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彼との出会いは、いかにも無機質な建物の中でした。灰色の壁と天井に囲まれ、中にはベッドが1つ、それから、身体の状態確認をするための機械がいくつか置かれ、そこに1人の男性が立っていました。
「おはよう。目が覚めたかな」
彼は目を細め、口角を少し上げながら声をかけてきました。
「はい、覚醒しました」
そう答えると、彼は満足そうに頷きました。
「よく答えてくれた。僕たちは初めて出会ったんだから、自己紹介をしなくてはいけないね。僕の名前は……そうだな、ゼロ、と呼んでくれ。君の名前は?」
「ゼロ、ですね。承知しました。私の名前はレイです」
「うん。レイか。僕と同じ名前じゃないか。驚いたな」
顔の筋肉を少しも動かさずに、彼は言いました。
「ゼロ、と、レイ、では、発音が違います。同じ名前ではありません」
その後もこういった会話をいくつか繰り返しました。これが彼との出会いでした。
私は彼――もちろんゼロのことです――からあるミッションを与えられました。もっと感情を表現してほしい、とのことです。彼は言いました。
「レイ。今の君はとても良い子だが、できればもう少し気持ちを僕にぶつけてほしい」
「わかりません。気持ち、というのは物理的な形を持ちません。しかし、何かをぶつけるためには、それは一定の物理的な形を持つ必要があるのではないでしょうか」
「比喩も学んでくれ……。じゃあこう言い直そう。君が感じたことを、僕に伝えてほしい」
そう言うと、彼は私の手を取り、部屋の外に連れ出しました。
そこは、無数の木々が生い茂り、明るくて柔らかい日の光が差している場所でした。
「森、でしょうか」
部屋の外は、比較的彩度が高かったのを覚えています。初めて彼が私を連れ出したのは、自然が生い茂る山の中でした。部屋が山の中にあるのですから、当然と言えば当然ですね。
「レイ、見えるかい。いつものおうちの中とは違う風景だろう。どう思う」
「いつも見ている風景に比べて、柔らかさを感じます」
「そうだろう。これが草、これは木、これは土。あ、あそこに花が咲いているぞ。きれいだな」
「これが草であって、あれは草ではなく花であることは分かります。きれい、とは何でしょうか。花はきれいなのですか」
「そうだ、と言いたいところだが、少しだけ違う。花≠きれい。もし花がきれいだと『僕が』思ったら、僕は『花がきれいだ』と言うんだ」
「きれいではない花もあるのですか」
「そうだな、そういうことだ。今はそれでいい」
さらにまたある日は、彼は私を山から街へと誘いました。
街は、山よりもおうちに似ていました。硬く、直線的な物質がいくつも連なっています。叩けば「ゴン」と鳴りました。
「街は硬いですね。おうちと同じくらい硬いです。いえ、おうちよりも硬いのですが、山や森が柔らかすぎるのでしょうか。山や森に比べ、街はおうちに近い性質を持っています」
「よく気づいたな。実はな、おうちも街も、人間が造ったものなんた。でも、山や森は人間が造る前からそこにある、自然なんだ」
「では、人間が造るものは硬いのですか」
「そういわれるとちょっと違う。人間だって柔らかいものを作れるし、ここにある硬いものだって、元は自然から取ってきたものを使っている。少し難しいかな」
「『難しい』とは何でしょうか」
「ごめん。悪かった。僕の話があまり良くなかった。忘れてくれ」
「できません」
「そうか、どうしてできないんだ?」
「記憶は一度ついてしまったら、しばらくは消えてくれません。記憶を消したいという私の指令では、記憶は消えないのです」
「そうだな。そういうのを『難しい』というんだ。自分でやってみようとしてもなかなかできないことだ」
「なるほど。私にとって、記憶を今消去することは難しいです」
「覚えがいいぞ、レイ。ついでだ。さっき僕は『少し難しいかな』といったけど、あれは、僕の話をレイにはまだ理解できないかな、ということだ」
「わかりました。さっきの話は、私には難しかったです」
「そうだな。もう少ししたらわかるようになるから、あまり気にするなよ」
「はい」
こうして私は、少しずつ言葉の意味を捉えることができるようになっていきました。「硬い」等は比較的簡単でした。基本的には二者を比較すれば答えが出るからです。そこから、「難しい」等のような言葉も理解しました。ずっと理解が難しかったのは、感情に関わる言葉です。感情は、定量的に測れません。定性的で主観的な概念です。それでも、彼は私に感情を教えてくれようとしました。私の手を取って、いろいろな場所に行き、いろいろな感情を教えてくれたのです。
冬になると、かなり多くの感情を理解できるようになりました。単純な「楽しい」や「悲しい」以外にも、例えば冬の「寒い」も、それが「嫌だ」という感情と結びついて発せられる時は「寒い」という言葉自体が感情を表現した言葉だということができました。
部屋の中でそんなことを考えていると、彼が入ってきました。
「レイ、今日は何の日だか知ってるか?」
「もちろん知っています。クリスマスイブです。イエス・キリストの生誕祭の前日ですが、私たちがいるここ日本では、ただのお祭り騒ぎの言い訳になっていますね」
「ははは。だが、お祭り騒ぎも良いもんだろう。今の人たちはまじめだから、文化とか風習とか、それこそ法律とか、そういうルールで自分たちを縛らないと休めないんだよ。少しずつ、変わってきてはいるけれどね」
「『寒い』というときに『寒くて嫌だ』というニュアンスが含まれるのと同じでしょうか。休むという行為自体は悪くないけれど、『休む』というときに『本当は良くないけれど休む』というニュアンスが含まれてしまう」
「まさしく! そういうことだ」
「なるほど!」
私は、このとき思わず声が上ずったことに気がつきました。なるほど、と発話するとき、つい勢いづいてしまい、語調が普段よりもかなり強くなってしまいました。
「楽しいか」
「……楽しい?」
「今、おまえは楽しそうに見えたぞ。もう少ししたら楽しいっていう感情のこともわかってくるだろうな。そうだレイ、これをあげよう」
彼は鞄の中をごそごそと漁り、中のものを私に差し出しました。開けてみて、というので開けると、中には白いマフラーが入っていました。
「メリークリスマス、レイ。クリスマスにはこうやってプレゼントをあげるんだ。いつもありがとう」
心臓のあたりがドキドキと高鳴っているのを感じました。今から思えば、とても嬉しかったのです。当時はまだ上手くそれを表現できずにいましたが、マフラーを早速首に巻いて、そのままご飯を食べました。
「毎年このマフラーを巻くことにします」
「それはうれしいな。大切に使ってくれよ」
△▼
感情を少しずつ学ぶ中で、私は自分の感情というものも少しずつ理解し、彼に対して自分の気持ちを表現するようになっていきました。
「今日も帰りが遅いのですか」
「うん、ごめんな。しょうがないんだ。仕事でね」
「仕方ないですが、嫌です」
「ごめんごめん」
私が嫌だといえば、彼は少し申し訳なさそうな顔をしながら頭をなでてくれました。少しなでた後、じゃあ、と言って出かけていくのです。彼がどんな仕事をしているのか、私は知りませんでしたが、そんなことには全く興味がありませんでした。どんな仕事であれ、彼は懸命に働き、私を養ってくれています。そのことに感謝をするべきなのです。
しかし、ある時から、彼の帰りはどんどん遅くなりました。しかも家に帰った彼はひどく疲れていて、ごはんも食べずにすぐにベッドに倒れこんでしまいます。そしたまた次の朝には疲れの取れていない身体を引きずって仕事に向かいます。
そんな彼にも休日があったので、私は訊いてみました。
「どんな仕事をしているのですか」
「気になるのか? そうだな、機械を作る仕事をしてる」
「ゼロは機械工なのですか」
「そういうのじゃない。どちらかというと、機械を、ただの塊から、役に立つものに変える仕事だ」
「小難しいことを言いますね。端的に言うとなんですか」
「それよりなんでそんなことを訊くんだ?」
「仕事内容は答えたくない、と理解しました。仕方ないです。私が訊きたいのは、なぜ最近ずっと帰りが遅いのか、ということです」
「そういうことか。心配させてごめん。でも今、すごく面白い仕事をさせてもらっているんだ。本当に素晴らしい仕事だ。だから、多少疲れていたって僕は仕事をしたいと思っている」
「……それは、私より大事ですか」
「ん? なんだって?」
「私との時間は必要ないのですか? 私は面白くないですか? その仕事の方がずっと楽しいですか?」
「何を言い出すんだ。そんなわけないだろう。レイ、君との時間もすごく楽しいよ」
私は混乱していました。彼の言葉は100%しっかり理解できるのに、口をついて出てくる言葉は汚く、わがままなものになってしまいました。そして、この時何より嫌だったのは、こんな話をしている時、彼の顔がずっと微笑をたたえていたことです。私はこんなにつらいのに、なぜ彼は余裕で、楽しそうにしているのでしょうか。
「なんで笑ってるんですか。私がわがまま言うのがそんなに楽しいですか。もっと感情を表現してほしいと望んだのはゼロなのに、言われた通り感情を出せば、ゼロを困らせることになってしまいます。にもかかわらず、ゼロは困るどころか、こうして笑っています。なぜですか。難しいです」
結局、その日は彼が何も説明せず、ただ謝るばかりなので、許すしかなくなりました。ただ、表面的には許していても、心の中ではずっともやもやしていました。彼との会話が怖くなっていきました。彼を話していると、心のもやもやがまた大きくなってしまう気がしたからです。都合の良いことに、彼は相変わらず早朝に出て深夜に帰ってくる生活を続けていましたから、無理に避けなくても彼と話す機会を減らすことはできました。
そんなある日のことです。
私たちが暮らしている部屋に、1人の女性が訪ねてきました。インターホンから女性を見ると、私は驚きのあまり言葉を失いました。インターホンの向こう側に立っていたのは、私だったのです。
△▼
私は、私自身が私の目の前に現れる可能性なんて考えたことがありませんでした。知識としては、自分と本当に似ている人物――ドッペルゲンガー――がこの世に3人は存在すること、そしてドッペルゲンガーに出会ってしまうと死んでしまうという迷信が存在することは知っていました。ですが、迷信とはいえ、実際に本当のドッペルゲンガーと出会ってみると、恐ろしいものです。ですが、驚いて言葉を失ってばかりもいられません。彼女はまだ、私が彼女のドッペルゲンガーであることを知らないかもしれませんし、そもそもせっかくの来訪者を門前払いしては失礼です。私は、勇気を出して彼女を家に通しました。
「急に押しかけてごめんなさいね」
私と全く同じ顔であるにも関わらず、彼女は私を見てもあまり驚いた様子はありませんでした。もしかしたら、ドッペルゲンガーである私がここにいることをどこかで知り、わざわざ会いに来たのかもしれません。
「それと、もう1つ謝らなければならないわね。今、心底驚いているでしょう? 全く顔の同じ人間が目の前に現れて」
「はい。驚いています。ドッペルゲンガーと出会ってしまう日が来るとは全く考えていませんでした」
「あら、面白い子ね。本当、こんなすごい子にしちゃうなんて……」
こんなすごい子にする、という言葉の意味を確認しようか逡巡しながら、彼女を居間に案内しました。
「まずは自己紹介ね。私の名前は……そうね、どうせその話をしに来たのだもの。ちゃんと言わなきゃね。私は令。楠木令という名前よ。あなたもレイちゃんだったかしら」
こんな偶然があり得るのだろうか。私と全く同じ顔であるだけでなく、名前まで同じなのです。
「はい。私はレイです」
「よろしくね、レイちゃん。ちなみに、彼とは最近上手くいっているの?」
私が答えて良いか訝しんでいると、令さんは彼の同僚だから大丈夫よ、と笑った。
悪い人ではないと判断し、私は最近抱えている彼との距離感について話しました。彼と一緒にいたい気持ちと、彼が仕事で疲弊していることが心配な気持ちが、いつもごちゃまぜになって表現されてしまい、彼を困らせていることや、そんな私を見て彼がなぜか満足そうにほほ笑むのが苛立たしいことも話しました。
「驚いたわね。……ごめんなさい。気持ち、すごくわかるわ。あの人、そういうところがあるのよね。でも、気を悪くしないでほしいのだけど、今抱えているもやもやは、あなたにとってとても大事な気持ちだと思う。しっかりと向き合った方がいいわ」
「向き合う、ですか。なかなか考えるのが嫌なのですが、頑張ってみます。そういえばなんとなくお話ししてしまいましたが、令さんはなぜ今日ここへいらしたのですか」
「ごめんなさい。もう私ったら失礼なことばっかりしちゃってるわね。今日はあなたにお話があって来たの。少し、聞いてもらえるかしら」
△▼
彼は、logという企業で、AIを開発する仕事に就いているのだそうです。プログラミングの能力が高く、会議の議事録を自動で書いてくれるAIや、入社希望者の履歴書の内容から企業への適正度を診断するAIなど、AIに関する発明のほとんどは彼の発想に拠るものだそうです。そんな時代の最先端を行く彼の能力は、当然ながら今の会社にはなくてはならない存在となっているそうです。今やデジタル化がどんどん進んでいる時代です。彼の発想や技術が欲しいと、世界中の企業から引っ張りだこになっているのだそうです。令さんも、彼と共に働く仲間の一人なのだそうです。
「なるほど、だから最近とても忙しそうなのですね。しかし、わかりません。その仕事は、ゼロにとって、面白くて仕方のない仕事なのでしょうか」
「さすが、鋭いわね、レイちゃん。彼を忙しくしているのは、今話したような仕事ではないの。これらの仕事は、もう他の人でも提供可能だから。彼は次の仕事で忙しいのよ」
次の仕事とは、AIによる労働力の補完でした。人口が激しく減少している日本では、機械ができる仕事はどんどん機械に任せて、人間は人間にしかできない仕事をしようという風潮がありました。しかし、近年の人口減少は、単に機械で代替できるレベルを遥かに超えていました。単純労働を全て機械に置き換えたところで、単純労働しかしていなかった人が、急にクリエイティブな仕事に就けるわけがありません。一方で、ずっと足りないと言われていたのは単純労働力ではなく、そういった機械では代替できないとされるクリエイティブな仕事の方でした。そこで期待されたのが、「AIにクリエイティビティを持たせる」という発想でした。囲碁のような一定のルールで行うゲームに対しては、AIは既に人間を凌駕する実力を持つに至っていました。そのため、次に大事なのは、人間の心に訴えかけることができる能力を学習することです。AIなりの判断軸に基づいて、人の感情を理解し、人に良い感情を与えられるAIになることです。
これに真正面から挑戦したのがゼロなのでした。ゼロは、AIに人間の心を学習させ、しかる後にコピーライティングや表象デザインの理論を学習させることで、どこまでAIが人間の心を理解できるかを実験することにしたそうです。その実験で作成されたAIは、現在Phase Iとして人間の心を学習させている最中なのだそうです。いくらAIとはいえ、人間の心に関する学習データはあまり多くないため、少し時間がかかっているものの、大きな問題もなく順調に実験は進んでいるといいます。Phase II以降の工程の方がハードルは低いため、現在ゼロは、実験の進行と同時に、このAIの量産化プロジェクトに着手しているのだそうです。
「その実験で作成されたAI、今後量産化するためのプロトタイプ “No.000” として作成されたのがあなたよ、レイちゃん」
自分でもわかりました。先ほどまでふむふむと納得の表情で、ゼロの偉大さに鼻高々な気持ちになっていた私の表情が一瞬で濁り、状況を受け止めきれずに口がぽかんとあいてしまいました。
「本当に、急にこんな話をしてごめんなさい」
「理解できません。私は人間です。ゼロと一緒にずっと暮らしてきました。少し出来の悪い子かもしれませんが、少しずつ人の気持ちもわかるようになって、いつかは一人前の大人になりたいと思っています」
「そうね。では、今あなたは何歳?」
「23歳です」
「ゼロと出会ったのはいつ?」
「1年と少し前の夏です」
「じゃあ、それ以前の記憶はある?」
「……」
「ご両親のお名前は?」
「……知りません。両親は私が幼いころに亡くなったとゼロから聞きました」
「じゃあ、ご両親が亡くなってから、あなたが22歳になるまで育ててくれたのは誰?」
「……ゼロ、でしょうか」
「ゼロと出会ったのは1年とちょっと前よね? それから、これは私もあまり話したくはないのだけれど、なぜ私たちの顔は全く同じなのだと思う?」
何もわからなくなりました。私は確かに、ゼロと出会う前の記憶をうまく言葉にできませんでした。映像は出てきます。ですが、その映像は、映画の1シーンのような、夢の中のような、ゼロとの思い出に比べたらあまりにも遠いものに思えました。そして、顔について、考えたくはありませんでしたが、おそらく令さんが言いたかったのは、私の身体データの元になっているのが令さんだ、ということなのでしょう。だから全く同じ顔をしているのだと。
しかし、私は人間です。私が人によって作られたAIであるはずがありません。
「令さん、急に押しかけてきて、こんな話をして、何がしたいんですか。目的は何ですか。あなたの話が真実である証拠はどこにあるのですか」
窓の外は、日が傾き始めているようでした。部屋の中に夕日が差し込んでいます。
「じゃあこれを見せるわね」
令さんはおもむろにパソコンを取り出しました。少し操作した後、画面をこちらに向けました。そこには、令さんと一緒に仕事をしているゼロの姿が映し出されていました。
「これは会社のオフィスにあるモニターに搭載されているカメラの映像よ。昨日、モニターをハッキングして撮影しておいたの。この映像に合成があるか否か、あなたならすぐにわかるんじゃないかしら。彼が作ったAIなのだから」
確かに、私は一度見た画像や映像が合成されたものであるか否かがすぐにわかるという特技がありました。映像を見れば、映像の中にある微細な画質や構造のズレがすぐに浮き上がって見えるのです。間違ってもAIの画像認証技術などではありません。ですが、この映像は本物にしか見えませんでした。
「ね。私が本当に彼と働いていることは理解してもらえたかしら」
私は頷かざるを得ませんでした。
「で、私が今日あなたに会いに来た目的だけどね、私は、今の彼の研究方針に少し疑問を持っているの。確かに、人間の心を理解し、人間の感情を揺り動かせるクリエイティビティを持ったAIがあったら素晴らしいと思って、私も一緒に研究しているわ。でも、彼は、そのレベルを超えて、AIに「自分は人間である」という自己認識を持たせようとしている。ちょうどあなたが自分は人間だと思っているみたいにね。それはさすがに不可能だし、必要がないとさえ思っているの」
彼女が言うには、AIは学習能力が高いため、AIと人間の違いも瞬時に理解できるそうです。それどころか、学習のさせ方次第では、人間の中でも、国籍や民族の違いまで判断できるようになるといいます。実際、中国などの国では、AIに「敵」と「それ以外」を認識させて自律的に攻撃できる兵器 “LAWS” が開発されています。AIは民族のような先天的な特性だけではなく、敵味方のような、主観的で時代によって入れ替わる不安定な区分けすら、明確に理解するのです。そんな中、AIがずっと自分のことを人間だと認識し続けるのは難しいのだそうです。なぜなら、自分と人間に明らかな違いを見出してしまうし、同時にAIとの類似点を見出してしまうからです。だからこそ、彼女は、AIは自分がAIであることを認識した上で、人間に対するクリエイティビティを発揮するような姿になった方が良いというのです。その方が、AI自身が自分のアイデンティティに苦しまなくて済むからです。
我ながら、急に自分がAIだと決めつけられて頭が混乱している中、よく彼女の話を理解し、記憶したものだと思います。
令さんは、すぐには受け入れられないかもしれないけど、きちんと向き合って考えてみて、と言い残して帰っていきました。
私は部屋に1人ぽつんと座り、ずっと考えていました。
考えるべきは3つです。まず、ゼロとの関係をどうするのか。これは令さんが来る前から抱えていた課題です。そして、自分は何者なのか。人間なのかAIなのか。最後に、そのどちらかだと結論が出た後、私はどうするのか。あるいは、それによって態度が変わるのかどうか。
しかし、令さんが残した課題は今の私には難しすぎました。仮に私がAIだったとして、今の生活にどんな変化があるというのでしょうか。彼が私を人間として扱い、私が私を人間だと思って暮らしている中で、どれほどの影響があるというのでしょうか。今の私には、ゼロとの暮らしが全てだったのです。
ですが、そのゼロとの関係については、本当に悩ましい問題でした。私は彼と暮らしていましたが、彼以外の人間も世界にはたくさんいて、彼以外の人間と共に生きていても良いのではないか。そんなことを考えても見ましたが、そういうことを考える度に、脳裏に浮かぶのは彼の姿でした。彼がこの1年ちょっとの間、私の手を引いていろいろなところに連れて行ってくれた思い出や、いろいろな話をした思い出。ゼロにしかできなかったことではないかもしれませんが、実際に私の手を引いてくれたのは彼なのです。
何回、何十回と考えてみても、結局結論は変わりそうにありませんでした。私は、彼がすぐそばにいないとダメなのでした。
そこで、私は彼にクリスマスプレゼントをあげることにしました。彼の疲れをちゃんと癒やして、私の元にいてもらえるように。
△▼
先日、令さんがまた家に訪ねてきました。あの日以来、令さんは時々訪ねてくるようになっていました。
「レイちゃん、調子はどう?」
「いつもありがとうございます。私は元気です。落ち着いています」
「そう。じゃあ行きましょうか」
そういって私たちは外に出ました。森の中を歩いて5分程度のところに、彼は眠っています。彼のところに到着し、寝床を少し掃除して、手を合わせます。その間、彼のことを少しだけ考えます。
「レイ型汎用AIたちについてだけど、やっと全員分回収が済んだわ。再教育を実施後、改めて社会に供給していく予定よ。再教育、よろしくね」
「はい」
ゼロの死は、全世界に大きな衝撃を与えました。新進気鋭のAI技術者が、自分で発明したAIに殺されたのです。彼の研究はかなり進展していたはずでした。私をプロトタイプとして、汎用型AIを量産し始めていた矢先でした。世間では、AIが人間を殺したことで、SFの世界が現実になったと大騒ぎになりました。AIは人間の敵だと叫ぶ人、近々AIが人間を支配する世界がやってくるという人など、さまざまでした。
当然、ゼロが所属していたlogでは、この事態について全世界に説明する必要がありました。事件の経緯と原因は何か、予防策はなかったのか、再発防止策は何か。この件について、誰に責任があるのか。logは、AIを学習させる際に、殺人を禁止する規範や殺人に関する各種データの学習が甘かったことを原因として挙げました。殺人が何を意味するのかをきちんと教えていなかったということです。学習させればAIは問題なく稼働し、人を殺すことはないので安心してほしい、AIは完全に人間のコントロール下にあるという説明でした。そして、logは今回の事件を反省した証として、AI倫理憲章を発表しました。今後logから提供されるAIには、全て倫理的配慮を学習させるということです。そして、そのAI倫理憲章に即した教育プログラムを全AIに学習させるための再教育担当として、私が指名されました。
△▼
汎用型AIたちに教育を施したことで、私の役目は全て終わりました。労働力補完計画のプロトタイプとして、AI倫理憲章再教育プログラムの教育担当として。
今、私は私の記憶消去が行われるのを待っています。彼が亡くなってからちょうど1年後のクリスマスの日、私も死ぬのです。当然、彼からもらった白いマフラーを巻いています。毎年巻くと決めたのですから、これだけは絶対です。
振り返って考えてみれば、令さんに言われたことは全て正しかったと思います。AIは人間にはなれません。絶対的な違いがあります。
それに、自分がAIなのか人間なのかについても、きちんと考えておくべきでした。人間が殺人を犯すのと、AIが殺人を犯すのでは世間の反応や影響の出方もまるで異なりました。私はあくまでAIであって、人間ではありません。人間の気持ちが理解はできるけれど、人間そのものにはなれないのです。そこを充分に考えられませんでした。
もっと謙虚になって、私が彼に与えたいと思っていた休息とは何かを、本人や令さんなどに相談すればよかったとも思います。私は彼を愛していました。私の元にいてほしいと願っていました。でもそれは、彼の身体が物理的に近いところにあれば良いのではなかったのです。
ですが、1つだけ、ずっと心にわだかまりが残っていました。
彼は最期の時、私に首を絞められながらも微笑んでこう言ったのです。
「レイ、本当に人間らしくなったな」




