負けず嫌いのサンタクロース
職場の飲み会で、上司が一枚のカードを取り出してきた。一見すると運転免許証のようだが、そこに写る上司はサンタクロースの帽子をかぶり、白くたっぷりとした髭をたくわえている。
「あ、今年だったんですね、サンタ認定」
「そうなんだよ。あっという間のようだったが、思い返すと色々な事があったなぁ、この六年間」
サンタクロース制度。いつから始まったのかは知らないが、俺が子どもの頃には既にその制度が存在していた。
子どもが小学校へ入学する年に役所へ行ってサンタクロース申請をすると、サンタの衣装一式――これを身に着けていると子どもに姿を見られても親だと気がつかれないらしい――、毎年送られてくる割引付きのプレゼントカタログ、必要であれば空を飛ぶトナカイ付きの橇、その他細々としたサンタ特典を得られるようになる。
サンタの任期は六年間。子どもが小学校を卒業する年のクリスマスには、サンタクロースの正体を告げるという義務がある。それと同時に交付されるのが、この “サンタクロース認定証” だ。
「俺も来年から始まるんですよ。緊張するなぁ」
「片瀬はひとり親だから苦労も倍になるだろうが、そのぶん、認定証の重みは人並み以上だろうな。頑張れよ」
肩を叩いてきた上司の目は、微かに潤んでいた。酒のせいで涙脆くなっているのだろうが、子どものために何かをやり遂げた事が形になって残るというのは、きっとそのくらい大きな喜びになるのだろう。
妻の華枝は、ひとり息子の馨が二歳の時に亡くなった。それから四年しか経っていないが、その間、俺は妻の死を嘆く暇も無いほど忙しく動き回っていた。馨も少しづつ成長して、来年度はいよいよ小学校へ入学だ。
年に一度のビッグイベントのひとつが、少しでも楽しい記憶として残るように努めよう。机に置かれた上司のサンタ認定証を見て心にそう決めると、俺はジョッキに残っていたビールを一気に飲み干した。
☆*::*:☆:*::*☆
サンタクロース申請は、子どもが入学した年の四月から九月の間に行うことができる。
小学校の行事や慣れないPTAの集まりへ参加したり、馨の勉強を見てやるのに加えて、職場では自分の業務だけでなく新入社員の世話にも追われるせいで、申請する頃には締切間際の九月下旬になっていた。
「申し訳ありません。片瀬様の申請は、こちらでお受けすることができません」
額から流れる汗は、九月も終わりだと言うのにまだ真夏のような暑さが続くせいでも、それなのに空調の効きが悪い役所の設備のせいでも無いだろう。
サンタクロース申請の条件は、親と子が同じ籍に入っていること。血縁関係が無くても申請可能である代わりに、別途手続きが必要になる。
俺と馨は同じ戸籍に入っているし、血縁関係を証明する遺伝子検査だって問題無いはずだ。きっと何かの手違いだろう。
「もう一度、調べてみてください」
ポケットから取り出したハンカチで額を流れる汗を拭きながら頼む俺のことを数秒見つめたのち、対面の女性は何かを諦めるように瞳をわずかに伏せて頷いた。
華枝を初めて認識したのは、就職して暫く経ってから入った散策サークルの飲み会だった。周りが酒を飲んではしゃぐ中で穏やかに笑みを携えながら話を聞き、空いている皿やグラスが無いかどうか気を配る姿は、まるでネット記事で特集される典型的な理想の女性像のようで、その時にはさほど興味は抱かなかった。
しかし、接点が生まれてからは彼女の存在を意識することが増えた。そのサークルの趣旨はその名の通り様々な場所を散策することだったので、メンバー間で遠出をすることが多く、回を重ねるごとに自然と彼女を視界に捉える事も増えていた。思えば、その時点で俺は華枝に惹かれていたのだろう。
距離が急激に縮まったのは、サークルへ入って初めての年越しイベントだった。車で訪れた山奥のコテージに宿泊して、初日の出を見ようと言う企画だ。
その中で、チーム対抗戦のかるた大会が行われた。華枝が読み人の時、彼女は細すぎず主張しすぎないよく通る声で札を読み上げていたが、それよりも、彼女が札を取る番になると目の色を変えて必死に食いつこうとする姿に魅入った。長い黒髪は邪魔にならないようにとしっかりまとめ上げられ、動きやすそうなトレーナーとジーンズを身に着け、捲り上げられた袖から伸びる白い腕の先、小さな爪は深爪しそうなほど短く切り揃えられていた。
「華枝さん、すごい本気だな」
「私、華枝さんのこと苦手だったけど、少し好きになったかも」
観戦していた人間のうち何人かは、普段の華枝との違いに驚いていたし、ともすれば彼女に好意を持っていた男が衝撃を受け落胆する表情さえ見受けられるほどだった。
その日の夜、俺は華枝の隣に座ることになった。それまで他の人を混じえた会話で言葉を交わすことはあったが、直接話しかけるのはその時が初めてだった。
「葛城さん、かるたの経験があったんですか」
かるたの話を振られたせいか、初めて声をかけられたせいか、あるいはそのどちらもだったかもしれないが、その時の華枝は驚いた猫のように目を丸くしてこちらを見上げていた。
「いいえ。どうしてですか」
「すごく必死だったから、昔やっていたのかな、と」
「勝負事になると負けたくないだけなんです。下手くそなのに、形ばかりこだわっちゃって」
深い溜息を吐きながら口をつけたのは、烏龍茶だった。ふと、彼女がいつもソフトドリンクを頼んでいたことに気がつく。
「お酒、苦手なんですか」
「好きですよ。でも、酔うと周りを見られなくなるから」
俺が思っていた以上に、華枝は周囲に壁を作っている。常に他人と一定の距離を保っていなければ落ち着かないのかもしれない。そう考えてから、自分もなかなかの負けず嫌いであることが分かった。閉ざされた彼女のパーソナルスペースへ入り込みたいと思ったのだ。
「今度、二人で食事へ行きませんか」
初めての誘いは、単なる好奇心から出た言葉だった。
「申し訳ありません。やはり、お受けすることはできないようです。特別申請の際は、こちらの窓口へ……」
声をかけられ、はっと顔を上げる。勢いがつき過ぎたせいか、館内の地図を取り出していた女性が訝しげな様子でこちらを見た。すみません、と頭を下げると何事も無かったかのように説明の続きをされたが、俺の耳にはほとんど入ってこなかった。
なぜ突然あんな過去のことを思い出したのだろうと考えていると、目の前で話している女性の目元が華枝によく似ているのだということに気がついた。
☆*::*:☆:*::*☆
馨が小学校へ入って、六回目のクリスマスが訪れた。
一年目には、スニーカーを買ってあげた。日曜日の朝にやっている戦隊モノの番組を観ていると、合間で流れる靴のコマーシャルにえらく食いついているのに気がついたのだ。幼稚園へ通っていた時よりも活発な遊びをすることが増えたし、――本人にそんな意図は無いかもしれないが――身に着ける物に興味を持ち始めたというのも、嬉しいことだった。
二年目には、野球のグローブを買ってあげた。一緒にキャッチボールをできるように、俺の分と合わせてふたつだ。「サンタさんがパパのぶんもくれたよ!」と興奮気味に渡してくる姿を見て、むず痒い気持ちになったのをおぼえている。前の年にプレゼントしたスニーカーもグローブも、履き潰してボロボロになるまで使ってくれていた。
三年目には、学習まんがの二十巻セットを買ってあげた。その頃には様々なことに興味を持ち始めて、図書館で本を借りることもおぼえたおかげで、返却期限の間際まで同じものを繰り返し読んでいた。夢中で頁を捲り、時折おぼえた知識を披露してくれるたびに、馨の成長を感じていた。
四年目には、新しい自転車を買ってあげた。友達と遠くへ遊びに行く機会も増え、補助輪を取っただけの小さい頃から使っている自転車では不格好だったので、スマートなマウンテンバイクを選んだ。行動範囲が広がると怪我も増えたが、夕飯の時にしてくれる様々な場所の話を聞くのが楽しみだった。
五年目には、天体望遠鏡を買ってあげた。馨の部屋を片付けている時に、授業で配られたらしい紙の星座早見盤がボロボロになっているのを見つけたからだ。それを持って色々な場所で星を眺めるのが二人での恒例行事になったが、俺自身も夢中になって、つい望遠鏡の取り合いになってしまった。
六年目は、ポラロイドカメラを買ってあげた。家のパソコンを使って調べ物をしたり、何かの写真をプリントアウトしてオリジナルのノートを作ったりしている姿を見ていたので、カメラを与えれば自分の足で探索に出かけることも増えるだろうと思ったのだ。
クリスマスを跨ぐイブの夜中にプレゼントを用意して、翌朝のクリスマスには、馨がそれに対して何を言ってくるのかがいつも楽しみであり不安でもあった。
朝食の支度をしながら、階段を降りてくる足音を聞く。テーブルへ皿を並べ終えると、包装紙を開けたプレゼントを持った馨がリビングへ入ってきた。
「おはよう。今年は何だった?」
「カメラ。あとさ、これ、お父さんに」
右手でカメラを持ち上げてこちらへ見せながら、左手で白いカードを差し出してくる馨は、どこか居心地悪そうに視線を外していた。
プレゼントに対する反応がやけに薄いのが気になる。やはり、テレビゲームやラジコンなどの玩具を買ってあげた方が良かっただろうか。あるいは、カメラと言えど高価な物を用意できなかったせいだろうか。そんなことを思いながらカードを受け取り、裏返す。
“サンタクロース認定証”
どこにでもある油性の細字マジックペンで、厚紙の中央上部にそう書かれていた。その下には、馨が小学校に入学した年のクリスマスの日付と、今日の日付が書かれている。右側には、ちょうど証明写真が収まるくらいのスペースが空いていた。
「これは?」
椅子に腰掛けてトーストを頬張る馨に尋ねると、そっぽを向いて頬杖をつきながらひとつ息を吐いた。照れ隠しをする時の馨の癖だ。
「そういうの貰うんだろ。ふつう」
「いつから知ってたんだ」
「四年生の時かな。夜中に物音で目が覚めたんだ。お父さん、玄関で自転車を倒しただろ。それで外を見てみたら、サンタクロースの格好をしたお父さんが居た」
あの時か。プレゼント用のカバーをかけてリボンを巻き付けるのが難しくて、一度倒してしまったことがある。
サンタの服は、馨が小学一年生の時に買った物を使い続けていた。役所から配布される物のように記憶を操作するような効果は無いけれど、万一見られた時に誤魔化せると思ったのだ。
「バレてたのか……。でも、どうして認定証のことまで」
「調べたんだよ、パソコンで。僕のアカウントじゃフィルターがかかってたから検索できなかったけど、お父さんの方を使って。パスワードも僕の誕生日だったからすぐに分かったよ。それで色々調べていたら、サンタクロース制度のこと、得られる特典、任期、最後に貰える認定証のことまで出てきたから」
熱心に調べ物をしていることが増えたと思ったら、俺のアカウントまで使っていたのか。感心するやら呆れるやら、その執念深さは誰に似たのだろう。
華枝と二人きりで過ごした最後のクリスマスの日、彼女の様子がおかしかった。それ以前にも時折表情を曇らせて何かを思案することが増えていたが、気にしないようにしていた。
「私達が、この子のサンタクロースになるんだよね」
膨らんできた腹に手をのせながらそう呟く姿は、将来を心待ちにするというよりも、何かを不安がるようだった。育児そのものに対するそれかとも思ったが、別の何かが含まれていることに、俺は気がついていたのだ。
「そうだよ、何があっても。俺達ふたりでなるんだ」
手を重ねると、華枝は震える声で絞り出すように「ありがとう」と囁いた。まるで、何かを懺悔するように。
華枝が亡くなったのは、車に乗っている時の交通事故が原因だった。馨には、出張中の事故だと話している。しかし、実際には違っていたのだ。華枝が亡くなった時、運転席にはかつてのサークルメンバーだった男性が座っていた。二人がどんな関係だったのか、どのくらいの頻度で会っていたのか、その日はなぜ一緒に居たのか、誰も何も知らなかった。唯一答えを知る二人は、もうこの世には居ないのだから。
華枝の死の間際に他の男が隣に居たことを知った時と、役所で申請が受理されなかった時。その二回、俺は発狂しそうになった。もしかしたら、馨はその男の子どもなのではないか。その可能性が頭に過ぎったのだ。だけど、もしかしたら本当にただの間違いかもしれない。俺はその答えを知るのが怖くて、遺伝子検査の結果を聞くことをせず、自分の力で馨のサンタクロースになることを決めた。
サンタの衣装が支給されていれば正体がバレてしまうことは無かっただろう。プレゼントのカタログが支給されていればもっと良い物を買ってあげられただろう。馨を橇に乗せてもっと間近で星空を見せてやることもできただろう。それでも、俺は自分自身の我儘のために、申請が受理されなかった理由を知ることを拒んだ。
「クリスマスの楽しみ、半減させちまったよなぁ。ごめんな」
「謝るなよ。そんなこと思ってたら、そんなの作らないだろ。……ほら、サンタの服着てきなよ」
素っ気なくそう言うと、馨はテーブルの脇に置いていたカメラを持ち上げる。
着替えてくる理由が見当たらずに眉を顰めその様子を眺めていると、今度は呆れたように溜息を吐かれた。
「写真、撮るんだよ。自分で撮って貼ってもらおうと思ったけど、折角サンタがカメラをくれたんだから、僕が撮る」
服を着替えてくると、馨は可笑しそうに腹を抱えて笑った。
「明るいところで見ると、本当にただのお父さんだな」
「笑うなよ。恥ずかしいんだぞ、これ」
リビングに飾ってあるツリーの横へ立つように指示されて移動すると、自分の姿を見下ろして苦笑する。バレないようにと着ていたのに、正体がバレてしまった今は、ただコスプレしている父親の姿でしかない。
「いいよ、似合ってる。ほら、笑ってよ」
カメラを構える馨は生き生きとしていたが、撮られる方はつい緊張してしまう。初めての被写体になるのは嬉しいことだが、もっと違う形であれば良かったのに。
「かたいなあ、まぁいいや。撮るよ」
カチ、という軽いシャッター音が鳴ったかと思うと、すぐに写真がプリントアウトされた。
「……かたいな」
数秒待って浮き上がってきた俺の表情は白い付け髭でほとんど隠れているにも関わらず、緊張しているのがありありと見て取れた。
「ていうか、認定証に貼るには大きすぎるよね、これ」
「お前、分かってて撮っただろう」
「まぁ、僕からのクリスマスプレゼントってことで」
笑うと糸のように細くなる目は、華枝によく似ている。
馨は、サンタクロース申請をしなかったことをどう思っているのだろうか。何故しなかったのか、何故できなかったのか、その理由まで思い当たっているのだろうか。それを考えると、鼻の奥がつうと痛くなった。
「僕は、お父さんがサンタクロースで良かったと思ってるよ。プレゼントのチョイスは最高だし、こんなに笑わせてくれるサンタなんて他に居ないよ。六年間お疲れさま」
そう言って、馨は付け髭をわしゃわしゃと撫で回してからテーブルへ戻った。
俺は六年間、いや、それよりもっと長いあいだ何かと戦っていたのだと思う。華枝を疑う気持ちと、信じようとする気持ち。そして、未完成のサンタクロースでも馨のクリスマスを素敵な思い出にしてやりたいという気持ち。それは自分のエゴであったかもしれないが、馨がくれた言葉とプレゼントはそんな不安をかき消すのには充分だった。
こんなに素敵な息子に出会えたことが、誰にも負けない俺の誇りだ。




