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二十四日の手下たち

 「ねえお父さん、サンタさんって本当にいるの?」

 ついにその質問をしてくる日がやって来たか。おれは逸る心をひた隠し努めて冷静を装う。

「サンタさんはいるよ。サンタさんにプレゼントお願いしたんだろう?」

「うん。でもね、隼人くんや佐藤さんはサンタクロースなんていなくてお父さんとお母さんがプレゼントくれているだけって言うんだ」

 昔っから早々に現実を歩む子はいるものだ。何の影響かは知らないけれど。息子は友達の言葉に心揺れながらもまだサンタクロースを信じているようだ。

 おれは人生の中でも有数の真面目な顔になる。ここで笑ったらすべてがおさらば、そう思えば自然と気合が入るってものである。

「お父さんは知っているんだ、サンタクロースがいるって事」

「なんで?」

「これはほかの誰にも秘密だ。クラスの隼人くんにも佐藤さんにも。お母さんにも美幸にもだ。お父さんと二人だけの秘密。守れるか?」

おれに釣られてか、真剣な顔で頷く。息子に顔を寄せ、声を潜める。

「他に誰にも話さないのは男同士の約束だ。実はお父さんは……」



「サンタクロースの仲間なんだ」

 雅幸はきょとんとした顔をしている。そりゃそうだよなあと頭の片隅で思う。

十二月二十四日クリスマスイブ、家に帰ってきて早々、由美佳の号令で雅幸の枕元にプレゼントを置く任務を全うしようとしたところ、サンタクロース確保を目論んでいた息子に捕まった。

「嘘でしょ。お父さん、日本人だし、ひげも生えてない」

「サンタクロース一人じゃ世界を回れないから、和製サンタクロースが日本人の子どもにプレゼントを渡しているんだ。ひげはまだ若いからなくていいことになっている」

「お父さん、英語しゃべれないのに、サンタさんとどうやって話すの?」

「お父さんも英語話せる」

「メリークリスマスって英語で書けなかったじゃん」

 そうだった、この間宿題を手伝おうとしたら書けないところを晒してしまったのだ。あれはあまりにも致命的ミス。日本語もおぼつかない小学生になぜ英語を教えるのか。なんて言い訳じみたことを嘯いてみたところで雅幸の記憶から抹消することはできない。

「やっぱりサンタさんなんていなくて、お父さんがサンタさんなんでしょ?」

 小学二年生、夜十一時にしてこんなにも論理的思考ができるなんて、なんて優秀なのだ。おれなんて仕事ではしょうもないミスをするし、由美佳にはもうちょっと早く帰って来られないのと詰られるし。諸々ほっぽり出してとっとと愛する我が家に帰りたくても、帰れない事情があるのだ。いや、今はそんなことはどうでもよい。サンタクロースは実在する、そのことに全力を注ぐのだ。

「英語がしゃべれなくてもサンタクロースとは話せる」

「どうやって?」

「そ、それはだな、サンタクロース様はすべての言語を嗜んでいるから日本語も喋れるんだよ」

「たしなんでいるって?」

「勉強しているってことだ」

「なんで英語話せる人が選ばれなくて、お父さんが選ばれたの?」

 なんて鋭い。いったん落ち着こうと深呼吸する。深呼吸をしたところで状況は変わらない。おれの圧倒的不利。その時、俺の目の端が打開の一手を捉えた。

「この話はいったん終わりだ。今日は遅いから寝て、また明日話そう」

「いや」

 そう言いつつも雅幸の欠伸が止まらない。おれもだ。

「大丈夫、おれは逃げない。明日は休みだし。サンタクロースの真実を教えよう」

「本当?」

「ああ、男と男の約束だ」

 しぶしぶ、といった様子で頷いた。こんな時間だ、相当眠いだろう。

「よし、布団はいるぞ」

 おれがひょいと、いやかなり気合を入れて抱き上げると驚きと笑顔が浮かんだ。良かった。布団に入れると数分もしないうちすやすやとした寝息を立て始めた。とりあえずこれで一安心。そしておれの戦いはこれから始まる。


「幸一くん、ありがとう。ってなんでそんなしかめっ面してるの?」

「まさかの事態が起こってな……、サンタクロースが捕まってしまったのだ」

「捕まった? ああバレちゃったの?」

「そうなんだ」

「そっかー、残念」

「だからな、どうすればお父さんはサンタクロースではないとわかってもらえるか考えている」

「慣れない頭脳戦だからそんな顔してるのね」

由美佳はけらけら笑いながらお茶を啜る。そして欠伸、なんでそんなに能天気なのか。

「おれは真剣に……、悩んでいるのだ」

「それはよーく分かるわ。難しい問題ねえ。幸一くんはどうしたいの?」

「サンタクロースはお父さんではなく、クリスマスには赤い服を着て白い髭を生やしたおじさんがやってきて、その人こそサンタクロースだと思わせたい」

「そうやって聞くとただの不審者ね……、まあクリスマスだからいいのか。で、どんな風にバレたの?」

「プレゼントを置こうとしたらむくっと起き上がって腕を掴まれた」

「致命的」

「そうなんだよ……」

「もうバラしたら?」

「嫌だ。幼いころから冷めた目で現実を見るより、面白いことに溢れている世界に目を向けてほしい。いつかは絶対現実なんて見えてくるから。まだね、世界の限界はないって思っててほしいよ」

「そうだね。うーん……」

ようやく由美佳も思案顔になる。

「実はサンタクロースの仕事してましたとか?」

「英語力がないから違うって言われた」

「高校の時、いっつも赤点だったね。いつもローマ字書きして間違ってたもんね」

 ついこの間も同じことをしたのは恥ずかしすぎて言えない。

「それじゃスパイとかは?」

「なにそれ」

 スパイ。なんとも心躍る単語。

「サンタクロース同盟のスパイ組織。全国各地の子どもたちが何を欲しがっているか調査し、幹部に伝える。中間管理職は子どもたちの願いを叶えつつ、予算内でやりくりする板挟みに苦労しているのです」

「面白いな!」

「本当? じゃあこの案で。あとは頭絞って考えて。私は眠いから先寝るね」

大欠伸をし、由美佳は寝室へ入っていった。この案をどうしたら信じさせられるか。頭を回転させるため、シャワーを浴びよう。


やけに体が重い。目を開けると腹に山が出来ていた。時計を見るとまだ八時半。そして土曜日。起きるにはまだまだ早いじゃないか。

ぼおっとしていると山が高くなった。横を見ると雅幸が腹の上にこんもり盛られた毛布の山にさらに枕をのせている。

「お父さん、起きるの遅い」

「ああごめん、起きるよ」

「お父さん、昨日のサンタさんの話」

 ちゃんと覚えてたか……、忘れていることをちょっと期待したんだけどな。

「分かっている。話すよ。起きるから待っていてくれ」

「幸一くん、起きたんだったら早くご飯食べちゃって」

 ぽんと飛んできた由美佳の声。さすが我妻。素晴らしいタイミングである。

「ごはん食べてからでもいいか? 雅幸も一緒に食べよう」

「うん」

 雅幸と一緒に食卓に着くと味噌汁とご飯が並んでいた。いつ見ても幸せな光景。

「幸一くんおはよう。雅幸はずっと幸一くんが早く起きないかなって待ってたよ」

 思わず隣にいる雅幸の髪をくしゃりと撫でてしまった。息子よ、そんな怪訝な顔をするな。


 朝食が食べ終わると息子によって再び和室に連れ込まれた。大丈夫、対策は考えている。

「お父さん、サンタさんはお父さんじゃないの?」

 疑いの目、今こそ晴らして進ぜよう。

「そうだ。お父さんはサンタクロース同盟のスパイでな、日本の子どもたちが何を欲しいか調査しているのだ。そして今回はプレゼントを配る役目もあったのだ」

「英語しゃべれないお父さんが?」

 ふっふっふ、そこはちゃんと考えたのだ。

「英語だとな、サンタクロース以外に秘密のやりとりが漏れてしまうから暗号を使っているのだ」

「暗号!」

 雅幸の顔がぱっと輝いた。これはいける。

「そう、暗号だ。この暗号が読めることがスパイとしてのテストとなる」

「お父さんは受かったの?」

「ああ、勿論」

「すごい! お父さんはサンタさんの手下なんだね」

「手下っていうのは……、まあ、そうだな」

「暗号ってどんなのなの?」

 目を輝かせて聞いてくれるな。そこの設定はないのだ。

「それは言えない。秘密事項なのだ」

「お父さん、昨日は話してくれるって言ったじゃん! 男と男の約束でしょ!」

「言えぬこともあるのだ」

「ずるい。僕もサンタさんの手下になりたい」

「子どもをサンタクロースにするわけにはいかないし、サンタクロースにスパイがいることも秘密だ。しかし、雅幸がそこまで言うのなら仕方ない、特別に話してよいか聞いてみよう」

「絶対だよ」

 眩しすぎる笑顔におれの良心がちくりと痛んだ。


 それからというもの、毎日「暗号は?」と聞かれるようになった。困った。そんなもの、存在しない。何かアイディアが欲しくて忘年会に行くたびにこの話をしたが、誰も彼も「可愛いね」と笑うばかりで何の解決もない。求めているのはその答えではないのだ。

「佐久間、あれは? 大学の頃やってた光のやつ」

「なにそれ」

 一番阿呆だった大学時代の悪友、島田。にっちもさっちもいかなくなり、その男に電話かけてみたところ、思わぬ答えが返ってきた。

「なんかさ、研究室と研究室の窓から光を発して会話するんだってやってじゃん、夜やって警備員呼ばれたやつ」

「ああ! そんなことあったな! 島田おぬしは天才か」

「俺は昔からずっと天才さ」

「最高だよ。マジでありがとう」


 「雅幸、話をしよう。ここにお座り。サンタクロースの暗号を教えよう」

 由美佳が正月の買い出しに行っている隙を見つけ、そう声をかけると飛んでやって来た。おれはできる限り威厳を持った姿勢で椅子に座る。

「で、お父さん、暗号って何なの?」

 椅子から転げ落ちそうなほど身を乗り出し、きらっきらした瞳が俺の目を見つめる。よしよし。

「それはだな……」

 おれは探し出してきた懐中電灯を手に取り明かりをつける。ぱぱぱぱ、つけたり消したりする。

「なにそれ」

「これはモールス信号といってな、電気のつき方で言葉になるんだ。今のはこんにちはだ」

「僕もやりたい!」


 子どもの好奇心を舐めていた。一つ教えれば満足すると思っていたのに、そんなことで満足できる体ではなかったのだ。ドラマのようなことをやりたくて、ちょっと齧っただけの知識などすぐに飲み込まれてしまった。

「前にも話したが、これは秘密だぞ。お母さんにもだ」

 雅幸は神妙な顔で頷く。

「それでは今日はこれまで。他のはまた今度な」


 その日以降、夜な夜な本と懐中電灯片手に勉強に励んだ。

「幸一くん、毎晩何やってるの?」

「サンタ修行」


 子どもの学習能力を舐めていた。おれのいる休日だけ教えている筈なのに恐ろしいスピードで覚え、忘れないのだ。さらにちゃんとおれとの秘密であることを守って由美佳に隠れて一人密かに練習しているようなのである。由美佳は「男二人で面白そうなことやってるのね」と特に何も言わず見守り、雅幸の奇妙な行動も見て見ぬ振りをしてくれている。

そんな真剣な姿勢の前におれのにわか知識と平日夜の修行だけでは太刀打ちなんぞできなかった。おれの知識を吸収しきると自分で図書館に行って本を借り覚え始めた、こたつに別れの挨拶を告げ、薄手のコート共に花見に行く頃にはサンタクロースなど関係なくモールス信号にはまり込んでおれよりも詳しくなっていた。ついに先生と生徒が反転し、日曜夜は雅幸先生の授業をおれと由美佳が受けるようになった。


「雅幸はすごいな。おれの息子とは思えないほど賢い」

 仕事から帰ってきて、由美佳が淹れてくれた紅茶を飲んでいると、ふと言葉が口をついた。さっき見た寝顔はこんなにもあどけないのに、頭の中にはおれに教えられるほどの知識が詰まっている。

「雅幸は幸一くんに似てるなって思うけどな」

「えっ、どの辺が?」

「興味あることにはいつも一直線だったよ。テニス部の時も最初の頃、すごく真面目な人だなって思った」

「えっ、そうだったんだ」

 そんな風に思われていたとは意外過ぎる。飽きっぽいとはよく言われたけど真面目だなんて言われたことは滅多にない。

「うん。でも興味の対象映るのも早いよね。文化祭の時バンド組んでから、そっちにはまって部活に来なくなって。そんな真面目じゃないんだなと思った」

「いろいろ手を出したがるオトシゴロだったからさ」

「今もじゃん」

「三つ子の魂百までとも言うしな」

「いつでも楽しそうでいいなって思うよ。ものを増やすのだけは部屋が狭くなるからやめてほしいけど」

「それはすみません」

 やりたいと思って購入したが放置され置物化しているスケボーや釣り道具達が頭をよぎる。

「あの頃からじゃ、幸一くんとこうしているなんて想像もできなかったな」

「そうだね。大して話もしなかったし」

「何があるか分からないね。興味の対象がころころ変わってもいいけど、私からは飽きないでね?」

「はい」

 飽きるわけないさ。制服の頃から可愛いと思っていたし、あの頃も恋心を抱いていたんだから。恥ずかしくて言えないけど。由美佳と雅幸とのめくるめく日々に飽きる要素など見当たらない。



「サンタクロースの仲間なんだ」

 幸人の信用と疑惑が半々な顔。おれもこんな顔していたのかなとふと思う。ここからが重要。おれは動き出したがる表情筋をなだめ、真剣な顔を維持する。

「お父さんとサンタさんはどうして仲間なの? お父さんは学校に先生でしょ?」

 おれは声を潜めたまま言葉を繋ぐ。

「先生をやりつつ、サンタクロースのスパイでもあるんだ。でもこれはね、男同士の秘密だ。ばれてしまうともう仕事が出来なくなってしまうから。だから喋らないでいてくれ。幸人を信用して話したんだ」

「分かった」

 幸人の声が弾みだしたのが分かる。おれは幸人の髪をくしゃりと撫でる。

「詳しくは明日教えてあげるから、今日はもうおやすみ」

「えー、もっと教えて!」

「幸人、明日学校でしょ。雅幸さんとお話したら寝るわよ」

「ほら、お母さんが呼んでいるから。いいか、お母さんと美幸には秘密だぞ」

「うん」

 頷いて、名残惜しそうな顔を見せながら徳子のいる寝室へと消えていった。

 その背中に幼いころの思い出が重なる。おれもあの頃同じ質問をしたものだ。スパイに暗号にモールス信号。今思えばそりゃサンタクロースじゃねえだろうと突っ込みたくなるけれど、あの頃はその謎多きワードにわくわくしたものだ。モースル信号は面白く嵌りすぎて大層詳しくなった。同じようなことがしたくて、この質問が来る時を今か今かと待っていたのだ。

 父親はどんな気持ちでおれに話していたのだろう。同じように信じさせることに胸を躍らせていたのか。それともバレないよう胸を焦らせていたのか。行き当たりばったりでムードメーカー。そして何より子どもよりも面白いことに目がない親父。サンタクロースの真実を父親と二人だけの秘密として共有した時間、そして先生役をしたことは幼いころの鮮やかな思い出として残っている。勉強はさっぱり教えてもらった記憶がないが、いろんな遊び一緒にしたものだ。どんな遊びにも俺が飽きるまで付き合ってくれた。

 ふと思い立ってクローゼットの中の懐中電灯を取り出す。ぱぱぱぱ、とライトを付けたり消したりする。随分離れていたが覚えているものだ。あの日教えてもらった、「HELLO」、あの時親父は紛れもなくサンタクロースの手下だった。そして明日のクリスマスイブ、暗号を熟知したおれはサンタクロースの手下となる。

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