

「ふぅ」

 鞘に収まった剣を片手に、巨木へもたれかかる。

 既視感の中、蝶の羽ばたきすらゆっくりと感じながら、穏やかな気分へ身を任せ……気付くのに遅れる。

 昨日のように思い出せる戦場での死の感覚、だがあまりにも離れ過ぎたのか、それともこの『少女』が恐ろしいのか。

――――瞬きすら許さない刹那、俺は剣の間合いギリギリに近づいた少女へ、警告の意味を含め剣の切っ先を向けた。

「誰だ」

 同時に俺の低い声が少女を突き刺す。

 果物ナイフ程度でも、化物を、人を殺すには十分だ。

 少女の全身へ目をやる。元はそれなりに大きな家の娘なのだろう、少女の服装は町民とは違い、少し華やかなドレスに身を包んでいたが、それも無惨な姿になっていた。

 ドレスの所々は破れ、血が滲み、何日も水浴びも出来ていないようで、透き通る柔肌は血か土か汚れ、足を保護する靴も見えない。

 誰かに襲われ、そのまま逃げてきたのが見てわかった。

 そして色素の薄い茶色がかった髪が微かに揺れているのが見え……視線を改めて下げると、まだ幼くか弱い肩が震えていた。

「……」

 少女は私の言葉に反応を示さない。

 ただ、黒色の瞳は俺が持つ剣を見つめ、死に怯えている。

 両手に握られている物もなければ、それが演技のようにも見えず――――だが同時に激しい既視感に襲われた。

「……いや、答える必要はない」

 俺は動揺を見せないように鞘へ剣を収めた。

 敵ではない、そんな気がして。

 少女は少しの間、視線を泳がせ、何か考えている様子だったが、不意に糸の切れた人形の様に力なく倒れた。

 きっと、碌に何日も安心して寝れなかったのだろう、呼吸を確かめている最中に……

「ぱぱ、まま……」

 小さな呟きが漏れていた。


 人間は不憫だ。

 暗闇も見えなければ食わなければ死ぬし、寒さにも弱い。

 俺はまるで人間のように焚き火を作り、渓流で捕まえた魚を串に見立てた小枝に突き刺し、焼いていた。

 自分の為ではない。

 打ち捨てられた荷馬車から拾い上げた毛布に包まる、人間の少女の為に、だ。

「目が覚めたな」

 焼き魚の匂いで起きたらしい、よだれを垂らした少女に言う。

「食え」

 俺が棒状の何かを差し出すと一瞬警戒したが、少女はすぐにそれが焼き魚だと認め、夢中になって食い始めた。

……焼いている最中のも含め、あっという間に少女は平らげる。

「どこから来たんだ?」

 少女に水を渡しながら、俺は尋ねた。昼間の事を。

 少女は小さな喉をこくん、と鳴らし、少しの間を置いて答える。

「……あそこに隠れてたら、あんたがいた」

「ほう」

「わたしを殺しにきたんじゃないの?」

「……俺はここにいるだけだ」

「そうなんだ……」

 沈黙が続く。

 燃える木が、焚き火の中で破裂した。

「魚の捕まえ方すら知らないみたいだな」

 少女は答えないが、俺は構わず続ける。

「今日はもう寝ろ。明日、色々教えてやる」

 この言葉は自分にとっても驚きだったが……何故だか、この既視感のある少女を助けてやると、心が満たされた。

 あの木陰で休んでいる時のような安らぎに、心が満たされるのだ。


 翌日、夜通し思考に思考を重ねたが、結局少女に感じた既視感の正体は思い出せなかった。

 考えたところで仕方がない。少女が目を覚ますと同時に、俺は考えるのを止め、少女を連れて魚の捕り方、獣の捕り方、食える野草、火の起こし方、身の守り方から何もかもを教えてやった。

 俺の予想が正しければ、少女の追手は数日中にここに来る――だから、早く一人でも生きていけるようにせねば。

 だが想定していたよりも、少女は物覚えがよく、器用で、俺の言う通り素直に従った。

……その日の夜、彼女自身が捕った魚を焼いている時、俺は問いかけた。

「なぜ、逃げないんだ」

 焚き火が、風に揺れる。

 黒色の瞳に映る炎の揺らめき、時折ぱち、と瞼を下ろす少女は緊張感なく、穏やかに答えた。

「ここで待ってろって言われたの」

 誰に、とは聞けない。

 少女は小さく小首をかしげて続ける。

「でもね。ここには行くなっていわれてたんだよ」

「……何かいるのか?」

「うん、ぱぱはそういってた」

 俺は焼けた魚を渡してやる。

 腹を空かせていたらしい彼女は、小さな手で受け取ると美味しそうに食べ始めた。

 すっかり気を許している様子で――――少女は何か思い出しように声を出す。

「あ、ここには魔物がいるって言われてたんだけどね。何かあったらここに行くように、とも言われてたの!」

 少しの静寂、どうしたのか少女へ目をやると、既視感のある満面の笑顔を浮かべたままで、どうやら俺の次の言葉に期待しているらしかった。

 大きな溜息交じりだが、俺は少女の期待通りに尋ねてやる。

「どうしてだ?」

「助けてくれる人がいるかもしれないって!」


 翌日も同じ事を繰り返し教えてやった。

 昨日よりも集中していたからか、時間はあっという間に過ぎていく。

――――時刻は夜の帳が落ちる直前、少女は夕餉の魚を捕りに行っている。

 予想よりも早かったが、タイミングとしては丁度良かった。

 奴らは、あれば鼻を塞ぎたくなる死の臭いを伴い、やってきた。

「少女は見なかったか?」

 人間の少女一人に大袈裟な人数。そのうちの一人が焚き火の近くに腰を下ろす俺を見て尋ねてくる。俺の正体には気づいていないようだ。

 この様子じゃ少女が戻らなければ、白を切れる。

「しらん」

「姿も見ていないか?」

「見ていない」

 そうあしらうがこの大人数を率いる指揮官らしき男は、訝しげに此方を見ている。俺の正体ならばそれで良いが、少女の存在までバレると、少し面倒だ。

「……へぇ」

 報告を受けた指揮官が、虫唾の走る嫌な笑顔を浮かべ、後方にいたというのに一定の距離を保ちながら近づいてくる。

 警戒と、明確な殺意を持って……

「嘘を吐くな。そこにある布切れはお前の体を包むには小さすぎるだろう」

――――俺は、男の瞬きとほぼ同時、鞘から剣を抜き、一歩前に進む。

 僅かに後方へ上がる土埃、焚き火の明かりを反射し、その軌跡を描いた。

 殺すつもりだったが……

「戦いは我々戦士にお任せを」

 大柄な体躯の男が、剣が届く前に指揮官を後ろに退かせていたのだ。俺の攻撃を察知して。

 怯える指揮官を尻目に、男が前に立つ。

 俺は静かに剣を構えた。

「冒険者か知らないが、子供一人の命で助かるというのに、その強さ、捨てるのか?」

 その言葉と同時に、大柄な体躯の戦士は右手を挙げた――彼の後方で、戦士たちが動くと杖を持つ魔術師たちの姿が現れ、赤く輝く杖を掲げる。

 要するに、あの少女を引き渡せば命は助けてくれるようだが、俺の中にある苦痛が、曖昧な記憶が、それだけは許してくれそうにない。

……今まで、こんな事はなかった。

 大柄な体躯の戦士は諦めたように怒鳴る。

「払うべき税を払わなかったアリシア家の者を突き出すだけで構わんのだぞッ!それが出来なければ待っているのは死のみ!」

 戦士は手を下げ合図を送る。十分な光を放つ魔術師たちの杖から、この平原一帯を照らす灼熱の玉が放たれた。

 それらは真っすぐ剣を構え、戦闘態勢を崩さない俺へ突進し――――轟音と熱、眩い光を放つ。

 死の間際だというのに、俺の無い頭の中は戦士の言葉を反芻している。

 アリシア家……? 

 同時に俺の心にあった深く、晴れる事がなかった霧が、急に晴れ渡っていくのがわかった。

 何年、何十年、いつからここにいたのかすら分からないが、曖昧だった生前の記憶が蘇り、なぜここにいるのか、化物として蘇ったのか……思い出せた。

 俺は……俺はただ、あの家を、我が息子を守りたかったのだ。

――――瞬間、俺は爆発の衝撃を和らげる為に後ろへ飛び退く。

 利き手である右手だけは背後へ下げ、爆発には巻き込まないようにする。代わりに左手は失ったが、時間稼ぎ程度ならできる。

「……ッ!逃げろ!ここは俺がどうにかする。ちっぽけなお前はできる限り遠くへ逃げろ!!」

 転がる私を止めたのは幼い息子とよく一緒に来ていたあの巨木だ。

 こいつも、俺に戦えと言ってるのかもしれない。

 兵士共は死んだ筈の俺の姿に一瞬たじろぐが、やっとその正体に気づく。左腕を失くし、鎧も兜も大きくひしゃげている俺の正体に。

「――鎧にとり憑く怨霊だ!!」

 誰かが叫んだが、俺はそれをかき消すように勝鬨を上げる。


 数十年前、息子を守る為に死んだ、その時以上に声を張り上げて。

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