クリスマス別伝
柿渋色のぼろ装束に身を包んだみすぼらしい風体をした男がいた。しかし、どこか隠し切れない気品のようなものを漂わせてもいる。質素倹約を旨とし決して驕ることのないその男は、街のみんなからとても好かれていたし、彼自身もこの街が大好きだった。男は名をニコラウスといった。聖人の名を持っているというのが、彼のささやかな自慢だった。倹約家で慎み深く、聖人のように温和な性格をもつ彼の職業は、泥棒である。
「人は見かけによらない」
などという言葉があるが、確かにニコラウスは全く泥棒には見えない。一度など、隣人のポピン爺さんに、
「よぉニコラウス。最近は泥棒やら強盗やらが頻発しているらしいぜ。気をつけろよ。まぁ、おめェんとこには盗るモンなんざねえだろうが」
と、冗談交じりに警告されたくらいである。ニコラウスは、苦笑するしかなかった。
泥棒といってもピンキリである。ピンとキリのどちらが上でどちらが下なのかは知らないが、ニコラウスは明らかに「下」に属する泥棒なのだった。王城の宝物庫に眠る王家代々伝わる雌雄一対の宝剣に、王立美術館に所蔵されている45.52カラットのブルー・ダイヤモンド。泥棒としての名を成さしめるに足る、誰もが認める「標的」に事欠かないこの街にあって、ニコラウスはそういった派手な「仕事」に興味を示す様子は微塵もなかった。憧れるだけ憧れて、実際にやってやろうというほどの気概も胆力もないのがニコラウスという男なのである。だからといって、ニコラウスは貧家を狙うようなこともしなかった。
「おれは裕福な家庭からしか盗まない」
義賊気取りの殊勝な発言も、所詮は泥棒のたわ言である。しかもそれは、泥棒としての矜持から発せられた言葉ではなく、あくまでおのれの小心を発生源としていた。自分の気の小ささを他人に気取られたくないがために、強気の姿勢でもって糊塗しているにすぎない。しかし、決してその浅ましさを自覚せぬニコラウスではなかった。まじめに仕事に取り組んだ時期もあったが、何をやってもうまくいかない。いつしか明るい道を踏み外し、なし崩し的に闇の街道に足を踏み入れてしまったが、そちらの世界でもアルセーヌ・ルパンや石川五右衛門にはなれなかった。そんな自分の生まれた星の元を呪ううち、いつしかニコラウスは人生を楽しく生きることを諦めるようになっていた。哀れな自分の身の上を直視したくないニコラウスは鬱屈した気分を振り払うために、おれは聖人の名を持つ男だ!と心の中で叫びながら、今日も一心にチンケな泥棒稼業に精を出すのだ。
大理石のような重い雲が低く垂れこめた煉瓦造りの街は、やがて粉雪に煙りはじめた。年の暮れも押し詰まった雪降りの街は、若い女性の嬌声やら赤ら顔の酔っ払いの怒号やらに包まれ、祭りのような浮かれた気配すら帯びていた。
そんな喧噪を避けるようにして、街の陰から陰を足早に歩く一人の男がいた。いうまでもなくニコラウスである。柿渋色の装束に身を包んだその男は、いかにも申し訳なさそうにつぶやいた。
「雪が降り始めた。雪は泥棒にとってただひとりの友だちさ」
地面に降り積もった雪は、街のボランティアによって除雪される。善良な人々の善良な意思によって道の両脇にうず高く積み上げられた罪なき雪塊は、泥棒にとってこの上なく便利な階段となるのである。家々の周りに自然の足掛かりが形作られる滑稽なまでの不用心さに気付いている住民がいったいこの街にどれほどいるというのだろう。ニコラウスは、この街の住民の無防備さには大いに気の毒を感じざるを得ないのだが、それでもあえてそのことを指摘することはない。彼もまた、泥棒だからだ。
泥棒が家屋に侵入するとき、目的の家の屋根に上ることがよくあるが、これも雪のない時分であればその不審さを見咎められそうなところ、雪降りの状況にあっては雪下ろしをしているのだという恰好の「大義名分」ができてしまう。雪は泥棒にとって友だちだというのは、案外当を得た発言なのであった。
しかし、ニコラウスは少なくとも「自然の階段」としての雪を必要とはしない。そういう意味では特殊な泥棒といえるかもしれなかった。
約150年前、王国が北方のヴァイキングの侵攻にさらされたとき、何度となく彼らを撃退し、ついには逃げ帰るヴァイキングを本拠地まで追い詰め、以後100年の不可侵を認めさせた英雄アルヴィド・オルコットという人物がいた。その軍功の多大なることからアルヴィドは伯爵を叙勲し、それは以後オルコット家の当主に世襲されるのが慣例となっていた。しかし、150年の間に英雄の血は次第に滲み、薄れ、現当主のマグヌス・オルコットに至っては先祖から受け継いだ特権をただ享受し、莫大な遺産を食い潰すしか能のない凡愚だというのがもっぱらの噂であった。
12月24日の深夜のことである。
「さて、今日も元気に仕事をがんばるぞ」
ニコラウスは目標となるオルコット家の邸宅を物陰から見上げていた。オルコット伯が在宅しないのは入念な調査によってわかっている。この街の住居の例に漏れず、オルコット邸も雪かきあとの「自然の階段」に囲まれていたが、ニコラウスはそれを必要としない稀有な泥棒である。それ故か、彼の表情にはどこか余裕の色があった。ニコラウスがポーチから取り出したのは、一見何の変哲もない一本のロープである。
泥棒の7つ道具などというと若干滑稽な響きを伴うが、ニコラウスは自慢の泥棒道具を持っていた。それらは代々ニコラウスの家に伝わる道具で、今はすでに失われた技術によってつくられた魔導具であった。以前は7種類そろっていて文字通り7つ道具であったのが、生活の苦しさから手放してしまったりしたので、いまは3種類しか残っていない。
ニコラウスの先祖が、砂漠で行き倒れになった僧侶と、そのペットの猿と豚と河童を助けたということがあった。僧侶たちは命の恩人たるニコラウスの先祖に対し、自在に伸縮する棒か、自在に伸縮する縄のどちらかをやるというので、縄のほうをもらったというわけである。先ほどニコラウスがポーチから取り出したロープというのが、ニコラウスの3つ道具の一つ「如意縄」なのである。
ニコラウスは地面に突き刺したナイフの柄に如意縄の片端をくくり付け、もう片端を手に持って何やら念じ始めた。すると、ニコラウスの身体は縄の急激な伸長に伴って空中に投げだされ、たちどころにオルコット邸の屋根に着地することができた。あとはもう簡単である。縄を手に持ったまま屋根の上から少し強めに念じれば、掃除機のコードの巻き取りよろしく、如意縄が収縮し、地面に突き刺したナイフごと回収できるという寸法だ。小説という媒体の恐るべきご都合主義ぶりには、筆者の私ですら驚きを禁じ得ないところである。
オルコット邸への侵入には屋根から生えている煙突を用いる手筈だ。煙突の周囲に適度な長さに伸ばした如意縄をくくり付け、その先端を煙突の口から屋内に垂らした。オルコット伯一家が在宅しないという安心感から、ニコラウスにしては大胆すぎるほどのダイナミックさで煙突の中を如意縄伝いに滑りおりると、目の前に一人の子どもがいた。ニコラウスは変な声を出した。
「アッ? あなた様はどなた様??」
いかにも生意気そうなその少年は言った。
「ぼくはマグヌス・オルコットの一人息子、アーベル・オルコット様だ! おじさん、泥棒でしょ」
ニコラウスはここで認めたら負けだと思ったので、咄嗟に「この街で一番の煙突整備士です。お坊ちゃま」などと会心の言い訳を試みたが、うまくいったかどうかは考えたくもなかった。すると、将来の伯爵候補は不敵にも取引を持ち掛けてきた。
「パパには言いつけないでおいてあげる。その代わり、その縄ちょうだい!」
ニコラウスは再び変な声を出した。
「そっ、それはだめです! お坊ちゃま」
ニコラウスは思わず架空の煙突整備士の設定を継続してしまうほどに気が動転していた。
「お坊ちゃま。今日はお父様、お母様と温泉旅行に行くことになっていましたでしょ? どうして連れて行ってもらえなかったので?」
「無礼なっ! 連れて行ってもらえなかったんじゃない! ペットのポチが一人だと寂しいと思ったから、付いていかなかっただけだもん」
ニコラウスはアーベルのやさしさに思わず目頭をおさえた。
「それで、どうしてこの縄が欲しいんですかい?」
「ポチを散歩するときに使うリードをなくしちゃったんだ。だからその縄が欲しかったの」
アーベルがこの縄の真の価値を知っていて、それを理由に欲していたなら、ニコラウスは縄を決して譲らなかったに違いない。何しろ、ニコラウスの家に代々伝わる家宝同然の縄なのだ。しかし、アーベルのいかにも子どもらしい純粋なやさしさに打たれ、ニコラウスは秘伝の如意縄をアーベルに二つ返事であげてしまった。
「だいしっぱいだ!!」
自業自得にも程があるというものだが、今日もニコラウスは泥棒稼業に失敗してしまった。泥棒をしに家に忍び込んでおきながら、満足に盗みもなし得ず、それどころか子どもに感謝されて正面玄関から送り出されるなどというのは泥棒としての沽券にかかわる重大事であった。殊に秘伝の如意縄を失ってしまったのは、今後の泥棒稼業の継続にかかわる取り返しのつかない大失態といってよかった。しかし、その一方で、縄を手に入れたアーベルが嬉しそうにトナカイのポチと散歩に行く顔を思い起こすと、凋落のオルコット家の将来はなんとなく安泰な気がして、いつしかいいことをしたような情けないような不思議で温かな気持ちに包まれているニコラウスなのであった。
ニコラウスはまだ今夜の活動を諦めてはいない。次のターゲットで盗みを成功させればいいだけである。
今から50年ほど昔、王国の北方に一人の勇敢な男がいた。名をクラウディオ・マガリャネスといったその男の勇敢さは、彼の祖先が約150年前に王国周辺を掠奪してまわった悪名高きヴァイキングの酋長であり、その血を濃厚に受け継いでいることに由来するものである。しかし、そのヴァイキングの一族も例の「不可侵条約」によって牙を抜かれ、毒気を抜かれ、いつしか善良の民へと化していった。クラウディオは、持ち前の商才と統率力、そしてかつての暴力時代の名残である数多のヴァイキング船を駆使し、ささやかな商船グループを組織した。今やクラウディオはマガリャネス財閥を一代で築き上げた「商船王」として、政界、経済界に隠然たる影響力を持つ王国きっての名士であった。
12月25日が始まったばかりという深夜の時間帯のことである。
「失敗は成功の母。今度こそお宝を盗み出してやるぞ」
不首尾に終わったオルコット邸での仕事に落ち込むことなく、次のターゲットにマガリャネス家の大邸宅を選んだニコラウスは、余裕の表情を崩さなかった。もう如意縄はない。しかし、彼は未だ「自然の階段」を必要とはしないのであった。なぜなら彼には2つ道具があるからだ。
マガリャネス邸はオルコット邸とは異なり、屈強な衛兵たちに厳重に警備されていた。不用意に近づこうものなら、職務質問の憂き目にあう。ましてや如意縄を用いた大ジャンプなどを彼らの前で披露した日には、即お縄である。失った魔導具が如意縄であったのは不幸中の幸いといえるかもしれなかった。
遥か昔、東方のとある島国には「テング」という鼻の長さに特徴がある赤ら顔の人種がいたという。そのテングの一家が旅行で王国を訪れたとき、間の悪いことに当時の国王が大の酒嫌いで、禁酒令が出された直後であった。赤ら顔のテング一家は顔が赤いというだけで逮捕されかかったが、ニコラウスの先祖が彼らの無実を証明し、事なきを得た。テング一家の主はニコラウスの先祖の思いやりに心から感動し、着用すればたちどころに透明人間になれるという珍宝を授けたというのである。島国では「天狗の隠れ蓑」といったらしいが、ニコラウスの先祖はこれを7つ道具の一つに数えあげ、魔導具「霧隠れ外套」と呼んで愛用した。
ニコラウスは物陰から衛兵たちを垣間見て、存在を感知されていないと知るや、ポーチから透き通ったシートのようなものを取り出した。魔導具「霧隠れ外套」である。
いかにも善良そうな顔を精一杯に歪めてみせて不敵な笑みをつくると、ニコラウスはおもむろに霧隠れ外套を羽織り、何やら不思議な呪文を唱え始めた。すると、あにはからんやニコラウスの身体はみるみるうちに透き通っていったのである。なぜ呪文を唱えると身体が透けるのか、そもそも透明となる守備範囲はどこまでなのか、まったくもって疑問は尽きることがないが、小説とはなんともご都合主義なものだからそういった一切合切を説明せずとも暗黙の了解的に筆者と読者との間で手続きが行われ、物語は滞りなく進行するのである。
マガリャネス邸の門扉の左右に門番よろしく屹立している二人の衛兵の間を、ニコラウスは抜き足差し足で通過してみた。衛兵は微塵も気づく様子がない。ニコラウスはこのスリルたまらんと思って3、4回ほど衛兵の間を行きつ戻りつしたが、やがて本来の目的を思い出した。
マガリャネス家の邸宅には雅趣に富んだ中庭があり、中央部に噴水があって、そのオブジェには七色に光る宝玉が嵌め込まれている、と聞いたことがあった。
「おれのターゲットは、それだ」
ニコラウスは勇躍してマガリャネス邸の大理石の回廊を進んでいった。目指す中庭はいくつかの曲がり角を折れた先に突如現れた。噴水の水に洗われて虹色に輝く宝玉があたりに神秘的な光線を投げかけていた。
「おお、あれが」
おれの狙っていた宝玉か、と喜び勇んでニコラウスは噴水に向かった。このとき、臆病で慎重なニコラウスの普段の性情からは信じがたいほどのうかつさで、ダイナミックに噴水の水に跳び込んだ。
派手に水しぶきが上がったので、ニコラウスの透明の身体は水に濡れてしまった。どういうわけか霧隠れ外套は撥水する性質をもっているらしく、雨に濡れた傘のように水をはじこうとしたが、それでも透明の身体に多量の水滴が付着したために、さながら水滴人間とでも言うべきシルエットが浮かびあがっている。
「あなたは誰です! 不審なことをするようなら衛兵を呼びます」
ニコラウスの何が愚かだったかと言えば、中庭の宝玉に目がくらむあまり、庭のベンチにマガリャネス家の令嬢、カロリーナ・マガリャネスが座っていたことに気づかなかったことである。
「アッ? あなた様はどなた様??」
「私はカロリーナと言います。あなたは最近街を脅かしている泥棒ですか」
「め、滅相もございません。私はしがない噴水整備士」
我ながらまずい言い訳だと思ったが、うまくいったかどうかなどはもはやこの際どうでもよいことだった。この窮地を切り抜けるにはどうすればよいのか、と頭をかかえていたところ、カロリーナ嬢は意外なことを言った。
「あなたが本当の悪党だとは思えません。今回は見逃してあげることといたしましょう」
「さすがはマガリャネス家のご令嬢! 器の大きさはお父様譲りでござんすね」
「あからさまな阿諛追従は不快です。それに無条件であなたを解放するとは申し上げておりませんが」
「エッ?」
「あなたの持っているその透明の風呂敷。それを私に譲ってはくれませんか」
ニコラウスは、如意縄に続いて霧隠れ外套までも失うという事態だけは避けねばならなかった。そんなことになれば、仕事が立ち行かなくなってしまうのは火を見るよりも明らかである。それにしてもこのお嬢様はなぜこんなものを欲しがるのか、それくらいは聞いておいてもいいかもしれない、とニコラウスは考えた。
「実は私の幼い妹は重い病に侵されておりまして、一歩たりとも病室から出られないのです。私は妹の喜ぶ顔を見たいばかりに、お父様にお願いして世界中の珍しいものを取り寄せては妹に見せてやっているのです。ところが」
ニコラウスは、この流れはやばいなと思った。心のなかで、さらば、霧隠れ外套、とつぶやいた。
「妹の目が肥えてしまって生半なものでは驚かなくなってしまいました。そこで現れたのがあなたとその透明の風呂敷です。いかな富豪であっても、透き通って向こう側が見える布という珍品は見たことがないに違いありません。どうか、どうか。妹の笑顔を再び私に」
プラスチックもビニールもないこの時代、透明な物質というのは製造が難しいガラスくらいしかなかった。透き通る布というのは確かにちょっと珍しい。ニコラウスとしては、この美しい令嬢が透明人間になってどんないたずらを働くのか、ちょっとした興味本位で聞いてみたいだけだったのだ。くだらないいたずらの道具に先祖代々伝わる秘伝の霧隠れ外套を使わせるわけにはいかない、と自分の悪事は棚上げして心に強く誓っていたニコラウスであったが、思いがけない姉妹愛の物語が飛び出てきてしまった。いつしかニコラウスは滂沱の涙を流していた。
「だいしっぱいだ!!」
一夜にして如意縄に続き霧隠れ外套までも失ってしまったのは、泥棒稼業を始めて以来の痛恨事といってよかった。ニコラウスの胸中は、自分の拙い泥棒技術に対する情けなさと先祖に対する申し訳なさでいっぱいであった。しかし、てらてらとした光沢を放つ霧隠れ外套の透明の布地に興奮する病弱な妹と、そのはしゃぎぶりに思わず笑みを浮かべてしまう姉との和やかな午後のひと時を想像するにつけ、そんな些末な悩みなどはどうでもよくなってしまった。自分の将来については悲観すべき材料しかないが、それでも姉妹の一時の幸福を祈っていると自然と心に穏やかな風が吹き抜けるような心地のニコラウスなのであった。
さりとて、心を吹き抜ける穏やかな風で飯は食えない。7種類を誇った秘伝の魔導具のうち、すでに6種類を失ってしまったニコラウスは、最後の虎の子の1つ道具を活用して一発逆転大勝利を期するしかない。ニコラウスの瞳には、闘志が宿っている。
300年以上昔の話。王国ができる以前のことだが、まだこのあたりは小さな村落でしかなかった。村落には一人の若い賢者が住んでいて、名をマーリン・ラッセルといった。彼は攻撃魔法と治癒魔法の両方を扱うことができる天才であった。ある日、年端もいかない少年にスカウトされ冒険の旅に出たマーリンであったが、数年後、その少年とともに地上を恐怖のどん底に陥れた魔王を倒して帰還した。少年はこの地に国をつくり王となった。マーリンは王を補佐する宰相となった。マーリンの優れた智謀と民を思いやる心はその子孫に継承され、現宰相であるランドルフ・ラッセルにまでしっかりと引き継がれている。
12月25日の薄明も近い明け方の時間帯のことである。
「宰相家に代々伝わるという賢者の石を盗み出してやろう。成功したら一発逆転大勝利だ」
建国の功臣であるラッセル家は富と名誉の象徴と言われるほどの富家で、王国中の金銀が集まると噂されるほどであった。自然、昔から盗賊による被害が絶えなかったという。そういう事情であったから、ラッセル邸は防犯対策の一環として、家じゅうの扉を厚い鋼鉄製のものに置き換えたという厳重さを誇っている。
ちょっとやそっとでは侵入すらおぼつかないラッセル邸は、近頃は普通の泥棒は近寄ることすらしなくなったと言われている。そう、普通の泥棒は。しかし、ニコラウスは文字通り鉄壁のラッセル邸を前に大胆にも笑みを浮かべている。彼は普通の泥棒ではなく、魔導具使いなのだ。
300年以上昔の話。王国ができる以前のことだが、まだこのあたりは小さな村落でしかなかった。その村落に味が良くて評判の一軒の飯屋があった。ニコラウスの先祖もその飯屋の料理が好きでよく通ったものだったが、ある日、その飯屋でとある大男が無銭飲食を働いた。飯屋のおかみはこの不逞の大男を領主に突き出してやろうと思ったが、ニコラウスの先祖は背を丸めて小さくなっている大男があまりに不憫で「今回限りだ」と飲食代を立て替えてやった。大男は名をマサムネといい、後に勇者の剣をつくった刀工として大成した。彼は昔の恩を返さなくてはと、ニコラウスの先祖に魔法金属ミスリル銀で打った一本の短剣を贈った。その短剣は、一振りで岩を裂き、二振りで鉄を斬るという名剣であったという。さらに戦闘中に道具として使うと切っ先から火球が飛び出すというオマケつきだ。これがニコラウスの最後の魔導具「斬鉄短剣」である。
ニコラウスは厚さ1メートルほどもあろうかというラッセル邸正面玄関の鉄門扉に斬鉄短剣をそっと当ててみた。すると、まるで豆腐かなにかのようにスパスパと切れていく。刃渡り30センチメートルほどの斬鉄短剣が1メートルの厚みを持つ鉄門扉をスパスパ切るというのは物理法則に反しているようだが、そこは小説である。うまい理由は読者の方々が自由に想像してくれて構わない。ニコラウスは楽しくなって扉のコマ切れを大量生産したが、やがて本来の目的を思い出した。
家じゅうの扉をスパスパ切りながら歩いていると、賢者の石が安置されていると思しき宝物庫の前に出た。宝物庫の扉も斬鉄短剣でスパリとやると、部屋のなかから不審な声が聞こえてくる。
「賢者の石を出せ」
「その前に妻と子を放したまえ」
「賢者の石が先だ」
泥棒にも先客というのがあるらしい。ニコラウスよりも早くラッセル邸に忍び込んだ泥棒は、おそらくランドルフ宰相に見つかったのであろう。咄嗟にランドルフの妻と子どもを人質に取ってランドルフと相対している。ニコラウスはそんな修羅場に出くわしたのであった。そのとき、ランドルフの子がニコラウスに気付き、あっと声をあげてしまった。泥棒の先客はニコラウスの存在に気づき、キッと彼のほうをにらみつけると、大笑いしていった。
「なんだおめェか。ニコラウスよぉ」
先客は、隣人のポピン爺さんだった。
「おめェも賢者の石を盗りにきたのか? 悪いがあれはおれの獲物だ。さっさと帰んな」
ニコラウスも悪党といえば悪党だが、人を傷つけることは許せない性だった。ましてや、女性や子どもを人質に取るなど!
いまここに如意縄があったなら! ポピン爺さんに近づくことなく、たちどころに彼を捕えることができただろうに!
いまここに霧隠れ外套があったなら! ポピン爺さんが気づく前に彼に不意打ちを食らわせることができただろうに!
いまここにあるのは鉄の扉を切るしか能のない斬鉄短剣だけであった。ニコラウスはどうしていいのかわからない。
どうにかランドルフの妻と子どもを助ける方法はないものか! 神に祈る気持ちで斬鉄短剣を握りしめると、その切っ先から紅蓮の火球がほとばしり、ポピン爺さんに襲い掛かった。ポピン爺さんは、景気よく燃えた。
ニコラウスは、今、王城の牢獄にいる。ポピン爺さんが逮捕されるとき、ニコラウスも泥棒であることを兵士たちに告げ口したのだ。ポピン爺さんは、初めからすべてを知っていたのだ。
ニコラウスは逮捕される直前に、ランドルフの子、ラファエル・ラッセルに斬鉄短剣を譲り渡した。同じようなことがあったとき、今度はラファエルがお父さんとお母さんを守ってやれるようにと。これでニコラウスは魔導具を全て失ってしまったわけだが、心は少し晴れやかだった。もう泥棒なんてやめよう。
罪人のニコラウスに面会を求める奇特な人物がいる。
「おれに面会? 心当たりがねぇんですがね」
とニコラウスが顔を上げると、そこには3人の壮年男性が立っていた。マグヌス・オルコット、クラウディオ・マガリャネス、ランドルフ・ラッセルという顔ぶれである。
「あんたらか。いまさらおれに何の用だい?」
3名は口々に言った。
「我々3名は昔からの友人同士でね」
「私たちの子が君に世話になったようだ」
「君からすてきなプレゼントをもらったと聞いている」
ニコラウスは苦笑するしかなかった。
「別に最初からあげるつもりじゃなかったんですがね」
3名は口々に言った。
「我々は新しく会社をつくろうかと思っている」
「王国中の子どもたちに夢を与える会社だ」
「12月24日の深夜から翌25日の明け方にかけて、こっそり子どもたちにプレゼントを渡す会社だ」
ニコラウスは目をまんまるにして驚いた。
3名は口々に言った。
「会社の名前も決まっている」
「聖ニコラウスという名前にしようと思っている」
「どうだ。君も参加しないか」