#002 まず訪れるのは冒険者ギルド、ではなく飯屋
そう、あれは蝉が泣き叫ぶ灼熱の8月のことだった。
辺境に逸れる人々をエナジードレインの魔法で時折吸い取りながら、怠惰な生活を送っていた彼ではあったが、ふと思いついたのだ。
人里に降りてみよう、と。
彼はゾンビの親戚、もとい最終進化形態ともいえる存在であり、人間ではない。
普通なら例え最終進化形態であろうと人里に降りてみたいなどと言う思考は魔物にはありえない。
では何故かと言うと、彼が人の死体から生まれたゾンビであり、微かに生前の記憶を引き継いでいるからだ。
倫理観などは欠落してしまったが。
と言うわけで、死皇帝である彼は今、辺境の都市であるヴォルステッドディアーヌの門前にいる。
辺境と言うのは中央の首都などでは手に入らない珍しい物資がわんさかとあるわけで、多少の危険を物ともせず冒険者や商人が集まってくる。
何が言いたいかと言うと、人が多い。
周囲に向かって大規模エナジードレイン魔法の行使を2秒に1回は熟考するほど人が多い。
門前でこの状態なのだから、中の状態は推して知るべしだろう。
行使して仕舞うとここに来た意味がなくなるので自制しているが、仮にそれが魔物であったら即刻行使していただろう。
ともかく、彼は辺境の都市を訪れた。
入るには何か自身について証明するものが必要な物で、彼が身に着けている物は自身の魔力で造り出した服のみであった。
さてはて、どうしようかとしばらく考えあぐねていいた彼であったが、途中で自分のバカさ加減に呆れてしまった。
中に転移すればいいじゃないか、と。
勿論、類稀なる魔法の使い手である彼であるからできることであって、常人が行っても都市を覆っている転移防止の結界に弾かれるのが落ちである。
辺境は強力な魔物が多く、なおかつ都市の中央には領主である辺境伯の居城が聳え立っているため守るに易く攻めるに難い造りの都市になっていて、対人のみならず対魔物対策もされている。
要するに、難攻不落で魔物厳禁の辺境都市にゾンビの親戚である彼が難なく侵入したということだ。
所で、この世界の通貨は三種類ある。
価値の高い順に金貨、銀貨、銅貨である。
鋳造しているのはドワーフの住む国、ドルチェのみで、これを快く思わない人間は多い。
純度100パーセントの金属を扱えるのがドワーフのみなので仕方がないと言えば仕方がないが、悲しいかな人は強欲である。
例えまったく同じ方法で鋳造しても人には造れないと知っていても釈然としない思いを燻ぶり続ける。
そして彼の手元には金貨の詰まった革袋があった。
何故?と思うだろうか?
何のことは無い、人には行使できないような魔力量で創造魔法を行使しただけである。
創造魔法万歳。
記憶にある物をイメージしながら行使すると消費した魔力量に応じてそれを復元創造するのが創造魔法で、神の領域にもなれば新物質を創造することも可能である。
彼にははたまたま金貨の詰まった革袋の記憶が残っており、人が一生の使える魔力のおよそ30倍の魔力を消費して生まれた金貨である。
イメージに対して少々魔力が多すぎたようで、魔力の籠った魔道具化しており、普通に使うよりもその手の店に売れば何倍にもなるのだろうが、さすがにそこまでの知識は記憶に残っていなかったようだ。
ともかく資金を得た彼は数千年ぶりのまともな食事を喰らう為、飯屋を探しに雑多とした人混みの中に繰り出した。
突然だがこの世界にはギルドというものが存在している。
冒険者ギルド、魔法師ギルド、薬師ギルド、等々、夫々の職業に合わせて様々なギルドが存在するが、基本的には立場の弱い労働者の権利を守るために設立された、相互扶助団体である。
ギルドにそっぽを向かれた国はそのギルドが司る人種が消えることを意味する、中々に権力の強い団体である。
そして、冒険者ギルドには基本的に酒場が併設されていて、情報共有の場として活用されている。
何故今このタイミングでこの説明をしたかと言うと、彼が訪れた飯屋の隣がまさにその冒険者ギルドの酒場であり、その凄まじい騒音が彼の精神をゾンビ生史上最速で削っているからだ。
ゾンビは基本、体内に入った物はなんでも魔力に変換できるため、わざわざ調理した食材を食べる必要はないが、人間に思考が理解できる彼だからこそ飯屋を訪れた訳であったが、少々、いやかなり後悔している。
人の食事とはこんなにも騒々しいものだったのか、と。
しかし、どうしてもこの騒々しさに我慢しきれなかった彼は転移魔法でその酒場に転移し、300人以上は居ようかと言う飲んだくれ全員に一瞬で腹パンを決め、刹那の内に静寂を勝ち取った。
併設されているギルド内に死んだ目を向け、で膨大な魔力の開放による威圧をしてから再び飯屋の自身が座っていた席に転移魔法で転移した。
食事を彩るクラシックが魔道具である蓄音機から流れていて、食事に適した環境がギルド支部建設以来初めて戻って来た飯屋で、魔法で味覚の再現を行いながら彼は料理に舌鼓を打っていたが、ほどなくしてそのパスタを食べ終え飯屋を出た。
和風に吹かれながら、このどうしようもない世界で、今日もゾンビは嗤う。