真っ赤な表紙のその本の名は
この物語にはいくつかの人物、団体名が登場しますが、あくまでフィクションであり現実の彼、彼女らとは全く関係ありません。また某シリーズの著者の方、勝手に設定を使わせていただきましたが何卒ご容赦ください。
「日常の謎というものは人が死ぬミステリに比べると『ライト』だと軽んじられることもあるけれど全くそんな事はなくて、むしろ特殊な舞台や心理状況という言い訳を使えない分作者の力量が問われる作品だと思うの。その点、米澤先生の『愚者のエンドロール』は作中作で本格的なミステリをやりつつ、結末はあくまで日常の謎、高校生の真理を巧みに使った構成が素晴らしいわね。もちろん──」
木枯らし吹く冬の河川敷を歩く二つの小さな影。熱っぽくミステリの魅力を語っているのはランドセルを背負った女の子。通りすがった誰もが振り返るような美貌。艶やかな黒髪。さらにランドセルとはミスマッチな朱色の和服をさも当然のように着こなし歩く姿は十歳にしてオーラに溢れています。少女の話にうんうんと頷きながらその隣を歩く眼鏡をかけた少年。少女と並んでいると思わず見落としてしまいそうな普通の男の子ですが、その瞳はいつも好奇心に光っています。一見凸凹なこの二人。実は小さな頃からたくさんの冒険や事件を一緒に乗り越えてきた名探偵とその助手なのです。
「そこのお前ら!ちょーとまちなぁ!」
楽しくお喋りをしている二人の前に体の大きな少年が立ちはだかりました。彼の名前は末堂君。体がとても大きく、空手を習っているので四年生にして校内で喧嘩が二番目に強いと言われています。
「今日こそは勝たせてもらうからなぁ!」
両手を大きく掲げて飛びかかってくる末堂君。そのダンプカーのような突進にも少女は眉一つ動かさずに短く息を吸いました。
「天上天下唯我独尊」
鈴のように可愛らしい少女の声が聞こえたのと同時、末堂君の視界に滑らかな真白の太腿が映りました。直後、可憐な姿からは想像もできない少女の回し蹴りが頭を打ち抜き、末堂君の巨体が宙を舞いました。華麗に地面に着地した少女の足を着物の裾が少し遅れて慌てたように隠します。
「いつにもまして吹っ飛んだけどあれ大丈夫なの……?」
「大丈夫よ。ちゃんと峰打ちにしておいたわ」
回し蹴りで峰打ちって出来るのかな?と疑問に思いましたが、素直が取り柄の彼は、彼女が言うのならそうなのだろうとすぐに納得し気絶する末堂君に駆け寄ると傍に絆創膏を置きました。
「さっ、行くわよじょじょ。今日はうちで犬神家観るんだから」
「待ってよエラリーちゃんっ」
「末堂君。毎回めげずに挑んでくる気概は嫌いじゃないわ。これからも精進しなさい」
去り際、意識を取り戻して呻く末堂君にそう声を掛けると、少女は着物を翻し颯爽と歩いていきました。
着物の少女の名前は〈九院偉理衣〉小学校で一番喧嘩が強く(勿論無闇に力を振るったりはしません)後に世界を股に掛ける名探偵となる女の子です。
眼鏡をかけた少年の名前は〈じょじょ〉もちろん本名ではありませんが、みんなからはその愛称で呼ばれています。後にどうなるか?それはまだ秘密にしておきましょう。
九院家は長い歴史と多くの企業を有する名家中の名家です。そんな名家の一人娘エラリーちゃんとごく普通の一般家庭で暮らしているじょじょ君がなぜ幼馴染みになったかといえば、なんでも江戸時代に大名だった九院家と長屋の大家をやっていたじょじょ君の先祖が懇意にしていたからとかなんとか。凄く可愛くて、頭も良くて、運動神経も抜群。なんでも出来るエラリーちゃんを見ていると将来大統領になる事も、金メダルを取ることも、世界征服をするだって、なんでも出来るのにと思うじょじょ君ですが、エラリーちゃんの夢はただ一つ。世界一の名探偵になることだけです。規格外のスーパー少女とずっと一緒にいたじょじょ君はエラリーちゃんの隣にいられる事が嬉しくて、誇らしい気持ちでいっぱいですが、たまに思ってしまうのです。いつも守ってもらったり、教えてもらってばかり。僕がエラリーちゃんにあげられるものはないのだろうか?と。
〇
「今日の鑑賞会は魍魎の匣ね」
昨日とは打って変わって野球帽に半ズボンとまるで少年のようないで立ちのエラリーちゃん。なんでも「探偵たるもの変装の心得が必要」とのことで、エラリーちゃんは毎日姿が変わります。
「ごめん。えっと、その、今日はお母さんに頼まれた買い物があって」
鋭いエラリーちゃんに気づかれないよう、足早に別れたじょじょ君は慣れない電車に乗りました。嘘をついてエラリーちゃんの誘いを断ってしまった事に良心が痛みましたが、こればかりは知られる訳にはいきません。じょじょ君は二つ先の駅で降りると、お母さんに描いてもらった地図を見ながら見知らぬ町を歩きます。駅前から離れていくにつれて周りから人が減り民家が増えていきます。夕飯の準備でしょうか。どこからかカレーのいい匂いが漂ってきて、じょじょ君のお腹をぐぅと鳴らしました。そうやって地図と睨めっこしながらしばらく歩きましたが、近くまでは来ているはずなのにお店はなかなか見つかりません。途方に暮れるじょじょ君に追い討ちをかけるようにぽつり、と地図に染みができました。空を見上げるとどんよりとした雲から雨が降り出しました。次第に勢いを増す雨足に、じょじょ君は慌てて近くにあった家の軒先に避難しました。
逃げこんだ軒先で濡れた髪をハンカチで拭いていると、じょじょ君はなにやら気配を感じました。何気なく隣に目をやると、デンと狸の置物が置いてあります。いつかエラリーちゃんが信楽焼と言うのよ、と教えてくれました。でもよく見るとなんだが鼻がとんがっていて、体もスリムなような…。正面に回ってみるとそれは狸ではなく、狐の信楽焼でした。首に掛けられたプレートには『狐でもいいではないですか』と言い訳じみた台詞が書かれています。
「いけないいけない。看板を出すのを忘れていました。コタツ、人間の思考力を奪う憎いやつです。でも愛おしい!好き!下半身をコタツにしたい!はっ、そうしたら人魚姫ならぬ人炬燵姫ですね。素敵です!」
突然じょじょ君の後ろの扉が開き、慌てた様子の女性── 人炬燵姫(志望)が現れ、信楽焼の狐が掛けたプレートをくるりと回しました。そこには『商い中』の文字が現れます。
「人炬燵姫のオーディションとかあったらコタツへの愛は負けない自信があるのですが。思えば六歳の冬。初めてコタツと出会ったあの時が私の初恋だった気がします」
続いて人炬燵姫(志望動機:コタツが初恋です!)はお店の中から大きな看板を持ち出して入り口に立てかけました。
「コタツと言ったら何を差し置いても日本酒です。不肖この私、コタツで飲む日本酒には一家言ありまして」
独り言をぶつぶつと呟く人炬燵姫(アピールポイント:誰よりも美味しそうにコタツで日本酒を飲めます!)の視線がやっと固まっているじょじょ君に向けられました。
「あら、少年はお客さんですか?」
「いえ、僕はお店を探していて……この辺だと思うんですけど」
「どれどれっと……なんだやっぱりお客さんじゃないですか」
地図を手渡したままぽかんとするじょじょ君に、お姉さんは看板を指差して言いました。
「ようこそ。『外待雨堂書店』へ。素敵な本をご用意いたします」
不思議なお姉さんのニンマリとした笑みに、じょじょ君の脳裏にお母さんの言葉が蘇ります。
『この前とても素敵な本屋さんを見つけたのよー』
そうです。エラリーちゃんへのクリスマスプレゼントに悩んでいたじょじょ君は、お母さんのそんな言葉でこのお店にプレゼントの本を探しに来たのです。……まさか、こんなおかしなお店だとは思いもよりませんでしたが。
〇
「どうぞごゆっくりー」
お姉さんに背を押されるままに恐る恐る足を踏み入れた外待雨堂書店の店内は雑多な物で溢れていました。大きなダンゴムシのフィギュア。天井から吊るされた色とりどりの風鈴。屋形船のイラストが描かれた大きな団扇。そんなふうに統一性の無いものが並んでいるのに、何故だか全部の物があるべき所に収まって客人を迎えているような、なんだか無性に気持ちが浮き立つ不思議な居心地です。店の中を少し進むと、壁一面に大きな本棚が並ぶスペースになりました。本好きのじょじょ君は思わず本棚から背表紙が綺麗な一冊を取り出しました。本のタイトルは『エラリー・クイーンの事恋簿』エラリーちゃんに勧められてミステリをたくさん読んでいるじょじょ君ですがそのタイトルには覚えがありません。『助助文学サロンは今日も賑わっています』『LOVE本能』『混沌譚』『ある羊飼いの作品集』並ぶタイトルは一つとして知りませんが、それらの本は手にする度、じょじょ君をどこか暖かく、懐かしい気持ちにしてくれました。
「ステキでしょう。どこでも売っていない本たちです」
「売っていなかったらどこで買うんですか?」
「買うのではないのです。作るのです。時に誰かを想いながら、時にみんなで笑いながら、外待雨堂書店はそんなふうに誰かが幸せになれる本を作るお店です。ここに並べているのは作った方々が寄贈してくれたものなのですよ」
お姉さんは愛おしそうに本の背を撫で優しい笑みを浮かべました。
仲間たちで青春の思い出を形にした本。
表紙にただ『人外』と書かれた本。
病気の母が幼い娘へと残した絵本。
遠く離れた二人の手紙のやり取りのみで綴られた本
長く連れ添った老婦人が夫との思い出を振り返った本。
ヘンテコな本から泣きそうになる本まで。作られた本は千差万別ですがどの本にも共通するのは愛を感じることです。そろそろ暗くなりますから少年はお家に帰る時間です、とお姉さんに促され外に出ると雨は止んでいました。
「僕も、本をあげたい子がいるんです」
「それはもちろん喜んでお手伝いいたしましょう。た・だ・し、私達も大人なのできちんとそれなりのお代は頂きま……む、むむ」
お姉さんはふーむふむふむ、と舐め回すようにじょじょ君を覗きみます。
「よござんす。なにやら少年はお得意様になりそうですし。将来の酒代への投資だと思って今回は特別に出世払いといたしましょう!」
パチリ、とウインクをして見せるお姉さん。両目を瞑ってしまっていまいち決まっていません。でもじょじょ君はいい子なのでそんな事は指摘せずにきちんと「よろしくお願いします」と頭を下げました。そんなこんなで、じょじょ君の初めての本作りが始まりました。
〇
「君が噂の坊やですか。いらっしゃい」
翌日。外待雨堂書店を訪れたじょじょ君を迎えたのは昨日とは違うお姉さんでした。
「昨日の人炬燵姫のお姉さんはどうしたんですか?」
「人炬燵姫はね、その身に受けた呪いのために寝込んでいるの」
「そんな、その呪いとは……」
「二日酔い」
じょじょ君は少し不安になりました。
「さあ坊や!本作りの覚悟はいいですか」
「はい!」
じょじょ君はお店の奥の和室に案内されました。そこにはとても大きなプリンターや紙を切る道具が並び、棚の引き出しには色とりどりの紙がしまわれています。
「いい返事です。クリスマスまであと二十日。時間もないのでスパルタでいきますよ!まずは一番の肝である本の中身を作ること。一口に本と言っても、小説やイラスト、詩集や評論、手紙や写真、たくさんありますから」
「書きたいものがあるので、できれば小説にしようと思うんですけど……」
「いいでしょう。では小説の内容はこれからお家で毎日書き進める事。期限は十日以内です。それと並行して、ここでは表紙や中のデザインとレイアウト、使う紙選び、その他もろもろを進めていきます。やってやりましょう!」
「はい!」
それからの十日間。じょじょ君はとっても頑張って小説を書きました。部屋で夜遅くまで頑張っていると、優しいじょじょ君のお母さんはココアを入れてきてくれました。ココアに含まれるポリフェノールは抗酸化作用があり、血糖値の抑制や血流の促進などの健康効果があります。さらに食物繊維が豊富で便通の改善も期待できます。ただし、お砂糖は健康にあまり良くないので量には気を付けてください。じょじょ君はもちろん砂糖は入れません。
学校が終わると毎日エラリーちゃんの誘いをなんとか誤魔化して断り、外待雨堂書店に通いました。二人のお姉さんはたくさんの仕事で忙しいなかとても親切にじょじょ君の本づくりを手伝ってくれました。お姉さんたちはとっても働き者です。
「その時、いなくなったはずのウサギがエラリーちゃんの鞄からピョコンと顔を出した。みんなが見守るなか……うーん、この後の展開どうしようかな」
「少年、お茶入れて下さい」
「坊や、みかん取って下さい」
「コタツから出たくないだけでしょう。自分でやってください」
そう。とっても働き者です。
「エラリーちゃんに名指しされた永井君は不敵な笑み浮かべると──」
「少年、マリカーしましょうマリカー」
「坊や、UNOやりましょうUNO」
「……あの、邪魔しないでもらえます」
……オンオフの切り替えが上手な働き者なのです。
〇
本を作り出してから十五日後。じょじょ君の頑張りの成果もあり完成が近づいていました。クリスマスまではあと五日あるのでなんとか間に合いそうです。じょじょ君はこっそり鞄の中に入っているまだ綴じられていない紙の束を覗き込むたびに、エラリーちゃんが喜んでくれるところを想像し何度もニヤニヤしていました。
「えー、今日はみんなにお知らせがあります。九院さん前へ」
じょじょ君の幸せな時間は、先生の静かな声で打ち切られました。教室の前に出て凛と立つエラリーちゃん。その表情はいつになく硬くなっています。
「急な事ですが、九院さんはお父さんの仕事の都合で明日イギリスにお引越しすることになりました」
教室にざわめきが広がります。
「みんなには最後まで気を使ってもらわず、楽しく過ごしたかったので言いませんでした。イギリスに行ってもみんなと過ごした日々を忘れず、一日も早く立派な探偵になりたいと思います」
エラリーちゃんの挨拶は、呆然としているじょじょ君の耳には殆ど届きませんでした。
お昼休み。じょじょ君はエラリーちゃんに詰め寄りました。なにがあっても自分には相談してくれると思っていました。だって、子供のころからずっと一緒だったのです。エラリーちゃんの助手であることを誇りに思っていたのです。それなのに……。
「なんで教えてくれなかったの」
今までエラリーちゃんに言ったことがないような強い口調になったことに、じょじょ君は自分で驚きました。
「ふん。じょじょは私なんかどうでもいいんでしょ」
エラリーちゃんはいつのも大人びた態度とは似つかぬ拗ねたような口調で吐き捨てるとじょじょ君を睨みつけます。
「そんなわけないじゃないかっ」
「探偵して知ってるんだから。私と遊ばなくなったのは綺麗なお姉さんのお店に行ってるからだって」
「それは……」
黙り込んでしまったじょじょ君に背を向けてエラリーちゃんは速足に歩き出しました。
「いいのよ。私は助手なんていらない。一人でも立派な名探偵になるんだから」
その寂しそうな背中にかける言葉が見つからない自分への悔しさに、じょじょ君は唇を噛みました。
放課後。じょじょ君は雨待堂書店に走りました。クリスマスの日では間に合いません。急いで最後の仕上げをしなくてはなりません。でも、でも、本を完成させたとしてもエラリーちゃんはいなくなってしまうのです。明後日からは会えないのです。涙で視界がにじみ、じょじょ君は石につまずいて派手に転んでしまいました。転んだ拍子にランドセルが開き、作っている本のページが飛び出しました。風に飛ばされないように必死に拾い集めるじょじょ君の眼前に、ページを掴んだ大きな手が差し出されました。
「大丈夫か。これ大事なものなんだろ」
末堂君です。じょじょ君の様子がおかしい事を察した末堂君は心配して学校からこっそりついてきてくれたのでした。
「ありがとう」
感動にまた泣きそうになるじょじょ君でしたが、集めたページの中に表紙がないことに気づき青ざめました。頭上に視線をやると、真っ赤な表紙が風に乗って飛ばされていきます。赤い表紙。たくさんの紙の中から、エラリーちゃんに一番似合うと思って選んだ。強くて。鮮やかで。暖かな色。飛んでいく表紙のその先には──川が待っています。
その時、一迅の風がじょじょ君の隣を駆け抜けました。末堂君が土手をすごいスピードで降っていきます。あまりのスピードに一度派手に顔面から転びましたが、鼻血を流しながらもすぐに走り始めます。高くジャンプした末堂君の手が表紙を掴みます。しかし、勢いを殺せずにそのまま派手な音を立てて川に落ちてしまいました。
「末堂君!」
駆け寄るじょじょ君。びしょ濡れになった末堂君の手には、鮮やかな色のままの表紙が握られていました。
「右手だけなんとか沈まずに済んだ。あんまり濡れてないだろ」
「でもケガが……」
「俺は三戦でダメージ逃がしたから大丈夫なんだよ!わかったら早く行け!」
明らかにやせ我慢でしたが、じょじょ君は頷くと表紙を受け取り走り出しました。
「あいつ──エラリーにいつか絶対勝つって伝えておいてくれ!」
背中越しに掛けられた末堂君の声に、じょじょ君は走りながら力強く手を掲げて答えました。
きっと大丈夫。じょじょ君は走りながら自分を励ましました。あの不思議なお店に行きさえすれば、怠け者だけれどやるときはやる二人のお姉さんが何とかしてくれます。
『素敵な本をご用意いたします』
『やってやりましょう!』
初めて会った時のお姉さんたちの声が蘇り、じょじょ君を一層勇気づけました。
〇
「エラリーちゃんっ!」
「じょじょ!?なんでここに」
自宅のビルの屋上にあるヘリポートから空港に飛び立とうとするエラリーちゃんに息を切らしながら駆け寄るじょじょ君。戸惑う様子のエラリーちゃんに本を手渡しました。
「なんとか、間に合った、これ、どうしても渡したくて、クリスマスプレゼント」
真っ赤な表紙の本。その手触りは手作りのものです。ではいつ作っていたのか学校が終わった後しかありません。だとしたら、一緒にいてくれなくなったのは……私へのプレゼントのため。エラリーちゃんはその本を手渡された瞬間すべての真実を理解しました。本来であれば天才少女のエラリーちゃんはすぐに気づいたのかもしれません。でも彼女もまだ小学生。当たり前のように隣にいたじょじょ君がよそよそしくなったことに動揺し、まともな推理が出来なくなっていたようです。
「綺麗な表紙ね」
「エラリーちゃんに似合うと思って。その表紙、末堂君が守ってくれたんだ。あと、いつか勝つって伝言してくれだって」
「彼はきっと強くなるわ。私に勝つのは千年早いけどね」
二人で笑いあうのは凄く久しぶりな気がしました。そのまま二人はこの二週間ほどの空白を埋めるようにたくさんの話をしました。でも、そんな時間もいつかは終わりを迎えます。
「そろそろ行かないと。みんなに随分待ってもらっちゃったから」
その言葉に、じょじょ君の中で抑えていた感情があふれ出しました。
「ごめんっ、一緒に魍魎の匣見られなくて。ごめん一緒に帰れなくて。ごめんいつももらってばっかりで。ごめん役に立てなくて、でも、僕はエラリーちゃんの、君の──」
エラリーちゃんはじょじょ君からもらった本の表紙を開きました。
そこには書かれていたのは──
大好きな名探偵へ。あなたの助手より。
「君の助手でいられたかな。これからもいられるかな」
エラリーちゃんはじょじょ君の涙をぬぐうと、手を握り言いました。
「じょじょ。私の助手は卒業よ。きっとあなたの居場所は私の隣じゃない。もっとたくさんの人を笑顔にしてあげて。あなたならできる。あなたがみんな居場所になるの」
「そんなの、僕にはできないよ」
「将来の名探偵の言葉が信じられないの?なら、こう言おうかしら──」
さて皆さん
耳元で囁かれたエラリーちゃんの声に、じょじょ君の体はなぜか凍ったように動かなくなりました。
「じょじょはみんなを笑顔にできる。それを証明するための証拠は私が彼と過ごしてきた十年間の日々」
ヘリコプターへと歩いていくエラリーちゃんの背中をじょじょ君は不思議と穏やかな気持ちで見送ります。だって、きっと、これが永遠の別れではないから。
「十年間、彼が隣にいてくれてとても楽しかった。いつも笑顔でいられた」
僕の名探偵はいつかまた颯爽と事件を解決しに現れる、そう信じているから。
「これが、私自身が、あなたがみんなを笑顔にできるという確固たる証拠よ」
最後にじょじょ君の方を振り返ったエラリーちゃんは、弾けるような笑顔とそんな言葉を残してイギリスに旅立っていきました。
〇
外待雨堂書店の上空にぷかぷかと浮かぶのは魔法の絨毯ならぬ、奇怪な四畳半。その上に設えられたコタツに入りぬくぬくする二人の女性がおりました。
「それでは」
「ではでは」
「クリスマスと」
「コタツと」
「少年に」
「坊やに」
「「乾杯!」」
手にしたお猪口を天高く掲げ、ぐびりと一口で飲み干します。クリスマスなどなんのその。今日も今日とて日本酒です。冬の空気はとても冷たいですが、そんななか暖かいコタツに入ってお月様を肴に熱燗を飲むのが乙なものなのです、とは二人の言葉。いくらもたたないうちに二人の周りには空になった瓶が散乱し始めました。顔を赤らめた酔っ払い二人が眼下に町を見下ろし叫びます。
「遠き者は音に聞け!」
「近き者は目にも見よ!」
「三時のおやつは文明堂!」
「カラスが泣いたら帰りましょ!」
口上は途中からなにがなんだか分からなくなりましたが、それはそれ。お酒の悪戯というやつです。二人はまあいいやと笑い合い、えいやと一声、月に向かって叫びました。
「「我ら天下のお年玉商會!」」
〇
「リリー、今週の土曜日空いている?」
行きつけの中華料理店《熊猫飯店》に向かう道すがら、隣を歩くリリーに尋ねる。
「もちろんです!ちなみにお姉さまのためにクリスマスの予定は八十年先まで空けてあります!」
「それは良かったわ。久しぶりに文学サロンに行きましょう」
「え、二人きりで過ごすんじゃ……でもお姉さまがいるならどこへでも!」
事件続きでなかなか行けていなかった文学サロン。そこに集う一癖も二癖もある面々の顔を思い浮かべ、いい居場所を作ったわね、と心の中で呟く。
それにしても文学サロンで会ったお年玉商会と名乗るあの二人組。小学生の頃にじょじょの後を付けて外待雨堂書店で見た時の容姿と殆ど変わっていないのはどういうカラクリなのだろう……。探偵としての本能が頭をもたげようとするのを戒めるように首を振る。探るものを間違えない事も良い探偵の条件の一つ。きっとこの世には不思議な事もあるのだろう。
「そういえばJ会長って不思議な人ですよね。歴代の会長はみんな頭文字がJだってことですけど……お姉さまは、今の会長の正体とか知っているんですか?」
「どうかしらね」
リリーの言葉に意味ありげな微笑みを返し、コートのポケットに入れてきた本の表紙を撫でる。
これは私が主役の初めての本。
私のためだけの本。
私と彼の始まりの本。
真っ赤な表紙のその本の名は──
『九院偉理衣の事件簿』
Fin




