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クリスマスの軌跡



ーあなたに会えたこと、それが私にとって何よりの幸福でした



いつも仕事でロクに顔を合わせない祖父が、『見合い相手』と言って釣書を持ってきたのは、12月に入って間もない頃でした。

「ボケが始まったの?」

試しにそう聞いてみますが、案の定祖父は首を横に振ります。

「そうじゃない。私ももう若くはない。もし、私の身に何かあった時、お前には後ろ盾となる人物が必要だ」

「・・・」

事実、母と呼べる人物は生存しています。

ただ、私が生まれる前に、彼女が駆け落ち同然に家を出たこと。駆け落ち相手である私の実の父が亡くなった後、再婚相手との間に子どもができ、私が『いないもの』として冷遇されてきたことを考えると、録なことにならないのは明らかでした。

「ここにいるのは、学歴・能力 どれをとっても申し分のない人物達だ。お前には、この中の一人と番になり、ゆくゆくは私の基盤を継いで欲しい」

私の祖父は、この都心に近い中核市の市長であり、その前は長いこと議員を勤めていました。祖父の父も、その父も。つまりはそういう家系です。

「私に、駒になれと?」

第一、私はまだ大学生。今年の春には卒業する予定ですが、既に内定ももらっています。抗議の意を込めた目を祖父に向けると、好好爺然とした顔で笑いました。

「お前の幸せを願ってのことだ。それに、私はまだお前の花嫁姿を見るという夢は捨てていないぞ」

「・・・」

どう考えても、動機はそれでした。愛や情とは程遠い家庭で育ったせいか、どうも私は結婚というものに夢を抱けません。結婚=女の幸せと考えているらしい祖父は、そんな私の無言の抵抗に気づいたそぶりもなく、演説を続けます。

「どの男も、お前が外で働くことには賛成しているし、長男ではないから無事婿入りできる。どうだ?」

 一体何が『どうだ?』なのでしょう。あまりにも的外れな言葉に、私の苛立ちは募るばかりです。どうやら、怒りも度を超すと無我の窮地に陥るらしい。そのことに気づいた私は、腹の内など悟られぬよう、祖父に微笑みまかけました。

「寝言は寝て言って下さい。結婚は両性の合意がないとできないのよ」

 それだけ言って踵を返した私の背を、祖父の声が追います。

「ま、待たんか」

 待つわけないでしょう。内心そう思いながら、私は未だ胸の内に燻る未消化な怒りと共に自室へと戻りました。





 結論から言いますと、あの後私は何も言わずに家を出ました。

大学は、祖父によって半ば強制的に入れられたお嬢様大学だったので、馴染めるはずもなく、こんな時に頼れる友人もいません。最初はビジネスホテルに寝泊まりしていましたが、祖父にカードを止められたため、漫画喫茶へと移りました。

彼と出会ったのは、夜だけ漫画喫茶で暮らし始めて数日のことでした。


 その頃には、私も日雇いのバイトを始めていましたので、日中は外にいます。伊達眼鏡をかけ、帽子を被ってティッシュを配っていた私が仕事を終えますと、彼は私を呼び止めました。

「姉さん」

 その言葉に振り向くと、見覚えのない青年がこちらを見ています。

 私を姉と呼ぶ人物は、私から居場所を奪った一人しかいません。しかし、その人物はまだ中学生のはず。目の前にいる彼は、どう見ても大学生のような風貌でした。

 当然ながら、最後に見た弟の面影を欠片も持っていない彼に、不信感だけが募っていきます。動揺している私の心の内などお見通しだとでもように、その青年は近づいてきました。

「貴方、は・・・」

「こんにちは。藤宮フジミヤリンさん。貴方の弟さんのことで、少しお話があります。少々、お時間よろしいでしょうか?」

 彼は、私の耳元でそう囁きます。そう言われても、私は弟に未練も興味もありません。

「申し分ありませんが、私はもうあの家と関わる気がないので」

そう言って彼に背を向けますが、歩き出すことは叶いませんでした。彼が私の腕を掴んでいたからです。

「離して・・・」

「失礼。私、こういう者です」


『神奈川興信所 所長補佐 黒崎(クロサキ)燈夜(トウヤ)


「・・・」

「とりあえず、ちょっとそこの居酒屋まで いいですか?」

 否定の言葉を繰り出す前に、彼は私の左腕を引きました。 私が反抗的な目線を向けると、彼は隙のない笑みをこちらに返すのみでした。




 連れて来られたのは、半個室状態の居酒屋でした。

「スミマセン、連れが先に来ていると思うのですが」

 彼が店員さんにそう言うと、奥の席に案内されました。扉が閉められるタイプになっていることを確認しながらも、私は扉に一番近い所を選んで座ります。

「ハハッ!いいねぇ、その警戒心!」

 奥にいた人物は、そう言って愉快そうに笑いました。

「・・・親父、もう出来上がってんの?」

「まさか。写真以上に綺麗な子だったから、嬉しくなっただぁけ」

 そんなことを言われても、全く嬉しくはありません。私はこの容姿のせいで、『女』として母に煙たがられてきたので、尚更です。ショートカットからセミロングになったのは、奴隷のような扱いだった母の再婚家庭から祖父の元へ引き取られ、育ちのよい子達が通う女子校に行くようになってから。現実感のないまま白昼夢の中を揺蕩うように、周囲から浮かないようにと身につけた処世術でした。

 呆れたような嘆息は、思考を過去へと寄せていた、私の横から聞こえました。

「そんな目で見るなよぉ。たまにはいいだろ。お前もどうだ?」

「あのね。俺まで飲んだら、誰が車を運転するわけ?」

「・・・すみません。ちょっとよろしいですか?」

 目の前で繰り広げられる親子漫才に口を挟むと、思い出したように男はこちらを見ます。

「あなた達は、何の目的で私をここに連れて来たのでしょう?」

 あたり前の質問に、目の前の男は目を細くしました。

「そっかぁ。そうだよね」

 私を探せと依頼したのが祖父であった場合、特に問題はありません。けれど、依頼したのが弟や母だったなら、どんな企みが隠れているのか分からない。そんな危惧からの質問でした。

「・・・うーん。言ってもいいのかなぁ、コレ」

 勿体ぶっている男の横で、燈夜が溜め息を吐きます。

「心配しなくても、俺達は市長の依頼でアンタを探してたの。だから、アンタが一番恐れていた事態はないよ」

「あーっ、何で言っちゃうかなぁ」

「俺はさっさと帰って勉強したいの」

「・・・」

 目の前の喧騒をどこか現実感のないまま眺めながら、私は胸を撫で下ろしました。そんな私を見て、男は感情の読めない表情で笑います。

「失礼しました。私、神奈川興信所所長で、黒崎 真崎(マサキ)と申します。こっちは、息子の燈夜。藤宮市長の依頼で、あなたの保護に参りました」

 そう言って頭を下げる所長に、私は自分の胸がざわついてゆくのを感じました。


 あの後、私は2日前に祖父が倒れたこと。その前日に祖父が興信所に依頼をし、『自分に何かあったら、孫を保護して欲しい』と言われていたことを知りました。

「そういうわけだから、凜ちゃんには、今日からしばらく、我が家で暮らしてもらうよ」

「は?!何言ってんの?」

 これに異議を唱えたのは燈夜でした。

 ですが、所長の方はそんな彼の意を酌むことなどなく、彼の肩に両手を置きます。

「考えてみろ、燈夜。母さんも朝霞(アサカ)も我が家からいなくなって、久しい」

「いや、2人とも死んでないし。母さんは愛想尽かして出てっただけだし、朝霞は大学でしょ」

「男2人のむさ苦しい暮らしには、潤いが必要だと思わないか?」

「普通に考えて、いらないから」

 混乱している私をよそに、話は進んでいきます。

「そうか。残念だったな、燈夜。家長は俺だ」

「・・・っの、クソ親父」

「それでは、可愛い新入りさんに、カンパーイ」

 その言葉を終止符に、所長は持っていたお猪口を掲げます。一人、それを煽ると、所長はその場に泥酔しました。


 その後は、酔い潰れた所長と共に、帰宅する流れとなりました。突然の事態に、私の頭の中は言うなればカオスです。

「・・・君にも、悪いことしたね」

 家に着き、今は家を出ているという妹の部屋に案内され、燈夜は言いました。

「調査書を読んだけど、君、市長の家に来る前にいたところで、男に乱暴されかかったことがあったんだって?こういうシチュエーション、苦手じゃないの?その男っぽい格好だって、つまりはそういうことでしょ」

 そこまで知られていたことに驚きながら、私は顔を挙げました。

「安心して。さすがに俺は女なら誰でもいい、って訳じゃないから」

 そうは言いますが、その発言はどこまで信用できるでしょう。私が押し黙っていると、彼は飲み込んだ言葉を察したらしく、わざとらしい笑みをこぼします。

「いや、マジで。俺、母親が男を作って出て行ってから、『女』を使うタイプは苦手なんだよね。その点、君には全くといっていいほど色気を感じない」

「ああ、そう!」

 私の体に不躾な視線を送りながら、彼は言います。失礼な男です。殴りたい衝動と戦いなからも、私は勢いよくドアを閉めました。閉めたドアの向こうで、彼が笑っているのが分かります。

「とりあえず、バスタオルはここに置いておくから、風呂はテキトーに入っちゃって。あと、朝ご飯は8時だから」

 そう言い残すと、彼が向かいの部屋の扉を開け、入っていったのが分かりました。





「凛サン、もうすぐ10時なんだけど。そろそろ起きてくれる?」

 その言葉と共に部屋のドアが開いたかと思うと、入ってきたのは燈夜でした。

「・・・ああ、ごめん。ずっと漫喫のソファだったから、寝心地がよくて」

「あれねぇ。俺も、高速バスの乗り継ぎの時に泊まったことあるけど、結構ふしぶしに来るよね」

 それだけ言うと、彼は部屋のカーテンを開けます。窓の光が差し込んで部屋の中が明るくなり、久々に爽やかな気分になれる朝でした。

「はい」

 そう言って、彼が渡したのは洗顔等が入ったトラベルセットでした。

「とりあえず朝食の用意を片付けたいから、さっさと身支度して朝ご飯食べてくれる?」

 そう言い残して、彼は部屋を出て行きます。残された私は、その言葉に従うしかありませんでした。


 洗顔を済ませて朝食の席に着くと、ワイシャツにエプロン姿の彼が待ち構えていました。テーブルの上にはできたてのオムレツとカフェオレ、トーストとジャム類が食器と共に乗せてあります。

「そのオムレツ、中に入ってるのはキャベツの千切りだから、かけるのはソースの方がいいよ。鰹節と、マヨネーズは使う?」

「・・・お願いします」

 なんというか、女子としては立つ瀬のないほどのその女子力に、脱帽でした。

「あなたは何者なの?」

「俺?ただの大学生だよ。興信所の方は、バイトで手伝ってるだけ」

「・・・」

 マジですか。呆れてものも言えずにいる私に、更に彼はたたみ見かけます。

「一応企業から内定はもらってるんだけど、来年司法試験を受けるつもりだから、俺はそっちに集中したいんだよね。っていうわけで、この家にいる以上、君には家事を手伝って欲しいと思ってるんだけど、どう?」

 その言葉に一瞬の躊躇はありましたが、流石にタダ飯食いは心が痛むので、引き受けることにしました。

「よかった。じゃあ、俺は3限から授業だから、そろそろ出るね。とりあえず、掃除と洗濯よろしく。掃除機は階段下の棚の中ね。下着とかは、触るの嫌だったら放置でいいから」

 私が頷くと、彼は安堵したように笑ってエプロンを外します。それを椅子にかけると、そのままリビングのソファの上にあったジャケットとコートを羽織り、リュックを背負って出て行きました。


 さて、さしあたっては問題があります。1つは、我が家の家事はハウスキーパーの方に任せているので私にはその手の知識がないこと。2つ目は、掃除程度はなんとかなったものの、洗濯をしたら色物のシャツの色が落ちて、白いタオルがうっすら青みを帯びてしまったことです。さらに乾燥機にかけたら、それらはしわしわになりました。

何故でしょう?真剣に首をかしげていると、玄関の方から、人が戻ってきた気配があります。

「ただいまぁ。凛さん?いい子にしてた?」

 脱衣所でその声を聞きながら、私は肩を震わせました。

 ヤバイ。とりあえず、ここから逃げなければ。そう思い、脱衣所を出ようとしたとき、そこにいた人影は燈夜のものでした。

「みーつけた」

「!」

 楽しそうな顔で微笑む男に、背筋が寒くなったのを覚えています。

「さてさて、何があったのかな」

「ちょっ」

 私の制止など聞かずに、燈夜は洗濯槽を覗き込みました。

「わー。見事にしわしわ。しかもこれ、色落ちしてるよね」

「・・・」

 何も言えずに身を竦める私をよそに、彼は仕方ない、というように溜め息を吐きます。続いて、彼が腕を振り上げたのが分かり、私はぎゅっと目を瞑りました。

「責めてるわけじゃないから、そんな怯えないの」

 そう言って、彼は私の頭をなでました。

「間違って、漂白剤入りのやつを使っちゃったみたいだね。まぁ、これは事前に説明しなかった俺も悪い。あと、うちの洗濯機は乾燥機付きのやつだけど、乾燥機モードで運転する前にシワ伸ばしはしてね」

「怒らないの?」

「知らなかっただけでしょ。何で怒る必要があるの?」

 てっきり鉄拳が飛んでくるものだと思っていた私が拍子抜けして彼に問うと、彼の方も不思議そうに私を見ます。やがて、何かに納得したような彼は肩を竦めて溜め息を吐きました。

「とりあえず、変色してない洗濯物はアイロンがけするから分別しようか。夕飯だけど、惣菜買ってきたから、それでいい?」

「あ。一応、炊飯器はさっきセットしたけど」

「了解。でもうち、米を炊くのは圧力鍋で、今はほとんど炊飯器使ってないから、そのうち炊き方覚えてね」

 そう言うと、彼は脱衣所を出てキッチンへと向かいました。





 黒崎家での生活は、意外にも快適なものでした。彼等は私が失敗したことについて理不尽に責めることはなかったし、知らないことはきちんと教えてくれたからです。所長は時々帰ってくる程度でしたし、一緒に過ごす時間が多いのは圧倒的に燈夜の方でしたが、必要以上に踏み込んでこない彼との生活は、不思議な居心地の良さを感じるものでした。

「ごめん。私グレープフルーツって、食べるとちょっとゼーゼーする」

「そう?他に、食べられないものとかある?」

「・・・エビとか?」

「アレルギー関連については、もっと早く言ってよね。夕飯、エビフライにしようと思ってもう準備しちゃったよ」

 アレルギーと言っても私はそこまで重篤ではないのですが、それでも彼は気になるようで、表情を真剣なものに変えます。

「あのね。一歩間違えれば命に関わることなんだから、ちゃんと考えなさい」

「はいはい」

「真面目な話。あんたは、もうちょっと自分を大事にしな」

「はーい」

 私を気遣うような言葉に、胸の奥が温かくなっていく錯覚を覚えました。

 この家で私は『人』として扱われ、過剰に甘やかされることはなく生活に関する知識を身につけていきました。時折帰ってくる所長も温かい人で、叶うならここでの生活がずっと続けばいいと思ったほどです。

 しかし、所詮夢は夢。その幸せは、永くは続きませんでした。


「たっだいまぁ。凜ちゃんいる?」

 その知らせは、十二月も後半にさしかかった頃、いつもと変わらない調子で帰宅した所長によってもたらされました。

「あぁ、親父?凜なら今風呂だけど」

 後から聞いた話、リビングで六法全書や司法試験の過去問を広げている燈夜を見て、所長は嬉しそうに笑ったそうです。

「お前も変わったなぁ。今まで、人に興味ない感じで、家にいてもしょっちゅう部屋に引きこもっていたやつが」

「人のこと、引きこもりの人でなしみたいに言うのは止めてくれない?大体、人が来ても凜は人前に出ない方がいいんだから仕方ないでしょ」

「ほら。そういうとこだよ」

 『ひたすらニヤニヤする親父のせいで、居心地が悪かった』と彼は言っていました。

 私がお風呂から上がると、リビングでは難しい顔をした黒崎親子が並んでいました。

「おじさま?今日は早かったんですね」

「ただいま、凜ちゃん。ちょっと話があるんだけど、いい?」

「?はい」

 一体何だというのでしょう。いつもと違う所長の様子に戸惑いながら、胸をよぎったのは祖父のことでした。

「あの」

「凜ちゃん、君のおじいさんの容態が急変したそうです。主治医が言うには、会うなら今のうちにあっておいたほうがいい、って。今から、病院に行くかい?」

「!はい」

 その言葉に、私は弾かれたように所長を見ました。彼は、「ただし」と付け加えます。

「弁護士によると、遺産は君に譲るという遺言状があるらしい。病院には、君の親戚も集まっているらしいんだ。だからきっと、いい思いをしないと思う。どうする?」

 その言葉に、頭を過ぎったのは祖父が私を引き取る際に見た親戚達の冷たい目です。祖父も、金の無心をしてくる彼等には困る、と以前はよく溢していました。祖父が自分が倒れた後の保護を黒崎家に頼んだのは、こういった事情もあったのでしょう。それを思うと、所長の提案に頷くことに抵抗はありました。

「私、は・・・」

「親父。とりあえず、近くまで連れて行ってやったら?凜だって分からないように、変装させてさ。そうすりゃ遠巻きに見ることもできるし、運がよければ近くで話せるかもしれない」

「おお。いい案だな」

 躊躇っている私を後押しするように、燈夜が提案します。

「そうと決まれば、準備だね」

 こんな状況なのを意図してか、燈夜は楽しそうに笑みを浮かべました。


「っと。こんなモンかな」

「おぉ。綺麗だよ、凜ちゃん」

 約十分後、どこから引っ張り出してきたのか、ロングスカートにブラウス、カーディガンといった格好に変装させた燈夜は、仕上げにヘアアイロンで私の髪を巻きながら、満足げにそう呟きました。所長からは感嘆の息を溢されましたが、私は居心地の悪い気持ちでいっぱいです。

「誰よ、これ」

「上手に変装できたでしょ。これならぱっと見、あんただって分からない。っていうか、似合うんだから、こういう格好もすればいいのに」

「-っ」

 言い返す言葉のないまま私は病院へと向かいました。


 結論から言うと、祖父の死に目には間に合いませんでした。集中治療室から出てきた医師が死亡を宣告している間揉めている親族達を影で見ながら、私は黒崎親子に促されて外に出たのを覚えています。家路を辿る車の中も、記憶にあるのは燈夜が私の手をずっと握っていたことくらいでした。





 祖父の葬儀は、喪主としてはあまりに頼りにならない私の代行を所長が務めてくれ、滞りなく行われました。すべてが終わった後、立っているのがやっとだった私は所長に促され、何とか黒崎家に辿り着いたのを覚えています。

「ごめんね。これから事務所に戻らなきゃいけないから、オジサンはもう行くよ。家のことは、燈夜に頼めばいいから、今日はもうゆっくりして」

 そう言うと、私をソファに座らせ玄関から出て行きます。どこまで祖父に頼まれていたのかは分かりませんが、お人好しな人だと思います。

 特に何もする気になれずその場にただ座り込んでいると、いつの間にか辺りは暗くなり、誰かが戻ってきたのが分かりました。

「うわっ?!」

 その声は燈夜でした。

「ちょっ、凜!あんた、何してんの?」

「・・・燈夜。おかえり」

「『おかえり』じゃないでしょ。この寒いのに、暖房どころか電気もつけずに何してんの」

 怒ったようなその声音が少し懐かしくて微笑むと、彼は溜め息をつきました。

「まぁ、しんどかったのは分かるけどね。それにしてもあんた、家出するくらい跳ねっ返りのくせに、市長のことはちゃんと愛してたんだねぇ」

 しみじみ言われますが、私にも、この感情がなんなのかうまく言葉にすることはできませんでした。

「・・・愛って、どういうことなのかよく分からない」

 前の家で、私はそんなものとは無縁に生きてきました。『お前なんかを愛してくれる人はいない。調子に乗るな』と、何かにつけてそう言われてきたことも要因にあるのでしょう。

「バカだねぇ」

 そう言うと、彼は笑いながら私と額を合わせます。

「一緒にいて嬉しいと思えたら、それはもう『愛』じゃない?」

「・・・」

 その言葉に私の瞳からは温かいものが流れ出しました。そんな私の頭をなでながら、彼は私の体を抱えました。

「うんうん。もう今日は、何も考えずに眠りなさい」

 そう言って、燈夜は2階へと続く階段を上ります。部屋の前まで来たときに、離れるのが嫌で私は彼の首にすがりつきました。

「・・・ちょっ、凛サン?」

 明らかにうろたえた彼に構わず、今度は彼と唇を重ねます。

「ああ、もう。バカ」

 それだけ言うと、彼は向かいの、自分の部屋のドアを開けました。


「これで、あんたは俺の一部だから、離れてても自分のことは大事にしなよ。どんなにしんどいことがあっても、自暴自棄になったり、思考停止はしないこと。最後まで、幸せになることを諦めないで」

『愛してるよ』

 朧気な意識の中で、彼が私にそう言ったことを覚えています。


 目が覚めた時は明け方で、デジタル時計の日付は25日になっていました。そういえば、今日はクリスマスです。

 ああ、だから

 クリスマスの夜に彼がくれた贈り物をそっと胸に抱き、私は日が昇る前に黒崎家を出ました。





◆◆◆


 私が内定していた企業を蹴り次の住処にと決めた場所は、伊豆にある小さな海辺の町でした。人口の少ないこの町では、3月頃にいち早く桜が咲きます。彼と再会したのは、そこの漁業組合での会計の仕事に勤めて4年ほど経った冬の日のことでした。


「すみません、下田地検の黒崎と申します。こちらに勤めている藤宮凛さんにお話があってきたのですが、少々よろしいでしょうか」

「え?!うちの藤宮が、何かしましたか?!」

 突然の訪問に、事務所の所長は大慌てです。てんやわんやの騒ぎの末に、私が呼ばれました。

「いえ、藤宮さんが何かした、というわけではありませんよ。ただ、この近くで同業の方の不正が発覚しまして。その会計簿の前任が藤宮さんでしたので、話を聞きに来ただけです」

「ああ~。確かに、あの船の担当は、凜ちゃんだったわ」

 応接用のソファに向かいますと、既にそこには人だかりができており、おばちゃん職員から若い女性陣までが、楽しそうに話に花を咲かせております。

「・・・」

 何をやっているんだか。その中心にいるのが彼だと分かった時、白けた気分で私はそれを見ていました。

「ホントにいい子だねぇ。ウチの娘の婿にどうだい?」

 果ては、そんな話までもちかけられています。一体、彼はここに何をしに来たのでしょう。そう呆れていると、燈夜は私に気づいたらしく、席を立ちます。

「勿体ないお話、ありがとうございます。でも僕、こう見えて息子もいますので、その話はお断りさせていただきます」

 そう言って、彼は私に駆け寄りました。

「ねぇ、藤宮さん。ちょっとお話を聞かせてもらえますか?」

けして笑っていない目で、燈夜は私にそう微笑みかけました。


 彼に連れて行かれたのは、人気のない児童公園でした。

「さて。俺としては、聞かせてもらいたい話が山ほどあるんだけど」

 再会の挨拶も程々に、燈夜はそう切り出します。何を言われても仕方のないこの状況に、私はまな板上の鯉の気分でした。

「まず確認しておきたいんだけど、灯里(アカリ)君って、あの時の子どもだよね?」

 それ以外に覚えがないのだから、そうなのでしょう。何も言わずに首を縦に降る私を見て、燈夜は目を細めました。

「随分、女の子みたいな名前をつけたね」

「・・・だって、男の子だってバレたら、連れて行かれると思ったから」

 あのがめつい親戚連中は、私の相続した遺産だけではなく、政界と財界とのパイプをつなぎ止めておくための跡継ぎを欲しがっていました。そのために持ちかけられた縁談話は、それこそ三桁に届きます。

 それにうんざりし、誰にも行方を告げずこの地に来たのが卒業式の日のこと。私が自分の体に宿った命に気づいたのは、それから一ヶ月後のことでした。

「こう言っちゃなんだけど、堕ろす、ってことは考えなかったわけ?」

「何で?」

 考えもしなかったことを提案され、私は思わず彼を凝視します。

「何で私が、燈夜の子供を殺さなきゃいけないの?」

 強ばった声音でそう問うと、何故か彼は笑い出しました。

「そうだね。あんたはそういう人だった」

 ひとしきり笑った後でそう言うと、彼は私に手を伸ばします。

「バカだねぇ。ホント」

 どこか嬉しそうにそう呟くと、彼は私を抱きしめました。その感触にどこか心溶かされる錯覚に陥ると、目尻からは温かいものがこぼれます。

「メリークリスマス、凜。俺をあんたにあげるから、この先の人生を俺に守らせて」

 そう囁いた彼の背中に腕を回しながら、ああそうか、と今更ながらに思います。

 そういえば、今日はクリスマスでした。







【了】


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