クリスマス・パーティーに捧ぐ狂詩曲
◇
スーパーマーケットの入り口で勇人は頭を悩ませていた。
クリスマスイブの店内には陽気な音楽が流れ、多くの買い物客で賑わっている。少し前までは、勇人も今夜のささやかなクリスマス・パーティーに対して沸き立つ思いだったのだが、
「金がない…」
手元にあるのはくたびれた二つ折りの革の財布。いくら見返してみても、そこには千円札数枚といくつかの硬貨しかなかった。いつの間にこんなに軽くなってしまったのか全く記憶にない。
「勇人ぉ、早く買い物しようよー」
スーパーの入り口で立ち止まっていた勇人に声がかかる。目を上げると、少し離れたところに玲奈が立っていた。
玲奈との出会いは数ヶ月前のオフ会に遡る。肩までの髪を緩く巻き、少し派手な印象を受ける美人。一目見た瞬間に本能的な欲望が自らを突き動かすのを感じた。隼人は必死で話しかけ、連絡先を交換することに成功した。その後、何度か個人的に二人で出かける関係にまで至り、今日を迎えたのだった。
「どしたの? 忘れ物?」
玲奈が近づいてくると、甘い香りが鼻をくすぐった。
「いや、ちょっと…」
勇人は慌てて財布をカバンにしまう。
「さっさと買い出しして帰ろ。もういい時間だし、お腹減ったでしょ」
「そ、そうだな」
玲奈の眉間にはうっすらとしわが浮かんでいた。不機嫌な時の兆候である。これまで会った際も玲奈は直情的なところがあった。些細なことで機嫌を損ね、そうなると嵐が過ぎるのをただ待つしかない。色々な波乱がありながらも、遂に今夜は初めて勇人の部屋で過ごすところまでこぎつけた。
薄手のセーターとスキニーパンツという今日の玲奈のコーディネートは、張りのある曲線美を否応にも感じさせた。勇人は今夜のあれこれを想像し、湧き上がってきた欲望を抑える。これまでの勇人の過去を振り返ってみても、ここまでの女性はいなかった。
もしお金がないなんて状況を玲奈が知ったら、買い物前に部屋に置いてきた荷物をそのままにしてでも、友人の家に行くと言いかねない。とにかく玲奈に悟られることなく買い物を乗り切らなくてはならない。
斯くして、勇人のクリスマスイブがかかった重大な決戦が幕を開けた。
◆
スーパーマーケットの立体駐車場で、男は頭を悩ませていた。
駐車区画の外れに停められた車中。助手席の男は運転席に座る青年に云う。
「そんな依頼を受けられると思うか」
男はダークグレーのスーツを寸分の乱れもなく着ている。オールバックにした髪には白髪も混じるが、男から発せられる気は全くくたびれた様子を感じさせなかった。
「ほんと申し訳ないんすけど、そこをなんとか」
返すのは長めの髪を明るい茶色に染めた20代前半の青年。ひょろりとした痩躯でホストのような印象を受ける。
「依頼が不十分なのはそっちの問題だ」
男は懐からマルボロを取り出し火を付ける。ニコチンが染み渡っていく感覚に身を浸し、苛立ちを収める。
「とは言うものの、その殺しの腕を見込んでるからこその依頼なんすよ。これまでの数々の経歴から間違いないと、今回も…」
「ペラペラ喋るな」
男は青年を黙らせる。車内に生まれたしばしの沈黙を男が吐く紫煙が満たす。
---サンタを殺せ。
それが殺し屋である男へ運転席の青年が伝えてきた依頼だった。最近いくつか仕事をこなしてきたが、今回のものは訳が分からない。可能な限り情報を集め最もリスクの低い条件で依頼をこなすのが男の流儀だった。このようなやり方は性に合わない。
一方で依頼を受けないリスクも男は十分に理解していた。飛び込みのこの依頼、相当に重要度が高いに違いない。狭い裏稼業の世界では下手に断ると敵対と取られることが往々にしてある。その場合、面倒なことになるのは明白だった。
思考を終えた男は、指先で短くなったマルボロを携帯灰皿にねじ込む。
「より詳細な情報はないのか」
二本目を咥えながら、若者に渋々問いかける。
「えー、標的であるサンタはクリスマスイブ、このスーパーに現れる。目印に赤い品を身につけている。以上っす」
男は苦い煙とともに深く息を吐いた。
「おちょくっているとしか考えられないな。それだけの情報でどうやって探す」
「あ、スーパーに入ったら、また自分に連絡が来る手筈になってるっす」
青年が軽いノリで答える。
「それまで店内をうろついて、標的のサンタと思われる人物を探し続けるしかない、ということか」
面倒な依頼だがさっさとこなすしかない。車を降りてスーパーマーケットに向かおうとする男の背中に青年は慌てて声をかける。
「あ、なんてお呼びしたらいいっすかね。話しかける時に不便で」
「この家業で名乗る奴がいるか」
青年はしばし考える。
「じゃ、レオンでいいすかね。あの映画好きなんすよー」
「…好きにしろ」
男の呆れた様子を気にも留めず、青年はなおも考え込む。
「自分はどうすっかなあ。レオンの相棒だからマチルダ…マチルダ…。あ、マッチーなんてどうすかね!」
「………」
斯くして、殺し屋レオンと相棒マッチーのサンタ殺害計画が幕を開けた。
◇
玲奈がカゴに続々と食材を放り込んでいく様を、勇人は暗い目で見ていた。
「…今夜使う分だけにしよう?」
勇人の僅かな抵抗も虚しく、玲奈は食材を物色している。
「わー!このサーモン美味しそう!勇人の部屋、グリルあったよね」
「あるけど、前にサンマ焼いてからそのまんまだからなあ」
もちろん即興の嘘である。あらゆる理由をつけて買い物カゴへの食材の侵入を防がなければならない。
「なにそれ。食べたかったのに」
玲奈がじとっと冷たい視線を投げかけてくる。まずい。
「じゃ、つくるのも大変だし、お惣菜を買うことにしない?」
勇人の提案に玲奈の表情が少し穏やかになる。
「それもそっか。早く帰ってゆっくりしたいしねー」
「食べたいもの伝えてくれれば、適当に買って帰るよ」
ここぞとばかりに提案する勇人。今の手持ちで買える分だけ買って帰ろうと言う魂胆だったのだが、
「外もう真っ暗だし。一人で帰れっていうの?」
玲奈にむすっと返される。余計な一言だったようだ。
「しかも最近、この辺りで事件起こってるじゃない」
玲奈が少し気にするように付け足す。
「若い女性が何人も殺されているやつだっけ」
「行方不明でしょ。ちゃんとニュース見てよ」
このスーパーがあるK市内で20代~30代の女性が数ヶ月の間に3人も失踪している事件。調査は継続されているが進展はなく、前の失踪者が出てから既にひと月が経とうとしていた。
「とにかく一緒に買い物して帰るからね」
玲奈は話を切り上げ、勇人を置いて歩み去ってしまう。
取り残された勇人は、カゴに入れられていた食材を見つめる。グラム780円の国産牛ステーキ肉。一度は買い物カゴへ入れられてしまったが、玲奈が去ったこの瞬間は好機だ。
勇人は国産牛肉のパックを海外産の牛肉のものと手早く入れ替える。グラム数も気づかれない程度に少なく調整する。玲奈に金欠を気づかれず買い物を終えて帰るのが第一優先だ。
一つミッションをクリアした勇人は、すでに離れ始めていた玲奈を急いで追いかける。
◆
スーパーマーケットに入店したレオンは、思わず声にならないうめき声をもらした。
海外からやってきた大型スーパーマーケットは、広さも国内のものとは桁が違った。商品が山のように積み上げられ、背の高い棚がいくつも立ち並ぶ。軽快なクリスマスソングが鳴り響く店内は、幸せそうな家族連れやカップルで混み合っていた。
「次の指示が来るまで、店内を回ってみるしかなさそうすね」
いそいそと買い物かごを取りに向かうマッチー。
「ちょっと待て、どこへ行く」
呼び止めるレオンに、マッチーが声を潜めて返す。
「クリスマスイブにスーツで大型スーパーにいるだけで浮き気味なんすから、せめて買い物をしに来た感じを出さないとマズイすよ」
レオンは苦虫を噛みつぶしたような表情をする。
「依頼主にさっさと次の指示を聞けないのか」
「連絡は一方通行なんすよ。自分みたいな下っ端なんかが電話したら、後でどうなることやら」
マッチーはスマホを取り出して振ってみせる。
「せっかくだから色々食材見てみてましょ」
レオンはクリスマスイブにこんな仕事を依頼してきた奴を呪った。
◇
勇人と玲奈はお菓子コーナーを巡っていた。
「もうちょっと少ないやつでいいんじゃない?」
チョコレート菓子のパーティパックを入れようとする玲奈の手を必死で押しとどめる。
「んー、確かにね」
今回はすんなりと袋を棚に戻す玲奈。それもつかの間、
「あ、折角だしこれにしよ!」
棚の上段にひっそりと陳列されていた小箱を手に取る。パッケージには英語しか書かれていない。いや、英語ですらない。
「これ、びっくりするくらい美味しいんだって!ベルギーで有名なお店が出してるやつで…」
玲奈は止めどなく魅力を語っているようだったが、勇人の耳には全く入っていなかった。
1400円。こんな小さな箱で。
気づけばチョコレートの小箱は勇人の持つ買い物カゴの一番上に鎮座していた。カゴがずっしりと重みを増す。
玲奈は満足して勇人に声をかける。
「ささ、他のものも買わないと! 早く勇人のうちに帰ってゆっくりしたいし」
うちに帰ってゆっくり、と言う言葉が勇人の中で大きく響く。買い物を無事に完了して、玲奈を部屋に持ち帰る。このチョコレートは大打撃だが、まだ諦めては駄目だ。
再び勝負への決意を固め、気力を奮い起こす勇人だった。
◆
「うわー!これ、ヤバくないっすか」
マッチーが巨大なサーモンの切り身のパックを手に取る。
「切り身でこれって、本体はどんだけデカかったんだろ」
一方のレオンはカゴを持ちながらも、周囲の買い物客の様子に鋭い視線を投げかけている。まだ全く手探りの状態ながらも、標的のサンタが店内のどこかにいる。赤い靴、赤いマフラー、赤いフレームのメガネ。見回す人混みの中から、対象になりうる人物に目星を付けていく。
「よし!これは買いで!」
マッチーがサーモンをレオンの持つカゴに入れる。
「おい。指示が来ないか意識しておけよ」
さっさと仕事を終えたいレオンはマッチーにピシリと告げる。
「うっす」
マッチーは一瞬キリッと顔を固めたが、すぐさま精肉コーナーへとスススと移動して行った。レオンは苛立ちながらも、その後ろを買い物カゴ片手についていく。
マッチーが一匹丸ごと剥かれた鶏肉を興味深く眺めていると、背後にレオンが立つ気配がした。
「肉には興味あるんすか、レオンさん」
「そのまま肉を選んでろ」
振り向こうとしたマッチーを鋭いレオンの声が制した。
「俺たちを尾けている奴がいる」
マッチーは一瞬動きを止めたが、変わらぬ口調で返す。
「警備員にでも目を付けられたんじゃないんすか。最近この辺り若い女性の失踪事件が起こってるから、レオンさん怪しまれたんすよ」
背後に立つレオンはしばし黙り込む。
「とにかく依頼をさっさと片付ける。ただ、不測の事態に対応できるようには気を張っておけ」
静かに告げるとレオンはマッチーの背後から離れた。
マッチーはしばらく肉を見つめた後に、慎重にあたりを見渡す。その眼差しはこれまでになく真剣だった。不審に思われないよう、マッチーは既に歩みを進めているレオンの後を追った。
◇
クリスマスイブの惣菜コーナーは、そこがまさにパーティ会場の様相だった。寿司やオードブルがいくつも並べられ、フライがうずたかく積まれている。それらを買い求める買い物客の手は止むことはない。
「やっぱりクリスマスはチキンでしょー」
玲奈が大きなもも肉のフライドチキンを取ろうとする。
「ストップ! ちゃんと個体を厳選しないと」
「あはは、なにそれー。別にまかせるから好きに選んで」
玲奈は半ば呆れた様子で、他の惣菜を探しに向かう。
もちろんこれは勇人の策略である。個体差なんて分かりようがない。
勇人は並べられたチキンのパックに目を光らせる。勇人の目が目的のものを捉えて止まった。午前中につくられ10%値引きシールが貼られたチキン。先ほどのチョコレートが圧迫している分、僅かでも合計金額を減らしておかなければならない。
満足げにカゴに入れようとしたところで視線を感じた気がした。玲奈に見咎められたかと、勇人は慌てて周りを見渡す。だが、玲奈は少し離れたところでオードブルを吟味していた。
気のせいかと視線を少し下げると思いがけず目があった。赤いリボンで髪をツインテールにまとめた少女が勇人をじっと見つめていた。
「どうしたの? お父さんか、お母さんさんは?」
迷子かと思い、優しい口調で声を掛ける。
少女はむすっとした表情を崩さない。そのまましばらく何かを躊躇しているようだったが、ぽつりと問いかける。
「おにいさんが、渡してくれる人?」
少女は勇人のことをサンタクロースとでも思っているのだろうか。
その時、勇人の頭に妙案が浮かんだ。
「うん、そうだ。この美味しいチョコレートをあげよう」
玲奈がこちらを見ていないか注意を怠ることなく、先ほどのチョコレートの小箱を素早くカゴから取り出す。
少女は澄んだ瞳で訝しげに見ていたが、小さな手を伸ばして勇人の持つ小箱を手に取った。思わぬ逆転劇に勇人の心は踊っていた。
「ちゃんとおとなの人に渡しなよ」
少女がチョコレートをプレゼントと思ってそのまま店を出ていかないよう一言付け加える。少々高いけれども、この子の親に購入を検討してもらおう。
「…わかった」
少女は小さくコクリと頷き、通路を進んでいく。知らない人からお菓子をもらっていいのか考えあぐねているのか、一度こちらを不安そうな表情で振り返る。勇人は大丈夫と無言で一つ頷く。少女はそれを見て心を決めたように再び歩き出し、棚の影へと消えていった。
大きな問題が解決し、勇人は晴れやかな心地で惣菜コーナーを見渡す。さっきまでオードブルを見ていた玲奈は、今度は惣菜コーナーの外れで何かを探していた。
「どうしたの?」
「んー…、ちょっと探しもの」
玲奈ははっきりしない態度で返す。これ以上何かを見つけられてはたまらない。
「もう足りるだろうから、早く帰ろうよ」
少し不満げな表情を見せる玲奈だったが、惣菜コーナーを後にすることに同意してくれた。手に持っていた小ぶりのオードブルを入れるのは忘れなかったが、そこは許容しようと思う勇人だった。
◆
レオンは店内をゆっくりと進む。特売のポップに気をとめたように立ち止まり周囲を探るが、先ほど一瞬捉えた気配は消えていた。
レオンは小さく息を吐く。無意識に懐のマルボロに手が伸びるが、スーパーの店内だと言うことに思い至り内心で舌打ちする。標的であるサンタの候補を絞りながら、謎の尾行者に気を張らないといけない。この依頼、面倒なことになりそうだ。
「レオンさん、指示が来ました」
離れたところにいたマッチーが近づいてきて静かに伝える。先ほどの一件が効いたのか、少しは真面目にこなそうという姿勢が見受けられる。レオンは依頼者からの指示を伝えるようマッチーに顎で促す。
「標的のサンタは、今お菓子コーナーにいるとのことっす」
「そいつは赤い何かを身につけている、と」
レオンは情報を頭の中でまとめる。
「よし、さっさと終わらせるぞ」
スーパーの案内表示を確認する。今いるコーナーから5列先の区画が目的のお菓子コーナーだ。不自然にならない程度に買い物客の波をかき分け目的の箇所に急ぐ。
巨大スーパーとは言え、1分も経たずにお菓子コーナーへとたどり着いたのだが、
「おかしいな…」
背後から付いてきたマッチーが呟く。
お菓子コーナーは数人の買い物客しかいなかった。レオンは彼らに瞬時に目を走らせるが赤色は検知されない。
標的のサンタはいない。与えられた情報からは、そう結論づけざるを得なかった。
「どう言うことだ」
「指示が間違っていた、としか…」
苛立つレオンにもごもごとマッチーが返す。
「とにかく、次の指示が来るのを待ちましょう」
「変わらず店内をうろつくしかないのか」
レオンはそう吐き捨てると、お菓子コーナーから足早に立ち去る。その後を首をひねりながらついて行くマッチー。
そして、その二人の背後を注意深く一つの影が追いかけていた。
◇
「あ」
無事に予算内に収め切ってレジに向かおうとしていた勇人の背後で、玲奈が声をあげた。
「お酒買ってないじゃん」
「んー、要るかな」
勇人は危険を察知し回避しようとしたが、玲奈の意志は揺るがなかった。
「クリスマスイブだよ? お酒は要るよー」
「…ひとまず見て考えようか?」
玲奈の機嫌と現状を天秤にかけ、ここは一旦酒類コーナーに向かうしかないと勇人は判断する。幸いチョコレートを手放した分、予算には少々ゆとりがある。
訪れた酒類コーナーには、ワインが大々的に並べられていた。どれも1000円は下らない。
「どれがいいかねぇ」
玲奈は腰に両手を当てて、品定めの体勢に入っている。買わないという選択肢はもはやないようだ。ここで下手に誘導すると、先ほどのチョコレートの二の舞になる。勇人はそう思って静観を決め込んでいたのだが、
「…やっぱ、これかなあ。フルボトルだと流石に飲みきれないしね」
手に取った小さな瓶を軽い調子でカゴに入れる玲奈。一方勇人は棚に掲げられていた値札を見つめ、目の前が真っ暗になっていた。
「3200円…」
「モエシャンですから!」
思わず値段が口からこぼれでた勇人の様子を気にすることなくケロッと返す玲奈。
「ま、今夜は贅沢しよーよ」
これまで積み上げてきた努力を一瞬で吹き飛ばしたボトルを虚ろな目で見つめる勇人。
そんな焦点を失っていた勇人の視界に赤いものがちらついた。意識を引き戻すと、先ほどの少女が棚の影からじっと見つめていた。
「また何か欲しいの?」
少女は先刻と同様、黙ったままである。勇人は彼女にもう一度救いを求めることにした。
「今度はこれを…」
「ちょっと! 何してるの」
カゴからシャンパンのハーフボトルを取り出し、渡そうとしている姿勢のまま固まる。シャンパンの価格に動揺してしまい、玲奈が近くにいることをすっかり忘れていた。
「その子、知ってる子なの?」
「いや、さっきあった子で…」
「さっきって?」
「お惣菜見てたとき」
玲奈は少し考えたのちに、無言でガサゴソとカゴを探り始めた。勇人はカゴの中身が変わっているのに気づかれないかヒヤヒヤしたが、玲奈はお菓子コーナーでカゴに入れていたスナック菓子を取り出す。
「これだけ急いで買ってきて」
玲奈は有無を言わせない態度でスナック菓子を勇人に押し付ける。
勇人がレジを済ませて戻ってくると、玲奈はかがんで少女と楽しげに話していた。玲奈は勇人が帰ってきたのを見ると、
「おにーさんに声かけられて怖かったでしょ。これあげるから許して」
勇人が買ってきたスナック菓子を流れるように少女に手渡す。
「はい、プレゼント」
「ありがとう!」
勇人と話していた時とは打って変わって少女の顔はにこやかだ。もらったスナック菓子を手にして少女は通路を駆け出す。あっという間にツインテールと赤いリボンが棚の向こうへと消えていった。
少女を笑顔で見送っていた玲奈だったが、立ち上がると一変した表情でこちらを向く。
「さっきの子から聞いたけど、チョコレート渡したんでしょ」
あの子、そこまで喋ってしまったのか。勇人は思わず頭を抱える。
「もう一回、お菓子見るからね!」
勇人は怒りに満ちた玲奈の後ろを無言ですごすごと付いていく他なかった。
◆
レオンは惣菜コーナーの大混雑に辟易していた。流石に身動きが取りづらいため、惣菜コーナーの外れに退避する。全体を見渡すことができる位置に陣取り、赤い品を身につけている者がいないか探る。素早く目を走らせていると、視界の端に赤色がちらついた。
赤いリボンで髪を飾った少女だ。手にはポテトチップスの袋を抱えている。そして、隣でしゃがみこんで話しているのは、
「おい、何してる」
レオンが近づくと、少女と話していたマッチーが振り返った。
「あ、すんません。この子、迷子みたいで」
「そんなんに構っている暇ないだろうが」
再び呑気な様子に戻っているマッチーに、思わずレオンの語気が荒くなる。怒気を孕んだ声に少女がビクッと肩を震わせた。見る見るうちに顔が歪み始める。
ここで泣かれて目立つのはまずい。迷子の対応なんぞでこれ以上身動きが取りづらくなったら最悪だ。
「さっさとなんとかしとけ」
レオンは涙目でうつむいている少女の対応をマッチーに任せ、逃げるように惣菜コーナーの雑踏に歩みを進めた。
人混みをかき分けながらゆったりと一周するが、大した情報は得られなかった。戻ろうと目を遣ると、少女と別れたマッチーが背伸びをして今か今かとレオンの帰りを待っていた。
「レオンさん、今度こそ標的はお菓子コーナーにいるとのことっす!」
焦った様子で告げるマッチー。
「本当だろうな」
「とにかく、急ぎましょう」
レオンとマッチーは惣菜コーナーから再びお菓子コーナーへと急いで向かう。目的地にたどり着くと、他の区画の人混みが嘘のように閑散としていた。
「あいつか…」
そこには条件に当てはまる赤い品を身につけた人物がいた。
レオンは懐に忍ばせた商売道具に静かに手をかけた。
◇
「ちょっと、それどういうこと」
玲奈の地の底から響くような声。声量がそれほどない分、凄みが増している。
「いや、金がなくて…」
対する勇人の声は蚊が鳴くように弱々しい。
楽しそうにお菓子を選んでいた子どもたちが、何事かと勇人を見つめる。様子に気づいた母親が子どもの手を引いてそそくさと脇をすり抜けていく。
「いや、ありえないんだけど」
「…ごめん」
「これも買えないってこと?」
玲奈は勇人がこれまで積み上げた努力の賜物たる買い物カゴを指差す。
「いや、これくらいなら何とか…。でもシャンパンはちょっと厳しい」
玲奈は大きくため息を吐く。
「…帰る」
「え」
「もう今夜は友だちの家泊めてもらうから。あとは好きにして」
その言葉を最後に投げつけると、玲奈は身を翻した。コツコツという玲奈のヒールの音があっという間に遠ざかり、通路の向こうへと消えていく。図らずも勇人が当初予想していた通りの展開になってしまった。
無力感に満たされ立ち尽くす勇人は、近づいてくるスーツ姿の男に全く気づいていなかった。男は無駄のない動きで勇人のもとに一直線に近づいていく。勇人の脇を通ろうとしたところで、バランスを崩した様に勇人にぶつかる。
「すみません」
かなりの衝撃で勇人とぶつかったにもかかわらず、スーツの男は簡素な謝罪を残して、足早に去っていく。失礼な男の態度に普段なら苛立ちもするだろうが、勇人の中にはその気力も残っていなかった。男から受けた肉体の衝撃よりも、玲奈からの精神的なダメージが大きかった。
暫しの時が流れ、お菓子を買い求める子供たちの嬌声が戻ってきた。勇人はやっと状況を理解するに至り、腕時計を確認する。時刻は20時。すっかり遅くなってしまった。
目を落とす赤いバンドの腕時計は、数日前に玲奈がサプライズでくれたものだ。その玲奈が今夜はいないのだと思うと、再び絶望に堕ちそうになる。
気が抜けたせいかぐったりとしている。気分もあまりよくない。風邪でもひいたのだろうか。
勇人は独り寂しく帰路につくことにした。
◆
「いやー、一時はどうなるかと思いましたけど、さすがっすねー!」
マッチーの声が立体駐車場のフロアに響く。
「今夜はゆっくり寝れそうっす。ほんと助かりました!」
晴れ晴れとしたマッチーの様子に対して、レオンの表情は硬い。すっかり気をよくしているマッチーはさして気に留めず、立体駐車場の外れに停めてあった車に近づき電子キーでドアロックを解除する。レオンは助手席側に回り込むことなく、歩いてきた位置関係のまま、マッチーの斜め後ろで立ち止まっていた。
「あれ? 乗らないんすか?」
「一服してからな」
そう言って、レオンは懐に手を入れる。
マッチーは先に車に乗り込もうと、運転席のドアに手を伸ばした。
刹那、首筋にヒヤリとする感触があった。
「動くな」
マッチーは車のガラスがぼんやりと映す背後の様子を見つめた。小ぶりのアイスピックのようなものが首筋に突きつけられている。それを持つ手を辿ると、そこには無表情のレオン。
「ちょっと、何の冗談すか?」
マッチーがへらりと問いかけるが、レオンは微動だにしない。
「今夜もう一つ死体を出したくなければ、黙って聞いてろ」
話しても無駄だと悟ったマッチーは体の力を抜き無抵抗の意思を示す。それを感じ取ったレオンは静かに語り始める。
「お前が持ってきたサンタ殺害の依頼。遂行中に不可解なことがあった」
「それって誰かに尾けられてたことすか?」
マッチーの問いかけを無視してレオンは続ける。
「お前、1回目の指示を受けてお菓子コーナーに向かったとき、客を見渡して『おかしいな…』と標的がいないことを不思議に思っていたな」
「そりゃ、指示が間違ってて標的がいなかったんすから、当然…」
「早すぎだ」
レオンは強い口調で話を進める。
「あのとき俺たちが持っていた情報は、標的であるサンタは赤い何かを身につけている、ということだけだ。お前はお菓子コーナーを一瞥した瞬間に標的がいないことを判断していた。それが意味するのは何か」
マッチーの背中に緊張の気配が満ちる。
「標的が身につけている赤い品が何か知っていた。いや、」
そこで、レオンはわずかに言葉をためる。
「標的が誰か 知っていた」
マッチーの首が唾を飲み込む僅かな動きを見せる。
「少なくともお前はただのメッセンジャーじゃない。俺たちを尾けていた人物がいたこと含め、何か裏があるな」
暫しの沈黙。マッチーはガラスに写るレオンを見遣り、ふっと笑みを浮かべた。
「…おっさん、ちょっと賢すぎだわ」
その時、レオンの真後ろにある立体駐車場の柱の影から、風のようにレオンの背後に人が立った。
「っ!」
気配を察知したレオンに隙が生まれ、マッチーが身を捻り拘束から逃れる。同時に背後に立った人影がレオンの腹部に拳を叩き込もうと瞬時に動く。飛んできた拳は何とか捌いたものの、手練れの殺し屋も流石に2対1では分が悪かった。
直後、首筋に鈍い衝撃を感じ、レオンと呼ばれた殺し屋は意識を失った。
◇◆
スーパーマーケットの立体駐車場を出て行く車の中で茶髪の若者が吠える。
「疲れた!もう今年は仕事しねえ!」
「そんな言わない。結果うまいこといったんだから」
「マジで殺られるとこだったんだぜ⁈ 呑気にデートしてたそっちと違ってよー」
「あんたが気取られるようなミスするからでしょ、ルドルフ」
赤鼻のトナカイ。それがマッチーこと茶髪の若者のコードネームだった。
マッチーは運転しながら後部座席へと不満をぶちまける。
「お前だって場所の指示ミスってんじゃねえか」
「な! まさか勇人がこの子にお菓子を渡すと思わないじゃない!」
応えているのは先ほどまで勇人と一緒にいた玲奈ことコードネーム・ポインセチア。その隣にはツインテールの少女がちんまりと座っている。少女は車内の会話を気にすることなく、抱え込んだポテトチップスを一枚ずつ取り出しては控えめにかじっている。
「だから周りくどいやり方じゃなくて、シンプルに連絡しろって言ったんだ」
レオンが推理したようにマッチーは標的のサンタが勇人だと知っていた。問題は玲奈とともに先に入店している彼の居場所をいかにして知るかだった。
そこで玲奈が思いついた妙案はツインテールの少女を頼る手段だった。少女も妖精と言うコードネームがつけられているメンバーの一員である。
玲奈が少女にお菓子を渡すことをトリガーに、勇人をお菓子コーナーへと導く。一方の少女は店内を回りマッチーを探す。伝達を受けたマッチーがレオンを連れて向かえば、標的の勇人がそこにいる算段だった。
「えらく早く仕事が終わると思って期待したのによー」
少女がチョコレートを手にやってきて、マッチーは急いでお菓子コーナーへ向かった。実際のところそれは勇人による誤送信であり、レオンに怪しまれるきっかけになってしまったのだが。
「まあまあ、二人とも喧嘩はやめてくださいよ」
「そう言うGBも奴に気づかれてるからな!」
助手席に座るマッチーが、助手席の痩躯の青年に声を荒げる。彼のコードネームはGB。眼鏡に短髪で気の優しそうな顔をしているが、見かけによらずチームの武闘派担当である。
「いや、敵ながらあっぱれでした。その後は注意して、最後も助けてあげたじゃないですか。終わりよければ全てよしですよ」
「そそ、今回のクリスマス団のお仕事、悪くなかったでしょ」
マッチーは納得のいかない様子で呟く。
「パーティーの中で俺の役回りの負担が大きい気がしてならねえ」
「取り分多くしてあげるから、機嫌直しなさいよ」
金の話にマッチーの機嫌が少し良くなる。
「勇人ってやつ結構金持ってたんだな」
後部座席に無造作に置かれたカバンの中には札束が入っている。玲奈が勇人の財布からくすねたカードから引き出したものである。先ほど車中で聞いたところによると、財布に入っていた現ナマもしばしば抜き取っていたらしい。
「もう一つの目的のものも手に入ったし、一石二鳥ですね」
GBが懐から小瓶を取り出す。中身はレオンが使用していた遅効性の毒薬。特製の商売道具である毒薬を得ることが、今夜のもう一つの大きな目的だった。サンタ殺しの依頼を彼に託したのもそれが故であった。
GBが観察していた情報によると、勇人の始末には毒薬が塗られた毒針を使われたらしい。マッチーが突きつけられていたアイスピックのような得物は毒針だったのだ。
「そいつを食らったら、どうなってたんだろうな…」
マッチーは神妙な面持ちで呟く。少しでも力を込められ針が皮膚を貫いていたら、脅しではなく本当に死んでいたのだと思うとぞっとする。
「その効果はもうすぐしたらバッチリ分かるから、おったのしみー」
玲奈が無邪気な笑みを浮かべる。
「勇人か。でも、あいつを殺し屋に始末させるまでしなくてよかったんじゃねえの?」
マッチーの質問に玲奈の顔がわずかに陰る。
「んー。まあ別にそこは気にしなくていいの。自業自得」
マッチーはしばし考えたのち、
「…今夜変なプレイでもするよう強要されたのか?」
「バカ!」
運転するマッチーの頭を玲奈が思いっきり叩いた。
◇
勇人は重い体を引きずり、アパートの部屋に戻ってきた。スーパーマーケットを出てから体調は悪化する一方だった。
当初予定していた計画は脆くも打ち砕かれたが、今夜描いていたビジョンが未だにくすぶり続けている。クリスマスイブは散々な夜だった。手っ取り早く欲望を満たして寝よう。
勇人はキッチンに向かい、冷凍庫を開ける。開けた振動でジップロックに入った肉の塊がごろごろと音を立てた。それぞれの肉には保存を開始した日付が記されている。
9/14 美波。
10/20 梨沙。
11/27 詩帆。
改めて肉の塊を眺めると、今夜の玲奈というオンナへの欲求が募る。クリスマスディナーに相応しい上物だったが仕方がない。
冷凍庫から大ぶりの肉を取り出したところで、勇人はひどい目眩にバランスを崩し床に倒れ込んだ。泥酔した時の様に足に力が入らず立っていることができない。呼吸は荒く、心臓の音が大きく聴こえてくる。
何かを掴もうと必死でもがく。なんとか這いながらリビングに辿り着くと紐状の何かが手に絡まった。力を振り絞って引き寄せると、バラバラと音を立てて物が床に撒き散らされる。
ぼやけゆく視界で捉えたのは玲奈が今日泊まるために置いていた鞄だった。着替えの服やタオル、大小いくつものポーチ、色とりどりの物がフローリングに転がっていた。
それらに紛れて無骨な黒い機械が一つ。
これは…?
口から血の混じる泡を垂れ流し、薄れゆく意識の中で勇人は目をこらす。緑に灯るライトが作動中であることを示している。そこまで認識したところで勇人の意識はブラックアウトした。
聖夜の夜。毒殺された連続殺人鬼の姿を、小型カメラが静かに記録し続けていた。




