妖狐との出会い
雨粒が紅葉を濡らす。夕立だ。竜馬は窓を閉めようと足を延ばし、ガラスに足裏をつけて引いた。
「洗濯物取り込んで」
母が下から声をかける。だが、竜馬は無視した。日が照っているのに土砂降りだ。まるで竜馬の心模様そのものである。天井を穿つほどに見つめて竜馬は身体を震わせた、
「何か始めよう」
と。
アスファルトを叩く雨音を聞いていると、どこか不思議な気持ちになる。秋の夕立をスマホで検索した。
「ちょっと!降りて来なさい」
母の我慢の限界だ。母音が強調されて、甲高い声に変わり始めた。女の心は秋の空という俚諺が脳裏をよぎる。言い訳を交えて竜馬は返事した。
「わりわり!勉強してたわ。今すぐ降りる」
スマホをベッドに投げ出して、部屋を後にした。スマホの画面には秋の夕立を検索した後があり、類義語の狐の嫁入りを最後にしている。階段を転がるように降りて、自己欺瞞の誠意を見せる。
「取り込んでちょうだい」
「畳んでおく」
ガラッと戸を開けて、物干し竿を落とさない様に布団を持ち上げる。雨に濡れた草の青々しい香りがする。微かに太陽の香りもしなくもない。日中は暖かったので、蒸発により二つの香りが強くなっていた。竜馬は何往復かして、全ての洗濯物を取り込む。
「ソファーに置いとく」
「はいどうも」
母は夕食の準備をしている。母を横目に階段を上がった。部屋に入れば、改めて自室の異臭に参ってしまう。それ程にだらしなく、殊に制服は脱ぎ捨てられており、カップラーメンの残り汁が異様な臭いを放っていた。部活もしなければ、バイトもせず、暇つぶしに勉強をするくらいで、かと言って偏差値が高いわけでもない。むしろ平均以下である。それは勉強に限らず、幸福の偏差値も38程度であろう。制服をハンガーで吊るそうとすれば、姿見に映る自分に失望を覚える。
「まさか」
鏡に近づいて、前髪を上にあげる。生え際が後退している事にため息をついた。前髪を触った右手は、頭皮の皮脂でべとべとだ。15歳だから代謝が良いというわけじゃない。生活習慣の乱れに尽きる。脂汗で顔はテカテカ。オデコのニキビを隠そうと、前髪を下ろして誤魔化すのが常であった。ベッドメイキングも大儀。掛け布団をバサッとすれば、スマホがベッドの隙間に落ちる。
「不幸自慢なら負けない気がする」
ため息をつきながら、スマホを救出した。スマホ依存の癖で、部屋を綺麗にしているのにスマホの電源を入れる。用はない。
「狐の嫁入りねぇ」
通知があると思えば、迷惑メール。竜馬は雨が止んだのを確認すると、窓を網戸にして開けた。真っ赤な夕暮れが竜馬の頬を赤く染める。黄昏時。夕暮れは黄昏時ともいう。文字通りに竜馬はたそがれた。草のアルデヒドの香りが部屋にはいる。同時に綺麗な女の子も網戸を開けて入ってくればいいなと、どこか非合法の願いを込めていた。
「まさかな」
ガラッ!ガラガラ。
「んん?」
鼻の高い幼女が、ガラッとあけてガラガラっと閉めて、ベッドに座った。竜馬のちっぽけな脳みそでは理解できない。いくら妄想でシミュレーションを試みても、情報処理にも限界がある。とりあえず、ワッ!と声で昇華した。それから、幼女の情報を汲み取る。コミュ障がここで発動され、聞くよりも先に舐めるように凝視した。
まるで舞子さんのようだ。白粉を塗りたくり、襟白粉も綺麗にペイントされていた。目元は仄かに燃える小火が化粧されており、剰え、黒い瞳が備長炭ばりに輝いていた。眉毛も赤い。唇は秋桜色している。よくみれば、服はすべて白で統一されていた。紅白のコントラストに竜馬は恍惚とするのであった。
「あまり見るな」
目を伏せて幼女は照れた。見てもわからないので、竜馬は聞くことを英断。
「そのフードみたいなのはなんです」
「わたぼうし」
つまり花嫁衣装だ。どうでもいい事を聞いてしまった。
「なんだそれ・・・・なんですか」
「かくごよ」
竜馬はスマホで検索した。白とは日本古来の神聖な色ということを理解する。それ以降は読解できない。綿帽子を幼女がとると、狐の耳がピョンっと出て来た。まるで狐みたいだ。つぶらな瞳で何度も外を見ている。追手がゆくのを確認しているのだが、竜馬には見えない。沈黙が一分、二分と続く。急に幼女は綿帽子を被って、ガラッと窓を開けてガラガラっと窓を閉めて消えてしまった。追う様に竜馬は窓を開けて見下ろしたが、幼女はもうどこにもいなかった。
ガチャン。幼女かと思って扉の方を見れば、妹だった。こわばった顔が急に綻んで、かなりの倦怠感を覚えた。意識が分散されると、背中に汗をかいている事を悟る。
「あいかわらず、臭いね」
「悪かったな」
妹が座椅子に掛ける。だらしない兄の面倒をみる定で、机上のゴミを片付けるも、本音は何かを買ってもらうという器用さに尽きた。さすがに良心の呵責が起きたのか、竜馬も片付けを手伝った。カップラーメンを持つ。
「誰か来たでしょ」
「来てない」
動揺がバレないように、竜馬は一階の流しへ降りた。女の感は鋭いものだと、竜馬は渋々と階段を降りた。階段の軋む音を聞いた妹の時雨は、ベッドに上がった。匂いがするのだ。妖気がベッドを中心にかなり強い。推理を始めて、時雨は慮った。
「まさか、竜馬も妖怪と契約をしたというのかしら。でも、竜馬には全然においを感じない。移り香がするだけ。もしかしたら、気づいてない。それもありえるけどな・・・・・」
所々に虫に食われた階段が軋む音がする。竜馬が上がってくる。時雨はベッドから降りて、掛け布団のしわを戻した。ガチャンという時には、服を畳んでいた。
「ご飯だって」
「はーい」
竜馬を先頭に二人は食卓に向かった。カレーライスが時雨の鼻を幸せにする。兄を抜かして先に食卓につく。
「明日のお弁当は残り物になるけど、ごめんね」
母は時雨にだけ優しかった。それは単純なことである。優秀な子供にこの母親は投資をしたくなるのだ。それは、愛も同様。
「あんたはどうせ、休日も部屋に籠ってんでしょ」
「受験勉強」
呆れた顔で母は竜馬を無視した。それから、母は時雨とバレーボールの話に耽るのであった。自分が学生時代にしていたバレーボールを、娘の時雨が引き継いでくれたことに一種の生き甲斐を覚えていたのだ。却って時雨はそうすることで、母親からありとあらゆものの投資をしてもらう事にしていた。ずる賢いとも言えよう。
「ごちそうさま」
「時雨はそのままでいいわ、竜馬が洗いなさい」
洗剤をいつもより使って、スポンジでカレーの油を落とす。単純作業をしていると、三秒に一回はあの幼女を思い出す。一体何だったのだろうかと。それは時雨も同様で、自室に戻ってからは恐ろしい程に邪推をするのであった。
部屋に戻った竜馬は、ベッドに寝ころび、天井を凝視した。ガチャン。時雨が入ってきた。
「ねぇ、誰か来たでしょ。正直に言って」
「ああ、来たよ。狐の耳をして、真っ白な格好をした幼女が。何か逃げてきた感じで、追手は見えなかったけども追手がいなくなったのを確認したら、急に帰って行ったよ」
妖狐だ。敵ではない事に安心を覚えた時雨は、足を崩してチョコレートをつまんだ。
「契約はしてないの。ベッドだけが妖気の臭いがするから、もうしたんでしょ。でも、龍馬からは妖気がしない。どういうこと」
「なんだ、契約って」
時雨はチョコを置いた。てっきり契約をしたもんだとばかり思っていたのだ。そもそも契約対象の妖怪は契約者にしか見えない。なのに契約をしていないという事は、つまりそういうことであった。
「フラれたんだ」
「どういう意味だ」
竜馬は跳ね起きる。いつの間にか竜馬は失恋をしていた。時雨の顔には情けない、情けないと書いてある。失恋、殊に童貞の竜馬は恋愛すらも皆無。だから失恋はしていない。竜馬は自身の男という立場を見地するために、全力の否定をした。
「どういう意味だ!」
怒号。時雨は態度を改めて、竜馬に詫びをいれる。
「ごめんって。言い過ぎたけど、でも酷いよ。警備の目を盗んで、わざわざ来てくれたのにその外見じゃね。だらしない、不潔、汚い、美しくない、とにかく美しくない。妖怪と魂を統一化するためには、妖怪を恋に落すことなのにね。いっしょに寝て・・・・それから初めて妖怪と統一できるのに」
「外見で幻滅だと?だったら、俺は内面であの妖狐を惚れさせたってわけか」
返事をする価値もないと判断した時雨は、部屋を後にした。出る間際に、小さな声で葉っぱをかけた。それは自身のためでもあるからだ。
「妖怪でも女は女なのよ。追うよりも追われたいの。行きなさいよ。たしか、妖狐は東北にいるから。愛を見せてあげなさい」
バタン。二秒後に竜馬はシャーペンを取って、猛勉強をするのであった。動機は簡単だ。お父さんの方の祖父祖母の実家が秋田県なので、そこへ留学する事である。竜馬は時雨の後押しもあってか、秋田県の高校へ願書を出し、無事に合格をするのであった。