主観的リアリティ
聞きなれない言葉だと思う。そりゃそうだ私の造語だから。ただ新しい概念を伝えるために古い言葉を使ったのでは混同するから。まずリアリズムが土台としてある。客観的に話し合うための言葉になる。だがそれは互いに意見交換のためにあるだけで、実際多くの人はその土台に個人的に感じ取った漠然としたリアル感がある。
これが主観的リアリティになる。後はこれが日本人なら大体多数派で似たようなものになる。そうじゃないといろいろ社会生活が困るからになる。そういった集団の結果的に一致する主観的リアリティをリアルさの常識と捉えて良いと思う。たいがいの人がリアリズムよりリアリティって言葉を重視するのは、科学的に裏打ちされたリアルなんて考えて無いからになる。
かといって常識と明確に出来るような経験的知識でもない。もっと言語化する前の感覚的な漠然としたものになる。これが漫画の実写化が上手くいかない大きな理由の1つになる。もう1つキャラデザを出せば多分この2つでほぼ解明できるだろう。
漫画の実写化でキャラデザばかり言われるのは、日本の多数派が馬鹿なわけじゃない。馬鹿、凡庸、賢いがいると思えば良い。この凡庸と馬鹿は、分かりやすい事しか論じない。だから本当はもう1つある重要な事を言う人は賢い少数派に限られる。自身が持つリアルさの常識と実写化してしまうとずれるからになる。
漫画は基本この主観的リアリティがずれてるといえる。だからキャラデザに魅力が無く、コンセンサスになりうるリアルさの常識にズレが少ない漫画は実写化の違和感がほとんど無い。逆説的だがキャラデザに魅力が無い方が実写化はスムーズに行く。スムーズに行くだけでそれが人気が出るわけじゃない。
今回のテーマはそれじゃない、これは分かりやすい具体例に過ぎない。何故主観的リアリティと言う造語を作ったか?と言うと、これはリアリズムに近くなる感覚という意味で使っていて、多くの人は感情が動けばそこにリアリティがあるからになる。これによって本来そなわっている主観的リアリティとはずれた別のリアリティが生まれる。
これが漫画っぽさの要因の隠れたファクターになる。再度書くが、多くの人間は凡庸で、分かりやすく目立つものしか言及し無い。よって同じぐらい重要なこのファクターはほとんど話し合われない。多くの凡庸レベルのそれなりに語る人間は、漫画っぽさにたいして、おそらく私が書いた実写化に違和感が無い作品を持ち出して批判だけで終るだろう。
何故か良く分からないが、人間と言うのは他者を潰す行動をしがちになる。漫画っぽさは漫画だけに特有なもので、漫画全体は実写的なものも同時にふくんでいる。だからこれはラノベらしさに当たるのじゃないか?と私は考えた。どうして漫画がモデルになったラノベは独特のラノベらしさがあるのか?
それは漫画の中にある主観的なリアリティがずれた漫画だけのリアリティで通じる物語を純化して選別したのが原因だと見ている。なおかつ実写においては主観的リアリティはリアリズムと近づいた幅の無いものになるが。漫画においてのずれたリアリティは個々の漫画によっててんでバラバラに形成される。
それらを補ってるのは、なんとなく感じてるずれた漫画全体のリアリティによって、漫画だからと違和感をスルーしてる点にある。ラノベはこれをもっとズレた側に幅を狭くして形成されたリアリティだと思って欲しい。
では何が原因でこういったズレが生じるのか?私のこの言及は、ラノベにおいてリアルさなんてどうでも良いや、リアルじゃないから駄目だとか、そのどっちも間違いだという話をするためにある。面白いと言う漠然とした感情とのトレードオフによってリアリティに結果論的にズレが生じるからが原因になる。
よってリアルさがどうでも良いなんてありえないし、厳密な幅の狭い漫画ラノベのリアルさは面白さを損なう原因になりかねないと言える。ここまで言わないとまさに片手落ちだ。
読者や受け手という享受する側と、それを作ってる側がなんとなく受ける受けないの結果によって調整して生まれた結果論でしか無い。明確に先立つ定義できるものなどあるわけがない。大事なのは何故ずれてるのか?の根幹を知らずに漠然とリアルさがおかしいのを批判するのは間違っている。同時にだからって面白ければリアルなんてどうでも良いという極論も間違っている。
分かりやすい白黒述べられるものじゃなくて、ただのトレードオフのバランス調整に過ぎない。
よって本当の重要な問題は、大体はリアルさがずれてしまう原因の面白さを感じ取れ無い事によって生じる。もちろんリアルさが面白さに繋がらないとは言わない。だが、基本は面白さが感じ取れ無い方が何倍も重要で、これは条件反射の実験と全く同じだと思っている。良さは別に合って、その時感じたリアルさが良さだと思い込んでしまうとなる。
肉によって出たよだれが、ベルの音に摩り替わってしまう。そんな頓珍漢な言及にネットは溢れかえっている。馬鹿ばかりではない、大半の人間は真実が見えない凡庸なのだ。