始まりの音色
あなたのピアノが好きでした。
あたたかくて、柔らかいピアノの音が好きでした。
目が見えない僕には、あなたの姿はわかりません。けれど、きっと素敵な人なのだろうと思っています。
でも、あなたはピアノを辞めてしまいました。
仕方がないと思いました。辞めるも辞めないも、人それぞれです。……僕だって、何度も辞めたいと思ったことがありますから。
何度も弾いたら、あなた以上に優しい音を奏でたら、また、あなたのピアノを聴ける気がしました。
だから頑張れました。頑張りました。盲目のピアニスト、なんて肩書きよりも、情熱の演奏者、なんて肩書きよりも、お金よりも、何百何千の評価よりも欲しいものがありました。
あなたがファンになってくれることです。
確かめることもできないけど、もし、僕のピアノを聞いてファンになってくれたなら、また、あなたのピアノが聴けるかなって。
だから、頑張ってきてよかった。
何度も何度も、辞めてもいいと言ってくれましたね。
何度も何度も、僕の身体を気遣ってくれましたね。
何度も何度も、僕のために温かいご飯を作ってくれましたね。
落ち込んだ時に褒めてくれたこと、時折、演奏の癖を教えてくれたこと、不摂生だけは本気で叱ってくれたこと。……どれも、感謝してもしきれません。
僕は、それに返せたでしょうか。
……今、ここで聴ける演奏が、答えなのかもしれませんね。
ありがとう。お母さん。
僕は、あなたのピアノが世界で一番大好きです。