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スペシャルクリーム for Crazy Town  作者: ジョブレスマン
2/7

カンナ

 木枯らしが、窓を叩く。ベッドの上で半身を起こした彼女ではあったが、何をするわけでもない。どうせこの家からは出られないと知っているから。

 一人には広すぎる部屋。豪華なシャンデリア。レースを纏った最高級のベッド。


ーーー嫌だな


 

 物心ついた頃より母と二人貧乏暮らしをしていた彼女であったが、10歳になる頃、転機が訪れる。ある夜のこと、スーツ姿の男が彼女たちの住むアパートを訪れた。男は、丁寧な態度と不気味なほど重低音な声で、母になにやら話をしている。途中、ちらりと彼女を見ると、笑った。母にはわからなかっただろうが、彼女には、笑ったように見えた。じろりと品定めするような視線と、一瞬上がった口角。

 一週間後のこと、数時間の長旅を経て、彼女は母とともに大きな屋敷に連れてこられた。大きな扉を開けると、絢爛豪華な内装に圧倒される。まるでおとぎ話の世界であった。

 一人の男性が、ゆっくりと階段を降りてくる。シャンデリアのまばゆい光が、彼を包んでいた。

「今日からここが君たちのうちだ」

 朗らかな声と、優しい笑顔だった。

 母よりも一回り年上に見えたその男性は、僕は君の父親だ、と言い、「すまなかった」と謝った。彼女は、わけもわからず、ぺこりとお辞儀をした。

 今更父親だと言われても、受け入れることができなかった。それでも、忙しい仕事の合間を縫って、三人でショッピングやレストランに出かけたり、誕生日やクリスマスなどのイベント時には、たくさんのプレゼントを用意してくれたりと、子どもながらに、この人はいい人なんだな、と思っていた。


ーーー幸せだった

 

 当時はうじうじと細かいことに悩んでいたが、思い返せば、そう思う。優しい母と、父と。もう、戻ってはこない。


 

 扉がノックされる。


「おはようございますカンナお嬢様、あら珍し、起きてるじゃないですか。朝食ですよ」


 召使いのヴィッタがいそいそと入って来ると、ベッドの上で半身を起こしたカンナの前に、朝食の乗ったトレイを置いた。


「ヴィッタ」


 カンナの呼びかけに、ヴィッタは答えない。彼女は、ミルクを入れてこぼさないようにトレイの上にのせると、手早くカーテンを開ける。


「ヴィッタ!」


 カンナが声を荒げたので、ヴィッタは渋々、「なんですかお嬢様」と返事をした。


「今日も貸して」


「駄目ですよ。今日はあの方との食事会があるんですよ。お爺さまもなにやら朝から急がしそうですし、お嬢様もドレスを」


「まだ時間あるじゃない!ヴィッタが当番の日じゃないと使えないんだよ?貸してくれないと死んじゃうよ、私」


 死んじゃうよ。ヴィッタにとってはただの脅しに聞こえなかった。思春期の女の子、しかもカンナの身の上を知っている。カンナが何をしでかすかわからない。まあ、持って来ている時点で、頼まれたら貸そうと考えていたのだが。


「一時間後の、掃除のときには返してください。絶対ですよ」


 ヴィッタはポケットから小型のタブレットを取り出すと、カンナに渡した。


「ありがと、ヴィッタ!愛してる!」


 無邪気な笑顔に母性を感じながらも、ヴィッタは少し後悔していた。


ーーーあのとき貸さなければ


 四年ほどまえ、両親の死をきっかけに、カンナはふさぎ込んだ。問題は、それだけではなかった。あの男と、突如現れたカンナの祖父が、彼女の行動を制限した。自由に遊びにも行けず、学校の行き帰りのみが彼女の生活になった。当然、友達たちも遠のいていき。

 去年のあるときであった。


「絵はもう描きませんの?」


「いいの、もう。描いたところで、なんにもならない」


 唯一の趣味であった絵すら、カンナは描かなくなった。

 世界は広いのに。ノートよりも小さな機器で世界と繋がれるのに。


「こんなものがありますよ」ーーーーー


「絶対にばれてはいけません。そして、変なサイトには行かないこと!いいですね!」

 

 小声で捲し立てるヴィッタを、「わかってる」とカンナはあしらった。

 トレイとともにヴィッタが部屋を出て行くと、カンナは布団に潜り込み、タブレットを起動した。

 ヴィッタには内緒で、カンナはある交流サイトに登録していた。クラスメイトがよく話題にしていた「アドミーフリー」である。年齢、趣味、性別などを検索して、気に入った相手を自分のお気に入りに加えることができる。加えると、相手に通知が行き、そこでようやく、加えられた側から、チャットが可能になる。人見知りのカンナは、ネット上でも例外なくそうで、自分で相手をお気に入りに入れることができなかった。相手に通知が行くのを恥ずかしがったのと、自分に興味のある人と、話がしたかったからである。誰か、自分に興味を持って。私はこんなにも、悩んでいる。私はこんなにも考えている。誰かに、伝えたい。

 お気に入りされました、との通知は早々にやってきた。絵に興味があって、且つこの街の近くに住んでいる、同年代の、女の子。カンナの理想であったが、やはりなかなかいない。相手のプロフィールを見るが、男であることが多いし、都合よく街の近くに住んでいることもなかなかない。一度チャットをしてみたが、早々に画像を送れと言われ、すぐにブロックした。

 そろそろやめようかと考えていたとき、再び通知がやってきた。隣町に住む、三つ上の女子学生、イザであった。心理学を専攻し、絵を描くのが趣味だという。とても丁寧に返事をくれるイザに、すぐに気を許したカンナは、身の上話をすると、すっかり依存してしまった。イザはただカンナの話を聞くだけでなく、自分の悩みも打ち明けてくれた。しかも、カンナがチャットを始めると、必ず返信がすぐにくる。


ーーー常に私を見てくれている。会いたい。


 布団に潜りながら、イザにもうすぐ自分の身に起こることをチャットし始める。結婚させられるかもしれない、嫌だ、と。

 イザは、察したように、返信する。この間話していたことね、と。そして、提案する。屋敷から、逃げてしまえばいいじゃない。

 カンナは、少し驚いていた。逃げてしまえばいいじゃない。提案の内容に驚いたのではなく、イザから提案があったことに驚いたのだ。カンナが悩みを吐露したときも、イザは、よく頑張ったね、と励ましてくれることはあっても、何かを勧めたりすることは今までなかった。


ーーー逃げ出したい


 祖父から、あの男との結婚話をされてからは、特にそう思うようになった。でも、そんな、どうすればこの屋敷を。

 イザから再び、チャットが来る。今日の夜19時に、駅の東口においで。私がカンナを見つけるから、と。

 カンナは、イザからのチャットを見て、手が震えた。ここで動かなければ、後悔するかもしれない。でも、怖い。

 イザから、再びチャットがくる。 

 チャンスはくる。私が、連れてってあげるから。どこまでも。だから、安心して。


「お嬢様!」 


 ヴィッタがノックもせずに部屋に入って来た。

 カンナは、驚いて布団から顔を出す。


「お食事会はキャンセルになりました。緊急事態で旦那様もみんなお出かけになります。執事たちも緊急集合がかけられてますゆえ、タブレットをお返しに」


「え、ちょっとまって」

 

 カンナは急いでログアウトする。


「さ、早く!」


 ヴィッタに布団をはがされると、カンナは諦めたかのようにタブレットを渡した。いつもはぬかりなく履歴も消去するのだが、できなかった。

 ヴィッタはタブレットをポケットに入れると、足早に立ち去った。

 カンナは、ベッドから出ると、早々に着替えた。思いっきりおめかしして。何が起こっているかはわからないが


ーーー今が、チャンスなのかも


 イザとのチャットを思い出していた。そして、あの重低音の男の、不適な笑みが脳裏をかすめた。結婚は、絶対に嫌だ、私は、この家を出て行く。

 着替えも対して持たず、金持ち相応のそれなりのお小遣いと、とびっきりのおしゃれをして、念のために目深に帽子を被り、部屋を出る。

 カンナの部屋は、二階にある。長い廊下を慎重に歩いて行くと、吹き抜けの広い玄関が見えた。階下の玄関が、騒がしいことに気がつくと、カンナは、足を止めた。大きなシャンデリア、螺旋状の階段が、見える。初めて来たときは、あんなにも感動したのに。

 祖父の怒鳴り声が玄関から聞こえた。扉が、ばたんと閉まる音がする。カンナは、窓から外を覗き見た。祖父が、黒光りの車に乗り込んだ。もう一人、乗り込もうとするものがいる。母と、10歳の私を迎えに来た、あの男。


ーーーやばい!


 即座に、カンナは身を低くした。なにを感づいたのか、あいつがこっちをみたのである。

 車のドアが閉まる音がすると、間もなく動き出した。

 なんとか、バレなかったか。

 階下の玄関で、執事長の声が聞こえた。ちらりと覗くと、ヴィッタ含め、執事十数人がそこにいた。


ーーー今しかない


 カンナは、玄関とは反対方向に廊下を歩いて行く。非常用の階段を降りると、執事たちの部屋を抜けた。誰もいない。よっぽどの緊急事態なのか。

 裏口から外へ出ると、辺りを見渡した。さすがに守衛は門のところにいるだろう。門以外は、ぐるりと壁に囲まれている。

 どうしよう、と立ち尽くしていると、ドーベルマンが一匹やって来た。


「くり!」


 屋敷ではドーベルマンを警備用に飼っているが、一匹だけ全身が茶色かったので、カンナは特別可愛がり、「くり」と名付けていた。

 くりは、カンナの方を見ると、首を振って、ひと際大きな木に向かって歩き出した。カンナは、なんとなく、くりに付いて行く。

 木の背後にある壁の下を、くりが掘り始める。というよりは、既に掘られていた、と言ったほうがいいのかもしれない。くりが前足で落ち葉を払いのけると、壁の下に、一人分通れる穴があいていた。


「すごいわ!」


 家の敷地を出る。そこには、自由がある。自由、を求めて。

ーーー自由になって、なったところで、私は、何がしたい?

 そんな疑問がちらっと頭に浮かんだが、すぐさまかき消した。とにかく、私は行くんだ。イザと、会うんだ!

 足が震えている。嬉しいのか、怖いのか。

 カンナは、穴を潜り、敷地を出た。

 帽子を一度取り、全身の土を払うと、再び目深に被った。

 外を見る。

 特に世界が変わることはなく。

 カンナは、とりあえず駅を目指すことにした。

 分厚い雲が屋敷の上を覆っていた。


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