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願い  ~ギフト・外伝2~

薫子先輩から見た「ギフト」の物語です。

お楽しみ下さい^^

 

 研究室の窓から見える桜が色付く頃、私はいつも期待と不安を胸に抱く。


 ーーー百年以上もの歳月を私はこの場所で学生達を見ながら過ごしてきた。私には彼らの天賦の才能(ギフト)が見える。それはあたかも磨かれる前の珠のように彼らの胸の中に存在している。その珠を綺麗に輝かせてあげるのが私の役目だ。けれど、私が導き磨けるのはある程度以上の大きさの珠を持つ者に限られた。小さな珠はそれだけに脆く毀してしまう危険があるからだ。だから私が導ける学生は何年かに一度しか現れない。今年はどうだろうか? 私が導ける学生はいるだろうか? それとも、役目を果たすことも出来ず、無為に日々を過ごすことになるのだろうか? そんな風に期待と不安を抱くのだ。

 これまで私は何十人という学生を導いてきた。出逢いはいつも期待に満ち、彼らと過ごす日々は、時に楽しく、時に苦しく、結果が出ないことに苦悩し、新しい発見に喜び合う、とても素敵な日々だった。けれどその日々は必ず一年にも満たずに終わった。私自身にもどうしようもできない別れの時がやってくるのだ。最初、私はそれを疑問に思い、どうにかもっと長く彼らを導くことができないかといろいろ試してみたけれど上手くはいかなかった。そうして、何十回とそれを繰り返し、いつしか私は諦めてしまった。だから私は自分の許された時間の中で彼らのために最善を尽くすことを誓った。そのためになにをすればいいのか、どう接すればいいのか、長い経験の中で私も学んだ。

 ただ、そうやって多くの経験を積んでも別れは難しいものだ。別れはいつも寂しく悲しい。それは多かれ少なかれ、彼らを傷つける。ひとつ、分かったことは、彼らと不必要に親しくなることは出来るだけ避けた方が良いと言うこと。導くものとしての適度な距離感が重要なのだ。そうすれば、誰に(・・)とっても別れの痛みは軽減される。ただ、そんな関係に、一抹の寂しさを覚えることはある。いや、もう言うまい。どだい、まだそんな学生が現れるかどうかも分からないのだ。


「失礼します」

 少し緊張した声がして研究室の扉が開く。振り返ると初めて見る学生が立っていた。新四回生だろう。私は期待と不安を胸に彼をじっと見つめる。胸の中で彼の持つ珠が浮かび上がる。その珠は今まで見た中でもまれな大きさで、私は待っていた学生が現れたことを知る。ふっと笑みが漏れた。いろいろ考えていたことが綺麗さっぱり消えて嬉しさが湧き上がってくる。やはり、どうしようもなく私は彼らが好きなのだ。彼らを導けることが嬉しいのだ。

「今日からこの研究室に配属された四回生の牧野です。あの、先輩ですよね?」

 その学生が挨拶する。私は彼に近づき手を差し出した。

「ようこそ研究室へ。私はD2の関根薫子(かおるこ)。君のメンターだ」

 嬉しくて、思わず握手した手を振り回してしまった。いかんいかん。自重しなくては。そう思いながら、こぼれる笑みを抑えられなかった。


     ◇


 牧野君は文字通り磨けば光る珠だった。けれど性格的に、今一つ自分に自信が持てず、ともすればネガティブに陥りやすかった。だから、彼には自信をつけさせることが一番だと思った。そう心がけよう。

 そこでふと面白いことに気が付いた。以前、私が導いた学生だった廣田君が、数年前に教授になって帰ってきたのだけど、彼は牧野君とはまったく正反対で、昔からいつでも自信満々だった。だから彼の時はむしろその自信を過信にさせないように苦労したのだった。

 そんな懐かしい思い出が脳裏によみがえってくる。もっとも彼の方は、今も私のことを覚えてくれているだろうか? あの時した約束も。いつか聞いてみたいけれど、そして、彼に伝えたい言葉もあるけれど、それはたぶん叶わないのだろう。


     ◇


 送り火の日。

 化学教室の屋上で赤々と燃える大文字山を私は見つめていた。無数の仏霊がまるで天に伸びる光の柱のように連なって昇っていくのが見える。それを見ながら、私は思う。私の番は今年も来ないのだろうか? 確かに今年は導くべき学生がいる。けれど、その役割も年末までだ。そうしたら、私にはもうこの世界にいる意味はなくなる。もし彼がいなければ、ここ数年と同じように、今年も私のいる理由、私の役割はなにもなかったのだ。それなのに、いつまでも私がここにいる意味はあるのだろうか? 導く学生がいないとき、私は誰にも知られず、誰とも交わることは出来ない。それで存在していると言えるのだろうか? 確かに私のことを知り得る人はいる。けれど私を必要な人はどこにもいないのだ。必要かもしれない者は、もはや助けることも出来ないのだ。だから、もういっそ私もあの向こうに行ってしまった方がいいのではないか。そう思うと、胸がキュッと痛んだ。

 足音に気づいて振り返ると牧野君が少々千鳥足で近付いてくる。私はとっさに平静を装って声を掛けた。

「どうだい? 合格発表に相応しい日だろう?」

 彼はなぜか不安そうな表情で私の手を取ると

「先輩、いっぱい教えてもらって、ありがとうございました」

 真剣な瞳で見つめてくる。

「これからもメンターよろしくお願いします」

 その言葉に、ふっと胸に温かなものが流れ込んだ。そうだった。私を必要としてくれるものは、今ここにいる。自然に笑みが漏れてくる。

「もちろん」

 私は素直に答えていた。


     ◇


 牧野君は十二月の学会で発表することになった。廣田君が決めたらしい。私がメンターだと知って、そう決めたのなら、彼はちゃんと私のことを覚えていてくれたのだろう。ならば、彼に恥ずかしい姿は見せられないな。だから私は牧野君と研究に没頭した。それはここ何人かの学生とはなかったことで、本来なら自分に戒めていたことだ。あまり深く関わると後が怖い。別れの時は決まっているのだから。それでも、ついつい私はのめり込んでしまった。

 学会が間近に迫った頃、徹夜続きの実験で牧野君はひどく疲労していた。私はそれが分かっていながらもう少しで良い結果が出そうだと実験を続けた。手元の途中結果を眺めているとき、視界の端で彼がふらつくのが見えた。液体ヘリウムのバルブを握りしめながら目を閉じてゆらゆら揺れている。そのバルブが開いていることに気づいて背筋が寒くなった。

「なにしてるんだ、君!」

 慌てて駆け寄る。彼は目を開いたけれど反応が鈍い。私は彼からバルブを奪うと急いで閉じる。

「君は、そっちの開放弁を開いて!」

 彼に指示しながら私の胸には急速に怯えが広がっていく。脳裏によみがえる記憶があった。

 ーーーあれはもう10年以上昔。私は今と同じように一人の学生を導いていた。けれど、ある実験の最中、高温に熱していたサンプルが突沸してその学生の目に飛び込んでしまった。その結果、彼は失明。研究者への道を閉ざされることになった。私は悔やんだ。私がもっとちゃんと見ていれば、もっと慎重に指導していれば、彼は失明せずに済んだだろう。研究者を諦めなくて済んだだろう。失意の彼を見るのは辛かった。何もできない自分が情けなかった。後悔ばかりが募った。だから……

 体の震えが止まらない。私の不注意で彼の未来を失う所だった。

「……私は君をこんなことで失いたくない」

 彼は私を見つめながら謝りの言葉を告げる。違う、そうじゃないんだ。私がいけないんだ。私が謝らなくちゃいけないんだ。そう思いながら、怯えで何も言えず、ただ頷いていたら、彼の切ない声が聞こえた。

「だから、先輩。もう、泣かないでください」

 ハッとして気づくといつの間にか頬に流れ落ちていくものがあった。私はとっさに彼から距離を取って、それを拭い取る。

「泣いてなんかいないよ」

 そう答えるのが精いっぱいだった。


 冷静に。平静に。私はもう一度自分に言い聞かせる。これ以上、彼に近づいてはいけない。入れ込んではいけない。いつもの様に、先輩として、導くものとして、教師のように、彼に接しよう。そう心に刻む。胸の奥で何かが軋む音がする。私はそれに気づかないふりをした。


     ◇


 牧野君の学会発表は無事終わった。翌日、彼は疲れたのか研究室には現れなかった。少し寂しく感じたが、もうすぐ別れの時が来る。

 私はどうやって彼に切り出すか、考え始めていた。これまでの学生の中には途中で私のうわさに気づく者もあり、そういう場合は比較的容易に役目を終えられた。そうでない場合も、何も告げずに終わるときもままあった。ある程度の距離感でいれば、それも可能なのだ。今回もきっとそれで大丈夫だと思った。

 学会後、牧野君の態度に変化があった。私はピンとくる。彼は私の正体を知ったのだろう。それは好都合だと思った。ならば、別れを素直に受け入れることができるだろう。それまでは今まで通り、彼を導こう。

 けれど、その日が近づいてくるにつれて、目に見えて彼の様子はおかしくなった。思い詰めた表情。苦しげな瞳。ぎこちない言葉。それに気づいて、私は自分の失敗を悟る。私は彼に近づきすぎてしまったのだろう。分かっていたはずなのに。戒めていたはずなのに。つい、彼との研究の日々が楽しくなって、それを忘れてしまっていた。そんな彼は見ていて可哀そうだったが、彼に何かを言うことはできなかった。なぜなら彼の望む言葉を掛けることはできないだろうから。


     ◇


 クリスマスの日。

 人気のなくなった研究室で私たちは二人きりになった。私は最後まで迷っていた。彼が私の正体を知ったのならば、このまま何も告げずに消えてしまった方がいいのではないか。彼に何かを告げる事は彼にとって辛い仕打ちなのではないかと。だから、彼が離れる切っ掛けになるかと水を向けてみる。

「君はどこか行くところはないのかい?」

 けれど、彼はここ数日とは異なる、何かを吹っ切ったような口調で言った。

「僕は先輩と居たいんです」

 ふっと胸が温かくなる。だから、

「それはまた嬉しいことを言う」

 まぜっかえすような軽口が出た。彼はちょっとムッとすると

「冗談じゃないです。それにこれを先輩に渡したくて」

 目の前に差し出された包みにびっくりする。開けてみると綺麗な簪が入っていた。そうだ。今日はクリスマスだった。驚きと喜びが胸に満ちる。これは自分のやってきたことへの思いがけない褒美だと思った。私は手が震えないように簪を髪に挿した。

「こんなプレゼントをもらったのは初めてだ。ありがとう」

 感謝を口にすると、牧野君は思いつめたような表情でまっすぐ私の瞳を見つめて言ってきた。

「先輩。僕と初詣に行ってください」

 その瞬間、私の迷いはなくなった。彼にはちゃんと話すべきだ。

「君に話があるんだ」

 その言葉を聞いた瞬間、彼が叫んだ。

「聞きたくありません!」

 彼の劇的な変化に胸がぎゅっと痛む。私の話を全身で拒否しようとする彼が心配になって、思わず頬に触れていた。彼が目を見開く。瞳が苦しげに揺れている。ややもすれば、すぐ自信を失いがちな彼が心配だった。私がいなくなった後、彼は大丈夫だろうか?


 『辻糸』に連れていくことも考えたけれど(そうすれば女将に彼のことを頼むことも出来る)、何故か二人だけになれる場所の方がいいような気がして、大文字山の火床を選んだ。登山道を登る間、どう切り出そうかといろいろ考えていた。けれどそのどれもが無駄に終わった。

「薫子先輩」

 話を切り出そうとした時、いきなり名前を呼ばれた。驚いて彼を見る。私に向き直った彼が言った。

「先輩、来年も僕のメンターをしてください」

 仕方なく答える。

「何を言ってるんだい君は。来年、君は修士になるんだ。もうメンターは必要ないよ」

「でも僕は先輩にもっともっと教えてもらいたいんです」

「もう教えられることはすべて教えたかな」

「まだ足りません。もっと教えてください。お願いします」

「それは……」

「お願いです。来年も、再来年も、その先も、一緒に実験をしてください。一緒にバイカルのケーキ食べてください。一緒にずっと……居てください」

 まっすぐな瞳で、すがるように言い募られる幾つもの言葉。その言葉は私の中の忘れていた何かを叩いた。来年も、再来年も、彼と一緒に、あの実験室で研究をしている自分の姿。彼の買ってきたケーキを食べる時間。その想像は確かに幸せだった。そんな未来があるのならば、どんなに楽しいだろう。けれど、それは許されないのだ。とっくの昔に諦めた望みだ。だから答える。

「すまない。それはたぶん無理だ」

 けれど彼はひるまなかった。

「どうしてですか? なんで無理なんです? 僕は先輩が誰でもかまわない。神でも悪魔でもそんなこと関係ない」

 急に腕を引かれて抱きしめられる。

「先輩……愛してます。僕は先輩を愛してます」

 私の肩に顔をうずめてなんども彼が言い募る。私を抱きしめている腕が震えている。触れ合う体が熱を持つ。彼の鼓動が聞こえる。

 私の中に新たな熱が生まれた。こんなにも自分を求めてくれる人が今までいただろうか? 目の前で震える彼が愛おしくなった。自然に背中を優しく撫でていた。それとともに抑えられない笑みが漏れた。彼が顔を上げる。私は思わず告げていた。

「そんなことを言われたのも初めてだよ」

 その瞬間、唇を塞がれていた。とくんと心臓が音を鳴らす。驚いて声が出た。ついで舌が触れ合った。私の心臓は今度はドクンと大きく跳ねた。感情のままに触れ合いたくて、けれど頭のどこかがブレーキを掛ける。いけない。冷静にならなくては。別れが待っているのだから。私は何とか自分を抑え込んで唇を離した。

「君がこんなに大胆だとは知らなかったよ」

 平静を装ってそう告げる。彼は紅潮した表情で再びその言葉を口にしようとしていたけれど、私はもう一度その言葉を聞くのが怖かった。聞いてしまったら、別れがたくなる。そんなことは出来ないのに。だから、ちゃんと彼に話をしなくては。

「君の気持ちは分かった。でも、私の話も聞いてくれるかい?」

 彼が頷く。私は彼と体を寄せあったまま話を始める。彼に別れを告げようとしているのに、離れることが出来なかった。


 私の話を聞いた後も彼は諦めなかった。

「なんで消えたりするんですか? 戻ってきたら、また一緒にいてくれてもいいじゃないですか?」

 それができればどれだけ楽しいだろうと思う。けれど

「それは、私が決められることじゃないんだ」

「どうして?!」

「さあ、どうしてだろうね。私にも分からない。でもそうだ、今日はクリスマスだろう? みんなにギフトを渡す日だ。だから、もし私の存在自体が君たちへのギフトだとしたら、今日が最後なんじゃないかな」

 そんな苦しい言い訳を彼は即座に否定する。

「そんな理由、納得できません」

「だめかな?」

「だめです。それに、もし今日が最後だとしたら、僕が欲しいのはこの先も先輩と生きられる未来という贈り物(ギフト)だけです。そのためなら、僕の才能ギフトなんか全部残らず誰かにあげてしまってもかまわない」

「君……」

 彼は夜空に向かって叫ぶ。

「今日はクリスマスでしょう! 奇跡が起こる日だ! 神様でもクリストでもサンタでも、誰だってかまわない。お願いだから、先輩と生きられる未来ギフトを僕にください!」

 その強い願いが私を揺さぶる。彼の想いが胸に満ちる。

「君は、わがままで諦めが悪いな。でも、諦めの悪さは研究者には得難い資質だ。大切にするんだよ」

「無理も無茶も無謀もかまわない。でも危ない事だけはするんじゃないよ」

「私の教えたことを忘れないで。しっかりやるんだよ」

 私は彼に最後の教えを伝えながら、けれど頭の中では別のことを考えていた。

 私も願ってもいいのだろうか? いつか再び彼と出会える未来を。一緒に歩む未来ギフトを。そして思う。今まで私は本気で願ったことがあっただろうか? 時に胸が苦しくなっても、とうの昔に運命だと諦めてしまっていた。だから考えもしなかった。けれど望んでみてもいいだろうか? 彼のように。私も本気で。

 その想いに胸がいっぱいになった。心臓の高鳴りに口元が戦慄わななきそうになる。そんな表情を見られるのがいやで私は彼の肩に顔を預けた。そして告げる。

「もう、お別れだ」

 けれど私もお願いしてみよう。どうか再び彼と会うことができますように。そんな未来が訪れますように。

「もしまだ私の役割が終わっていなかったら…」

 もし私たちの願いが叶ったなら…

「その時は、今度は君が見つけてくれ。いつまでも待っているよ」

 耳元で彼の声が聞こえた。

「……薫子先輩」

 私を呼ぶ声。いつかこの声がもう一度私の名前を呼んでほしいと願った。そうして私の意識は夜空に消えていった。


     ◇


 クリスマスは奇跡が起こる日だという。十数年後、私は奇跡が起こったことを知ることになる。なぜなら、私の名前を呼ぶ懐かしい声を聞くことになるのだから。



  了


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