アンセンサードキネンコウエン
「西ニプルも数年で変わったもんだな」
薄い夕日に照らされた高層ビルを見ながら、シックスは感慨深く言った。
「大企業の進出がこんなにも治安に影響を及ぼすのですね」
ナインの言う大企業とは、ノースゲート社のことである。
「もともと西ニプルから、クリーヴィッジ区、東ニプルにかけて木賃宿が並んでたのさ。それがベリーボタン駅の敷設で西ニプルに木賃宿が追いやられた。もう50年も前の話になる」
「今では東ニプルには高級住宅地もあると訊きましたが」
「当時の市政が、駅の敷設を機に、東ニプルと西ニプルで差別化を計ったんだよ。境界線が線路だけだと不安だったのか、東と西をさらに大きく分けるように、間のクリーヴィッジ区に大きな公園をつくった。それが今から向かうアンセンサード記念公園だ。結果木賃宿は西ニプルに追いやられた。木賃宿があれば、そこに寄せ場がある」
「そうして飲み屋の需要がまし、ドヤ街の完成ですか」
シックスとナインは、信号で止まる。後ろを無言で付いてくるトムも、止まる。
「パチ屋の店員ともめた、酔っぱらい同士の喧嘩、ほんの10年前ぐらいは、そんなくだらねえ理由で暴動が起きてはかり出されたもんだ」
「西ニプルへのノースゲート社進出の際には、起きなかったのですか?」
「もちろん起きかけたさ」
「起きかけた?」
「ああ。結局起きなかった。当時の社長が、そうだな、労働者1000人くらいを、ノースゲートに雇った」
「雇った?まとまりますかね?」
「当時のノースゲートの社長はそりゃあすごかったよ。そもそも街を更正するために進出した節もある。あれだけの荒くれ連中をまとめて、郊外の工場で働かせやがった。もちろん衣食住を提供してな。飲み屋も駅からほど近いジェニタル区にごっそり移設させやがった。地上げの金払いもかなりよかったらしい。こうなりゃ誰も文句言わねえよ。俺ら警察ができなかったことを一年とかけずにやってのけた。まだ5年前の話だが、随分昔のように思えるな」
信号が変わり、三人は歩きはじめた。
「当時の社長?」
「ああ、数年前に事故で死んだのさ。それからかもな。変な事件が増えたのも」
シックスは、遠い目をして言った。
「それにしても、街のこととはいえ詳しいですね、シックス刑事」
「生まれてこのかた、ずっとこの街に住んでたからな。当然だろう。それと、シックスでいい。刑事はいらねえよ」
「わかりました、シックス。住んでた、ということは、今はお住まいはどこで?」
「最近隣のマンホッタンに家を買ったんだ」
ナインは、シックスの薬指のリングに目をやった。
「お子さんもおられるので?」
「あ?ああ、生きのいいチビが二匹いるよ。なんだ、意外か?」
「いえいえ、いや、まあ多少は。パパとして頑張らないといけませんね!」
「30年ローンなんだよ。お前、とにかく無茶はするなよナイン!」
シックスがパバート署長のことばを思い出し、ナインに顔を近づけてすごむ。彼女に何かあったら、シックスが責任を取らされる。
「え、ああ、はい!全力を持って望んでいきたいと思っております!」
シックスは、「そういう意味じゃねえんだが」と頭を掻いた。
「トム刑事も生れはこの辺りで?」
ナインがトムの方を振り向く。
無表情で歩いていたトムが、途端に顔を赤くする。
「え、あ、は、はい。自分も、はい、この辺りで」
「あんまりからかってやるなよ、ナイン。こいつは女に慣れてねえんだ。ただ、腕っ節だけは署内でも折り紙付きだ」
「へー、格闘技を?」
トムは、ナインの視線を避けるように、虚空をみながら、
「か、空手をやっておりました、ナイン刑事」
と言った。
「刑事なんて、つけないでください。ナイン、でお願いします、トム刑事」
「わ、わかりました、ナ、な、ナイン。じ、自分も、トムでお願いしたいです」
トムの反応に、ナインはくすりと笑いながら、「わかりました、トム」と返した。
「なにいちゃついてんだ。さ、もうすぐそこだぞ」
高層ビル群を抜けると、大きな通りを挟んで、木々が立ち並んでいた。
外灯が、入り口を照らす。道の脇に、「アンセンサード記念公園」と彫られた石盤があった。公園に昼間の瑞々しい緑色はなく、薄暗いなか、異様に光る外灯と何も言わない木々がナインの恐怖を駆り立てた。もしかしたら、この中に殺人犯が潜んでいるかもしれないのだ。
「いくぞ」
シックスを先頭に、公園の小道を進んでいく。
車の音が、だんだんと遠のいていく。
やや傾斜になった散歩道を登っていくと、 公衆便所が見えた。脇に併設されている自販機に、ふたつの影がある。
そこにいたのは、ひげ面で小太りのおっさんと、冴えない顔をした男だった。警戒をして彼らを注視していたシックスだったが、向こうの二人もこちらをじろじろと見てくる。その様子から、
「なんだ、ホモか」
とシックスは、ことばを吐き捨てた。
「愛に性別は関係ありませんよ」
ナインが、シックスにつっかかる。長々と講釈を垂れられたら困る、とシックスは口を閉じた。
そのとき、叫び声が聞こえた。叫び声、というより、怒号のような。
「池の方です」
ナインが走り出す。
「こら、お前が先頭いくな!」
シックスがあわてて追う。トムも続く。
池の周り、外灯の下で、若い男たちが声を上げている。
「なんだ、喧嘩か」
シックスが、歩を緩めながら言った。
「止めましょう」
ナインのことばに、シックスは「見過ごす訳にはいかねえな」と渋々頷いた。
「君たち、やめなさい」
5人の若者たちがいた。2対3で対峙していたらしかった。5人が5人、一斉にナインを見る。
「なんだ、てめえら関係ねえだろうが!」
「警察だ。ムショに引っ張ってってやろうか?」
シックスがバッチを出す。トムが、ずんと一歩前にでる。
一人が舌打ちをしたが、明らかに虚勢であった。バッチに、というより、トムに圧されて。
「行こうぜ」
3人の方が、その場を去っていく。
シックスは、「おめえらもさっさと行け」と2人の方に声をかけた。
2人は、だらだらと3人とは逆の方へ歩いていく。
「おい、ストーレイはどこだ?」
2人のうちの、季節はずれのニット帽を被った若者が言った。
「トイレ行くっつってから戻ってねえよ。もめてんの見て逃げたんじゃねえの」
黒いタンクトップの若者が、ことばを返す。
「あいつが逃げるか?」
「知らねえよ。じゃあなんでいねえんだよ」
タンクトップは、苛立ながら答えた。
「おいお前ら」
シックスが2人を呼び止めた。
「ストーレイくんはどこへ行くと言って、いつからいねえんだ?」
シックスは、風を切るように走る。
ニット帽とタンクトップによると、友人が一人トイレに行くと言って消えたらしい。喧嘩好きで、逃げるような男ではないということであったが、喧嘩の始まる前、今から約20分前から戻っていない。しかし、さっきトイレの近くを通ったときは、ホモ2人組をみただけで、他に異変はなかった。いや、普通に考えて、トイレの中までチェックするべきだった。ホモに気を取られたのと、若者の喧嘩の声につられて、最重要チェックポイントのトイレをみすみす見逃していた。あそこですでに何かが起こっていたかもしれないのに。反省しながらも、何もないようにと願い、走る。途中、さっきのホモ二人組とすれ違った。ひげ面小太りのおっさんと冴えない若者。じろじろとシックスの方を見ていた。あいつらはうろうろと何をしているんだ。
トイレまでやってくると、シックスは急いでトイレの扉を開いた。
何もない。トイレが、そこにあるだけであった。
シックスは、安堵の息を付いた。
「シックス!」
ナインとトムが、ようやく追いついた。
「すまんすまん、俺のはやとちりだった」
ストーレイとかいう若者は、喧嘩騒動を見てそのまま帰ったのだろう。
いや、待てよ。公園の入り口から、トイレを挟んで、池のそばまで、俺たちは一直線に来た。なぜ、ストーレイとすれ違っていない。別の出口から公園を出たか?まてよ。別の出口?
シックスは、再び走り出した。
「シックス!」
ナインとトムが続く。
「どうしたんです!?」
「トイレは逆側にもう一つある。池からの距離はこっちのトイレとほぼ等距離。急いで確認するぞ」
強い風が公園をざわつかせる。
なにもなければいいが。しかし、シックスの胸は妙に騒いでいた。
ナインが、なにかにつまずいてこけた。
「だ、大丈夫?ナイン」
「う、うん、ありがとうトム」
なにをラブコメしてやがんだ。シックスはことばを心の中で吐き捨てると、二人に構わず走り続けた。
池を過ぎ、こんもりとゆるい岡を登っていくと、ようやく反対側の公衆トイレまでやってきた。
こちらのトイレにも、自販機が併設されている。その自販機の前に、一人、男が立っていた。白いシャツに、黒いズボン。中肉中背。自販機の方を向いていて、顔はよく見えない。
シックスは、息を整え、近づいていく。胸に巻いたホルダーにある銃の存在を一度、確認する。もしものとき、俺に撃てるか?ドヤ街の暴動でも、警察棒しか使用していない。訓練以外で撃ったことがないのだ。いや、まだ犯人だと決まったわけではない。落ち着け。
ちゃりんと、コインの落ちる音がした。
男が、しゃがみ込む。
シックスは、一度深呼吸して、言う。
「警察だ。ちょっといいかな?」
男は、しゃがんだままシックスの方を振り返った。
筋の通った鼻に、整えられた眉、質感のある高そうな白いシャツを着ている。
男は、落ち着いた声で言う。
「ええ、いいですよ」
「名前は?」
男は、コインを拾い、立ち上がった。
「ストーレイって言います。友達を見ませんでしたか?」
さっきの若い二人の友達か。しかし、あの二人とは同じグループだとは考えづらい。服装の趣味が全くもって違う。
ーーー光?
自販機の明かりに反射して、男の右手の指先が光って見えた。その光は、下に伸びている。すーっと光を辿っていくと、その先っぽが、赤く染まっている。
それは、警察棒よりも、アイスピックよりも細い、光だった。
シックスは、胸に手をかけ、銃を抜こうとする。
「シックス!」
ナインの声と、トムの大きな足音がすぐそばで聞こえた。
「君もうんこだね」
男は指先から伸びたそれを、シックスに突き刺す。
「危ない!」
シックスをかばうように、トムが右腕を出した。
男のそれと、トムの右腕が、ぶつかる。
カキン、と音が響く。
男は、不思議そうに首を傾げる。
「あれ、おかしいな。僕のスパムソードがそんなにやわなはずはないんだけど」
「大丈夫か、トム!」
「え?はい、なんとか」
トムの右腕の一部が白くなっている。
「なんだ、これ?お前ここだけめっちゃ固くなってんぞ」
シックスが、暢気にトムの腕を触る。
「シックス、危ない!」
男の第二撃を、再びトムが、今度は左腕で受け止める。
左腕が、右腕の一部同様白くなっている。
「あれ、もしかして君も?でも、君もうんこ。うんこの味方をするやつは、うんこ!」
男は、指先からのびたスパムソードを、ねじのように螺旋状にさせ、トムに突き刺す。
トムは再び右腕で受け止めるが、男は今度は、その螺旋状になったスパムソードをぐりぐりと回し始める。
トムの悲鳴とともに、腕から血が噴き出す。しかし、男はえぐるのをやめない。
「止まれ!」
シックスが、銃を男に構えた。
「拳銃?発砲しただけでニュースになるような国で、なかなか早い対応だね」
男は、余裕の笑みを浮かべる。
「早く、その凶器をトムからのけろ!」
男は、左手をピストルのように構えた。
「なんのつもりだ?」
「僕とどっちが早いかな?」
「撃つぞ」
「撃ってよ」
「くそ、」
シックスは、引き金に手をかける。
ーーー撃て。撃て!俺!
「くっそお!」
引き金をひいた。しかし、弾が射出されるよりも早く、男の指先から伸びたスパムソードがシックスのピストルを貫通し、暴発した。
シックスは、手を抱え、うずくまる。
「ひゅー、ほんとに引き金引けるんだ。でも、ちょっと躊躇しちゃったね。で、君は撃たないの?」
男は、ナインの方を見た。ナインは、硬直したまま動けないでいる。
「銃は?まさか、持ってないの?」
「じゅ、銃は、じ、実務勤務期間は銃の所持に許可が必要で」
「え?何?新人の研修的な?本当、平和ぼけにもほどがあるよねえ。一応連続殺人事件が起きてるんだけど。どうすんの?ねえ。死んじゃうよ。このうんこども。まあ、君がいちばんうんこだけどね。じゃあ早速うんこを流しましょう」
「や、やめて!」
公園に、ナインの叫び声が響く。
トムは、腕の出血を抑えながら、息絶え絶えになんとか立ち上がる。
シックスは、うずくまりながらも、男を睨み言う。
「糞野郎が」
にこりと笑い、男は言う。
「糞は君だよ。はい、さいなら」
男の右手が、シックスに向けられる。シックスの体に、男のスパムソードが伸びる。
「助けて!」
一陣の風がナインのそばを通り抜けた。いや、正確には、ある青年が、ナインのそばをものすごいスピードで通り過ぎたのであるが。
スパムソードは、シックスの体を貫通することなく、地面をえぐった。
「グッジョブだ、クリーム」
ナインの背後から、声がした。
「お、お前は」
一度命を諦めたシックスは、青年の腕の中にいた。
「さっきの、ホモじゃねえか」
「ホモじゃありません。僕たちは」
「「クリーム・パイ!」」
湿ったパンツに、クリームは、次からはオムツを着用しよう、と思った。