聖夜の重雪
雪がひらひら舞い落ちる夜、冷たい風で揺れる火に苦労しながら柳有子はお線香に火をつける。火がつく選考から煙が立ち上がり、一瞬咽そうになる。線香立てに線香を立てて手を合わる。目を瞑ると浮かぶ風景はクリスマスの後からの六か月間。一真と過ごした明るい日々だ。
「また彼氏と上手くいってないの?」
「上手くいってないわけじゃ…ない」
「へぇ…そうなんだ。じゃあこうして俺に会いに来てこんなことしてるのはなんでかな」
「別に…なんだっていいでしょ」
「素直じゃないね」
一真とは大学生からの付き合いだった。大学のアカペラサークルで一緒になり、同じユニットを組んで練習したり、編曲をしたりしているうちに互いがなんとなく、男女としての関係を意識し始め、学祭ライブの終了後の打ち上げの最中にお酒を飲めない一真が、私にこっそり告白し、付き合い始めた。それ以来五年の付き合いになる。五年も付き合っていればお互い気心もしれたもんで、多少会わなかったり連絡が取れなくても何も思うことはなかった。しかしここ最近は会うのはもちろん、連絡する間隔もまちまちになっている。最後に会ったのはいつだったか。友人に頼まれて参加した合コンでなんとなく連絡先を交換した兵頭にそのことを愚痴り始めるとそんなことをしているうちに会わないかと誘われて会うことにした。兵頭がよく飲みに行くバーでおすすめのお酒を飲ませてもらっているとそこから記憶を失くしてしまい、目が覚めると私は兵頭の家のベッドで一糸纏わぬ姿となっていた。
「そりゃあの時は俺も悪かったかもしれねえけどさ、お前だって酔っていたとはいえ乗り気だったぜ。」
「そんなの知らないよ。酔ってたんだから」
「それは理由にならねえよ」
「うるさい」
その帰り道、最初こそ激しい罪悪感に駆られ、死にたくなった。一真がいながらこんなことをした自分が許せなかった。しかし、時間が経つにつれ、怒りの矛先は自分から一真に向かっていった。私をほったらかしにするのが悪い。私のことを愛していないからこうなるんだ。そう、心の中で一真を責めてたてていた。結局、一真には事実を伝えずに今日まで過ごしている。そして寂しさを感じると、私はこうして兵頭を求めるようになっていた。二回目に会いたいと連絡したとき、兵頭は深いことは一切聞かずに私を受け入れた。それが楽だった。世間一般的に、もしかしたら私は浮気者のクズ女かもしれない。それについて説教するのではなく、おちょくるように接する兵頭が楽だった。こうやって身体を重ねることも気持ち楽にすることができる。
果てた後、少しの間眠っていると、その中で夢を見た。
それはお墓だった。誰のものかもわからないお墓。
近づいてみると、どこからか声がする。
私の知っている声。私の恋人の声。一真の声。
よく見ると、一真がお墓の上に立って、私を呼んでいた。
目が覚めると、兵頭は煙草を吸ってテレビを見ていた。
「よお。なんかうなされてたみたいだけど大丈夫か」
「うなされてた?」
「ああ。なんかとても苦しそうだったぜ」
「そう…」
「どうした?彼氏にキレられる夢でも見たか?」
「…」
何も答えれない私を見て、兵頭は笑いながら言った。
「もう別れちゃえよ。中途半端なままだからそんな夢も見るんじゃねえか。俺もお前がいてくれると楽だし、楽しいからよ。彼氏だってそっちのほうがいいんじゃねえか?」
「どういうことよ」
「『忙しくて会えない』なんて嘘に決まってるだろ。もっと好きな都合の良い女ができたんだよ。きっと」
「…あの人に限って、そんなこと…ない」
一真は私の知る限り、真面目過ぎる人間だ。どんなことがあっても浮気するなんてことは考えられない。
「本当か。仕事で疲れていて、女の子にコロッと転がされちゃったかもしれないぜ」
信じたい。信じれるはずなのに、『もしかしたら』という言葉でかき消されてしまう。
「今日は帰る」
ベッドの周りに散らかった衣服を着ながら、帰り支度を始める。
「あれ? 怒った? まあいいや。どうせまた来るんだろ。いつでも来いよ」
何も言い返せなった。本当なら来ないほうがいいのかもしれない。でも私はまたきっと来てしまうだろう。私の心が私自身にそう話しかけていた。
玄関のドアノブに手をかけた私の背中から、兵頭の軽い声がかかった。
「そういえば二週間後にはクリスマスだな。ちょうどいいからウチでクリスマスパーティでもしようぜ、二人でな」
「考えとく。じゃあね」
アパートの軽いドアを閉め、アパートを後にした。
一真から連絡が来たのは翌日の夜だった。クリスマスはどうやら会えるらしい。家まで来てほしいらしく、当日はクリスマスケーキを買って、一真の家に向かった。
一真が住んでいるマンションに到着し、ドアホンで部屋番号を押す。419号室。ドアホンを鳴らすが応答がない。もう一度呼び出すがそれでも反応はない。どこかコンビニでも行ってるのだろうか。そう思い、一真の携帯に電話をかける。5コール…6コール…7コール。どれだけ鳴らしても電話には出なかった。
「なんなの一体…」
そう呟くと同時に着信があった。画面もろくに見ずに応答ボタンを押す。
「もしもし一真?今どこにいるの?」
「おいおいカズマじゃねーよ。俺だよ、兵頭」
「なんだ…あんたか」
「なんだじゃねーよ。相変わらず釣れないね。今日の予定はどうなんだ。前に言っただろ。今日はクリスマスパーティの日だぜ」
あれは本気だったのか。てっきり冗談で言ってると思った。
「来ないのか?あ、今日は彼女面する日か。彼氏も彼氏でクリスマスにはお前を選んだわけだ。良かったねーおめでとさん」
「おちょくってるの?」
無性に腹が立つ言い方だ。
「あれ?そうじゃねーの?もしかして一人か?クリぼっちってやつか?ついにフラれたか。あはは。それはそれは残念だったな」
「勝手に妄想で話を進めないでくれる?」
「お、その反応は当たってるのか?ははは。これは面白い。今からウチに来いよ。慰めてやるよ」
「そんなんじゃないって。切るわ」
そういって電話を切り。更に電源を落とす。
「なんなのよ。二人して」
結局その日は帰り道でクリスマスケーキのホールとローストチキンを買って帰り、半ばやけ食いしてふて寝して過ごした。
翌日の朝は実に胃が重たい朝だった。携帯の電源を切ったまま寝てしまったので目覚ましにも気づかずぐっすり寝てしまった。休日でよかった。携帯の電源を入れると一真から着信が10件、いやそれ以上入っていた。すぐに一真に電話をかける。コール音が3回鳴り、電話がつながる。
「もしもし一真?一体どうしたのよ、昨日は家まで行ったのに…」
「もしもし。初めまして。私、一真の母の邦子と申します」
「え?一真さんのお母さんですか?」
「はい」
嫌な予感がする。
「一真くんに何かあったですか?」
なれない「くん付け」が不自然にでてしまうほど、私の気持ちは震えていた。
「あなたは一真のお友達?」
「一真くんとお付き合いさせていただいている柳と申します。はじめまして」
「ああ…」
不自然な反応。そして沈黙。大きな吐息が聞こえると
「実はね。一真、昨日から意識が無くて。今、集中治療室に入ってるの」
「え?」
頭の思考が停止する。
集中治療室?
意識が無い?
まったく現実のものとは思えない言葉を耳にして、私の思考は完全に停止した。
「もしもし?もしもし?」
電話からは邦子の声が流れ続けていた。
お昼過ぎに病院に到着し、集中治療室前のベンチに座っていた邦子と合流した。軽く挨拶はしたものの何も話すことができず、刻々と時間が過ぎていった。陽が傾きベンチに西日が差すころ、医師が集中治療室から出てきた。邦子と私の前に立ち手術状況説明を始める。
「結果としては良好です。麻酔が切れれば目を覚ますでしょう」
「ありがとうございます。本当に…ありがとうございます」
邦子は涙ながらにお礼の言葉を述べた。
「一真君はよく頑張りました。お母さまもあまり無理をならさずに」
そういって医師はその場を去った。
「柳さん?でしたよね。今日は来てくれてありがとうね」
「いえ。無事に終わってよかったです。あまり長居するのもご迷惑だと思うので私はこの辺で失礼します」
「あぁ…ちょっとだけ、お話しませんか」
「え?」
拒むわけにもいかず、そのまま一真の母親に連れてこられるがままに病室に来てしまった。病室には術後の一真がいた。麻酔がまだ効いているのか眠っている。
「今日は本当にありがとうね。私一人で心細かったのよ」
「いえ、私も気が気で無かったので…」
一真は母子家庭だと以前聞いていた。
「家に行ったら倒れていてびっくりしたわ。倒れてからそこまで時間が経ってなかったからよかったけど、もう少し発見が遅れていたらどうなってたかと思うと…」
「お母さまのおかげですね。こういうことは前にもあったんですか?」
「そのことなんだけどね。実は一真はね、半年くらい前からある病にかかっているの」
「え?」
「それで仕事を辞めて、病院と家を往復しながら治療をしてたの。それで私が定期的に一真の家に行って様子を見てたの。ここまで体調が悪くなるは起きなかったし、ましてや倒れるなんてことはなかった。だからもしかしたらこのまま治るかもしれないって思っていたわ。でも今回のようなことがあると…」
私は相槌すら打てなくなっていた。
「先生から余命を宣告されるようなことはしてないけど、特殊な病気で原因が不明だから明確な治療法がないみたいでね。治るのか、死ぬのかどちらに転ぶかわからない。一真も私もとにかく同様したわ。でも先生がとにかくやってみましょうって治療プランを提示してくださったの。このまま死ぬよりかはマシと考えて、一真は治療にチャレンジすることにした。だから私も頑張ることにしたわ」
「そう…だったんですね」
そのあとも邦子との話は続いたが、内容は全く入ってこなかった。
邦子との話を終えたあと、その日は帰宅し後日病室を訪れた。術後の経過は良好で、一真は普通に話ができるようになっていた。
「いやあ、びっくりしたよ。まさか意識が無くなって倒れるなんて。しかも気付いたら手術して終わってたんだから。でも生きててよかった。」
「なんでそんな陽気なのよ」
久しぶりに直接話した一真は術後にも関わらず妙に元気だった。
「うーん。手術して悪いところが無くなったのと、しばらくゆっくり寝れたからじゃないかな。もう自分はすっかり元気になったよ。大丈夫」
笑顔で一真は喋っているが、私には返せる言葉がなかった。
「でも、ごめんね。せっかくのクリスマスを台無しにしちゃって」
「それは…しょうがないよ」
「いやいや。自分がちゃんと健康に気を遣ってなかったから」
「仕事忙しかったんでしょ?」
「そう…だね。仕事は忙しいね。でもそれはしょうがないから」
「そう…」
言葉が続かない。彼が闘病中に私がしていたことは絶対に許されることではない。私は罪の意識に囚われていた。
「どうしたの?元気ない?せっかくお見舞いに来てくれたのに有子が暗くてどうするの。自分の手術は成功したんだし、元気出して」
「うん…」
笑顔で一真が言う。そのことがとても辛くてしょうがない。
「さっきね、聞いたの。一真のお母さんに。病気なんでしょ?仕事が忙しいってのは嘘だったんでしょ?なんで言ってくれなかったの?ねえなんで?」
一真の表情が一瞬で曇る。
「そうか…お母さん、言っちゃったのか。あれほど言わないように言ってたのにな」
俯きながら苦笑いで一真が話始める。
「話すべきか、黙っておくべきか悩んだんだよ。それで黙っておくことにした。そしてできるだけ会わないようにした。会ったらばれちゃうかもしれないからね。クリスマスは…やっぱり一緒に過ごしたかったから、頑張ろうと思ったけど無理だった。ごめんね」
「そんなこと・・・いい」
「ずるいかもしれないけど、会わなくなって、嫌われて、それでフラれてもいいと思った。もし、自分が死んだら一生背負わせる。背負わなくてもどこかで残ると思ったから。それだったら別れて音信不通になるか、自然消滅して、自分のことなんて忘れてもらったほうが有子の為かなとも思った。有子には、まだまだ未来がある。自惚れかもしれないけど、有子の重石になんてなりたくなかったんだ。本当にごめん」
「そっちのほうがよっぽど辛いよ。何も知らないまま終わるのは嫌だ…。それに一真は悪くない。悪いのは私なの」
「なんで有子が謝るの?」
「私がもっと、一真の体調とか気にすればよかった。仕事が忙しいからしょうがないってずっと思ってるだけだった。もっと一真のことを考えるべきだった。私は…私は…」
涙が大量に溢れてくる。泣く権利なんてないのに。私がやってきたことを考えたら、こんなこと許されるはずがないのに。
「有子。一つお願いがあるんだけど」
唐突なお願いを聞いて現実に戻る。
「なに?」
「自分はね、いつ死ぬかわからない。明日かもしれないし、10年後かもしれない。本当にわからないんだ。でもいつ死んでもいいように、後悔のない毎日を送りたい。やりたいことはできるだけ全部やりたい。だから、それをちょっとだけ手伝ってくれる?」
「私が?」
「うん。有子にお願いしたいんだ」
ここで手伝えば罪滅ぼしができるかもしれない。こんな時でもそんなことを考えてしまう自分の性格が疎ましかった。でも断ることもできないと思った。
「わかった。私にできることがあれば、なんだってする」
「ありがとう!」
病院を出ると兵頭から電話があったので掛けなおした。
「よお。彼氏とはどうなった?」
「なによ、急に」
「いやな。クリスマスの後に分かれるカップルって多いって言うじゃねえか。だからどうなったのか気になってな」
「お生憎様だけど、別れてないわよ。それに、もうあなたに会っている暇はないわ。わたしは彼のために生きるから」
「彼のため?お前が?ははっ。何をいまさら。」
「何か文句あるの?」
「いや、文句はねえけどさ。笑えるなって。お前がいままで何をしてきたか見ろよ。とても彼のためになるようなこととは正反対じゃねえか。そんなお前に、彼に尽くすことができるとは思えないね。やめときなよ。お前にはお前にあった生き方があるよ」
「あなたが私の何を知っているの?」
「ああ、よく考えたらお前の生き方に合ってるのかもしれないな。その時点で自分を一番必要としてくれる人のもとに行く。いいね、優しいね。いや、優しいというか偽善というかだな。今は彼氏が必要としてくれてるから彼氏のもとに行くけど、そのうちまた乗り換えるんだろ?」
「乗り換えることはないわ。私はずっと、彼のもとから離れない。もう話すことはないわ。じゃあね」
「ちょっと待てよ」
電話を切って、兵頭からの着信をブロックした。確かに私は彼に対してとても許されることではないことをしてきた。でもそれを償うためには、一生彼に添い遂げるしかないのだ。そうさっき病室で心に刻んだのだ。もうその決意は揺るがない。
あれから半年ほど、一真と同じ時間を過ごした。おいしいものを一緒に食べて、楽しい時間をたくさん共有した。亡くなる半月前、一真の体調がおかしくなり、そのまま旅立ってしまった。そして今、一真が亡くなってから最初のクリスマスを迎えている。
「あの時、クリスマス一緒にいれなかったからね。今日はずっと一緒にいようね。ううん今日だけじゃない。毎年毎年、クリスマスは一緒だよ」
雪の降る夜。墓石に語り掛けるように私はそう呟いた。
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有子へ
この手紙を読むころには私はもう死んでいるのかもしれませんね。
短い間だったけど、とても楽しかったです。自分のやりたいことがいっぱい、しかも一緒にできて、すごく幸せな時間でした。
次は有子自身のために、時間を使ってください。有子が幸せになることが、私の一番の幸せです。また来世出会ったときはよろしくね。
一真より




