某覆面小説 執筆秘話
黒いシャツにチノパンという冴えない風貌の男がいた。どこか隠し切れない気品のようなものは全くと言っていいほど漂っていない。詳細は後述するが、本稿を書くきっかけになった企画の趣旨として彼の名を明かすことは野暮というものであるので、ここではひとまず「つくね」ということにしておこうと思う。彼は、泥棒でもなければ、魔導具使いでもない。いわゆるただのサラリーマンである。
つくねは、ここ一年のうちに読書メーターの某小説執筆企画で、拙いながらも数編の短編を書きあげていた。この企画というのは、毎回お題が設定され、それに沿った形で各執筆者が物語を紡ぐというものだ。つくねにとっては企画参加者の半数近くが知り合いということもあって気軽に参加できたし、彼らがどのようにお題を料理するのか、はたまたお題は彼らの手によってどのような変貌を遂げるのか、もはや素人とは思えぬほどのストーリーテリングを誇る彼らの物語を読むことは単純に楽しみでもあった。お題は複数設定され、その中から好きなものを選んで書く、というスタイルが多く、かなり執筆者サイドの自由がきくのも参加の敷居の低さを助けていた。もちろんつくねとしても、次回企画があるならば、その参加はやぶさかではなかったのである。
11月某日、次回小説企画の趣旨とお題が発表された。(あるいは10月末のことであったかもしれぬ。最近は老いのせいか記憶同士の連絡がうまくいかず、経験の時期が前後したり、夢か現か判然としなかったりといったことがよくある。もしかしたらこれがファンタジーを生み出す基となっているかもしれず、彼としては特に不自由していない。決して、酒のせいではない)
企画としては、「覆面お題小説」である。提示されたお題に対し、作者は決められた期日内に自分の名を明かさずに作品を投稿し、あとでそれぞれの作品について誰が書いたかを当てる、というものだ。作家が誰であるかわからないので、答えがわかったときの意外性、あるいは妥当性を楽しむといった側面が生まれ、作家名発表直前まではさながら覆面作家同士の駆け引きの様相を呈する。無論、個々の作品自体がおもしろいことは言うまでもない。きわめてイベント性の高い企画といってよいであろう。
それはそれでいい。作風の幅広さに程度の差こそあれ、作者間で条件は同じだからだ。問題はお題の方である。
今回のお題は「クリスマス」である。つまり、「クリスマス当日、もしくはその前日の日のエピソードを含む」物語を書かなければならない。お題は複数設定されるというこれまでの慣例は野蛮にも駆逐され、蹂躙され、無残にも「クリスマス」というお題だけが生きのこった。
クリスマスといえば恋愛である。つくねには恋愛話など書けない。本来、「お題小説企画」は彼にとって非常に楽しい属性のものである。同様に、「クリスマス」も彼にとっては楽しいことこの上ないイベントである。しかるに、楽しいはずの二者をかけ合わせた「クリスマスのお題小説企画」は、本来的には某スーパーマーケットのお客様ワクワクポイント2倍デーくらいの幸福度を誇ってもよいはずである。しかし、よく考えてみたまえ。うどんはおいしい。ビールもおいしい。だからといって、うどんのつゆの代わりにビールを注いだら果たしておいしいでしょうか、という話なのである。そういう感じで「クリスマスのお題小説企画」は、悪魔の爪牙のごとき邪悪さをもってつくねに襲い掛かってきたのである。つくねは恐れおののくしかなかった。だから、エントリーしなかった。いや、できなかったのである。
「つくねさんは今回の小説企画、参加しないんですか」
「つくねさん、参加ボタン押し忘れてますよ」
本当はつくねだって参加したいのである。でも、できないのである。だってクリスマスなんだもん。
よく考えてみると、クリスマスと聞いてすぐに恋愛に結びつけるというのはいささか短絡的であったかもしれない。クリスマスといえば、家族をテーマに書くこともできるではないか。恋愛にこだわらざるを得なかったのは、「クリスマスのお題小説企画」という衝撃的テーマが、日ごろの彼の卑屈な思いを間欠泉のように噴出させてしまっただけである。よし、家族の物語を書こう。
書くものが決まったら、つくねは簡単な調査をはじめる。調査などというと大げさにすぎるというもので、実際は「クリスマス」「サンタクロース」などのワードをインターネットで調べるだけである。この作業が最高に楽しい。知識を増やす楽しさというのは、おそらく人間という生物に与えられた歓迎すべき役得の一つであろう。
某ページを見ると、サンタクロースの由来は聖人の聖ニコラウスだと書かれていた。聖ニコラウス→シンタクラース→サンタクロースという変遷を辿るというのだが、これは何かに使える可能性がある。なるほど、これを主人公にするという手もある。というか、もうそれしかないという気分にさえなっていた。
さらに調べていると、彼は「サンタクロース=泥棒」議論というのを思い出した。小学生くらいの時分に彼がクラスメートと戦わせた議論のことである。煙突から家屋への侵入を試みるサンタクロースの手口を泥棒と何が違うのか議論するという、刹那の楽しみの追求だけを目的とした生産性のかけらもない享楽的な議論である。これを思い出したとき、とある考えがつくねの脳裏をかすめた。
泥棒を試みた一人の男が、家に侵入するたびに、逆に泥棒道具を取られていく物語にしよう。その泥棒道具がひるがえってプレゼントであったと勘違いされるに及び、この世にサンタクロースという風習がうまれたのである!という物語をでっちあげればおもしろいかもしれない。ハッピーエンドにもしやすい。よし、家族の物語はやめにして、これでいこう。彼の物語作りは、このように流動的な経過を辿るのが常である。
さて、どうやって主人公を家屋に侵入させるか? まず、煙突からの侵入は外せまい。こういう本家大元の設定を崩してしまったら、サンタクロースの雰囲気が壊れてしまう。第一の犯行は煙突からの侵入に決まりだ。最初の事件で物語全体の雰囲気づくりをする。これは大事なことだ。スーパーマーケットでだいたい青果売り場が入口付近に位置しているのも、青果が一番季節感を演出しやすいからである。
犯行の数は三つ程度にしよう。文字数的にもそれ以上は書けないだろう。さて、あと二つはどうするか。まあ、あとは正直言ってなんでもよいのだ。適当に盗みを失敗させて、主人公は泥棒に向いていないという印象を読者に抱かせることができれば。ただ、最後の犯行では、「悪いことができなかった」ではなく、率先して「いいことをした」で終わらせたかった。これがハッピーエンドの鉄則のような気がするからだ。よし、骨格は決まった。ここまでくると、もう楽しくて仕方がなくなってくる。
プロット
第一節 主人公の紹介 情けない泥棒であることを説明する(2,000文字程度)
第二節 第一の犯行 煙突からの侵入(2,000文字程度)
第三節 第二の犯行 内容未定(3,000文字程度)
第四節 最後の犯行 主人公が何かいいことをする(2,000文字程度)
第五節 エンディング 主人公が泥棒をやめてサンタクロースに(1,000文字程度)
兵法にいう、「善く戦う者は勝ち易きに勝つ者なり」と。つまり、優れた将は、準備を万全に備え、勝てる状況を作り出してから初めて戦いを始めるものだ。ここに至ってようやくつくねは読書メーターのイベントページで、覆面小説企画への「参加」ボタンを押した。書き上げることができる、という目処が立ったからである。
ここまでくればもう簡単である。単純なプロットだから、世界観を膨らませるための設定に割ける文字数も多めにとれる。泥棒道具は魔導具というマジック・アイテムにしよう。これは、世界観をファンタジー寄りにもっていくと同時に、科学では説明できない現象を「魔法だからなんでもできるんですよ」と言い訳するための手っ取り早い方法で、つくねの得意技でもある(科学的知識のなさの裏返しでもある)。なにしろ執筆時間は限られているのだ。リアリティを求めるあまり完璧主義に走ってしまい、ペンが先に進まないなどという状況は避けなければならない。ときにはこういった割り切りも必要なのである。ある意味では「逃げの一手」であるが、このあたりの割り切りというか、開き直りはつくねの武器である。
まず3つの侵入方法を決定し、それから逆算して魔導具を設計する方針に決めた。侵入方法さえ決まれば、魔導具もそれにまつわるエピソードも適当にでっちあげればいいだけである。したがって、これより以降には特筆すべき事項はない。ただ、難しかったのは、第三の犯行時に、泥棒道具を活用して主人公に「善行」をとらせなければならないことだ。だから、急遽、ポピン爺さんという悪役を配することに決めた。この爺さんはいかにも序盤に配置された伏線らしさを持っているが、実は最後の最後に追加されたのである。しかしこの部分は投稿間際までしっくりくる物語を構築できず、上記の「魔法だからなんでもできるんですよ」理論で強引に突破してしまった。ここが、唯一の心残りといえば心残りで、もう少しうまい方法があったかもしれない。
だいたい上記のような経過を辿って、つくねの物語は完成した。彼は通常、日本史好きで三国志好きであることを公言していたから、西洋風の世界観を持つ作品が書けたことに満足した。「覆面小説」としてもなかなかよい成績を収めることができるのではなかろうかという密かな自信もあった。
彼は勇躍して投稿ボタンを押したが、どういうわけか感想ページでは作者当ての予想として、J会長をはじめとして多くの人に見抜かれるはめになった。西洋風を目指したにもかかわらず、「サンタなのに和風」という衝撃的な感想まで現れる始末で、自分の作戦ミスに気付いた時には後の祭りだった。結果的には、サービス問題クラスの扱いを受けることになってしまった。スーパーマーケットで野菜や果物が季節感を左右するのと同様、感想ページでの名指し予想は作者当てにおける潮流というかムードのようなものを左右するところがある。彼はそういったものに負けたのだ。しかし、別の執筆者の誰かが言っていた。
「覆面小説だけど、当てられてもそれはそれでうれしいんだよね」
なるほどな、と彼は思った。




